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三惚れ(ふるさとに惚れ、観光に惚れ、伴侶・仲間に惚れ)で独自の魅力を磨き上げ、国内外に発信すべき

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前田 豪氏の写真前田 豪氏 観光プランナー

1943年東京都生まれ。1966年東京大学農学部林学科(造園学教室:大正9年本多静六博士開講)卒業。1970年東京大学農学部生物系大学院博士課程(造園学:観光計画)中退後、ラック計画研究所入社。同研究所代表取締役を経て、1990年リージョナルプランニング設立、代表取締役に就任。戦後の観光動向の2つの「山」と2つの「谷」を経験し、「不易流行」の意味を問いながら、各地の「観光からのまちづくり」をお手伝い。

立教大学観光学科非常勤講師、東京大学農学部林学科非常勤講師(観光レクリエーション論)、東京大学農学部生物系大学院非常勤講師(造園学特論)等を務め、現在は長崎国際大学観光学科非常勤講師(観光地計画)を務める。

主な著書に『日本型リゾート計画論』(日本観光協会)、『リゾート事業の地域波及効果』(綜合ユニコム)、『観光・リゾート計画論』(綜合ユニコム)、『地域交流事業のソフト戦略』(綜合ユニコム)、『これからの観光地づくりの手法』(日本観光協会)、『西米良村の挑戦』(鉱脈社)、『観光実務ハンドブック』(丸善)共著などがある。


<要約>

  • 総人口が減少に向かう中で、地域経営の観点からも観光客や交流人口を増やすことが必須との意識が高まり、各地で積極的に観光地づくりに取り組む動きが出てきた。
  • 最近は変わりつつあるが、これまでの公共団体が進めてきた振興策と観光客側のニーズとの間には大きなギャップが生じていた。観光地の振興に向けて必要なことは、活発な海外旅行経験等により日々目の肥えている観光客が本当に求めているニーズを的確に捉え、それを着実に充たしていくこと。
  • これからの観光地づくりは「三惚れ(さんぼれ:ふるさとに惚れ、観光に惚れ、仲間や伴侶に惚れ)」て取り組むことが大事。その上でふるさとの風土をよく知り、無駄なお金をかけずに、自らの努力で魅力的なふるさと・魅力的な観光地づくりに取り組むことが重要。
  • 観光地をつくることも経営することも、今は大きな転換期といえるが、これを乗り越え、観光先進国からも多くの人が訪れる観光立国を築くには、未来を担う子どもたちへふるさとの素晴らしさ、それを活かしたふるさとづくり・観光地づくりの必要性を教えることが大事。
  • 首都機能移転について、今の時点での必要性をよく考える必要がある。
  • 危機管理対策上、首都機能をバックアップしておくことには大賛成。ただ、新たに都市をつくる必要があるのか、その他のよりよい方法があるのか、十分な検討が必要。
  • 国会等移転問題を伝える対象としてのキーパーソンは30歳前後の女性。彼女たちに魅力的な住まい方やライフスタイルを提案する形で、実感してもらえる分かりやすい方法が有効なのではないか。
  • 地方は中央とのパイプを重視する発想を変え、独自の魅力を住民の参加・協力のもとで磨き上げ、それを国内外に発信していくべき。地方の人たちはもっともっと自分たちのふるさとに自信と愛着を持つことが必要で、そのテコの一つになるのがその地域を素晴らしいと思って訪れて来る観光客の賞賛。観光は「お国自慢」なのである。 

少子高齢化・人口減少に悩む地域の活性化策としての「観光からのまちづくり」の意義の増大

日本は少子高齢化に伴う人口減少が深刻な問題になっています。とりわけ小規模な町村の中には、人口減少をくい止めるどころか、このままだと半減しそうなところ、消滅の危機にある集落を抱えるところがたくさんあります。そのような危機的状況の中、地域経営の観点から観光客や交流人口を増やすことが必須という意識が随分と高まってきました。

