ホーム >> 政策・仕事 >> 国土計画 >> 国会等の移転ホームページ >> 国会・行政の動き >> オンライン講演会 >> 熊野での田舎暮らしから考えた国会等の移転

国会等の移転ホームページ

熊野での田舎暮らしから考えた国会等の移転

講演の一部を音声でお聞きいただけます

(注) 音声を聞くためには、Windows Media PlayerまたはRealPlayerが必要です。
Windows Media Playerのダウンロードページへ real playerのダウンロードページへ


イーデス ハンソン氏の写真イーデス ハンソン氏 タレント

インドのマスーリ生まれ。1960年に来日し、以降テレビ、ラジオタレントとして活躍。また、講演会の講師やシンポジウムに幅広いテーマで参加している。

1986年4月より1999年4月までの13年間、世界的な人権擁護団体「アムネスティ・インターナショナル」の日本支部支部長を務めた。2000年の日本支部法人化に伴い、現在は「社団法人アムネスティ・インターナショナル日本」特別顧問として、その活動を続けている。

現在、和歌山県に在住。 2002年、和歌山県より文化功労賞受賞。 2004年10月に「特定非営利活動(NPO)法人エファジャパン(Efa Japan)」を設立し、ベトナム・ラオス・カンボジアの3カ国で「アジア子どもの家」を展開し、子供達への教育支援活動を実施している。


<要約>

  • 自然の中で暮らし、山で遊ぶことを重視している自分にとって、田舎暮らしでの不便さを感じることは少ない。結局のところ、「便利さ」とは本人が何をしたいのかということで決まるのではないか。
  • 環境にやさしい取り組みは何も田舎に暮らしているからできるということではなく、都会には都会の環境に合わせた「できること」がある。
  • まちおこしは、他の地域の成功事例の真似をするのではなく、冷静に自分の地域の特徴を考えることが大切。
  • 古いものを壊して新しいものに替えることも必要だと思うが、魅力的なまちづくりに向けて、古いものを上手に活かしていくことを考えてほしい。
  • 日本の狭い面積、発達した交通網、マスメディアや情報通信などのネットワークを考えると、機能や権力が東京に集まること自体は悪くないのではないか。
  • 首都機能のあり方を考えるときには、安全や安心に対する基本姿勢を明確にし、移転よりも大地震をはじめ有事の際のバックアップ機能を考えることが必要。
  • バックアップが必要な機能は、国を運営していく上での中枢神経系にあたる情報機能が考えられる。
  • 人々に何かを知ってもらったり、納得してもらうためには、パンフレットを配るだけでなく、直接会って話すことが重要であり、国会等の移転問題についても国民との対話を重ねて議論していくことが必要ではないか。

「便利さ」の度合いは何を重視するかで決まる

私が和歌山県の中辺路で暮らし始めてから20年になります。田舎暮らしを始めた理由を人からよく聞かれますが、私は子供の頃、父の仕事の関係でインドの自然あふれる環境の中で暮らしたことがあり、またあのような暮らしをしたいと長年思っていました。ここに来てようやくそれが実現したというわけです。ここでは家の窓から満月も見えますし、空の変化にも気づきます。また、空気の香りや山の音とか、そうしたものに日常的にどっぷりと浸かることができます。

私は今の生活を大変気に入っていますが、だからといって都会暮らしが嫌だと思ったこともありません。来日以来、仕事の関係もあって大阪、東京で長年暮らしてきました。都会には何でもあって、都会なりの楽しさがあります。例えばコンサートをはじめとするイベントや美術館など田舎にはないものがたくさんあります。この辺りでも小さい美術館ができましたが、やはり都会の方がそういった面では充実しています。でも、それらは何も都会に住まなくても必要なときだけ出かけて行くことで享受できることです。

もちろん、仕事や好きな野球を見にいくために都会へ出かけるのは時間がかかりますが、逆にその不便さがなければ、このような環境は手に入れられません。いい環境に恵まれていても、都会から近い土地だとすぐに開発されてしまうこともあるでしょう。コンビニがないとやっていけない人にとってここは不便でしょうが、車なら20分程度でスーパーへ行けるし、救急車もここまで来るし、一般病院や歯科医院もあります。日常生活で困ることはほとんどありません。

