平成10年4月21日(火曜日)9時45分〜12時0分
東条会館5Fシルバールーム
平岩前会長、有馬会長代理、新井、石井(進)、石井(威望)、石原、宇野、海老沢、
堺屋、下河辺、中村(英夫)、野崎、堀江、牧野、溝上各委員(14名)
池淵、井田、井手、黒川、鈴木、戸所各専門委員(6名)
坪井国土政務次官、古川内閣官房副長官(事務局長)、竹島内閣内政審議室長
近藤国土事務次官、林大都市圏整備局長(事務局次長)他
関係府県ヒアリング(北東地域4県)
今回は、平岩前会長の挨拶の後、調査対象地域のうち、宮城県、福島県、茨城県、栃木県からヒアリングが行われた。
私は一昨年12月の本会議発足に際し会長職を仰せつかり、以来、一年余にわたり微力でございますが、問題解決にそそいでまいりました。去る1月調査対象地域の設定という節目を迎えましたことから会長職を拝辞させていただきました。これまで会長職を無事務めることができましたのも、ひとえに有馬会長代理、各委員の皆様方の御指導と事務局の御助力のお陰であり、ここに改めて厚く御礼を申し上げます。
国会等移転の問題は、21世紀に向けて、国民があげて取り組むべき国家的事業であり、今後とも一層推進していくべきものと強く考えております。
本会議におかれましては、今後ますます移転の具体化に向けて積極的に取り組んでいただきますよう心からお願い申し上げます。
宮城県の浅野知事より以下の説明が行われた。
本日、取材陣もたくさん来られ、首都機能移転問題が盛り上がっているのと思うが、実際はどうか。四国・九州の方にとっては、全然関心がないのではないかと心配している。
首都は東京のままでいいという意見もあるかもしれないが、100年、400年後も東京が首都であるということは逆に想定しにくいのではないか。日本は794年の平安京以来、政治の中心は400年ごとに北へ東へと移動している。1603年が江戸開府なので、400年後には、東京より北東に行くのが歴史的必然かもしれない。
首都機能移転の意義については、防災の観点、東京の過密問題など、いろいろ挙げられているが、私からは豊かさといったことを申し上げたい。私は21世紀と言うよりは、24世紀と言っているが、400年後の日本の豊かさというものは、物の多さや効率性などより、自然の広がり、選択の多さ、多様性などで表されるのではないかと思う。首都機能の移転を契機に、そういったことを実現していく象徴として新都市を考えるべきではないか。新しくできる都市は、今まで日本になかったような都市像、すなわち都市と田園が結婚するような都市でなければならない。また、その都市づくりのプロセスにおいても、今までの日本の都市にはなかったプロセスが求められる。職と住とのかかわりについても、先導的なものが示されるのではないか。新都市は日本人の生き方のモデルを示すものでなければならないし、そのための首都機能移転と言える。私どもは首都の基準を宮城が変えるくらいの気概で取り組んでいきたい。
11県の知事がそれぞれ主張することによって、誘致合戦や地域エゴと思われたら全体プロジェクトは終わりではないかと思う。四国の方にも九州の方にも、少なくとも東京のままではだめで、どこへ移転すべきかと真剣に考えていけるような議論をしなければならないし、そういった意義のある首都像を宮城が示していきたい。
移転に関連して、新しい経済システム、地方分権、行財政改革、規制緩和ということも実現していきたいと思う。その中で財政構造改革の観点から首都機能移転のスケジュールが先延ばしになったのは、むしろ方向が反対ではないかと思っている。
首都機能移転の候補地として考えている宮城県南部地域は2市9町で面積17万ha、総人口約25万人である。東北新幹線、東北縦貫自動車道、東北横断自動車道、常磐自動車道といった高速交通体系が整備又建設されている。この地域の東北に仙台国際空港があり、3,000mの滑走路が3月に供用開始された。それから北東国土軸の中枢的機能を担っているという意味で、仙台、山形、福島がトライアングルを形成している。
