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栃木県現地調査意見聴取議事要旨

1.日時

平成10年9月30日(水曜日)

2.場所

りんどう湖ロイヤルホテル2階ロイヤルホール

3.出席者

(審議会委員)

石原会長代理・部会長、野崎部会長代理、石井(幹子)、宇野、堀江各委員(5名)

(専門委員)

井田、井出、片山、戸所各専門委員(4名)

板倉大都市圏整備局長(事務局次長)他

4.議題

地域の概況について、首都機能移転に関する対応方針について、事前質問事項に対する回答について、意見交換等

5.議事の要旨

今回は、栃木県内の首都機能移転先候補地の現地調査を行った後、地域の概況、。首都機能移転に関する対応方針、事前質問事項に対する回答について栃木県より説明が行われ、引き続き意見交換が行われた。

(1)地域の概況について

栃木県知事より以下の説明が行われた。

8月末の集中豪雨についてであるが、8月27日に24時間で607mmという雨が降り、年間降雨量の3分の1に当たる雨量が24時間で降った。まさに未曾有の集中豪雨だったが、東北縦貫自動車道や東北新幹線によって、東京や東北地方とのアクセスは十分に確保できた。また、地域内の救援活動についても若干の迂回路を使うことによって、支援物資等の搬送が十分にできた。さらに、栃木県が国政都市として想定している那珂川と箒川に囲まれた那須野ケ原の中心付近は、被災地とはかなり離れており大きな被害は受けなかった。したがって、候補地としての適地性には影響がないと考えている。

首都機能移転への栃木県の基本姿勢についてであるが、首都機能移転は、21世紀の安心で豊かな国づくりのために大変大事な意義を有するものであり、特に、国の災害対応力の強化は大変緊要な課題だと思っている。栃木県としては、こうした国家的意義を持つ大きな取り組みに対して地方から貢献することを基本として、首都機能移転に積極的に取り組んでいる。

まず最初に、栃木県の人口と面積であるが、人口は約200万人、面積が6,400km2ということで、47都道府県の順位では、面積、人口ともに20番目という、非常にバランスのとれた県である。一方、関東地方では、面積は一番大きいが人口は一番少ない。さらに栃木県の那須地域だけの面積が2,230km2である。東京都が2,100km2であるから、東京都よりも大きいわけであり、今日視察した範囲が、東京都の面積の半分ぐらいの地区である。人口は、東京都の1,100万人に対して、この地域の人口は38万8,000人であり、人口密度も少なく、首都機能移転を受けとめられる広さがあると感じている。

栃木県那須地域は、地形的には北、西、東の三方に山があり、中央部は那須野ケ原と呼ばれている那珂川と箒川に囲まれた約4万haに及ぶ広大で平坦な扇状地である。那珂川以北もなだらかな地形であり、東北自動車道は栃木県の中にはトンネルが1つもないということからわかるように、福島県との県境まで、約7万haの平坦な土地が続いている。とりわけ、那須野ケ原は、明治期の那須疏水や、明治の元勲による大農場の開拓などによって造り上げられてきた自然と、自然環境保護法などにより守らるべき自然がうまく調和をしており、豊かですばらしい自然環境を形づくっている。

次に、気候のうち、特に雪についてであるが、年間積雪日数は9日程度であって、宇都宮市と大差はない。雪が都市活動の障害になることはまずないと思う。

社会条件については、特に観光面では、那須地域には手軽にふれあえる豊かな自然や那須温泉・塩原温泉郷、さらに関係する市町村にはすべて、多かれ少なかれ温泉が出ており、多くの人の余暇と安らぎの場として親しまれている。また、那須地域に隣接して国際観光地日光があり、来年12月には東照宮、輪王寺、二荒山神社などいわゆる2社1寺が世界文化遺産に登録されることになっている。既に、文部省を通じて、ユネスコには今年6月に申請書を送っている。

住みやすく歴史的な文化遺産もある本県であるが、栃木県の知名度ということになると、残念であるが、日光の名の陰に隠れてしまい、恐らく全国最下位ではないかと思う。特に栃木県の「栃」という字は、日常会話では絶対に使わない字なので、ほかの県の若い方々にはなかなか書けない。そういうことでは困るので、私が知事になってから、県のイメージアップのために東北本線に「宇都宮線」という名前をつけたり、「トチノキ」と言わないで「マロニエ」と言ったり、いろいろ努力している。

次に、選定基準に対する那須地域の適地性であるが、那須地域は東京から約150km圏である。東京から那須まで、東北縦貫自動車道にはトンネルが1つもないことからわかるように、東京までの平坦さを生かして、東京に災害が起こった場合でも多方面から多様なアクセスが可能である。

交通網について、栃木県那須地域の特色は「東京とは近からず遠からず」である。栃木県の観光的での地理的なセールスポイントは、「近からず遠からず」である。近すぎると、大東京に埋没して地域のアイデンティティーがなくなり、遠すぎればいくら自然が残っていても人は来てくれない。近からず遠からず、程よい距離にあるというのが栃木県のセールスポイントである。首都機能移転の場合にもやはり、「近からず遠からず」ということが1つのポイントになるという気がする。また、板東太郎という大河利根川が埼玉と栃木の間にある。新幹線で来ても、利根川を渡った途端に景観が変わる。板東太郎の存在感はかなり大きく、東京との間が連担することはまずないと思われるし、適度な連携のもとに、両地域が発展していくことが可能だと思っている。那須地域は、まさに首都機能の移転先として、ふさわしい条件を備えていると私どもは思っている。

次に、本県の取組状況であるが、まず、県レベルでの広報・広聴活動をたくさん行っており、栃木県首都機能移転促進県民会議をつくっている。県民会議は平成8年4月につくられ、現在、県内各界の77団体の参加のもとに、私が会長を努め県民とともに考えながら首都機能移転に取り組むことを基本に幅広い活動を展開している。こういった観点から、特に自然保護の観点等からいろいろな意見もあり、首都機能移転に慎重な意見をお持ちの方もいるので、県民フォーラムではそういう方も含めて、さまざまな分野から参加があり、平成8年から県内各地で開催している。また、昨年4月に県民により詳しい情報を提供するために、首都機能移転情報センターを県庁内につくり、大勢の方が訪れている。他の候補地では例のないことではないかと思っている。

さらに、各団体の主催による講演会、説明会などについても、平成8年から現在まで130回、参加人員で15,000人ほどになっている。こうした中で、県議会を初め、那須地域16市町村のすべての議会で誘致決議が行われており、また、民間団体においても、推進組織の設立や誘致決議が行われるなど、那須地域への移転促進の機運は、県内全域で徐々に盛り上がりを見せてきていると思っている。