宮崎県に人口1,400人程で、八つの集落を抱える西米良村(にしめらそん)という小さな村があります。人口はピーク時の4分の1ほどに減り、集落の中には住民の減少によっていわゆる「限界集落」(注1)となっているところもあり、なんとか活性化しようと村では平成5年から村全体を休暇村にすべく「生涯現役元気村・カリコボーズの休暇村米良の庄」という基本コンセプトで、“観光からの村おこし”に取り組んでいます。その一つが花卉栽培やゆず栽培等の人手不足を解消すべく、村で仕事をしながら滞在し、休暇と交流を楽しんでもらう「ワーキングホリデー制度」の導入です。この他、温泉開発、2箇所の道の駅(湖の駅と川の駅)、民話の宿の整備等によって交流人口が増加し、若者のUターンや定住も出てきて、このままの勢いが続けば定住人口も増える兆しも出てきました。現在のところ合併せずに“独立独歩"を選択した村では更に歩を進め、陶淵明(とうえんめい)が詠った桃源郷をモデルに、集落毎に老若男女がバランス良く元気に暮らせる、“自立自走"のふるさとづくり「平成の桃源郷づくり」に取り組んでいます(詳しくは拙書『西米良村の挑戦』をご覧ください)。

西米良村に限らず最近は各地で観光地づくりに取り組む動きが出てきていますが、その一方で既存観光地の多くは、オイルショックあるいはバブル崩壊を期に観光客数が減少しており、厳しい状況が続いています。観光市場全体としても伸び悩みの傾向が続いており、市場の若干の増加も、アメリカの同時多発テロ等の影響で一時減少した海外旅行者数が再び増加傾向(2006年迄)にあって、それに食われている状況です。

観光客数が減少し続けても、既存観光地の中には最盛期の頃の印象がまだ強く関係者の記憶に残っているところもあり、なかなか従来型の観光業を変えることができないところが少なくありません。現状を打開しようにも空間的にも財政的にも余裕がありません。倒産・廃業したところが放置されたままになっているところも多くありますし、残っているところも何とか細々やっていければいいというところも少なくありません。誰もが「このままではだめだ」という認識は持っているものの、海外旅行等によってお客さんの目は益々肥えていますから、どうすれば世界水準を目指して再興すればいいのか分からない。既存観光地の多くが、そのようなジレンマを抱えています。再開発は新規開発以上に大変なのです。

(注1)「限界集落」について必ずしも明確な定義が確立しているとはいえないが、大野晃氏(長野大学教授)の定義では「65歳以上の高齢者が集落人口比率の50%を越え、独居老人世帯が増加し、このため集落の共同活動の機能が低下し、社会的共同生活が困難な状態にある集落」(大野晃『山村環境社会学序説』(社)農山漁村文化協会、平成19年3月)を指す。

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これまでの地域振興策と観光客のニーズ(域外の人の見る目)との大きかったギャップ

最近では変わりつつありますが、これまで公共団体が進めてきた地域振興策と観光客側のニーズとの間に、大きなギャップが生じていたように思います。公共団体は「利便性」「安全性」というお題目の下で、次々と強固で重装備の国土を造ってきました。地方の中山間地域や離島などにおいても、何とか人口の定着を図り、観光客を呼び込もうと、都市並みの利便性等を実現するために各種公共事業を積極的に進めてきました。しかし、開発によって利便性はそれなりに向上したものの、その分天与の自然は無粋で無機質な空間に変わり、自然を目当てに来ていた観光客はますます離れるという結果になっています。しかし、「まだ都市に較べると遅れている」と考えている地方では、そうした格差を埋める地域振興策としてこれまでと同じような公共事業が進められていますから、依然として同じような“悪循環”が続いています。