候補地としては一番北であり、寒いのではないかとか暗いのではないかというイメージがあるが、仙台市の10cm以上の積雪日数は年6日であり雪に閉じこめられているわけではない。また真夏日、不快指数の高い日は少なく、都市活動においては非常に快適である。蔵王連峰、阿武隈川、太平洋といった豊かな自然があり、四季折々の景観、植生として照葉樹、広葉樹が融合しており、縄文時代の主力であった林層を呈している。また、田園風景という日本の顔にふさわしい原風景をもっている。また、温泉も豊富で保養・レクリエーションも十分考えられる。
水需給は、七ヶ宿ダムがあり、87万人分の水供給が可能である。
地震災害については、東京とはプレートが違うので、同時被災はなく、台風の上陸も少ない。
陸海空のアクセスルートは複数有り、災害時のバックアップが容易である。東京からは300km圏内で新幹線で2時間圏内、空路のアクセスも非常に便利である。
仙台市とこの地域は自然環境保全地域、緑地環境保全地域で分断されており、連担の可能性はない。連担の可能性はないが、仙台市は母都市的なものとして、高次都市機能は提供できると言う意味で極めて有用である。
調査対象地域の抽出条件に合う開発適地は約1万haあり、面積としては十分である。
みやぎ新都市構想の理念として「未来とみどりが融け合うほくとう新都市」を掲げているが、そのアピールポイントとしていくつか挙げている。まずは環境国際貢献都市として、環境面において国際的に貢献できる都市を考えている。
次に「“ひと”が主役の生活文化都市」、すなわち人間的都市と言うことである。その次に「風情を残すハイテク都市」として、東北大学を中心とした東北インテリジェント・コスモス構想の機能を使いながらハイテク都市を構築していく。そして「ほくとう日本と融合する都市」として、母都市である仙台市と連担しないが、高次都市機能をもつ仙台市との連携・補完を挙げている。さらに新しい首都機能を担う都市は、あまり重装備でない「軽装都市」を目指す。
機能配置の基本方針としては、既存市街地との連担を避け、自然環境との共生のために島状に中小クラスターを配置する。そして適度な用途混在を誘導し、中心クラスター郡に一定限度の首都機能を集中して配置するということを考えている。
「みやぎ新都市における新生活スタイル」として都市と田園の結婚をキーワードとした生活スタイルを目指していきたい。また宮城はその条件がそろっている。
新都市の人口・規模・費用としては、人口は国が示した最大56万人に対して36万人程度と考えている。これは母都市仙台市の都市機能活用によって随伴機能が大幅に減少するためである。また人口が少なくて済む、用地の取得費が安い、広域交通インフラが整備済みということから、事業費は9兆円程度と考えている。
土地の取得関係では、この地域の開発適地は民有林が主体となっているので、十分地元の理解を得られるように努めていきたい。
新都市は、利根川以北であればどこでもいいと考えている。逆に利根川以北でなければ、膨大な費用を使って移転する意義があるのだろうかと思う。その意味では首都機能移転の意義と北東日本への移転ということは密接不可分である。日本の方向性を示すような首都機能移転であり、そのための場所として北東日本であると言いたい。
環境共生都市、原日本的風景を生かした都市づくり、その意味では日本の未来のあり方と進路を国の内外に鮮明に示すことができる地域であることや、太平洋ベルト地帯から離れた地域であることに意義があり、一極一軸型の国土構想を是正し、東京を中心とする価値観の変化を北東地域への首都機能の移転において示すことができると考えている。
最後に要望として、首都機能移転に反対している有力な方々がいるが、どんな形でもいいので議論を展開したい。それによって首都機能移転の問題点と意義が明らかになるのではないか。
この後、以下のとおり質疑応答が行われた。