首都機能移転に伴う課題については、平成8年7月に、私が本部長となって、庁内に「首都機能移転対策本部」を設置して調査検討を進めているところで、特に土地投機を防止するために、地価動向についての監視体制を強化してきている。

首都機能移転促進への今後の取組についてであるが、本県としては、那須地域への首都機能移転を実現するために、県議会、市町村、市町村議会、関係団体等と連携をとりながら、移転に関する県民合意の形成を中心に、首都機能移転への地方からの貢献を念頭に置いて、なお一層積極的に取り組みたいと思っている。国においても、首都機能移転に関する国民的な合意形成のための一層の取り組み、自然環境との調和や理想的なまちづくりを進めてるための適切な土地利用を図るための新しい法制度の整備、国会等の移転に関する法律等に基づいて、土地投機防止対策を確実に進めて欲しい。

なお、栃木県に限らず、どの候補地でも共通の問題になると思うが、今の法律によると審議会から候補地の答申がされた後、国会審議において東京との比較考量を行うことになっている。候補地としてノミネートされたところが単数であれ複数であれ、移転先地の決定まで、時間がかかることになると、店晒しになり、大変な事態が起こる可能性がある。できれば、国会において移転先地が速やかに決定できるように、候補地の答申までの間に、国会との間に十分な内容の事実上の調整が行われることを望んでいる。

(2)首都機能移転に関する対応方針について

続いて栃木議会特別委員会委員長より以下の発言がなされた。

本県議会では、平成4年3月に、那須地域への国会等の誘致を全会一致で決議して、平成7年5月には、全国に先駆けて特別委員会を設置している。以後、継続してさまざまな活動を積極的に行ってきている。本委員会の基本的な活動方針は、県内の各界各層の意見を集約しながら、県民挙げての首都機能移転運動の機運を盛り上げて、県民の合意形成を促進することである。このために、移転対象地域の16市町村の首長、議会議長との懇談会を開いたり、あるいは青年会議所や女性団体の意見を聞いたり、自然を守り農地の確保ということから、特に農業・林業団体の代表者の方との懇談会等を開催をして、地域の各界の方々の意見や要望を把握するとともに、移転の意義や課題等について懇談を重ねてきた。地元の特に自然保護関係団体からいろいろな意見が出るので、その代表者と、新都市の建設と自然環境の調和について深く掘り下げ、接点を見つけながら議論を進めたいという懇談が今月中に計画されている。昨年、本委員会の要請により、本県選出国会議員全員による議員連盟が組織され、定期的に国会議員とも会合を重ねている。

2番目の活動方針として、移転先地は利根川以北の北東地域が最適地であるとの認識のもとに、北東地域を構成する宮城、福島、茨城、栃木、そして山形県を加えた5県の特別委員会で協議会を設立して、「利根川以北の北東地域であれば、互いにこだわらず、お互いに協力し合いながら進めていこう」という旨の約束をしている。このため、本年4月に行われた審議会の各関係知事のヒアリングの際に、決してお互いに連絡し合っていなかったが、4県の知事が期せずして同じ趣旨の発言をしたと聞いており、山形県を含めた5県協議会の活動が評価されたということで、大変うれしく思っている。

なお、この5県協議会は、本年度から名称を「北東協議会」に変更して、我々の活動に賛同する各県の知事に協力を求めていくことにしている。山形県は調査対象地域からは外れているが、今後も仲間として応援していくという姿勢であるので、心強く思っている。

首都機能の移転は、我々の代で行われるものではない。2世代、3世代後の子孫のために、日本の枠組みを再構築するための国家的な大事業であり、決して目先のことにこだわることではない。したがって、将来の日本に、あるいはこの地域に大きな夢を持たせたいというのが、我々の委員会活動の根幹をなすものと考えている。

本委員会は、畿央地域を除いて他の候補地も視察してきた。昨年度は首都機能移転を主眼に、オーストラリアのキャンベラ、ワシントン、ブラジリア等も手分けをして視察してきた。今後も県民を代表する県議会の特別委員会として真摯に取り組んで、県民挙げての運動を積極的に展開していく所存である。

続いて黒磯市長より、以下の説明が行われた。

去る8月27日未明からの集中豪雨による災害に対しては、大変多くの方から温かい支援、協力があり、復旧に向けて頑張っているところである。1日で600mmの雨が降ったが、実はこの地域は、年間降雨量が1,800〜2,000mmぐらいである。雨量観測が始まったのが明治になってからで、100年ぐらいであるが、過去の統計を資料として今回の豪雨の確率を推計すると、1万年に1回ぐらいの雨だろうという計算結果もある。本当に天災はいつくるかわからぬという気はするが、開闢以来の大雨だったという実感を持っている。

首都機能移転については、将来にわたる豊かな地域づくりの大きな機会であると考えていることから、那須地域16市町村がこぞって、首都機能の移転促進と理想的な首都づくりへの調査研究を主な目的として、平成9年1月に協議会を設立して、具体的な取り組みに入っている。

協議会の取り組み方としては、それぞれの市町村が、土地利用構想をしっかりと立て、自分たちのまちの将来イメージを明らかにしておく必要があると考えている。このため、協議会としては昨年度、「自然との共生」をテーマとした土地利用と市町村が期待する人口を研究課題として、調査研究を進めている。また、新しい首都は人口が3〜10万人程度の小都市群によるクラスターで構成されると聞いている。このため、それぞれの市町村では、地域資源を生かした整備可能地の抽出や評価、計画条件の整備等の検討を行うための庁内研究会等の組織を設置して、取り組んでいるところである。さらに、地域住民の方々が移転に対してどのように考え、何を望んでいるのなど、地域住民レベルでの議論の盛り上がりを図ることも重要なことと考えている。このため協議会としては、地域別の講演会やシンポジウムを開催して、地域住民の合意形成に努めている。このような中、官と民が一体となって移転に対して論議するための住民会議が、各地域に組織されている。今後は身近な住民参加による運動として、地域振興のあるべき姿等とともに、具体的な論議が高まってくると期待をしている。地域の状況と昨年度の事業内容をもとにして、協議会では、今年度はさらに具体的な取り組みとして、それぞれの市町村が受け入れ可能な首都機能を想定しながら、地域整備の将来像やイメージについて調査研究を行っている。

いずれにしても、那須地域は広大な平地と、それに続くゆるやかな那須岳のすそ野が広がっており、人々をやさしく包み込む豊かな自然に恵まれた地域であると思っている。我々の子供や孫の世代にも那須地域のすばらしさを伝え、残していくとともに、これからも誇りと愛着をもって、潤いのある暮らしができるまちづくりの実現に向けて努力していきたいと考えている。