観光行動そのものは非常に高いニーズがあり、今後世界的に見ても更に増えると考えていますが、観光行動は「どうしても何か観光をしたい」「どうしても何処かに行きたい」といった生活必需品ではありません。「そういう魅力があるならば体験してみたい」「そうしたところならば行きたい」という、自己実現型の行動なのです。「行きやすくなったから行く」のではなく、「行きたいところだから行く」のです。ですから、お金をかけて“自己満足的”なゴージャスな施設を整備しても、ご祝儀客は来てもお客さんが持続的に来てくれるとは限らず、むしろ管理費の捻出に苦しんだり、一つ一つの補助事業は小さくとも、累積した借金に苦しんでいるところが少なくありません。

これからの観光地づくり(観光地再興)に必要なことは、「今、観光地が苦しんでいるから何とかしよう」と公共事業を注ぎ込むことではなく、観光客が本当に求めているニーズを的確に捉え、それを着実に充たしていくことです。都市住民がターゲットならば、求めているのはその地域ならではの、開発によってあまり傷のついていない自然です。海外旅行等によって目の肥えたお客さんが求めているのは、外国のモノマネではなく、その地域ならではの「和」の魅力であり、世界標準を充たす上質なサービスなのです。

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観光客に負けない目の肥えが作り手・運営側に必要

今は多くの国民が海外旅行を経験しており、ある統計によれば国民の約6割が海外旅行を経験しており、その平均回数は4.4回となっています。国民の目が肥え続けている一方で、作り手側の目は、あまりにも肥えていないように感じます。旅に出る基本的欲求が「日常生活より良い想い」を求めることですから、作り手・運営側は利用者の求めている想いを実感でき、かつその一歩先(上)の空間・サービスを提供することが大事です。しかるに昨今は、民間もそうですが、行政の担当者が海外研修に行くことが極めて難しくなっているのは、深刻な問題だと思います。日本の観光地域や観光施設はかなり良くなってきたものの、いろいろな意味でまだまだ海外に学ぶ点がいっぱいあります。ヨーロッパの場合、18世紀に産業革命が起きて都市化が進み、豊かになるにつれて観光に目を向けるようになり、19世紀の半ばにはヨーロッパを中心に第1回目の世界観光革命がおきています。そうした需要に応えるべく自然環境の容量を超える大規模な施設、地元の歴史・文化に何ら関係のない珍しい施設を造り、つかの間繁盛してもすぐに飽きられて倒産し、また新たに造っては倒産するといった、我が国に先んじること約二百年近い盛衰の歴史があります。それらよって培われた知恵を持っています。日本はそうした盛衰の歴史や知恵を学ぶことなしに、「今の見かけ」を自分勝手に評価し、外見だけをマネしようとしたことが間違いでした。振り返ってみれば、高度成長期の大規模プロジェクトや大規模保養地域整備法を契機とした、欧米風大規模リゾート開発などは、そうした未熟さの典型でしょう。

また、旅行者の立場で観光地・観光施設を見るのと、「この観光地・観光施設を何とか立て直すにはどうしたらよいか」というプランナー、事業家の立場で見るのとでは全然違います。観光地計画の場合には、観光関係者だけでなく、住民に対する説得も必要ですから、単なる外観だけでなく、そうしたものが生まれてきた背景や経緯、整備費用、管理運営の仕組みや経営状況、それらを計画対象地に適用した時どうなるのか、などのことを計画的にみるわけです。

私の場合、たとえば、若い人に観光施設計画を教える時、2度目以降現地に入る場合は、計画図を描かせてから行かせるようにしていました。計画図を描いてから現地に入りますと、「傾斜が結構ある」「日当たりがあまり良くない」「風の通りが気持ちよい」「ここにある樹は残したい」とか、「ここから見ると眺望がいい」「肝心なところに送電線が見える」「見えると思った海が見えない」といったことがよく分かります。ただ現地に行って見るだけでは、施設を造り、利用した時に問題になる、そうしたことにあまり気づかないのです。まちづくりでも自分でやったことのある人と無い人では、見る目が違います。

