ホーム >> 政策・仕事 >> 国土計画 >> 国会等の移転ホームページ >> 国会・行政の動き >> オンライン講演会 >> 「環境と情報の時代の首都:現行議論の時代錯誤」

国会等の移転ホームページ

「環境と情報の時代の首都:現行議論の時代錯誤」


月尾 嘉男氏の写真月尾 嘉男氏 東京大学 教授

1942年生まれ。1965年東京大学工学部建築学科卒業。1971年東京大学工学系大学院博士課程修了。1978年工学博士(東京大学)。名古屋大学工学部助教授、教授、東京大学工学部教授などを経て、1999年より東京大学大学院新領域創成科学研究科教授。研究分野はメディア政策。電気通信審議会、資源調査会委員。東京都首都機能移転問題専門委員。

著書に「サイバーメディア新思考経済」「マルチメディア超企業破壊」「贅沢の創造」など。



意義を喪失した移転根拠

首都機能移転の議論は1960年代以後、何度も繰り返され、遷都をはじめとして、分都方式、展都方式、拡都方式など、様々な提案がなされ、それぞれ相違する目的が標榜されてきた。それは時代背景の変化を反映した当然の変遷であるが、1990年代になってから現在まで継続している議論は、このわずかな期間にも目的が次々と変化してきたという意味で特異なものである。

当初は東京一極集中の是正であったが、バブル経済崩壊以後は景気浮揚対策が中心となり、阪神・淡路の震災発生以後は国家安全保障という大義名分が浮上し、橋本内閣において六大改革が主題になるとともに行政改革推進の手段という理由が宣伝され、最近のように内外での日本失墜が顕著になると人心一新が声高に広報されている。まさに朝令暮改、定見不在以外の何物でもない。

このような意見について、それらすべての目的を達成するために首都機能移転をするという反論がなされるが、すでに様々な都市活動は東京からの分散を開始しており、景気浮揚に公共投資で対処するというケインズ政策を批判したマンデル・フレミング理論が本年のノーベル経済学賞を受賞するなど、個別の目的自体も破綻しているのが現状である。まして移転しなければ行政改革は困難という理由は政治の貧困を証明するだけのものである。

あえて最大公約数的に内容を整理してみれば、明治以来、場合によっては終戦以来、順調に発展してきた日本が停滞しはじめ、その方向転換のために首都機能移転をするということである。これは古代以来、遷都の常道として一理あるが、そのためには、どのような方向に方向転換するかが広範な議論によって明示され、それを基礎にして首都機能移転を検討するのが筋道である。

ページの先頭へ

過去百年を想定した議論

国会等移転調査会の最終報告に「新しい日本を新しい皮袋に」という言葉がある。それは妥当であるが、これまでの検討はすべて皮袋が先行した議論であり、人口が何十万人になるとか、面積がどれだけ必要とか、東京からの距離がどれだけ以遠というような「新しい皮袋」の検討は進展してきたものの、「新しい日本」の議論はどこにもない。それは別途に議論するとしても、それが前提となっての首都機能論議が本来である。

もうひとつ首都機能移転を修飾するに「国家百年の構想」という言葉が使用される。これも妥当な表現であり、本当に百年単位の日本の方向を目指した首都機能論議であれば結構なことであるが、現実に進行している議論には重大な錯誤がある。一般に国家百年といえば、だれもが未来百年を予想するが、これまでの議論の大半は過去百年を想定したものでしかないことである。

関係委員などが海外の事例を視察にでかけるが、その行先はワシントンDC、キャンベラ、ブラジリア、ベルリンである。釈迦に説法であるが、いずれも連邦制度を採用している国家の首都であると同時に、壮麗な建物や都市空間により国家の権勢を世界に誇示することが必要であった時代の産物である。日本を連邦国家に変更するのであれば参考になるが、そうでなければ目的と時代を錯誤した視察である。

その結果、新築される首都には日本を顕示するナショナル・ギャラリーをという的外れな意見が堂々と開陳される。帝国主義時代に各地から略奪した資産を誇示し、国家の権勢を芸術を動員して表現してきた国立展示施設を構想すること自体、過去百年でしか首都を意識していない証拠である。すでに時代は分権国家を目指しており、文化の発信は地域がそれぞれに活躍する時代である。