国民的な機運の醸成という点を考えると、要望が2つばかりある。1つは、国民的な合意形成に向けて、国会における積極的な議論をして国民の機運醸成に向けての取り組みをしていただきたい。

2つ目は、地域住民の方々が、将来の自分たちのまちを身近に住民レベルで論議するためには、新しい首都の具体的な姿等について、国としてどのように考えるかといったイメージ図等を作成して欲しいと思う。もちろん県においては、イメージ図等は作成しているが、本当に国会等移転が実現するという気持ちを持つためには、国として、ぜひとも具体的な資料を出して欲しい。

続いて栃木県経済同友会代表幹事代行より以下の説明があった。

私は栃木県首都機能移転促進県民会議の副会長という立場で参加しているが、同時に、県内の企業や産業経済団体で組織している経済同友会の代表幹事代行である。産業界の立場から意見を述べたい。

昨今、日本経済は大変な不況の中にあったが、これはやはり、東京一極集中による極度の地価高騰が大きな原因になっているように思う。また、バブル崩壊の後遺症で、今、金融機関をはじめ一般事業会社においても、地価、株価あるいは製品価格の下落ということで大きな打撃を受けている。こうした状況の中で、首都機能移転の必要性について東京への一極集中の是正や都市防災の面からもクローズアップされてきた。しかしながら、それにとどまらず、移転先を早期に決定し、将来ビジョンを示して人心の一新を図り、新しい日本を構築する積極的なプロジェクトとして、速やかにこれを推進してもらいたいと考えている。

首都機能移転は、20年から30年はかかるのではないかと聞いているが、重都という意味で、東京とのアクセスが重要なポイントになろうかと思う。その点この地域は、東京から150km圏ということで、近からず遠からずの適当な距離にある。近年では東京圏への通勤通学のため、近距離新幹線「なすの号」も整備されている。これは東京からの利便性の証明でもある。これに加え、現在、北関東自動車道の建設が進んでおり、これが完成すれば、さらに横軸のアクセスの向上も期待される地域となる。

政治と経済・文化の都市が分離されれば、当然にその間の人の行き来が発生する。アメリカのワシントン・ニューヨークの関係は、飛行機で1時間ぐらいの距離である。移動の時間は、1時間程度が大変好都合な時間なのかなという感じもしている。那須地域は、平坦で広々とした面積が余り開発されずに残っている全国でも珍しい地域である。この中に400カ所を超える温泉が湧き出ており、豊かで広大な農地、鮎なども釣れる大小120の清流と50カ所近くのゴルフ場も点在している。したがって、休日には清流やゴルフ場で遊び、あるい家庭菜園や市民農園で花や野菜をつくることもできるるし、その疲れを近くの温泉でゆっくり癒すこともできる。また、この地域は20カ所を超える広大な牧場があり、全国屈指の牛乳の産地となっている。搾りたての牛乳により健康増進も図れる。住まいについては、四季折々の風情が楽しめるナラやクヌギの平地林の中で十分に敷地を確保して、自然の中にゆったりとしたたたずまいをつくることも可能である。そして、この地域の後ろには、広々とした標高800mの那須高原があるが、気温は軽井沢と同じくらいで、しかも温泉も湧き出しており、夏の会議や休養地として最適の場所と考えられる。この候補地は自然と共生し、選択肢の多い新しいライフスタイルを十分に提供できる。今後も引き続き、地元産業界としてできるだけ支援をしたいと考えている。那須地域は大規模な国公有地があることから、土地の取得の面からも都市づくりが行いやすいいう点では、どこにも負けないと思っている。また、使いやすさという点では、改善する問題がたくさんある。大都会からくる多くの方々をサポートするサービス産業の充実等については、産業界としても、スムーズな移転ができるように協力していきたいと考えている。

続いて栃木県企画部長から、事前質問事項に対する回答が以下のとおり説明された。

事前説明事項に対する回答であるが、交通計画や都市計画についてはそれぞれ学識経験者の方から説明が行われることとなっている。

まず、各国土軸への影響であるが、新全総にもあるように一極集中型から多極分散型へということで、新首都の場所がどこであっても各国土軸上で特色ある地域づくりが進むと考えている。したがって影響はない思う。ただ、これまで太平洋ベルト地帯に相当の集積があるので、太平洋ベルト地帯の周辺に移転することは新たな集中を招く恐れが強いと感じている。バランスのとれた国土づくりを推進するためには、集積の少ない北東国土軸に移転することが有効であると考えている。

新都市が東京圏に巻き込まれるおそれについてであるが、那須地域は東京から近からず遠からずの位置にある。新幹線で1時間程度、直線距離で150km、間は利根川により物理的に隔てており、全く心配ないと考えている。本県が実施した企業アンケートでは東京圏の企業の本社に質問したが、1時間程度の距離であれば、本社は移さないという結果が出ている。

次に那須地域へ移転した場合の西日本への影響であるが、首都機能移転の趣旨が地方分権や規制緩和の進展を図ることにあり、西日本を初め全国各地が自立的に発展していくものと思っている。西日本はこれまで政治、経済、文化の蓄積が非常にあり、アジア地域との連携ということからも、十分に自立的発展が可能である。

次に全国的な交通ネットワークの形成についてであるが、東京や東北、北海道を結ぶ縦軸については、既存の高速インフラで対応可能と思う。これまで弱いと言われていた太平洋と日本海を結ぶ横軸については、既に磐越自動車道が開通し、21世紀初頭には北関東自動車道も整備される。これによって西日本とのアクセスがよくなり、東京を通らずに西日本に行けるようになる。

新首都づくりのイメージについてであるが、環境共生型の位置づけ「持続、共生、創造」のテーマパーク都市を目指すべきと考えている。具体的な機能配置の例として、サンサンタワーの近辺に国政都市を造ってはどうか。国際交流・文化学術都市を那須高原地域や新都市の中心部に、生活拠点都市は既存都市のリノベーションも活用しながら、全体的に分散配置を考えている。

続いて宇都宮大学教授より都市計画及び交通体系について以下の説明があった。

グリッド型の広域的なネットワーク、高速交通体系で国土軸や地域連携軸を縦横に駆使したものが可能になると考えている。

防災という観点では東京に大地震が起こった場合、西と東に分断されてしまう。それに対して、北関東自動車道及び上信越自動車道、中部横断道等を利用して東京圏から約100kmの半径で取り囲む関東大環状軸をもって対策とする。あるいは既にオープンしている磐越・北陸道をつなぐことによって、東京をバイパスして西日本と東日本をつなぐことができる。そういう意味での広域的なリダンダンシーが可能なネットワークが可能であると考える。