日本の観光地で成功しているところの一つに、大分県由布院温泉があります。由布院の発展は、大正13年(1924)に本多清六博士(注2)がこの地で行った講演『由布院温泉発展策』;「温泉地の中に公園をつくるのではなくて、公園の中に温泉地をつくる」という考えが礎になっています。昭和40年代の高度成長期にお隣の別府温泉で宿泊施設が次々と巨大化していた頃、それだけの財力の無かった由布院の若手の旅館経営者たちはなんとか生き残る道を探ろうと、古文書の中から本多静六先生の講演録を見つけ、それに触発されて借金をしてまでヨーロッパの観光地を視察に行きました。彼らの凄いところは、現地の幼稚園や小学校でどのような教育をしているのかといったことから勉強したことです。ドイツの温泉地では、観光開発は「百年の計」で進めるまちづくりであることを学んでいます。彼らは帰国後、まず自分たちの地域の良さを見直し、生活を大切にした「生活観光」というコンセプトで、ふるさとづくり=観光地づくりを目指しました。由布院にある牧場の活性化を意図して「牛喰い絶叫大会」を開催したり、地域の人たちが中心になって映画祭や音楽祭を開催したり、こぢんまりとした盆地の景色を守るために建物の高さを制限したり、建築・環境デザインガイドブックを作成し、自然だけでなく隣の建物等との調和のとれた開発を進めていくうちに、国民の国内外の旅行体験の積み重ねによる目の肥えに伴って観光客数も大きく伸びていき、今では年間約400万人の観光客が訪れるまでになりました。有数の観光地になった今でも彼らは原点を忘れず、費用を積み立てて海外に視察に行って勉強を続けています。

観光地づくりにあって、行政の担当者が次々と替わってしまうことも、恒久的な良いものが出来ない原因になっています。もともと観光を専門に勉強してきた担当者は少なく、観光のことを十分に勉強するだけの時間が少ないのが実情です。ですから、たとえせっかく良い政策を実施したとしても、担当者が替わると政策が変更されることがあり、百年の計どころか、十年の計で進められていないのが大半ではないでしょうか。観光地域づくりはふるさとづくりの延長線上にある、本来百年の計で進められるべきものなのです。その意味でフランスの政府の行政機構として観光というセクションが出来てからほぼ100年後になりますが、今年の10月に観光庁が出来ることは快挙と言えます。

(注2)1866(慶応2)年、武蔵国南埼玉郡河原井村(現在の埼玉県菖蒲町)生まれ。東京山林学校(現在の東京大学農学部)卒。その後、ドイツ・ミュンヘン大学に留学。日本最初の林学博士となる。日比谷公園などの設計、国立公園の設置に尽力し、「日本の公園の父」と称される。

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これからの観光地づくりのキーワードは「三惚れ(さんぼれ)」

国土交通省の「ビジット・ジャパン・キャンペーン」の取り組みも悪くはありませんが、外国人旅行者数が増加した(2006)といっても、実際に増加したのは中国、香港、台湾、韓国からの旅行者だけで、他の国は減少している(!)ことを考えることも大事ではないかと思います。先進観光国からは今の日本はあまり見る所がないと思われているのかもしれませんね。アレックス・カー氏の、「素晴らしい日本なのに、どうして道を踏み外すのか?」という慟哭のような『犬と鬼』(2002年、講談社)が影響した(!?)のかもしれません(この本は激辛ですが、一読する価値はあります)。