ページの先頭へ

環境という時代認識の欠如

現行の審議の批判はこれまでにして、未来百年の日本の首都にとって、どのような視点が必要かを提言する。第一は過去百年と未来百年とは日本という国家の基礎条件が根底から相違していることを正確に認識することである。すなわち、日本は巨大な方向転換に直面しているのである。しかし、現在進行している議論は、明治以来の日本の基礎条件が今後も持続するということを前提としている。

人口も経済活動も増大から減少に転換する。政治体制は中央集権から地方分権に移行する。工業生産より情報創造が産業の基礎となる。仕事よりも余暇という価値意識が主流となる。ダム建設の中止が象徴するように、開発優位から環境優位への意識の変革が進行している。すべて従来とは逆転した方向に社会が進行しているにもかかわらず、首都機能移転の議論のみが過去百年の延長を前提としているのである。

それらの変化のなかでも重要な影響をもたらすのは環境と情報である。環境とは開発を抑制するという意味であるが、新規に首都機能のために移転用地を確保すれば、開発行為は必至である。森林に埋没する都市という言葉も宣伝されているが、所詮は60万人とも想定される人口を収容する用地が必要であるし、空港や鉄道など関連する開発も必要になる。たかだか数十平方キロメートルといえども巨大な開発であることには間違いない。

苫小牧東部大規模工業基地のように、すでに広大な湿原を干拓してしまった用地を利用するのであればともかく、現在、候補対象に指定されている地域では、最新の建設技術を駆使したところで環境問題を回避できるものではない。人口も減少し、工場も海外へ立地する時代に、新規の宅地需要は縮小していくことを想定すれば、環境という視点から無駄な開発は回避すべきである。この一点をしても首都機能移転は未来への冒涜である。

ページの先頭へ

情報という時代認識の欠如

より重要な冒涜は、現在の検討過程で、高度情報通信社会といわれる未来社会の到来を無視していることである。20世紀の最後の10年間に出現してきた情報通信技術は、単純に情報の交流を便利にしたのではなく、均一料金制度と定額料金制度の採用により、既存の空間構造を変革し、どこからどこへ、どれだけ大量の情報を送受しても経済条件は同一という未来社会を出現させた。

そのような未来社会において、地方分権の実現を達成した国家の首都機能とは何物であるかと検討してみれば、国家の運営にとって必要な制度や政策という情報を創造し、それらを国外国内に関係なく必要とする相手に迅速に伝達することである。この国家の本来の役割と21世紀の情報通信技術の特徴を照合してみれば、首都機能がどこに存在するかという位置は問題ではなくなるのである。

一例を紹介すれば、現在、我々はアメリカの国会図書館内に設置された「トーマス」というデータベースにアクセスすれば、アメリカの議会で議論された内容の全容を数時間後には入手可能である。日本の国会での議論よりも迅速かつ容易に入手できるのである。統計資料についても同様、アメリカの統計のほうが豊富に入手可能である。情報公開が進展していけば、場所に関係なく首都機能は機能するのである。

アメリカがサイバー・スペース(情報空間)と命名している未来社会は、距離にも位置にも規模にも密度にも関係ない活動が中心となる社会である。90年代以降のアメリカの発展は、このフロンティア空間を世界の先頭で開拓しているからであるが、現行の日本の首都機能移転議論は、敷地面積、人口密度、東京との距離という過去の主要舞台であったジェオグラフィカル・スペース(地理空間)に拘泥したものでしかない。

モノを基軸とする過去百年の世界は武力と財力が国家のパワーの源泉であったが、情報が基軸となる未来百年は魅力が代替するというのが世界の共通の認識である。その出発において、日本はコンピュータの普及もインターネットの普及も世界の20番目前後と大幅に出遅れているし、エレクトロニック・コマースやサイバー・ビジネスなど、その活用においてはさらに後進国家である。

この後進状況から脱却する方策は、自然環境を破壊して壮大な建物や都市を構築することではなく、日本の保持する魅力を世界に発信できる情報首都を構築することであるのは明白である。そのような視点から、東京という長年の文化の蓄積を保有する都市が情報空間の首都として適切か、原野に展開する新造の都市が適切かを真剣に比較考量することを要望するものである。

最後に国民投票の実施について提案したい。首都の位置を変更することは国家の重大事件であるが、現在の首都である東京と移転候補にある府県以外の関心はきわめて希薄である。しかし、これは国民が日本の将来に関心をもつ絶好の機会である。国会で議決すれば国民投票は可能であり、憲法に矛盾するものでもない。国政選挙と同時に実施すれば費用も問題ない。国民が国家に関心をもつ貴重な機会として、国民投票の実施も要望する。

ページの先頭へ