次に地域計画、街づくりについてであるが、移転の9条件を満足させるだけでなく、県として、環境にやさしい都市整備を目指すべきと提案している。特に過去4半世紀にわたるモータリゼーションの結果、都市が無秩序にスプロールし、農村が荒廃し、地域の空洞化が起こっている。那須の新首都を契機に、農村の持っている豊かな自然環境と都市の持つ快適性や活力を融合した、都市と農村の共生による新しい都市形態の実現を目指すことを提案している。そこでは多くの平地林を保全活用して、緑に囲まれたゆとりのある敷地の住宅を配置して、ゼロエミッション、循環型、リサイクル型のライフスタイルを推進する。

地域内の交通システムは、広域交通体系との接続利便性を持った、高齢者、身障者にもやさしいバリアフリーの公共交通、例えば低床性のLRT、あるいは自然環境にやさしい自転車ネットワーク等の交通機関を利用しやすいまちをつくるということである。このような快適な生活環境を提供することによって、政府主導、行政主導のトップダウンの首都機能移転でなく、むしろ東京で遠く、狭く、高価な住宅に住むことを余儀なくされ、長時間にわたって満員電車で通勤を強いられている人々が喜んで移転してくる、ボトムアップの新都市の形成を考えるべきではないかと思っている。要するに首都機能移転が実際に可能かどうか、首都機能を出す側の東京都と受け入れる側の両方がいかにスムースに連携できるかが鍵になるのではないか。そういう意味で本当に移って来たくなる新しい魅力的なライフスタイルを提供できる受け皿として、この地域を整備することが大事である。
引き続き栃木県の企画部長から、事前質問事項に対する回答が以下のとおり説明された。

福島空港とのアクセスは、現在40分であるが、阿武隈南道路ができる平成12年には30分、新幹線を整備すれば20分となる予定である。

土地取得の容易性については、西那須野塩原インターチェンジ周辺に、国公有地400haがまとまっている。霞ヶ関の4倍の広さであり、すぐにも利用可能である。さらに大規模民有地が隣接し、合わせると千代田区と同じ面積となる。したがって新都市建設の第1段階の必要面積は確保が容易であると思う。また、圏域内には10ha以上の大規模国公有地が約4万9,000haほどある。

次に活断層による内陸型地震への影響についてであるが、那須地域はこれまで大きな地震の経験はない。日本は世界有数の地震国であるが、北東地域、特に本県で地震の危険度が少ないのは、地下構造の仕組みによると考えられる。なお那須地域の西の端に関谷活断層があるが、これは1683年に最新の活動を終えた可能性が高いことが判明しており、少なくとも700年以上は心配ないと思っている。

東京の災害対応力の強化のための新都市の機能についてであるが、基本的には、相対的に安全なところに新首都を置くとともに、新都市そのものを災害に強い都市構造にしておく必要がある。そういう意味では、活断層の場所は外すとか、耐震性の建築物を造るとかという対応が可能であると思う。大規模震災時には、正確な情報に基づく被害の把握と対応が必要となるため、多重な情報通信基盤の整備を図っていく必要がある。

次に那須岳の噴火に対する安全性だが、那須岳は60万年前から火山活動があったと言われるが、那珂川より南、右岸側には火山堆積物の分布は確認されていない。茶臼岳の1万5,000年の活動の中で、もっとも遠方に流れた火砕流でも火口から4キロ程度である。古文書によると1410年の噴火によってかなりの人的被害があったとされるが、土砂移動による堆積物が北の三斗小屋方面に流れており、火山泥流の可能性がある。移転先の新都市中心部が西那須野塩原インター付近とすると直線25kmで、その間には、深い河岸段丘を形成する那珂川が流れている。那珂川の流下能力から考えて、火砕流、火山泥流が那珂川に到達しても、そこからあふれることがないと考えている。昨年3月に発行された通産省の地質研究所の「那須火山地質図」によると将来の大噴火の可能性は極めて低いと報告されている。

水資源の確保と水質の問題については、那珂川の水資源賦存量、現在の使用量の関係から見て供給可能性に問題はないと思う。具体的な対応として、第1段階の都市づくりにおいて、県が保有している北那須水道用水供給事業の供給余力毎秒0.3トン(5万3,000人分)、鬼怒川水系の工業用水毎秒1トンの転用によって、20万人分以上の都市用水に対応可能と考えている。その後、都市の成熟段階に応じて水資源開発施設を段階的に整備していきたい。これまでの検討の結果では、平地の貯水池を中心に、約2.8トンの新規開発が可能と見込んでいる。なお、現在国において、各用水の水利権の弾力的運用について検討されており、水資源の一層の有効活用が可能になると考えている。水について現段階で60万人分の都市用水を持っているとすれば、それは過大投資であったということで、段階的な水資源開発施設の整備で対応していくのは、どの地域でも同じであると思っている。

母都市との関係であるが、日常生活については那須地域の黒磯、大田原、西那須野という人口4〜6万人の都市で十分対応可能と思う。より高次なサービスについては、約40kmの位置に、政令指定都市を除くと北関東以北では最大の宇都宮市があり、母都市の役割が果たせると考えている。

次に自然環境と共生した都市づくりであるが、那須地域全体を環境共生系と位置づけ、その中を「自然環境系」「農牧・平地林系」「生活環境系」の3つに分類して土地利用計画を展開している。新首都づくりにあたっては、「計画なければ開発なし」という理念に基づき、保全すべき区域と開発する区域を明確にし、計画的な土地利用を図るべきと考えている。構想段階での住民合意や計画段階における都市計画法に基づく線引きの実施などの既存の法制度の活用、あるいは環境アセスメントの実施と進行管理等が必要であると思うが、既存の法制度に限界もあり、新たな特別立法も必要であると考えている。

環境負荷量とその軽減の取り組みについてであるが、那須地域に移転した場合の廃棄物あるいは生活排水などの環境負荷の推計やそれを軽減するためのソフト対策、ゴミのRDF化による発電事業等の新技術導入などの研究を進めている。

環境面での地域の合意形成についてであるが、私どもが実施している県民フォーラムにおいて、生活環境や自然環境への影響に対する住民の方々の懸念、不安が提起されている。県としても首都機能移転対策本部でこういった問題を検討して「首都機能移転に関する想定問答と対策」という冊子を公表している。今後、課題別の講演会を開催するなど、県民の理解が得られるよう努力していきたい。特に新都市の構想、計画、建設のそれぞれの段階において、環境アセスメント手法や住民関与の手法を充実させていくことが重要であると思っている。

