
国土交通白書 2024
第1節 本格化する少子高齢化・人口減少における課題
インタビュー 我が国の労働市場の流動性と賃上げ・イノベーションの関係

人口減少社会における経済成長を考える上で、生産性の向上、賃上げやイノベーションも必要だが、我が国には高度専門人材を育む労働市場の流動性の実現が急がれる。都市・地域経済学がご専門で、集積の経済、研究成果の社会実装等、数々の研究成果を挙げられている近藤氏に、我が国の労働市場における課題、革新的技術で変わる豊かな暮らしと社会について、お話を伺った。
●個人が持つ「潜在的な労働生産性」は高い
ほかの先進国と比較して、日本の労働生産性は低いと言われる。しかし、巷に言われるマクロ経済指標としての労働生産性(付加価値を労働人口や労働時間等で割った数)だけでは、その本質的な部分を見ることができない。
経済学で知りたい「生産性」は、労働者もしくは企業が持つ生産活動に寄与する潜在的な能力であるが、私たちはそれを直接観測できない。それが労働市場で賃金として評価される、あるいは生産活動を行いアウトプットとして観測されることで初めて潜在的な生産性を知る手掛かりとなる。私たちが生産性を議論する時、まず評価すべきは、個人が持つ能力が十分発揮できているかである。東京大学・川口教授の研究にもあるように注1、日本では個人が持っている能力は非常に高いが、それを有効活用できていないことが問題であり、制度や労働市場の問題と考えている。
日本の労働市場の伝統的な慣習には、年功序列、終身雇用に基づく賃金体系がある。若い人が成長し、生産性が非常に高くなった時に賃金が上がるかといえば、そこがリンクしてこない。AI等の技術進歩のスピードが加速し知識の陳腐化の速度が高まる中、継続的な人的資本投資が必要とされるが、賃金上昇につながらないならばリスキリングの誘因も生まれない。現在持っている能力を十分発揮できないだけでなく、将来に向けた能力開発にもつながらない。制度や慣習により本来のポテンシャルを引き出せていない状態であり、それを発揮できる仕組みが社会に浸透すれば、更に生産性は高くなるのではないか。労働者にとって、そもそも最初に就職した企業が長期に生き残れるのかも定かではない時代になっている。
企業での一つの解決策として人事評価制度の改革が考えられる。早稲田大学・大湾教授の研究注2にあるように、多面評価(360度評価)の導入はその一例だ。大手企業を中心に多面評価をはじめとする人事評価の再考が行われている。新たな人事評価制度の導入は簡単ではないが、既存の枠組みを乗り越えた取組みが期待される。
●労働生産性向上の報酬はボーナスも含めて賃上げの仕組みを柔軟に
物価と賃金の好循環が求められる中、賃上げに向けた労働生産性の向上は、日本経済の伝統的な枠組みの中では難しいところがある。我が国は年功序列、終身雇用の下で、賃金が決まっており、人的資本投資による労働生産性向上に連動して必ずしも賃金が上昇しない。また、労働生産性向上が資本の投下によって達成された場合、資本側へ分配され、労働者の賃金として分配されない。あとは、全要素生産性の向上によってもたらされた収益が誰にどのように分配されるかである。
定期昇給は年功序列の下で存在するが、厳密には生産性向上を反映した賃上げではない。生産性向上による賃上げは主にベースアップで対応するが、将来の不確実性が増す中、終身雇用の下でベースアップを受け入れることは、経営層側にはリスクの高い判断である。日本の賃金体系を前提にするならば、月給のベースアップだけではなく、ボーナスも含めて賃上げを評価することだろう。
全要素生産性向上による収益増加分が可視化され、柔軟にボーナスとして還元される仕組みがあれば有効と考える。
●研究シーズを社会実装する人材が不足
イノベーション創出と生産性向上はセットで考えなくてはならない。労働力不足だから生産性を高め、効率的な生産を目指すという考え方は必要であるが、労働力不足を抜本的に解決する新しい発想の下でのイノベーションを目指す方がより重要である。
大学発スタートアップでは、大変興味深い様々な研究成果からイノベーションが生み出されている。また、異分野間の共創が社会に与える影響は非常に大きい。日本の研究者はすばらしい技術を持っている。
問題は、社会実装して収益化につなげられる高度専門人材が不足していることである。大学研究者がすべてを担うには限界がある。海外では、専門的な研究論文を読み解ける博士号(PhD)を持った人材がスタートアップに入ってきて、新たな価値創造を行っている。新型コロナウイルスのワクチン開発もスタートアップ企業によるものだ。大学の研究シーズを掘り起こし、どうやって社会に役立てるかを事後的に考える発想が求められているが、海外に比べ、我が国は必要な人材が圧倒的に不足している。研究シーズの価値を自ら評価でき、次の社会実装につなげる人材の豊富さが求められる。
