平成10年5月25日(月曜日)15時0分〜17時0分
東条会館5Fスタールーム
有馬前会長代理、石原会長代理、新井、石井(進)、宇野、海老沢、堺屋、下河辺
中村(桂子)、中村(英夫)、野崎、堀江、牧野、溝上各委員(13名)
池淵、井田、井手、黒川、鈴木、戸所、森地各専門委員(7名)
坪井国土政務次官、古川内閣官房副長官(事務局長)、竹島内閣内政審議室長
近藤国土事務次官、林大都市圏整備局長(事務局次長)他
関係府県ヒアリング(三重・幾央地域4県)、現地調査の進め方
今回は、有馬前会長代理の挨拶の後、調査対象地域のうち、三重県、滋賀県、京都府、奈良県からヒアリングが行われた。
私は平岩前会長から会長代理及び調査部会長を仰せつかり、会長の職務を代理しておりましたが、このたび、私自身全く考えてもいなかった事態が発生しまして、委員を辞任させていただくことと相成りました。
申し上げるまでもなく、教育は国家百年の大業でございますが、国会等移転は更に大きく国家300年に及ぶ大業であろうかと存じております。今まさに21世紀に向けて取り組むべき大きな政策課題であり、一層推進していくべきものであろうと信じています。道半ばでこのような責務を辞任させていただくことになりまして、大変申し訳なく、かつ残念に思っております。
委員各位を始め事務局の方々の今日までのお力添えに心より感謝申し上げ、皆様方の今後の御健勝と、この審議会の御成功を心よりお祈り申し上げます。
最後に辞任させていただく前に、会長代理として石原委員を指名させていただきたいと存じます。そして会長代理及び部会長代理として当面の審議会、調査部会の運営をお願いいたしたいと考えておりますので、石原委員を始め委員の皆様方におかれましては、よろしくご了承いただければ幸いでございます。
どうも長い間ありがとうございました。
三重県の北川知事より以下の説明が行われた。
会場中央に設置してある模型図は民間の研究会で造られたもので、参考までにもってきた。向かって右側の海(伊勢湾)から大きな山脈までが鈴鹿山麓地帯で、山脈の左側が幾央高原である。
まず、首都機能移転の必要性についてであるが、地方分権、規制緩和、省庁再編など、改革が進んでいるが、更にはずみをつける意味から重要であると思っている。平成8年度に三重県の行った調査では、首都機能のスリム化ができるという試算結果になっており、例えば移転費用では、首都機能移転問題に関する懇談会の試算結果である14兆円に対して約5兆円で済むという結果になっている。新しい市民主導の都市づくりということは、日本の民主主義の再生に欠くべからざる要素である。
移転先を決めるには、誘致合戦を行うのでなく、国民の議論を喚起し、公平なルールの下で合意形成を図ることが重要である。
「国土の中央部の優位性」であるが、三重県を含む中央地域は4つの国土軸が集まっている国土軸の要の地域である。新都市は全国から集まりやすいところが望ましい。中央地域は高速道路、空港などが整備され、東京を経由しないアクセスが可能だということも優位性の1つである。
三重県の東に23都道府県、西に23府県あり、そういう意味でも日本の真ん中である。
関西新国際空港と中部新国際空港の2つの国際空港をもっており、ともに1時間〜1時間半でアクセスできる。
港については、名古屋港、四日市港、大阪港などが整備されている。
なお、三重県は名古屋圏と関西圏の真ん中であり、新都市の都市機能がすべて一時に整備されるわけではないので、両地域のもつ都市機能で国際会議場などを効率的に利用できるということも優位な点であると思っている。
次に「文化と自然に恵まれた三重・幾央地域」であるが、関西の歴史、街道構想というものは、出発点が伊勢で、国道1号1次指定は東京から伊勢である。伊勢は御食国と書いて、都へおいしい食べ物を運ぶということから街道が生まれてきたが、その起点が伊勢である。更に伊勢神宮を中心に街道が発達し、人と文化の交流がでてきた。
時代をさかのぼれば、照葉樹林地帯、あるいは黒潮文化など、日本文化のもとを成す地域であり、常世の重浪の寄する国であるからこそ、伊勢神宮が鎮座されたと思う。熊野の文化は伝説にもあるとおり、黒潮が運んできた文化を表していると思う。