隣接県との連携については、「北東地域首都機能移転5県知事会議」を組織し、連携して取り組んでいる。本県の場合、港は茨城県の常陸那珂港、飛行場は福島県の福島空港を考えており、福島県、茨城県との連携が必要となる。これまでも福島、茨城両県とはFIT構想という取り組みを行っている。

次に新都市の自治体制度についてであるが、基本的には現在の地方自治制度を前提として考えるものと思っているが、今後の国の対応を見守りたい。なお圏域の市町村で自主的に合併の動きが盛り上がれば、県としても支援していきたい。

地元住民の意向の状況であるが、「首都機能移転フォーラム」を各地で開催している。このフォーラムでの意見では、総論として那須地域への移転に賛成であるが、様々な課題も指摘されている。県としても、これらの声への対応策を示すため、「想定課題と対応方針」という冊子を発行したところである。

続いて宇都宮大学名誉教授から地元住民の意向の状況について以下の説明があった。

県民フォーラムでは、現在まで、中央部を除いて県下大部分の地区でフォーラムを開いており、婦人、小学生を中心としたフォーラムも開いている。

フォーラムでの意見の大筋は、「気がかりなことはあるが、希望の持てる変革を期待して、那須地区への移転を推進することで、国家的な事業の役に立ちたい」というのが大方の意見である。フォーラムで気がかりといわれたこととを取り上げ、感想を添えて紹介したい。

第一は僻地の女性の校長先生が言ったことであるが、首都機能移転の目標が揺れ動いて分かりにくい。何のための移転なのかを子供たちに説明するのに困っているという発言がある。関連して、地方分権、行財政改革等が先決課題ではないか、60万人を移しても影響は微々たるものという話もある。これに対して、今さら目的や意義の議論ではあるまいという話もあるが、県民、国民の合意形成にとって基本的な問題であり、傾聴すべきである。

また、人口の増加によって、那須地区の自然環境や生物の形態が破壊されるから反対であり、再論議すべきであるという意見や、首都機能を身軽にして移転人口を少なくすべきという意見もある。人間は開発よって生きているのだから、自然保護と開発の折り合いはつくはずという強い反論もある。

文化的環境では従来の住民と新たに来る人たちとの融和の問題がある。ある地区では25年かかったという報告がある。産業関連では、現在の農業や酪農が立ち行かなくなるのではないか、大資本の移転によって、中小企業や商店が立ち行かなくなるという懸念がある。さらに開発を計画的に行い、土地の値上がりを抑えるための法律がどのようになるのか、市街化による土地の税金の問題、16市町村の自治体の枠組みがどうなるのか、栃木県が2分されるという懸念もでている。

これらの懸念に対して、県や県民会議の調査研究をもとに誠実に対応しており、理解は得てきているが、課題設定の諸条件が具体性を欠いている現在、対応に曖昧さが残っている。

最後にどこの会場でも、首都機能移転に関する情報不足への不満が述べられる。首都機能移転の理由を次世代を担う子供たちにもわかるように再整理して、あらゆる機会を通じて周知させると同時に、懸念材料を払拭する努力が必要ではないかと深く思っている。

引き続き栃木県企画部長から、事前質問事項に対する回答が以下のとおり説明された。

新都市の運営コストであるが、都市基盤や社会環境の整備について、国の適切な支援を受けながら、地方公共団体あるいは市民、民間が連携を図りながら整備、運営していくことになると思っている。那須地域は東京との間の高速交通体系整備がされているため、新幹線で1時間の距離にあり、東京の高度な都市機能も利用できる。さらに圏域内に通常の市民生活に対応できる都市群もある。母都市となる宇都宮とも近接しており、適切な役割分担が可能であるため運営コストも安いと思う。また広大で平坦な地形であるので、大規模造成工事も不要であり、都市建設上のコストもかなり抑えられると考えている。

(3)質疑応答

・この地域の決め手の1つは、茶臼岳の噴火の可能性をどう評価するかということだろうと思う。私の考えで最大の懸念は、融雪泥流だろうと思う。融雪泥流というのは、噴火が比較的小規模でも、雪を溶かして災害を起こすもので、具体的には那珂川を下って下流に災害を起こす可能性がある。融雪泥流は非常に怖く、世界の火山史上でも、数十km離れた1つの都市が全滅した例もある。確かに段丘が深いとか、深山ダムが防雪の役割を果たすことが期待されるが、もし起こると非常に被害が大きい。過去に起こったケースだけではなく、もう少し大きな規模のときの状況を予測しておかないと、国民的合意を得る上で支障になる。これは栃木県だけでなく、火山学者も検討する必要がある。栃木県の答えはポイントを突いているが、国民の不安を完全に解消していないと感じる。
それら火山灰などの降下火砕物が落ちてくる可能性がある。これは都市が全滅するという話ではないが、一般的には東側に行くの場合が多いが、風向きによっては南側に行くこともある。これも考えておく必要があるのではないか。もう少しいろいろ検討すべきことがあると考えている。

→融雪泥流は、日本の場合でも十勝岳のような例がある。茶臼岳周辺の積雪は、冬場でも1m以内におさまっており、予想される噴火の規模等を想定して、厳密かどうかわからないが、那珂川の流下能力によって止まるという一応のシュミレーションは行っている。ただ一応の答えなので、もう少し勉強していきたい。

・グリッド状に日本海側と大平洋側を結ぶことが重要だというのはよくわかる。ハード面はこれから整っていくと思うが、隣接県との連携なると、依然として東京放射型の連携が中心になる。これから、日本海側との連携、また西日本との関係もあって、隣接の群馬、長野、新潟との連携が非常に大きな鍵を握ると思う。ソフト面にもなるが、その点についてはどのように考えているのか。
もう1つは、国土構造上の問題での西日本との関連ということである。西の方たちからすると、東京ですら東に寄り過ぎだという考え方がある。それに対して新都市をつくることによって、文化面や、あるいは那須の場合はこういう点で意味があるということがもしあれば聞かせて欲しい。

→特に北関東3県、あるいは新潟県を含めた横軸の問題であるが、恐らく21世紀の初頭には北関東自動車道が全通する。これの持つ意味というのは、太平洋の港である茨城県の常陸那珂港から新潟県の新潟港とを、北関東自動車道と上越自動車道で結ぶので、この効果は非常に大きいと思う。問題はソフトの交流であるが、一例として挙げると、私どもは北関東3県の美術館の交流展を行っている。これから、ソフト面はまだ検討していかなくてはならないと思っている。西日本との関係であるが、西日本というのは今まで日本を引っ張ってきた1つの中心であったために、文化的、経済的蓄積がある。首都機能移転の趣旨は分散型、分権型の社会をつくる起爆剤となる意味もあるので、新しい首都ができたからといって、それによって各地域が受ける影響はさほどないはずと思っている。そういう意味で、自立的な発展はそれぞれ図られる。
もう1つは、21世紀は、アジアとの交流が非常に問題になる。そのときに関西空港と成田空港では、アジアとの距離、世界との距離が1時間違う。飛行機の時間で1時間違うのは非常に大きい。西日本はそういう意味で、これからまだまだ自立的な発展が可能だと思う。現に北九州は、アジアとの交流圏ということで全総等にも出ており、期待できると思っている。