東京で仕事をする場合は不便ですが、私の仕事は別に東京だけとは限らないし、それも毎日のことではないからそれほど不便ではありません。便利かどうかというのは、結局は何をしたいかで決まるのではないでしょうか。私が一番したかったことは自然の中で暮らし、山で遊ぶこと。その意味では、ここは家の玄関を出れば全てが遊び場です。荷物をたくさん抱えてわざわざ車や電車で出かける必要もなく、帰りの時間を気にするということもありませんから、私にとってここは本当に便利な場所なのです。

ページの先頭へ

環境に配慮した取り組みはどこに住んでいてもできる

自然に恵まれたこの土地で、私が環境に配慮して実践していることといえば、できるだけゴミを出さないとか、なるべくリサイクルできるパッケージの商品を選ぶとか、基本的には誰もができることです。また、この辺りでは水道水ではなく山の水を使用しています。みんなでお金を出し合い、沢からポンプでタンクに水を汲み上げて各家庭に水を引いています。最近は少しずつ浄化槽も増えてきましたが、上下水道がないから、トイレ以外の風呂、台所、洗濯に使った水はU字溝に流し農業用水として使われます。生活排水は多少汚れてしまいますが、なるべく田んぼに汚れた水を流さないようにするため、合成洗剤は使わず、できるだけきれいに水を使うように心がけています。

他には、なるべく使い捨てをしないということでしょうか。私は何でも使い始めるととことん使いますが、車もその一つです。都会は渋滞するほど車があふれていますので、大阪や東京で暮らしていたときは、車を使わずに電車や地下鉄を使っていました。ここで生活していく上では車は必需品ですが、問題はどのような車を選ぶかということです。ここで暮らし始めてから購入した車はどこにでもある軽のライトバンですが、私は「稲妻号」と名付けて愛用しています。大型車と比べてパワーは劣りますが、燃費はいいし、大きな荷物も積めるし、山道も走れます。走行距離は22万kmを超えましたが、まだ立派に走っています。よく仲間と車で滝巡りをするときも、大きな車に乗っている仲間は、私が「稲妻号」で現れるとドッと笑います。でも、ちゃんと他の車についていけるし、消費するガソリンもずっと少なくて環境にやさしいので、とことん乗って30万kmを目指すつもりです。

環境にやさしい取り組みは、何も田舎に暮らしているからこそできるというものでもありません。都会には都会の環境に合わせた「できること」があると思います。ゴミをきちんと分別して捨てる、水の無駄遣いはしない、何でもとことんまで使う、そういったことは都会で暮らしていてもできるはず。自分の生活にどういう機能が必要か、どのようにして使いたいのか、きちんと考えてからモノを買えば長いつき合いができます。

ページの先頭へ

ものまねではなく、それぞれの地域独自のまちおこしを

熊野古道が世界遺産になってからこの辺りを歩く人たちも増えています。ゴミを落として山を汚す人はそれほどいませんが、野生の植物を持ち帰る人がいることは残念に思います。どこへ持ち帰るのか知りませんが、この辺りの植物はこの環境ゆえに育つものが多いし、鉢に入れてベランダで育てるのは無理です。ある山の斜面にだけ生息する特殊な菌によって育つ植物は、その菌がなければ、どれだけ人が手入れしても育つことはできません。山の植物はそれほど繊細です。その土地で育つ植物が他の土地でも育つとは限らないのです。

この辺りは林業が主要な産業でしたが、今は木の手入れをするにも結構お金がかかってしまうため、衰退の一途を辿っています。農業も自分たちの食べるものをつくる程度だし、それ以外の仕事は主に役場、郵便局、農協、観光産業といったところでしょう。

まちの活性化は、これさえしておけばいいというものではないし、その方法がわからないからみんな悩むわけですが、その土地によってできることとできないことがあると思います。よく他の地域の成功事例をそのまま取り入れようとしがちですが、それぞれ地域の状況が異なりますし、そっくり真似しても効果があるか疑問です。簡単に儲かる方法がないのと同様、簡単にまちおこしができる方法はありません。これは観光だけではなく農業にもいえることです。