伊勢地域は生なり文化、生地のまま使おうという20年に一回の式年遷宮の場所でもある。更に京都、奈良の持つ歴史性、伝統性、文化性という大変恵まれた地域である。
模型図を見てわかるとおり、鈴鹿山麓は、海が目の前に見えていて5分か10分で海に行ける。この地域は里山のある丘陵地帯と理解していただきたい。紀伊半島という日本一大きい半島を背景に、京都、奈良の文化も近く、住民が余暇を過ごしやすい最適な場所であると思う。
水の問題についても、従来から渇水はなく、長良川の河口堰の水等も利用できるので、心配はない。地震の問題では、他地域と比べ優れているとは考えていないが、比較的安心な地域でないかと思う。活断層はあるが、地震とは関連しないという結果も出ている。地震に強い理想的な21世紀の都市を造ることが大切であると考えている。
土地についても鈴鹿山麓、幾央高原ともに14,000〜15,000haの土地がクラスター状にまとまっている。
新都市像としてはクラスター配置による分散型都市を考えている。自然環境に配慮した開発を行うべきであろうと思うし、緑に囲まれた都市の中でゆとりある生活が可能な都市像を描いているところである。分散配置のために、既存の都市の活用を図っていくことを考えている。
三重県は南北に170キロと長い県であるが、伊勢を中心に栄えてきたため、桑名、四日市、鈴鹿、津、松阪、伊勢など分散型の10万〜20万の都市になっており、それを有機的に結びつけることによって、自然を大切にした都市が形成されると思う。
三重・幾央地域として調査対象となったが、鈴鹿山麓、幾央地域はそれぞれ独立して、首都機能の受け皿となることも可能であると思うし、2つの地域を1つの受け皿地域と考え、広域に首都機能を分散して移転することも可能であると考えている。
更に情報化の時代であるから、マルチメディアを活用すれば、中央地域全体で機能を分散配置してもいいのではないかと考えている。
「新しい都市の姿」としては、環境共生型、資源循環型の都市ということである。まず既存の中小都市群とその周辺にクラスター配置をすることにより、環境に与える影響を少なくすることが可能である。これによって「21世紀のグランドデザイン」が目指す自然居住モデルとしての地域づくりを実現させるべきと思っている。また、省エネ、省資源による都市の運営、管理や新エネルギーシステム等を通じてのエネルギー自給、リサイクルシステムの徹底によるゼロエミッション都市の実現により、世界の模範となる都市を創造していくべきであると思うし、それが首都機能移転の重要な要素となると思っている。その一手法として、素材そのものの良さを徹底的に引き出し、最大限に生かす伊勢神宮の20年に一回の御遷宮式典がある。新都市イメージ図では、衆議院と参議院が駅の側に分かれてあるが、これは木造で生なり文化を象徴していると理解いただきたい。環境共生型、あるいは自然循環型の都市として、この地が最適である。
建築、エレクトロニクス、公害対策、新エネルギーなど、我が国が誇る伝統技術・先端技術によって支えられた技術立国のシンボルとしての都市も造るべきであると思うが、そのための技術集積があるのでこの地域は優位ではないかと考えている。
更に市民と世界に開かれた都市ということで、情報公開を前提とし、地域市民、日本市民、もっと言えば地球市民と言えるような民主主義を21世紀には、どうしても造らなければいけないと思う。そのため高度情報通信ネットワークを整備し、国内はもとより世界と直結した情報公開の時代に相応しい都市を造ることが必要であると思っている。新都市の創造や運営には、市民参画システムを導入するとともに、バリアフリーの町として、国会を始めとする施設を地方自治体の議会や市民にも開放するなど、国民に開かれた都市とするべきであろうと思っている。