・1つは、首都機能が移転するための条件ということで、9つの条件を出したわけである。それに対しての考え方が示されたが、こう考えるというお話を承ったが、この段階にきて、この地域全体の方がどういう意味で合意をされ、理解されているかを、もう一度検証しなければならない段階にきていると思う。先ほど説明があった、県民フォーラムの意見に対して、私も思い当たることがある。その辺については、国がやるのか、地域がやるのかという問題がある。要するに、住民の合意形成について、もう少し真剣に工夫しなければいけない問題が残っている。そういう意味では、首都機能移転の問題と地方分権の問題とを絡めた歴史的な意義という問題は非常に大きいし、危険分散という問題もあるが、そういう問題を再度おさらいをしないといけないのではないかというのが第1点である。
第2の問題は、私ども、海外のブラジリア、キャンベラ、ワシントンDC、ちょっと意味は違うがベルリンなどに行った。実際に行ってみて、新しくできた首都が本当に生活しやすい首都になっているかというと、必ずしもなっていない。潤いのある街をつくったつもりだが、潤いがなかったという結果もある。これだけ緑が多くいいものをつくろうという中に、もう1つ潤いとして文化という問題を考えていかなければならないのではないかと思う。
第3点の問題は、新首都の行政システムはどうするのか。例えば那須地区は今、16市町村というが、あそこに新首都の機能がきたときに、そこにできたのは特別な中央政府の機能であるが、同時に自治体であるから、県との関係はどうなるのか、あるいは常陸那珂港を使ったら、今度は福島県とこちらの県との間はどうするのかという問題が具体的に出てくると思う。そういう意味での行政のシステムを考えなければいけない。現にアメリカのワシントンDCにしても、特別行政区になっているが、実はここにいる市民はむしろ別にしてくれ、連邦政府ばかりで自分たちは非常に窮屈だと言っているという状況がある。これは、ともに考えなければいけない問題である。

→いろいろなところでで数十回しゃべっているが、一番わかっていただけるのは、大地震が起きたら首都機能は麻痺するという話である。地方分権や規制緩和と非常に難しい話をしても、正直いって、理解を示す人はどうしても一部になってしまう。コンセンサスのためには、「阪神大震災と同じようなことが東京に起きたらどうなるかわかるでしょう。だから安全なところに小さな首都をつくっておいた方がいいというのは、この首都機能移転のいろんな理屈の中の一番大きなファクターだと私は思いますよ」というと、それが一番、理解を深めるのに役に立っている。

→新首都の行政システムの問題であるが、国の方の任意の研究会、これは自治省が行った研究会だったと思うが、そこでは直轄市のような制度は、憲法上、地方自治の保障がある以上は問題があるという一定の結論が出たと伺っている。いずれにしても、この問題は国の方で検討していただきたいと思っている。ただ、新しい首都づくりが機能分散をしてクラスター型の配置をするということであれば、それぞれのクラスターが属する市町村が特色あるまちづくりをしていくのも一つの方法であるので、新しい首都イコール、一つの自治体をつくることには直接は結びつかないと思っている。ただこれについては、やはり国の検討状況を見守りたい。それから文化論であるが、どちらかというと北東地域は遅れているというイメージがあると思う。全総で示された多自然居住地域的なものができるのは東日本、特に北東地域であると思っている。新しい文化をつくるという意味でも、既存の文化にとらわれずにつくれるということで、北東国土軸への移転が文化論的に見ても良いと考えている。

・栃木県は今まで、空港、原発といった国家的なプロジェクトはほとんど行っていないのではないか。だからそういうプロジェクトに対して県民の方々がどう反応したかというケースは、これまでなかったのではないか。大きなプロジェクトが起きて県を挙げて討議するようなことがあったのなら、それをお教えて欲しい。また、大変景観は美しいので感動したが、この景観に対する配慮として、県の方では看板の規制等を行っていると聞いた。それは地域の方たちが提案なさって、地元からそういう声が起きているなら大変いいと思ったが、どのような経緯で行われているのか。首都機能移転については、国がただ一方的につくるということではなく、国と県と市、町、村と、すべての人たちが一緒になって考えて、一緒になって問題をクリアしていくことが望ましい。もちろん地元の方々に我慢を強いるわけではないが、すべてバラ色のすばらしいものが与えられるということでは決してないということを、理解して欲しい。

→栃木県は大きなプロジェクトを行ったことがない。研究学園都市の誘致を争って、茨城県のつくばに行ってしまったのが、一番大きなプロジェクトだと思う。栃木県は本来、小藩分立で、何十という小さな大名や社寺領に分割されていたので、そういう意味ではなかなかまとまらない。よく言えば、それぞれの地域が独自のアイデンティティーを持って発展してきたという言い方もできるが、大きな取り組みを行うときに、なかなか県論が統一されないということは確かにある。例えば足利で、私が7、8年前にこの問題に取り組んだとき、那須の話で自分達には関係ないというところから始まって、今やっと、県南の人が委員長を努めるところまできた。この数年間はやはり相当な努力をしたと思う。足を引っ張るのではなくて、ジョイントして一緒に取り組むということにはなかなかならない。ただ、この地区は人が住み始めてから100年ぐらいのところが多いわけで、非常にオープンな地域である。他から来る人を受け入れるオープンさは、栃木県の中では県北が一番である。それが独自の文化の形成につながるという見方もある。いいとこばかりではないかも知れないが、こういうプロジェクトを行うときには、県北の人たちは比較的みんな県の方を向いてくれている。ただもちろん、自然保護の立場や、せっかく那須の自然が好きで家を移してきたのに、ここに大きな都市をつくるのは反対という具体的な反論はあるが、時間をかけて説得するよりほかにないだろうと思っている。
また、景観維持が地元からの盛り上がりであれば一番望ましいが、どちらかというと寄り合い所帯の新しい地域であるので、今のところは行政主導である。なかなか協力してもらえない面もあるが、そうはいっても、ここへ新しくきた観光業者も那須に根づいたので、協力の度合いがふえてきた。それから首都機能移転の誘致は良いことばかりではないので国、市町村全部が一緒になって考えるべきだというのは、そのとおりである。そういう意味では、最初はばらばらだった国や県、市町村がだんだん最近はまとまってきて、最近は相当一生懸命、努力していただいている。私が初めてこの仕事に取り組んだのは平成3年なので、もう足掛け7年やっている。延べ100回近くいろいろなところで話をしているが、それでも延べ人員にしてみれば数千人にしか過ぎない。いろいろな価値観を持っている、知識水準に差がある人が、同じレベルでコンセンサスができ上がっていくのは、至難の技だと思うが、努力するよりほかにないと思う。