福島県の佐藤知事より以下の説明が行われた。
福島県は浜通り、中通りと会津地方の3地方に分けて呼ばれるが、対象とされた地域は中通り地方と呼ばれる地方である。
浜通りの海岸沿いは、一年を通してヨット・ゴルフ等、リゾート地となっている。また猪苗代湖、磐梯山も四季を通じてのリゾート地となっている。
福島県としては、宮城県、山形県と南東北中枢都市圏構想という広域構想を進めて事業等に取り組んでいる。もう一つはFIT構想で、福島県、茨城県、栃木県の頭文字をとってFITであるが、南端の八溝山を中心として60キロ圏内の地域振興に着手している。
阿武隈地域については、東京都と神奈川県を合わせた広さがあるが、平成元年から1km2のメッシュ内の起伏量、あるいは建物ドット数等を調査している。
9つの選定基準をおおむね満たし、なおかつ2,000ha以上のまとまりのある地域を11カ所選定した。その中から用地取得の容易性、地形、安全性、他の地域との連携性等を比較検討し、7カ所に絞りこんだ。かつ標高、傾斜、建物ドット数の3条件を満たして500ha以上のまとまりのあるクラスター2ヶ所を追加して、12,000haの確保可能な地域として表明した。
この地域の特性としては、北海道・東北、北東地域の最南端に位置して、関東圏、首都圏と北東圏の結節点にあるということ。もう一つは、太平洋と日本海を結ぶ磐越自動車道が通じたので、この結節点にある。東京から150km〜200km圏内、また新幹線で1時間強という地域である。
高速交通体系が整ってきていて、大阪の吹田インターまでは、東京を通るより50kmくらい近く、時間的には1〜2時間短い。東京までも、常磐自動車道、東北自動車道、北陸自動車道、関越自動車道とたくさんのバイパスがある。
この地域の中心に福島空港があり、来年1月に2,500mの滑走路が完成する。航路ができれば、各主要都市に1時間から2時間で到着できる。大阪からこちらに来る場合、今のところ羽田空港より混んでいないため時間距離は短い。
また、重要港湾小浜港も整備しており、10年以内にできあがる。
候補地はいずれも私有地だが、福島空港の一期工事の用地取得に対しては反対運動は全くなく、拡張に関しても順調に進んでいる。
地質に関しては阿武隈花崗岩地域で、1億1,000万年から9,000万年くらい前の堅固で安定した地盤である。活断層は周辺にあるが、この地域にはない。
地震に関しては安定しており、少なくとも400年、500年の間には大きな地震の記録はない。
福島県の新世紀プランでは、30万人から50万人の7つの生活圏域をつくり、これらを連携した県土づくりをすすめている。新都市の真ん中を通ってトライアングルハイウェーができることになっており、新都市は8つ目の生活圏と考えている。
議会、あるいは市民団体も含め、県が動き出す以前から首都機能移転に対して積極的に動いている。アンケート調査や20、30回にわたる各地でのフォーラム・シンポジウム等を開催しながら、いろいろな意見を聴取している。
土地は民有地が主体だが、平成9年4月1日より土地取引、開発動向、地価動向について調査している。
リゾート地域指定の時、地域の景観保全の問題があり、平成元年にリゾート地について景観形成条例を定めた。土地の規制というのは難しいが、今年の3月に条例を改めて全県的な景観形成条例としたところである。
首都機能移転の意義と効果としては、ハード面では、日本海側と大平洋側の結節点、あるいは北東国土軸の先導的地域として柔軟で厚みのある国土構造の形成を促す役割を担うことができる。また、災害に対する対応力が非常に強く、台風の影響はほとんどない。
交通ネットワークについても、空、海、高速道路、全部整備されており、コスト的に安い。また例えば損害保険の料率は福島県が一番安く、一番安全な地域といえる。