では、日本の観光地は全く救いようがないのかといえば、私はそうは思いません。救いようがないどころか、将来は先進観光国からのお客さんを含めて、大きく伸びる可能性を持っていると確信しています。日本にはそれだけの魅力的な資質があり、かつて日本は欧米から来日した知識人を瞠目させた美しい国土を造ったという伝統があります。たとえば、アレックス・カー氏に先立つこと140年前、幕末の英国初代公使オールコットは、『大君の国』で日本の手入れの行き届いた農村の風景を賛嘆し、英国自慢の庭づくりと引き比べ激賞しています。また、明治5年(1872)に来日したイギリス人で、近代観光業(今でいうところの旅行代理店)の創始者トーマス・クックは、「日本の豊かな自然の恵み、次々に移り変わって終わることを知らない景色の美しさに呆然とした」とあります。この他にも多くの来日外国人が日本の美しさを喧伝してくれており、その当時日本の美しさは世界に鳴り響いていたと言っても過言ではありません。アレックス・カー氏が指摘するように、大分国土が傷つけられてきましたが、まだまだ多くの魅力が残されていますし、傷ついてところも時間が掛かりましょうけれども、修復は可能と考えています。

そのためには これからの観光地づくりは「三惚れ(さんぼれ)」、「ふるさとに惚れ」「観光に惚れ」そして「仲間や伴侶に惚れ」て取り組むことが大事です。以前ニューヨークが「アイラブニューヨーク」というキャンペーンを行いましたが、日本も「日本回帰」というか、まずは足元の良さを見直すことが必要だと思います。

そして「補助金で観光施設を造って観光客を増やす」のではなく、水不足に悩んでいる国では考えられないような自然の清流そのものを楽しむとか、小さなまつりを地域住民と一緒に楽しむとか、美しい眺望を見ながら朝どれの野菜や魚で美味しい朝食を楽しむといった、その地域ならではの素材の良さでお客さんを惹きつけるべきです。世界的に人気が高まりつつある日本料理のように、素材を活かすわけです。たとえば、東京では再開発が盛んですが、東京都にも秩父多摩甲斐、富士箱根伊豆という2つの国立公園があるわけですから、まず自然の美しさを住民や都民に十分に伝え、それを守り、美しい自然と共生している生活ぶりを世界の人たちに見せることが外国人旅行者を増やす上でも重要ではないでしょうか。たとえば、富士箱根伊豆国立公園にある大島では防風機能をはじめ、炭材、油採取、花枝木として全島的に椿が植えられており、約300万本あると言われていますが、そうしたことをどれだけの都民が知っているでしょうか。大正14年(1925)に植物学の泰斗牧野富太郎博士をして「東海の花彩島」と言わしめた素顔の美しさが今なお健在なところに着目し、入島客が昭和48年以来減少し続けている観光の再興のため、「ツバキ花数え」が島民運動として始まっています。本当に300万本あればギネスブックものですし、これで弾みがつれば次は約180万本あると言われるオオシマザクラの花数えも始まりましょう。こうした過程でいろいろな大島の良さを、改めて再認識するのではないでしょうか。「ふるさと再発見」です。

また、地元の農林漁業や商業、工業等との連携による魅力創出もこれからの課題です。個人客をターゲットにすれば「地産地消」は十分可能ですし、安全で新鮮な食材を使った料理は、宿泊旅行の最大の目的ですから、コスト高も充分クリア出来ると思います。「単に見る旅」から「暮らすような旅」の時代になり、町歩きや野歩き等の魅力も高まってきていますから、集落の佇まいそのものも観光対象になってきました。その意味でこれからは従来の観光対象だけでなく、地域の総合力で勝負していくべきでしょう。観光地づくりから観光地域づくりです。

その時の主役は地域住民です。計画案の作成段階から住民に参加して貰うと共に、その実行にあたっても住民を巻き込み、住民自らが汗を流して造り、運営していくことが望まれます。前述した西米良村では村営の温泉施設も造りましたが、人口が1,400人しか無く、近くに大都市もない小さな市場ですので、採算を考えるとできるだけ経費を抑える必要がありました。そこで、手間の掛かる(外注すれば費用の掛かる)風呂の清掃は翌日の早朝とし、それも一番風呂を“自分のご褒美"とした「朝風呂会」を結成し、地域住民にお願いすることにしました。最初は小さな村故に“義務的なボランティア"意識もありましたが、今では自分たちしか味わえない一番風呂を楽しみとして、平成11年の開業以来5つのチームが今も同じメンバーで活動を続けています。小さな自治体の場合、たとえ行政側が施設整備を行うにしても、その維持・運営に関しては住民が自分たちのこととして関わっていく意気込みと喜びを持つことが大事です。そうした熱い想いが訪れた人の心を打つのです。