・国会等移転調査会の報告には、建設中の初期の段階で、母都市の存在ということが書いてある。確かに母都市が政令指定都市のような大都市である必要はないと思うが、例えばつくば市のことを考えると、土浦や牛久、取手などの都市はあったが、開発途上の間に有力な母都市としては機能しなかったと思う。やはりそこに魅力がなかったと、そうすると、母都市には、新しい都市をつくっている段階に、魅力を上げるためのてこ入れがある段階で必要なのではないかという気がするが、いかがか。

→私もそれは同感であるが、情報がまだ十分煮詰まっていない。例えば、どこに国会都市ができ、どこが住宅街になり、どこに大学や高等学校ができるということがもう少し具体化しないと、母都市が郡山なのか、白河なのか、あるいは黒磯市なのか、宇都宮なのか、絵が描かれないとなかなかテコ入れができない。それが決まれば、実際に建設工事が始まるまでの間にいろいろな手当てができると思うし、また、やらなければいけないと思っている。ここから白河までは新幹線だと15、6分で行ってしまう。白河も結構大きな都市である。郡山はその先であるし、宇都宮まで新幹線で15分で行ける。

・県の資料を見ると国政都市を中央部に置く場合、北東部に置く場合と、いろいろ考えているようだが、新都市は最終的には人口60万人ぐらい、広さは9,000ha弱になると言われている。しかし、今の候補地は、そんなにまとまった土地がないから、それぞれ取得しやすいところを取得して核になる都市を設け、それからクラスターとしていろいろな機能を持つ都市を設けていく形になる。中核になる国政都市には三権の機能が置かれ、そこに居住部分をはじめとするいろいろな機能が最小限必要だろうと思うが、それはどれぐらいの規模を考えているのか。また、それを囲んで成り立っていく各クラスターがあるわけだが、それを含めた都市圏はどれぐらいの範囲になるのか。先ほど、行政単位をどうするといった質問があったが、少なくとも国政の中核になる部分は1つの行政単位にしないといけないと思う。その場合、既存の行政単位との共存あるいは抵触が生ずる可能性がある。そういったことは、県での検討の段階でどのように考えているか。

→新都市圏について、今の段階では、22〜23万haの那須地域16市町村を受け皿と考えているので、この範囲プラス、福島空港の活用とか、茨城県が入るといったことは考えている。規模は難しいが、少なくとも今、国公有地が400haある。霞が関が100haであり、調査会の最終報告では200haくらいが国政区域ということであるので、十分確保可能である。ただこれについては、国の方で検討していただきたい。

→国公有地の400haのところを種地にして、三権の機関を全部入れ、必要最小限度の公務員住宅は十二分にできる。それ以外に、数万haの中にクラスターを幾つかつくる。飛行場は福島県だから、恐らく栃木県から福島県にかけて幾つかのクラスターができる。その中を新交通システム等でサーキュレートすれば、余り自然を壊さないで50万や60万の人間は緑の中に飲み込めると一応は思っている。ただ、国政都市が福島寄り、あるいは福島県ということになると、栃木県は幾つかのクラスターを引き受けるということになると思う。

・本日の視察を通じて、21世紀に向けての日本の将来にとって、こういう景観の中に新都市があることは非常にいいのではないかという気がする。山を削り、谷を埋めて、膨大な公共事業をやって都市地域の環境整備をすることが余り必要ない。ただちょっと気になるのは、例えば東京と新都市との間の交通アクセス、あるいは海外とこことの交通アクセスをどうするのかということである。例えば、新幹線も、やがて60万人規模の都市が成長していくことを考えると、果たして今の東北新幹線、東北道等で十分可能なのか気になる。それから、東京都だけではなく、日本中の各主要都市との間の交通が必要になるが、関東以西の各府県や主要都市から新都市に来る方は航空機を使わざるを得ない。そうすると、福島空港から40分、50分という時間がかかることは問題ないか。つまり、関東圏は近過ぎて飛行機は使えないので、新幹線や従来の高速道路で十分それにかわる機能を果たし得るか。また、それ以外の地域から航空機を使うことになると、福島空港とここの50分間はかなりの時間になる。現在でも羽田から霞が関へのアクセスが悪いという批判がある。それをどう解決していくのか。また海外からのアクセスは福島空港であるが、従来の成田空港や新国際空港との関係はどうするか。主要なエアラインが全部、福島におりるというわけにはいかないと思う。そうすると、成田におりても東京におりても、そこからは自動車ということになり、福島空港の持つ意味が変わってくる。もちろん関連する隣接諸県の連携も大事だと思うが、首都の機能という点から見れば、もっと接近した地域に空港があることも必要という気がする。これが第1点である。
第2点として、私は筑波大学にしばらく兼任で行ったことがあるが、最初に受けた変わった印象は、つくば市というのは真ん中がややくびれて、市域が狭いところがある。その市域を一歩出たところに、飲み屋街が松林の中に開けていた。都市には、執務をし学校に行くといった人間のきれいな面だけではなくて、人間らしい生活も必要である。私はキャンベラなどに行くと、こんな街に3日以上いたくないと思う。宇都宮は中核市であり、相当な人口はあるが、しかしちょっと夜一杯というわけにはいかない距離にある。そういうことを考えると、思い切って広く新都市の範囲を決めた方がいいのではないか。そして、かなり広範な土地利用や都市計画の権限を、県の方で中央と折衝しておくことが必要であるという気がする。その2点が私の感想である。

→東京都と新首都とのアクセスの問題は、東北自動車道については、現在、鹿沼インターまでは6車線であるが、そこからは4車線であるので、6車線化は必要になると思う。新幹線については、まだ増便も可能であるし、全車両が16両で走っているわけではないので、車両の拡大によってある程度のカバーはできると思う。問題は、成田空港とのアクセスで、県では北関東クロスコリドール構想で成田とのアクセスが課題になっている。地域高規格道路で成田から宇都宮近辺まで直接結ぼうという計画である。茨城県内を通らなければならないのだが、県ではそのような整備も進めている。
広範な都市計画の権限については、「計画なければ開発なし」ということが知事なりの権限でできるような、新しい法律ができないかということで、いろいろと検討している。
海外からのアクセスは、成田空港とのアクセスのさらなる良化は当然必要になると思う。圏央道ができると、条件は大分違ってくる。時間はかかると思うが、東北道と県央道を使えば、成田への時間距離はかなり圧縮できると思う。