「紀州の南高梅」は有名ですが、この辺りでもその人気にあやかって梅の栽培をしようと、山を崩して梅畑にしてしまったことがありました。しかし、気温の条件が違うこの辺りの山はそもそも梅の栽培に向いていません。収穫された梅の品質は当然よいとはいえず、売れても高値はつきませんでした。

他の地域で成功したからといってその真似をするのではなく、もう少し冷静に自分の地域の特徴を考えることが大切だと思います。自分の住む地域の特徴を分かっていない人は案外多いものですが、いろいろな人と相談したり、少し冷めた目で見てくれる人を見つけるといいでしょう。もちろん全面的に外部の人に依存するのではなく、自分たちが主体性を持って、自分が住む地域の「ここが好き」と言える部分を見つけなければいけません。それは何も美しい景色などに限りません。自分たちの生活そのものが魅力的ということもあるでしょう。観光面でいうと、人が旅をする理由は、「知らない土地へ行ってみたい」「見たことのないものを見たい」「何かを覚えたい、体験したい」といったところだと思います。日本にはそれが味わえる資源はたくさんあり、特に古いものの中に世界級のものがたくさんあります。そうした資源を見つけることからまちおこしが始まります。

また受け入れる側は、ある程度英語を身に付けておくことも必要だと思いますが、日本国中どこへ行っても英語の表記が目につくのも善し悪しです。本来、異国の旅先で少しぐらいの言葉の苦労は厭わないものでしょう。日本人が外国に行って、「安い」とか「お買い得」などと日本語で書かれた看板を見れば興ざめするのと同じです。地域の風俗や伝統など、固有の味わいを大切に残しておくことも必要だと思います。

ただ、東京、大阪、名古屋などの大都市は外国語表示を充実させた方がいいですね。関西では、早くからハングルや中国語の表記を目にすることがありましたが、東京はその点で遅れていました。かつての東京は外国人に対して、排除とまではいかないまでも大歓迎という姿勢でもなかったのではないでしょうか。

東京の新たな名所として六本木ヒルズやミッドタウンが誕生しましたが、かつて存在していた街並みが、開発のために随分様変わりしてしまったことは残念です。日本的なものを求めてやってくる海外の観光客の中には、ここは本当に日本なのかと疑う人もいるでしょう。一方で、浅草とか下町へ行くとまだいい雰囲気が残っていますし、麻布の坂道や路地は意外と緑が豊富で魅力的だと思います。

古くなるとすぐに壊して新しいものに替えることも必要でしょうが、魅力的なまちづくりを考える上で、古いものを上手に活かしていくことも考えてもらいたいものです。歴史的景観、建物、町並などはいったん壊してしまうと元に戻すのは大変困難で、それこそ自然と同じです。また、古いものを上手に活かすことは、お金の節約にもつながります。もちろん何もかも古いからいいというわけではなく、「残すことに意味がある」「とても雰囲気がある」ものを選ばなければいけません。ヨーロッパには修道院やお城をホテルにして成功しているところが多くありますが、以前、北海道にあるもともと銀行だった建物を改修したホテルに泊まったことがあります。ギリシャ風の柱や、高い天井についている窓など、内装も洗練されていて非常に居心地のいいホテルでした。今は、そうした歴史的建造物を当時のよさを残しつつ改修する技術がたくさんあります。いい素材を活かした上でのまちづくりについて、もう少し考えてみてもいいのではないでしょうか。

ページの先頭へ

国会等の移転を考える前にまずは首都機能のバックアップが先決

政治や経済など、全ての機能が東京に集中するのはよくないということで、最近は地方分権とかいろいろ言われています。しかし地方でも市町村合併後は中心地に人口が集中するなど、一極集中という面では似たような傾向がみられます。日本はそれほど面積が広くなく、交通の便はいいし、マスメディアや情報通信などのネットワークも非常に発達しています。私は機能や権力が東京に集まること自体は悪くないと思っています。

首都機能のあり方を考えるときには、国会や行政機関などの移転ということではなく、もっと別の観点から考える必要があるのではないでしょうか。私は安全や安心に対する基本姿勢を明確にし、大地震をはじめ有事の際のバックアップ機能を考えることが必要だと思います。ではバックアップする機能とは何かというと、それは国会ではなく、国を運営していくための情報機能です。国会が一時的に開催されなくても、日常的な生活面ではそれほど影響を受けないのではないでしょうか。たとえ国会がどこにあろうと、バックアップ機能はなければいけないものだと思います。