21世紀を迎えるに当たって、私どもが果たす役割というのは不易流行であると考えている。我が県が生んだ松尾芭蕉の言葉だと思うが、変わるべきところ、流行の部分はどんどん変えていっていい。不易の部分、変わらざるものというのは、グローバルになるほど強くなっていくと思うわけで、それが伊勢神宮の持つ強さであろうと思う。そういった観点から首都機能の移転の地域を提供できれば、望外の喜びであるし、世界に示せる首都機能を造れると思っている。
この後、以下のとおり質疑応答が行われた。
滋賀県の稲葉知事より説明が行われた。
首都機能移転の意義としては、「災害対応力の強化」「東京一極集中の国土構造の是正」「地方分権の規制緩和などの推進」など、新しい時代を構築するための契機として意義深く、21世紀の我が国を造る上で実現しなければならない課題である。
東南部地域を含む幾央高原地域は交通の利便性が高く、3つの国土軸が集中し、環日本海地域と環太平洋地域の結節点であること、近畿圏と中部圏の両大都市圏との連携が容易であること、豊かな自然環境や表舞台に立った歴史文化を有していること、自然災害が少ないことなどの地域特性があり、移転先として優れた状況を有している地域である。
まず「交通利便性の高い首都の形成」であるが、国土の中央部において、日本海国土軸、太平洋国土軸、西日本国土軸が集中しているとともに、全国各地からの参集が容易で、移転先としてのポテンシャルが高い。仮に東京が被災した場合でも、同時に被災する恐れがない地域である。また環日本海地域と環太平洋地域とを最短距離で結ぶ線上に位置し、我が国を縦横に結んでいるという、他の地域にない特性がある。
福井県の嶺南地方から本県を通り三重までつなぐと、約90キロしかなく、環日本海と環太平洋地域の連携が最も容易な地域である。これは「21世紀の国土のグランドデザイン」の中で福井、滋賀、三重地域連携軸として挙がっており、この南北軸を活用し、新たな発展の可能性が出てくると考えている。
当地域は、近畿圏と中部圏の双方に属し、東西文化の結節点としての機能を有している。近畿圏と中部圏の中間に位置し、京阪神と名古屋の経済、文化、情報などの高次都市的機能を活用できることから段階的な新都市の形成が円滑に図られるとともに、必要な都市基盤に沿った整備が可能である。
当地域は日本を代表する歴史文化や琵琶湖自然公園など、豊かな自然環境を有している。かつて都のあった大津や信楽、奈良や京都に近接しており、新しい文化を創造するための高いポテンシャルを備えている。鈴鹿国定公園や三上田上信楽県立自然公園などの自然公園や生態系の宝庫である琵琶湖に隣接しており、自然との共生が求められる新都市の立地のために優れている条件を備えている。
「滋賀県の特性」についてであるが、昨年の2月に長期構想「新・湖国ストーリー2010」を策定し、「新しい淡海文化の創造」を基本理念として、より住みやすく活力に満ちた良質な生活環境を整え、持続可能な節度ある発展を目指すこととしている。その政策転換の基本方向として、人の活力を生かした地域づくりを進め、暮らしを環境保全型に変えること、滋賀らしさを創出する基盤を整えることの3つをキーワードとして本県の特性、取組などを説明したい。
「人の活力を活かした地域づくり」であるが、県民の自主的な社会的活動を総合的に支援する淡海ネットワークセンターを核として、生き生きとした人間活動の展開と個性に満ちた多彩な地域づくりを目指しているほか、文化芸術活動と文化交流の拠点として、本年9月に四面舞台を備えた県立芸術劇場びわ湖ホールを開館する。また平成7年に開学した滋賀県立大学を始めとする国公私立の高等教育機関や試験研究機関等の連携による学術研究の質的向上や研究基盤の充実はもとより、産学官の連携による環境や医療、福祉などの新しい産業創造の促進を図っている。