続いてJAなすの代表理事組合長より、以下の説明がなされた。

我々は、農業者の責任者であり、首都機能移転については積極的に旗振り役はできない。ただ、そういう中で、私もこの土地は首都機能移転候補地として最適であると確信している。首都機能が移転することによって新たな消費の拡大等もあり、農業の振興も図れると考えている。また、この地帯は全国有数の酪農地帯であり、この酪農の環境整備の問題、あるいはまた移転等も含めて、我々ができることは最大限努力をしたいと考えている。その中で、我々が一番関心を持っているのは、農地・農家と首都機能との共生を図っていきたいということであり、我々は最大の努力をする覚悟である。ぜひこの土地に決定されれば、我々は最大の努力をするという覚悟を持っており、組合員の説得、周知徹底には全力を挙げて取り組みたいと考えている。

続いて西那須野町商工会会長より、以下の説明がなされた。

私は、現在人口4万2,000人を有する西那須野町に生まれ、ここで育ち、生活する者の1人として意見を述べたい。これは地域住民、地元商工業者の声であると理解して欲しい。

この移転問題を地域の歴史から考えると、那須野ケ原の発展は、国家プロジェクトが培ってきたと言っても過言ではない。この地域は明治期に入って殖産興業政策により、北海道にも匹敵する大規模農場が次々と誕生したわけである。那須疏水や現在の国道4号といった都市基盤の整備が進められ、現在の那須野ケ原の基礎がつくられた。昭和期に入って那須野原開拓建設事業によって、那須野ケ原を不動のものとしてきた。特に忘れてならないことは、昭和40年後半の研究学園都市構想である。結果的にはつくばに建設が決定されたが、那須野ケ原が一つの候補地になったことは紛れもない事実である。このように、那須野ケ原は幾度となく大規模な国家的プロジェクトを受け入れることによって、進取の気性が磨き上げられてきた地域であると自負している。

このような歴史的経緯による地域特性から見ても、住民の声としては、21世紀の日本の姿をぜひ、那須野ケ原に描いてもらいたい。私は今回のような国家的大事業に対して、地域としていかように貢献できるかということを、結果のいかんにかかわらず考えておくことが重要ではないかと思っている。

しかし一方では、地元商工業者の立場から申し上げると、新たな町の建設に伴い大資本の進出が予想され、地元商工業者として不安な一面もあるが、この機会を生かして、積極的な事業の転換を図っていくというプラス指向で対応していきたいと考えている。

続いてJAとちぎ女性組織参与より、以下の説明がなされた。

私は兼業農家である。私の所属するJAとちぎ組織は、世代別3部制を取り入れ、一番若い層の菜の花会の会長を次の世代にバトンタッチし、参与となっている。栃木県那須地方には、国公有地を含む平坦な土地、山々や清流、「空と水と緑」の豊かな自然がある。新幹線や高速道路、福島空港など既存する交通に新たな交通ネットワークを整備し、経済文化都市東京との適切な連携が図れる距離150kmにあり、すばらしい条件が整っている那須野ケ原に首都機能が移ることを願っている。食を守る農業をしている私たちは、今まで東京に販路を求めていたが、首都機能移転による想定人口60万人に、栃木の農産物、安全、安心、新鮮な本物の味と心を大切にしたものを届けることができ、消費者の触れ合いを大事にした直売方式などの農業生産活動も活発になり、農業の新たな発展とともに、ほかの産業においての経済効果にもつながると考えている。

農業は、ある意味では自然環境を守る仕事でもある。農業を担っている私たちは、自然を守りながらはくぐんでいる。手を加えず放っておいても崩壊する自然を地域住民の意見を尊重し、守りながら、新都市の建設を進めることを提案する。移転に伴う問題点はこれからも生じてくることと思うが、一つ一つ、目をつぶらず解決してほしい。特に女性が発言できる場がふえれば、新たな視点も広がると思う。栃木の郷土文化と気質を誇りに思って、地域住民と新住民が心ある新たなつき合いを進め、都市と農村との共生をし、新たなふるさととして進めていければと思っている。私たちは21世紀を担う子供たちを産み育てた母親としての立場でも、経済的、文化的、国際的に大きな期待が持てる新たな栃木づくり、そして日本のためにも、首都機能が一日も早く栃木県に決まることを県民一体となって願っている。

続いて那須野ヶ原青年会議所の元理事長より、以下の説明がなされた。

我々の青年会議所は、今回の案件の中心地域を活動エリアにしている20〜40歳までのメンバーで構成されている。平成4年当時より積極的にこの問題にかかわってきて、平成7年、地域住民の考え方の参考になればと調査会の最終報告が出る前に勝手に模型をつくり、勝手に企画書をつくった。そのときに地域住民に対して提案したことは、我々自身がこの地域の住民であることも当然であるが、日本の国民の1人として、1億2,000万分の1の我々がともに考え、地域の住民としてこの地域をどんなふうに考えていくのか、そういった2方向からの考え方の中で、1つの結論を出していくべきという提案をした。例えば環境問題にしても、いわゆる地球規模的というか、日本列島上の自然環境負荷のような部分で考えるべき問題もある。そういった考えから、例えば国民の1人としてこの案件を考えていくのか、あるいはここの関係する地域としてどういうふうに考えていくのかということを、盛んに提案させていただいた。

やはり、憲法で保障されている国民主権、あるいは地方自治等々の考え方から、1つの結論を出すべきではないかと提案させていただいた。

最後になるが、今後の展望としては、これからの少子・高齢化の問題がこの案件にどう関係してくるのか。例えば、都市の規模はこれでいいのか。60万という数字が果たして妥当なのか、あるいは省庁再編の問題も、1億2,000万人規模の省庁であるのか、何十年か後にくるであろう8,000万人程度の人口であった場合に国家としてどういうシステムを持つのか、そういったことも、ハードの部分の考え方のバックボーンになるのではないかということで、我々も内部での勉強に着手したところである。

いずれにしても、今後起こるであろうエネルギー問題や食料問題、ひょっとしたら、グローバルスタンダード等々、日本の産業、経済の根幹をなす考え方がこれからどうあるべきなのかということも、1つハードの設計のバックボーンとして持つべきではないかという考え方をしている。

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