この地域は、20〜30分行くとゴルフもスキーもできるところであり、新しいライフスタイルをつくることができる。さらに省エネ、リサイクルを含めた都市づくりを進められる。1つ1つのクラスターは自転車や徒歩で行けるようなヒューマンスケールの都市、これが21世紀の重要なテーマの1つではないかと考えている。
ソフト面では「森に沈む都市」というのを提唱しているが、これは21世紀の新しい都市像を示していくものである。自然や環境との共生、あるいは都市の運営等について新しいコンセプトを示すのが国会等の移転ではないかと考えている。
この後、以下のとおり質疑応答が行われた。
茨城県の橋本知事より以下の説明が行われた。
茨城県は東京の北東部に位置し、面積は6,904km2、都道府県の面積としては全国24番目である。山林の割合が32〜33%であり、可住地面積では全国4番目の大きさとなる。全国第2位の面積を持つ霞ヶ浦などの湖沼、那珂川、利根川等の河川があり、水量は豊富。八溝山、筑波山など自然環境も豊かで、海岸線は約180kmある。人口は298万6千人で、全国11位、農業生産額は3位、工業生産額9位、県民所得が残念ながらまだ17位で、現在発展を続けているところである。
国会等移転の候補地としては、水戸の西の地域を考えている。東京から水戸市まで常磐線で約70分、常磐自動車道で90分ほどで、距離にして概ね80km〜120kmになる。この地域は那珂川、久慈川の清流や緑豊かな田園地帯などがあり、自然環境に恵まれている。
交通網としては、常磐線、水郡線、水戸線、大洗鹿島線等の鉄道網、道路については常磐道があり、そして北関東自動車道について全線にわたって工事を始めようとしている。また現在、東関東自動車道水戸線の整備が進められている。
空港については、成田空港から50〜100km、水戸市から成田空港まで1時間半ちょっと、東関東自動車道水戸線ができれば、50分から1時間になるのではないか。百里飛行場は第7次空港整備五ヶ年計画に位置づけられ、民間共有化が進められているところである。ここから予定地は5kmないし30kmくらいの距離と考えていただいていい。
地形に関しては標高100m未満の起伏の少ない平坦地と標高100〜300mのなだらかな丘陵地からなっている。気温は平均14度で比較的温暖である。降雨量は1,200mm前後、雪は東京都とほとんど変わらない。
地震については関東大震災の時も震度4で、過去に大きな地震被害はない。
水資源は霞ヶ浦、北浦、利根川、那珂川など4つの水系を有し、豊かな水資源に恵まれている。2,010年の都市用水としては、7t/sほどの余裕があり、新都市建設の最終段階で必要な3t/sを考えても余裕がある。
土地利用の現況は、山林が約4割、農用地が約3割、この中から条件の合う土地は25,000haで、人口密度は90人弱である。25,000haのうち、6割が山林で土地の取得もそれほど困難でないと思う。茨城県では、これまで鹿島、筑波学園都市などの開発を行っているが、土地取得については地元も協力的で心配はしていない。
茨城県の特色としては、安全性あるいは優れた自然条件などが挙げられるが、おおむね標高100m未満の起伏の少ない平坦地、あるいは標高100〜300mの丘陵からなる緑豊かな田園地帯が広がっている。
首都機能移転に関しては災害に対する対応力の強化が優先されるのではないか、先の阪神・淡路大震災の経験から、首都機能は移った方がいいのではないか、ということで誘致活動を始めた。首都機能は災害発生時に災害応急対応の司令塔として重要な役割を果たすので、東京に災害が起きた場合を考えると、早急に首都機能の移転を進める必要があると思っている。阪神・淡路大震災の時には政府に対する批判はあったが、政府は何本もの法律をつくる、あるいは予算措置を行うといった形で機能していたと思う。仮に東京で起こったとすれば、数週間大混乱に陥ったのではないか。このような点から見ると、首都機能は大地震発生の可能性の高いところに置くべきではないと強く感じている。