次に「暮らしの環境保全型への転換」であるが、琵琶湖はその流域がほぼ県土全域に及び、湖となってから400万年の歴史を持っており、50種以上の固有種を有する生態系の宝庫であるだけでなく、近畿1,400万人の生活と産業を支える貴重な水資源である。本県では、人類の文化的遺産であり、国家的至宝とも言える琵琶湖を次世代に引き継いでいくため、水質の保全、水源の涵養、自然的環境・景観の保全の3つの観点から琵琶湖の保全に取り組んでいる。これまで琵琶湖富栄養化防止条約、ふるさと滋賀の風景を守り育てる条例、ヨシ群落保全条例等の制定やラムサール条約の登録、環境基本条例に基づく環境総合計画を定めるなど、総合的な環境保全施策を展開するとともに世界湖沼会議の開催、UNEP国際環境技術センターや国際湖沼環境委員会の設置、琵琶湖博物館の開館するなど環境熱心県としての取り組みを広く進めてきている。
「滋賀らしさを創出する基盤の整備」についてであるが、本県は古くから東海道、中山道、北陸道などの主要な街道が通り、交通の要衝として繁栄してきた。現在では東海道新幹線、名神高速道路などが整備されており、今後びわこ空港の整備、東海道新幹線琵琶湖栗東駅の設置、琵琶湖京阪名線鉄道の推進、第2名神自動車道や広域幹線道路の整備など交流ネットワークの整備を進めており、一層利便性は高まると考えている。
次に選定基準に対する本県の調査について説明する。
まず「日本列島上の位置/東京からの距離」であるが、地理的に日本列島の中央に位置し、国土のバランスある発展にとって理想的な立地であると考えている。また、東京との距離も、おおむね300kmの圏内にあり、同時被災の恐れはなく、新幹線などの既存交通機関で2時間、リニア中央新幹線が開通すると約1時間で東京と連携が図れるなど、適切な時間距離に位置している。
次に「土地取得の容易性/地形等の良好性」であるが、全体として緩やかな高原状の地形であり、土地利用状況は宅地が6%、森林が60%となっており、総じて森林が多く、新都市創造の利用展開が容易であると考えている。
次に「地震・火山、その他の自然災害に対する安全性」であるが、鈴鹿山脈の山麓部には活断層があるが、これまで当地域を震央とする震災はない。また周辺に活火山はなく、火山による直接的な被害が生じるおそれはない。台風や豪雨等による自然災害も少ない地域である。
「水供給の安定性」であるが、当地域は琵琶湖・淀川流域に属しており、水供給は琵琶湖の存在により安定している。ただし、新都市の水供給については、新たな水資源開発や循環型システムなど、供給方策の検討が必要となると考えている。その際は水のリサイクル率を高める都市構造とすることや下水道処理施設の高度化を進めることによって、新たな需要を抑え、琵琶湖の豊かな生態系の保全等への配慮がなされることが必要と考えている。
「既存都市との距離」であるが、地域周辺の人口集中地区は近江八幡市、八日市市、水口町、甲西町、能登川町に点在しているが、その合計面積は地域全体の1.4%とわずかであるから、スプロール化のおそれはないと考えている。当地域から最も近い政令指定都市である京都市は30〜50キロ離れており、十分な距離が確保されている。
次に3月に実施した「首都機能移転に関する県民意識調査の結果」であるが、この調査は移転先候補地の調査対象地域として三重・幾央地域が選定されたことを受けて、今後の取り組みの参考とするために実施した。回答の傾向としては、関心度は「大いに関心がある」「多少関心がある」の合計が74.3%と高い数値を示している。「首都機能移転の望ましさ」については、「望ましい」「どちらかというと望ましい」の合計が57.0%であり、「望ましくない」「どちらかといえば望ましくない」の合計は8.4%となっている。「三重・幾央地域への移転の望ましさ」については、「望ましい」「どちらかというと望ましい」が54.8%、「望ましくない」「どちらかというと望ましくない」の合計が14.1%となっている。三重・幾央地域に移転した場合に重視すべきこととして「環境共生型の都市づくり」が65.6%と最も多く、「交流を容易にする交通基盤の整備」の39.8%、「防災機能の整備」の34.5%の順になっている。
最後に幾央高原の新都市像についてであるが、新都市は本県甲賀地域及び東近江地域、三重県伊賀地域、京都府相楽郡東部地域、奈良県大和高原北部地域にクラスター型に展開し、高度な情報通信システムが整備されることによって、全国や世界各国とネットワーク化されるとともに、豊かな自然環境に恵まれた環境共生都市のモデルとして広く世界にアピールすることができると考えている。