そうした観点で見ますと、日本にはまだまだ観光対象がいっぱいあります。これを「三惚れ」で丁寧に磨いていけば、その土地のファンを着実に増やすことが出来ましょう。それがまた住民を元気づけ、さらに磨かれていき、更にフアンが増えるという好循環を創り出すわけです。こうした運動が全国で展開すれは、かつてのオールコットやトーマス・クックのように、世界中に「日本フアン」を大勢生んでいくことでしょう。

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百年の計で魅力的なふるさとづくり・魅力的な観光地域づくりを進めるために、子どもたちに一流の観光教育を

ある意味では今が大きな転換期といえるでしょう。この転換期を乗り越えるには教育が極めて重要です。それも、今観光業に従事している人たちへの実践教育もさりながら、未来を担う子どもたちへのふるさと教育・観光教育が重要です。「宮崎県観光の父」といわれた故岩切章太郎氏がふるさとづくりに目覚めたきっかけの一つは、中学生の時に聞いた新渡戸稲造氏の講演だったと言われています。実際、子どもたちにふるさとの良さを教える風潮が少しずつ芽生えてきています。宮崎県では、観光教育の一環として子ども向けの『宮崎副読本・わたしたちにできることってなあに?』を作成して全県下の小学校4年生から中学生に配布していますし、大分県の由布院でも中学生用の教材『ゆふいんの子どもたちに贈るまちづくりの本』として、本多静六先生の講演要約を英文併記で掲載したものを作成しています。私も宮崎県の教材づくりに携わり、子どもたちへ観光の意義等について教えましたが、その教材には副読本のタイトルにあるように、「観光とは旅行業やホテル、旅館を営む人だけではなく、私たち一人一人が取り組むふるさとづくりのことでもあるんですね」という一文が光っています。

また、観光とは「光(その地域の佇まい)を観る」と同時に、「光を示す」ことでもあるのです。上記の副読本にヒントを得て、宮崎県日南市の油津中学校では、ふるさと教育の一環として、2006年修学旅行先の京都駅前でふるさとの良さをPRする「ぼくら観光隊」という活動を行い、その模様がテレビにも取り上げられました。翌年は更にパワーアップし、神話の寸劇を披露した他、自分たちで作ったふるさとPRのパンフレット(下敷き)をアンケート回答者に配っています。これに刺激されて、同じ宮崎県日南市の鵜戸中学校では、従来は観光客が遊ぶ場と認識されてきた目の前の「海」を自分たちも楽しもうと、正規の体育の時間にサーフィンを取り入れました。それからというもの、「今日はサーフィンができるかな」と子どもたちが毎日海を見るようになり、次第に海にも表情があることに気付くようになったそうです。西米良村では、子どもたち全員が神楽舞に取り組んでいます。そのように子どもたちにふるさと教育を行うことで、ふるさとの素晴らしさ、それを磨くことの大切さを気づかせ、それが若者の定着、Uターンにもつながってくるのではないかと思います。

行政が今やるべきことは、百年の計でふるさとづくりを進めるべく「ふるさと再発見」であり、子どもたちへの観光教育です。時には国内外の一流の文化人の話を聞かせて上げたいものです。