一極集中の是正については、通勤のため1時間半もかかるとか、中心部に近いところではウサギ小屋と言われる狭い住宅、あるいはすぐそこまで行くのに車で30分かかるという状況は、早急に改善すべき課題である。新幹線ができた頃、東京と大阪は2眼レフ論というのがあったが、結局片方に吸い寄せられる結果となった。東京一極集中は是正していく必要がある。
土地投機対策については、地価動向、土地取引状況等の監視の強化をし、土地投機が起きないようにしたい。監視区域の導入も必要に応じて行う。
水供給の安定性の確保については、先般2010年を目標とする長期水需給計画を策定した。茨城中北部地域は久慈川水系で確保水量5.4t/sに対して、最大取水量は約3.8t/s。那珂川水系について9.2t/sに対して6.3t/sで、余裕が4.6t/sほどあり、新都市の新規水需要である第1段階の0.57t/s、あるいは最終段階の3.15t/sを上回る。
誘致に対する取り組みについては、4月から首都機能誘致推進室を設置した。また、農協、商工会、医師会、社会福祉協議会などの県内の主要な団体で構成される「茨城県首都機能移転促進協議会」や市町村で構成される「茨城中央地域首都機能誘致推進協議会」もある。
「茨城中北部地域への首都機能の移転の意義と効果」としては、まず災害対応力強化への貢献があげられる。火山はなく、活断層も確認されていない。浸水が予想される地域も少ない。明治以降震度5を超える地震はない。関東大震災の時の震度は4で、関西と同じレベルの揺れであった。また大規模地震が発生する可能性が小さいところに移転するということとともに、新都市と東京の交通遮断の可能性が低いところへの移転が良いと思う。
また、茨城への移転の意義として「東京との理想的な連携の確保」がある。政治・行政と経済・文化の中枢機能を分離し、一極集中の弊害を是正していくことが重要であると考えているが、同時に政治・行政と経済は常に密接な連携の下に運営されなければならないと思っている。10年はかかる建設期間中に東京に残されたものとの連携、いわゆる重都構造が重要だと考えられる。ブラジリアなどでよく言われることだが、想像以上に多くの人や物が新都市と東京を行き来することになる。移転が具体的に決まると東京と新都市の距離、アクセスに掛かる時間と費用は必ず問題になってくる。移動のスピードが速くなっても、近い方が便利であるし、災害等で交通機関がストップすることを考えるとあまり遠くに離れるのは適当でない。新都市も30年くらいは単身赴任者が多くなるはずで、筑波も昭和40年半ばに移転して、最近定住者が出始めている段階である。こういったことを考えると、東京と新都市との往来は相当多くなることが予想され、東京と連担せず、かつ東京との同時被災の可能性がないという状況を考えて、できるだけ新都市は東京に近い方がいいと考えている。
これまで遷都は為政者の交代とともに行われたため、前の文化の否定や安全の確保のために以前の都から遠くに離れた例が多いが、今回は東京都に近い方が良いのではないか。80kmから120kmというのは大変適当な距離と考えている。
次に茨城への移転の意義の3つ目として『「公園の中の国際政治都市」の創造』を掲げている。平和・環境・文化の基本理念の下、国会都市を中心として、自然環境が豊かな地域に小都市群が段階的に配置される形態をイメージしている。平地林を活用しながら、ワシントンのような公園の中の国際政治都市を建設するのに本県が最も適していると思っている。
気候は温暖で、雪もほとんど降らない。なだらかな丘陵、清らかな川、緑豊かな森、何よりもすぐれているのは、著しい地形等の変更を必要としないことであり、動かす土量が少なくて済む。このような条件から環境に優しい新都市づくりが可能ではないかと思っている。
この地域は「世界への空の玄関」成田空港から1時間の距離で、百里飛行場の民間共用化で車で十数分の距離になる。
海の玄関として、水深15mの常陸那珂港の建設が進められている。今年の12月に内航船、来年の12月に外航船の第一船が入港予定である。