また新都市は、歴史文化を有する京都や奈良等の資源を活用することによって新しい文化を創造するとともに、生活文化とも言える伝統を活かすことにより、ゆとりと安らぎに満ちたコミュニティー都市の創造を図ることができる。
このように歴史的に蓄積された経験と自然的条件の豊富さ、日本を縦横につなぐ結節点にあるなど、他の地域にない優位性を備えており、日本の中心的都市として将来を担い得る潜在的可能性を秘めた地域であると確信している。今後、現地調査等において積極的に協力することとしており、国民的議論の盛り上がりの中で十分な検討が行われ、公正、公平な審議の中で移転先候補地を決定していただくことをお願いする。
この後、以下のとおり質疑応答が行われた。
京都府の荒巻知事より以下の説明が行われた。
首都機能移転については、地方分権の推進や、規制緩和、国土の均衡ある発展と災害への対応力を強化する上で大変重要な国政上の問題であると理解している。先に国会等移転調査会によって示された移転先の選定基準の「東京から300km圏内」に対して、京都は距離の点では圏外であったので、京都府として独自に誘致運動したり、働きかけを行ったりはしていなかった。
しかし、畿央高原の一部として審議の対象となると、京都ではいろいろな関心が出てくる。もともと明治の東京遷都の頃から、完全に法的手続きを経て東京へ都が行ったとは思っていない人が京都の中にはかなりいる。とかく天皇陛下は、少し江戸へ東下りしてくるとおっしゃって行かれたと。しかし皇后陛下が東京へ行かれるときには、薄々京都の市民も危機感を感じて、皇后陛下まで行かれたのではもう永久にお帰りにならないだろうということで、皇后陛下のお発ちになる前日頃から、御所の周りを群衆が取り巻いて、京都に残っていただくように陳情しようという動きがあり、当時の資料等によると太政大臣か内大臣が知事に対して、東京へ首都を移すということではない旨を市民に言って聞かせ、不穏な動きをしないよう説得するようにという記録が残っている。かねがね京都では、都ということに対して関心が深い。
昭和天皇から平成天皇にお移りになるときは、大嘗祭、即位の礼も京都で行うべきではないかという動きもあったが、結局高御座を東京へ持ってきて、東京で大嘗祭、即位の礼が行われたということもあって、まだまだ意識されている。特に、笠置町が畿央地域の中に入っているが、南北朝時代の後醍醐天皇の御在所があったところで、仮にも都の一部だったということもあり、畿央地域への首都機能移転の中で、京都府民の気持ちも燃え立たせていただきたいと考えている。
一方、やはり東京から首都機能が移転する場合には、北の方へ行ってしまったのでは、国土の位置づけ、すなわちロケーションの面から非常に困るのではないか。何としても国土の中央部へ持ってきて欲しいということで、平成8年に近畿ブロック地域会議でも、国土の中央へ、少なくとも東京から西の方へ持ってきてもらうようにという要望を出した。
それから今月、関西協議会というものを2府6県の知事、大阪市、京都市、神戸市の市長、さらに関経連、商工会議所などの関西の経済界・行政が一体になって組織し、関西は1つとなっていろいろなプロジェクトを行おうということになり、首都機能移転については、国土の中央部を望むという決議をした。
畿央高原の特徴として、国土の中央部に位置するということは申すまでもなく、西日本と東日本にちょうど接している地域である。また、日本人の文化や生活の面でも、名古屋のあたりを境に納豆を食べる地域が西と東に分かれるとか、ウナギの割き方が違うとか、縄文と弥生文化も分かれるとか、そういう意味では日本民族の融合のためにも良い地域ではないかと思っている。
全国からのアクセスについては、東海道新幹線、名神、東名、第2名神あるいは阪名高速道路などの幹線が通っていて、特にリニア中央新幹線はこの圏域の真ん中を通ることになるであろう。またこの地域はJRあるいは私鉄が非常に発達しており、空港に関しては24時間空港の関西国際空港と着工予定の中部国際空港がそれぞれ近くにあるという利点がある。