一方、東京が地震などで被災して、情報機能が麻痺してしまったら東京周辺の問題だけではなく、日本全体の大問題になります。情報は、国を動かすための基本的な要素であり、人間でいうと脳や脊髄という中枢神経系にあたります。情報機能が全て麻痺するような状態になったとき、それこそ国の運営が困難になるでしょう。もし防衛省の司令部が攻撃された場合、他の場所に司令部を移して指揮をとると思いますが、軍事的な面でも、普通に考えるとそうした意識が働きます。アメリカの場合、被災というと地震よりもテロや戦争が想定されますが、そのためにホワイトハウスの代替施設がどこか別の場所の地下につくられているという話を聞きます。

仮に首都機能を移転するとしても、これまで東京が担ってきた全ての首都機能は捨て切れないと思います。国会をはじめとする首都機能をどこかへ移転するには、とてもお金がかかります。移転といってもただ建物をつくればいいというものではありません。そこで働く人たちも移ることになります。そもそも、新しくしたばかりの総理官邸も移転に伴って引っ越すのでしょうか。現在東京にある各国の大使館や領事館をはじめ、外国との接触の場はどうするのでしょうか。移転先に大使館をつくるということになれば、これもまたお金がかかります。

首都機能の移転によって移転先の地域は潤うかもしれませんが、どこへ移転しても他の地域の状況は変わらないでしょう。高齢社会を迎え、国のお金も足りないわけですから、それだけのお金を使うなら他に使い道があるのではないでしょうか。

私は、首都機能のバックアップと首都機能移転とは別々に考えればいいと思っています。本当に国民のためを思ってお金を使うなら、まずきちんとしたバックアップ機能に手をつけるべきでしょう。私も納税者の一人として、国会をどこかへ移転するとかではなく、税金をもっと違うことに活かしてもらいたいと思いますね。

ページの先頭へ

国会等の移転の議論にあたっては国民との対話を重視すべき

国会等の移転問題については、国民との対話を重ねて議論していくことが必要だと思います。日本でインフラを整備する場合、国や自治体が住民との対話を怠り、何が何でも道路を整備するとか、滑走路を増設するとか一方的に決めてしまったばかりに、話がまとまらなくなったり、かえってお金がかかってしまったこともありました。どこでも同じようにうまくいくとは限りませんが、国や自治体の側に、「住民が納得できることが基本」という考え方があるかないかで結果が違ってくるのではないでしょうか。これまでの国や自治体はその考えが欠けていたように思います。

国民の関心を高めようとしてパンフレットを印刷しても、一つの参考資料にはなるかもしれませんが、人の心を動かすことはできません。他人に何かを知ってもらったり、納得してもらうためには、直接会って話すことが重要です。それは手間もかかるし、とても面倒なことでもあります。それでも、話を聞かせるだけの一方通行ではなく、相手の考えや心配な点も聞き、どこで折り合いをつけられるか考えることが大切です。

例えば、私の住んでいる集落では、住民みんなが集まって、このようなことをしたいと誰かが提案し、それについてああでもないこうでもないと話し合う会合を毎年開いています。あの道は補修したほうがいいとか、それなら陳情してこれだけのお金を出してもらおうとか、参加者がそれぞれの意見を伝えるわけです。不明な点があれば説明を求めることもできますし、自分の疑問を伝えることもできます。

私は、日本では国が言うことだからと、納得してしまって何も言えなくなるような雰囲気があることに違和感を覚えます。これは私がいつも言っていることですが、公務員は全て国民のサービス機関です。町の役場も市役所もそうだし、言うまでもなく警察、裁判所もそうです。全て国民のサービス機関ですから、市長や知事も上に立っているという意識を変えるべきでしょう。

国とは、いわば国民全員の集まりです。国をスムーズに運営していくために、役割分担として代表者を選んで運営を行ってもらうわけです。政治家もみんなの代表として選ばれた以上は、単に自分の意見を押しつけるのではなく、みんなの意見を吸い上げていかなければいけません。だからといって国民も、私たちが給料を出して雇っているというふうに威張るべきではありません。これからは、意識を変えてお互いが助け合える関係にしていくことが必要だと思います。

ページの先頭へ