新都市を支える水戸市、日立市などの都市とも近接しており、マリンスポーツを楽しめる180kmに及ぶ変化に富んだ美しい海岸線も有している。公園の中の国際政治都市としての条件を十分に備えている。
以上の説明のとおり、この地域は、安全性や自然環境にすぐれ、しかも東京都との連携を確保しながら環境にやさしい新都市づくりをする上で、良い条件を備えている。このような条件を活かして、21世紀に向けて新都市が世界に誇れる日本の顔となるよう、全県を挙げて取り組んでいきたい。
この後、以下のとおり質疑応答が行われた。
栃木県の渡辺知事より以下の説明が行われた。
まず、移転の意義としては一極集中の是正、地震災害の危険を考慮して危機管理的な発想での移転ということを考えている。
我が国の歴史を見ると西から東へ都が移りながら国土開発が進んできた。全国総合開発計画でも新しい国土軸が言われているが、利根川以北の北東地域はその線に沿っている。
那須地域への移転については、首都機能移転は数十年かけて行われるから、重都的な期間がしばらく続く。そういう意味では政経分離を図りながら、経済・文化の中心としての東京との適切な連携が図りやすい位置関係にあるのではないかと思っている。
那須の自然の広がりを考えると、人と自然が共生する新しい都市の創造と新しいライフスタイルの実現が可能であると思う。
栃木県の北部3分の1くらいの那須地域、塩谷地区、南那須地区の3つを調査対象エリアと考えている。
栃木県の面積は全国で20番目、人口も20番目とバランスがいい。関東地域では一番面積が広く、人口が一番少ない。栃木県の人口が少ない理由は、広大な那須地域に人がいなかったからである。ここに人が住みだして100年しかたっていない。
昨年厚生省が各県別の人口の30年間の長期推計を行ったが、過疎県が13県ある。これがあと3年たつと16に増え、8年たつと25県になる。幸い本県は今後25年は人口が増え続けると予測されている。そういう意味では、将来に対する発展の可能性があると感じている。栃木県の人口は200万人、那須地域は38万人である。面積は栃木県全体で6,400km2、那須地域はその3分の1の2,230km2であって東京都よりちょっと大きい。
気候としては、東日本の気候域に属し、年間の平均気温は12〜13度くらいである。
歴史としては、縄文時代の遺跡がけっこう残っている。古代においては、那須国として、那須与一で知られる那須一族が力を持っていた。那須国造碑という日本三大古碑の1つがある。東の端の馬頭町は旧水戸領で水戸光圀などがきて、国造碑を発見し、それを保全したという話が残っている。近世に入ると徳川幕府の影響で比較的小藩分立の政策がとられた。戊辰戦争においては会津への途中になるので県内に戦争の跡が残っている。廃藩置県後明治政府が落ち着いてから大正天皇が御用邸をつくられ、その後昭和天皇の御用邸がつくられた。御用邸の面積だけで1,200haあるということは、那須の広大さを示している。
那須には表流水がない。雨は多いが全部山の麓で地下に潜ってしまい、下流の方の大田原で地表に出る。そのため地下水を汲み上げる技術ががなかった頃は人がなかなか住めなかった。明治18年に日本では安積疏水についで、2番目に大きい那須疏水ができ、水が得られるようになった。那須疏水完成以降に人が住みだした。
入植した人としては、農商務大臣を勤めた佐野常民、外務大臣をしていたペルーの青木盛久大使の曾祖父もいる。青木という地名もある。加治屋というところは大山巌元帥が生まれたところである。加治屋開墾場というところは、大山元帥と西郷隆盛の弟・西郷従道が一緒に開墾したところである。大山さんは、自分が生まれた鹿児島の加治屋の地名をつけたし、東京で住んでいた永田町の地名もこの地につけている。品川弥二郎、毛利家の傍系で当時の豊浦藩主、警視総監だった三島通庸、岐阜県の旧大垣藩主の戸田氏共、大蔵大臣の松方卿、少し離れたところに山縣有朋といった人が入植している。