畿央高原地域には、京都府内では南の端の南山城村、笠置町、和束町が該当する。また、すぐ隣に関西文化学術研究都市があり、この点を非常に重視している。ここには、国立国会図書館の関西館が今年から着工し、2002年に完成の予定となっている。国会図書館は要求官庁が国会であり、国会の議会運営委員会の委員長が所管大臣ということで、10年近く前から大蔵省と折衝を開始し、既に立地が決まり、8haの土地も入手済みで、将来2,000万冊の図書を入れる予定である。そのような形で既に決まっているので、おそらく国会の移転をここへ予定しているのではないかと私は理解している。
そのようなこともあり、位置的には全く申し分のない地域である。京都から30km、大阪から30km、奈良から10kmのところにこの学研都市があり、この学研都市と畿央高原の間は20km弱である。
高速交通網は、いろいろな路線がこの地域に通っていて、あらゆる地域の人にとって非常に交通の便が良い。さらに国が新しく定めた全総計画では、日本海国土軸あるいは西日本国土軸、太平洋国土軸などいろいろな国土軸が集中的に寄ってきているので、全国から人が集まって来るには最も適したロケーションであると思っている。
そして、周辺プロジェクトとの連携については、京都については関西学研都市、滋賀県はびわこ文化公園都市など、いろいろな計画がある。
畿央高原の中の京都府域の概況については、木津川を挟んでそれぞれ400〜500m登ると三重県や滋賀県の方につながる高原が続いていて、まさしく一体として1つの目的に活用できる地域である。75%が山林であり、その中でも民有林が多い。茶畑やゴルフ場等も中に散在している。特に400〜500mの高原であるので、軽井沢のように夏の暑さに対しては非常に快適な地域であり、暑いといわれる京都付近の気候とは違っている。
航空写真を見ると判るように、丘陵地が続いていて、緩やかな斜面等も非常に多い。また、歴史的にも、藤原京、平城京、恭仁京などの影響の中で、またその材木の供給地として木津川の名前の通り、港があってそこから材木を提供したという地域である。
首都機能の移転に対する京都の考え方は、東京一極集中の国土構造を是非是正したいということである。東京一極集中の根幹となっているのは、情報発信機能の問題であると思っている。マスコミ、特にキー局のテレビ等はほとんど東京である。
指摘されて初めて調べて意識したのだが、紫綬褒章の受章者のうち、京都の割合が少ない。ご承知のように紫綬褒章は学術、芸術等に貢献した方であるが、大体秋・春30〜40人もらえるが、人口が10%しかいない東京圏の受賞者が60〜70%で、2番目に多い京都でも2〜3人、大阪も1人、他の県はブロックに1人くらいで、東京一極集中している。
なぜこのようになるか考えてみると、東京に居なくては、芸術家にしても芸能人にしても小説家にしても食べていけない。やはり情報の中心であるキー局や出版社、新聞社等がある中でなくては生活できないということで東京へ集まってきている。このようなことがあるので、情報発信の中でも大きな要素を占めている国会等が東京から移転するということは、一極集中是正に対して大きな1つの効果があると思っている。
「首都機能への支援と協力」ということに関しては、言うまでもないが、首都圏というのは、そこに国会があり、幾つかの官庁があるだけではなく、文化の香り、日本の文化を代表する世界に誇るべき土地の核が必要である。その点幾央、京都はもちろん奈良、大阪、神戸など個性を持った都市が近くにあり、しかもそれぞれの大都市圏に対して直接影響を与えない関係となり、首都機能の所在としてふさわしいのではないか。
これからの時代、日本は自分で投資し、あるいは時間をかけ、苦労して基礎的な研究をして世界にも貢献し、また日本の将来の産業、経済の発展のために貢献していかなくてはならないが、関西学研都市は、こういう発想により約20年ほど前に計画されたものである。