では、なぜ海外でPhDが多いかといえば、労働市場で評価されるからである。転職しやすい労働市場では自己投資をどんどん行い、より優れた環境があれば移ることができるというメリットがある。企業側にとっては必要な人材が離れてしまうリスクがあるが、カウンターオファーの仕組みにより、より高く評価される人材にはより高い報酬が支払われることになる。流動的な労働市場の下で、労働者がどうやって自己投資するのかと、企業が高度専門人材のモチベーションを高めどう活用するのかという相互性は、技術進歩を引き上げる形で機能している。
●革新的技術で変わる暮らしや社会
国土交通分野においてAI・ロボット等の革新的技術で期待されるものの一つが、移動や輸送の自動運転技術である。人口減少の下で公共交通の維持が難しくなる中、特に高齢者の移動難民が増えている。また、運送業界では、過酷な労働環境にさらされ、ドライバー不足が問題になっており、その解決策として期待される。また、災害時の状況把握や捜索・救助活動、インフラの保守点検・維持管理では、危険を伴う作業にドローンのような無人化技術を活用する方向性も重要だ。
今、公共交通の採算性の問題から、貨客混載が期待されているが、生産性の高い状態を維持することが求められる。現状、駅での荷役作業に人手を要したり、旅客専用車両の空いたスペースに貨物を置いたりする状況ではまだ非効率であるため、AIを利用した需給マッチングシステムの利用や貨客混載を効率的に行える駅の構造や車両の改善も必要となる。
●再分配政策をどう達成するか
経済成長と格差是正は必ずセットで考える必要がある。経済が成長すると同時にどこかで経済格差が生じ、社会問題化するのは、歴史を見てもどの国でもあり得ることだ。
重要なのは、再分配政策をどのように達成するのかである。経済成長と異なり、再分配政策は市場メカニズムによって決まるのではなく、民主主義の下で議論を通じて決めなければならない。民主主義の機能不全が起こると、経済成長の結果、富める人と貧しい人の間で軋轢が生じ、社会的不安や緊張関係が増してしまうのが資本主義の失敗と言われる所以でもある。
経済成長をあきらめ、過度な経済格差を生まない社会を目指すという考え方もある。しかし、日本では、少子高齢化が引き起こす社会保障制度の軋轢が世代間格差の拡大へつながっている。いずれにせよ、民主主義が機能する社会であることが重要と考える。
●民主主義を育む上で重要な場所への愛着
民主主義の重要性は理解されている一方で、最近はその機能不全がより顕著になっている。平成17年度国土交通白書では、特に大都市において地域コミュニティの衰退が進んでいることが指摘されている。地域コミュニティの自治は、最も身近な民主主義を育む場となるが、どこか他人任せにならざるを得ない。
民主主義の機能不全の原因を遡ると、場所への愛着の希薄化が関係しているのではないか。地理学の分野では、1970年代にエドワード・レルフ氏が「没場所性」という概念を『場所の現象学』という本の中で論じている。
没場所性とは、今いる場所への愛着がなくなることで、場所を良くしようという能力が衰え、そこが画一的な場所になっていくこととされる。むしろ、私たちは場所に縛られており、解放を望んだ結果なのかもしれない。
東北大学・本江准教授が興味深い議論注3をしているが、本来コミュニケーションは対面で行われ、高いコストを払ってでも直接会う「場所」があった。しかし、情報通信技術の発展によるコミュニケーションコストの低下は、私たちのリアルの生活から「場所」を切り離したという。場所への愛着を取り戻すことは、地域コミュニティの自治に必要な集合的意思決定の土台を維持することであり、一人ひとりの参加意識の高まりは民主主義の質を高め、国の経済成長を考える上で重要なものになると考えている。
●DXがもたらす持続可能で豊かな暮らしとは
持続可能で豊かな暮らしとは本来、どこで働くかより、まず自分がどこに住み、どんな生活がしたいかを求める先にあると思う。コロナ禍を機に柔軟な働き方が進み、居住地選択がより自由になったように、これからは自治体DXをはじめとした社会基盤の整備が進むことで、仕事に偏った都市への集中構造から、どこに住んでも自己実現ができる、都市も地方も持続可能で豊かな未来社会になるのではないか。
- 注1 川口大司、「女性活躍へ政策的障害除去 人的資本を生かすには」、『日本経済新聞』、経済教室、2022年6月3日付朝刊
- 注2 大湾秀雄、『日本の人事を科学する:因果推論に基づくデータ活用』、日本経済新聞出版社、2017年
- 注3 本江正茂、「没場所性に抗して」、『10+1』No.42、2006年3月