那須の真ん中、那須野ヶ原は約4万haで、東京の山手線の中が6,500ha、霞ヶ関は100haであることと比較しても相当広い。また非常に平らである。
明治の中頃入植したと言っても、戦争が続いたため、開拓は思うように進まず、成功したところは畑や田んぼになっているが、うまくいかなかったところは、平地林になっている。
入植した人は栃木県の人は少なく、長野県、北陸、新潟辺りの人が入植している。集落によって宗教、宗派、食生活等がかなり違い、そういう意味では、非常にオープンな地域であり、他から人が来てもいやがることがあまりないという土地柄である。
那須地域は、9つの選定基準に、適合していると思っている。
現在、東京から那須塩原までは新幹線で62分である。栃木県の特色は東京から近からず、遠からずだと思う。近ければ東京に埋没して、アイデンティティーがつくれない。遠すぎては、自然が残っていても人が来てくれない。比較的ほどよい距離にある。栃木県の南の端が東京から60km、北の端が160kmくらいである。鉄道はJR東北線が平行して通っている。
高速道路は東北自動車道が通っているが、栃木県内にはトンネルがない。トンネルがないのは栃木県と埼玉県と千葉県だけである。途中に山らしい山がないのも、いざという時、東京と連絡がとりやすい地形ではないかと思う。
仮に新幹線で大宮、上野をノンストップで来ると、那須塩原まで50分で来られるということになる。
土地の取得の容易性については、国公有地が多いということで草地試験場、県の酪農試験場、県立公園など合計で約400haある。真っ平らで牛と草しかないのでどんな都市でもできる。東北自動車道のインターのすぐ近くに霞ヶ関が4つ入る大きさの地区がある。地価は人が住んでいないので比較的安い。2,000ha買収するのに、地主が40人しかいないところもある。このようなことから土地取得の容易性については、優位性があると言える。
交通関係では、東北自動車道、常磐自動車道、いわきから新潟まで磐越自動車、新潟から高崎までは関越自動車道が開通している。高崎から水戸までの北関東自動車道は全線四車線で遅くとも西暦2006年ないし2007年には全線開通する。これだけ大きな道が東北縦断道を四角く囲う形であって交通条件に恵まれていると思っている。災害の時の代替性の面でもすぐれた条件である。
飛行場は福島空港の利用を期待している。那須から30〜40分で行けるようになるはずである。
水、地震、火山については心配ないと考えている。
既存都市との距離では、千葉市まで140km、仙台市まで170km、東京まで160kmである。
今までの取り組みであるが、平成2年国会等の移転に関する国会決議があったあと、栃木県の経済同友会が取り組みをはじめ、平成4年には県議会で誘致の決議が行われている。また一昨年、各種団体によって首都機能移転促進県民会議をつくり、県民に対するPRを行っている。
大勢の人を集めたフォーラムを一昨年から20回近く行っている。最近は子供とか女性だけを集めてフォーラムを開催しており、大変勉強になっている。当然のことであるが、自然をなるべく残して欲しいという意見が圧倒的に多い。
最後に2,3お願いがあるが、世論が盛り上がっていないようなので、その点に配慮していただきたい。また乱開発の規制について、現在の法制では手薄であり、必要最小限度の要件を満たせば、開発を許可しなければならない。十数年の知事の仕事で、那須地域の乱開発をいかに抑えるかということに取り組んできた。新しい街を造るなら、それなりの立法措置を是非検討していただきたい。また地価の暴騰防止にも、特段の配慮をお願いしたい。
この後、以下のとおり質疑応答が行われた
第11回審議会・第9回調査部会合同会議については、4月22日(水曜日)10時0分から、第12回審議会・第10回調査部会については5月25日(月曜日)15時0分から行われることが事務局から提示された。
以上
(文責 国会等移転審議会事務局)