最近では50ほどの新しい研究所が立地しており、中でもATR(国際電気通信基礎技術研究所)は、アメリカの「ビジネスウィーク」が選んだ10の最も活躍している研究所の第4位に入っている。先般の地球温暖化防止京都会議の際に、アメリカのゴア副大統領は、京都にはすばらしい地球環境の研究所があるということを向こうから言ってきた。このような施設の近くに首都機能が来るということは非常にすばらしいことであり、むしろ首都機能の中に取り込んでもらいたいぐらいと思っている。
このような画期的な大プロジェクトを行う場合、これまでは陸奥小川原や苫小牧東部、鹿島臨海、水島臨海、志布志などとあったが、全て一つの府県内での面的開発であって、関西学研都市のように3つの府県が共同して1つの法律のもとに実施しているのはこれが唯一である。府県をまたがった国家のプロジェクトに関しては、1つの先進的な実験と経験を積んでいるので、畿央高原への首都機能移転についてもこの経験を活かして取り組んでいきたい。
京都迎賓館についても、間もなく着工予定で、2004年頃にはできあがるのではないかと思っているが、これも国会が畿央高原に来ると、外国の国公賓もたくさん来ると思うし、そのような方々を大阪や京都、奈良へ案内すると同時に、この迎賓館でもてなすことができるという準備も整っている。このようないろいろな状況を頭に入れて、是非とも畿央高原に移転が決まった場合には、京都府として最大限の協力をし、その実現のために努力したいという決意である。
この後、以下のとおり質疑応答が行われた。
奈良県の柿本知事より以下のとおり説明が行われた。
奈良県は紀伊半島の真ん中に位置する内陸県である。面積、人口はともに全国の1%程度で、紀伊半島の山岳地帯がかなりの部分を占めている。
人口は143万人ほどであるが、増加率は4%と高い方で、今のところ人口増加県である。どちらかというと県の西北部に人口が張り付いている。
奈良県のもう一つの特徴は、歴史文化で、飛鳥、白鳳、天平時代のいろいろな歴史が重層的に分布しており、法隆寺は世界最古の木造建築であると同時に、世界文化遺産として登録されている。また、東大寺などがある奈良地域についても、今年の末に同じく文化財として登録されることとなっている。さらに明日香村もあり、奈良盆地の南の端辺りから北にかけてこのような文化財が点在している。
このような奈良県の特徴を踏まえて、今後のあり方としては、このような文化遺産を土台にした、いわゆる各地域と交流する舞台としての地域づくりをしていきたいと考えている。
県が対象地域と考えているのは月ヶ瀬村、都祁村、山添村の3ヶ村で、面積130km2、人口14,000人である。この場所を選定した理由は、畿央地域への首都機能移転の初期段階を考えて、中心となる母都市と想定している上野市から20km圏内に含まれること、もともと社会・経済的につながりの強い地域であること、一定の開発適地が見込まれることなどから、この3村を選んだ。
この3村の位置は、県の北東の角に当たる位置で、北は京都、東は三重県という場所であり、奈良盆地と三重県の上野盆地に挟まれた高原地域である。標高は概ね200〜500mで、なだらかな丘陵地帯である。
交通体系は、名阪国道がこの地域を結ぶ大動脈となって地域の中央部を横断しており、第一次的な道路交通の条件は整っている地域である。
もう一つ本県の特徴としては、自然と文化財に恵まれているということがある。1つの都市をつくる周辺地帯としての資源に恵まれている地域であると思う。
気象的には、平均気温12度、平均年降水量1,680mmと、大体全国平均に近い。南部には大台ヶ原という大降雨地帯があるが、畿央地域の辺りはそれほど雨も多くない地域である。
この地域の航空写真を見ると、比較的なだらかな丘陵地であることがわかる。ここには、月ヶ瀬梅渓、神野山等の憩いの場所が整っている。
首都機能移転の意義と効果については、地方分権、規制緩和、あるいは行政改革を含めて新しい社会システムへの転換を図るための契機として大きな役割を果たすであろう。とりわけ、現在の東京が一極集中の偏りを見せていることから、その一極集中のメカニズムを是正するという意味で大切なことではないか。同時に、災害等に対する弱さということにも応えるために移転が必要であるという考え方に立っている。
次に畿央高原の位置は、国土のほぼ中央部に位置していて、東海道新幹線、あるいはリニア中央新幹線、いろいろな国道体系、様々な空港にもアクセスが良い。
もう一つ、日本の人口重心は岐阜県にあるが、畿央高原はそれにかなり近い場所である。今政治の中心が東京、関東に偏っているが、そのような点からいうと、政治の中心が西に置かれることによって、国土のバランスある発展が期待できる。このことは畿央高原の位置づけに1つの意味があるのではないかと考えている。
また、地震災害については、東京との同時被災の可能性がないところに国の中枢管理機能の一定の部分を置くことによって、安全性の強化につながる。
畿央高原地域は、その位置からみて当然関西圏と中京圏の都市と連携する新たな都市機能の発展が期待できる場所であり、さらに歴史文化の伝統などいろいろな点で資源に恵まれた地域である。
関西では、産官学で歴史街道構想を推進しようと進めていて、伊勢湾の方から始まり、明日香に入り、奈良に至って京都、大阪、神戸へと行くのがメインルートであるが、日本の歴史の主な事象がこのルートの近辺に大体発見することができる。歴史街道構想の主たる狙いは、いろいろな施設整備とルート整備を含めて歴史街道を具現化して、日本の1つの特色というか、アイデンティティーといったものをつくることだと思うが、畿央地域はそのようなものの近くに位置している。こういうことが新しい首都をつくる場合に、対外的にもそれにふさわしい雰囲気を整えるということにもなるのではないか。
先ほど人口重心ということを述べたが、それとともに日本の歴史というものを対外的にも理解していただける地域が近くに存在するということも含めて、この畿央地域の意義を考えている。
なお、畿央高原への首都機能移転については、奈良県は独自で主たる地点を占めるというよりも、この畿央高原という広域的な観点の中から、その一翼を担うという形で考えている。
奈良県の地域特性としては、既に認めてもらっているように、飛鳥、白鳳、天平というような歴史の重層している場所であり、その文化的資源が数多く分布している。昨今も、この地域から少し離れた天理市にある、黒塚古墳の三角縁神獣鏡とか、明日香村キトラ古墳の石室の壁画などが報道されたが、いわばいろいろな歴史の底の深さを見せてくれる場所がこの地域の近くにある。そして同時に、大和青垣という言葉を奈良県人は使っているが、そのような誇り得る自然にも恵まれている。さらに、平城遷都1300年が2010年に来るが、古代都市を背景としていろいろな環境が整いつつある、また整って行くべき場所である。
いろいろな施設整備も試みていて、鉄道、道路以外には、関西文化学術都市の中の特に文化を代表する平城宮跡の復元を行っている。また、万葉ミュージアムの建設を進めている。明日香村に万葉集を題材にした複合的な文化施設をつくりたいと考えており、これも地域の特徴を発揮する1つになる。他にも様々なインフラ整備がある。
首都機能移転に対する対応方針ということでは、土地投機対策について、今そのような動きがあるわけではないが、従来から県下全域において土地取引規制基礎調査を実施している。首都機能移転調査対象地域及び周辺地域については、さらにより迅速かつ的確な土地投機防止対策を講じる必要があるため、平成10年度においてさらに詳細な特別調査を実施することとしている。
水の関係では、長期水需給計画では、この地域においては三重県にある川上ダムにも水源を求める予定であるが、新都市が建設された際に全体としての調整も必要ではないかと考えている。
この後、以下のとおり質疑応答が行われた。
現地調査の進め方について、事務局から説明が行われ、その後意見交換が以下のとおり行われた。
この後、現地調査の詳細な点については、石原会長代理に一任することとされた。
また、6月23日に「21世紀に向けた我が国の政治・経済のあり方と首都機能移転」をテーマに国土庁と共催でシンポジウムを開催することが了承された。