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首都機能移転の必要性をよく考えるべき

観光レクリエーションの観点からみて、都市は緑や観光レクリエーション空間が少なく、渋滞にしばしば巻き込まれる劣悪な交通環境ですから、国民がより充実した観光レクリエーション活動を享受できるようにするためには、人口を分散させることも必要ではないかと、一時期考えていたことがありました。ただ、今の時点では、国民あるいは都民の一人として、更には観光プランナーの一人として、首都機能移転は実感が湧きません。東京の住環境が今も劣悪であることに変わりはありませんが、手近な観光レクリエーション機能が不足しているか、またその不足感が非常に強いかというと、そうではないと思います。次世代やその次の世代の頃には変わってくるかもしれませんが、住環境の悪さと利便性、現状での観光レクリエーション機能の充足度等を比べてみて、それらを手放してまで地方に行く人はそれほどいないのではないでしょうか。別な言い方をすれば、そうした点を勘案して地方での魅力的な生活を描ける都市住民は、そう多くはないのではないでしょうか。

3大都市圏(東京、大阪、名古屋)の人口は日本の総人口の半分を超えていますが、それだけの人口を適切に分散させるのは大変です。地方に受け皿を造ること自体も難しいし、闇雲に造れば地方の良さがなくなってしまうでしょう。そもそも地方に人口が少なくなってきたから分散しなければいけないという発想はおかしいし、むしろ今の状態を踏まえ、住む魅力、そこでの仕事(糧の得方)を創り出していかなければ、動かないと思います。地方では大きな工場での仕事や公務員の仕事は少ないかもしれませんが、本当にやりたいとなれば観光業もおもしろいと思います。

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首都機能のバックアップには賛成。ただその方法は十分な検討を

危機管理対策上、首都機能をバックアップしておくことには大賛成です。それだけで首都機能移転を進めるべきだというのはどうかと思いますが、さりげなく国が取り組んでくれることはありがたいと思います。ただ、昔は大掛かりなものだったコンピュータも今ではとてもコンパクトになっています。完成した頃には時代遅れになるようなバックアップの方法だとどうしようもないですから、バックアップのために新しく都市までつくる必要があるのか、それとも国民が納得できる他のやり方があるのか、十分に検討しなければいけません。

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移転の目的が実感できる分かりやすい情報の工夫を

今、全国の観光地で団塊の世代の誘致に力を入れています。その団塊の世代の観光行動の特性として、好奇心が強く、話題になったところにはわっと押し寄せる傾向が指摘されています。目下、最も旬な観光対象である「宮崎県庁ツアー」もお孫さんを連れた地元の方とか、遠くから来たと思われる団塊の世代が目立っています。彼らは新聞雑誌、テレビ等はよく見ますから、メディア情報はしっかりキャッチしています。その一方でまだ充分にインターネットを使いこなせず、最も信頼できる情報源は自分の娘や息子といった調査結果もあり、彼らが「良かった」、「良さそう」というアドバイスによって旅先、宿泊先を決めることが良くあるそうで、身内の情報は重視されるようです。

国会等の移転問題も、国民一人一人へダイレクトに伝えることができればいいですが、信頼できる人たちを経由して情報を伝える形も考えられるのではないでしょうか。住まいでも旅先を決めるときでもそうですが、決定権はいろいろな意味で女性にありますから、情報伝達のキーパーソンは、未婚、既婚を問わず、30歳前後の女性に的を絞ることも有効ではないでしょうか。そうした女性から見て、納得できる情報をインターネット等で提供するわけです。

バックアップ機能や一極集中の話にしても、役所言葉ではなく、「分かりやすさ」を心がけ、「おしゃれに」「おもしろく」が実感として伝わるようにすることも大切です。「首都機能移転」といった言葉ではなく、住まい方のメッセージやライフスタイルを提案し、結果として首都機能移転の目的が伝わるやり方がいいのではないでしょうか。30歳前後の女性は賢くて、着実なステップを重視しますから、「東京一極集中よりも分散がいい」と頭で理解してもらうというより、「それならできそうかも」「そのほうが良さそうかも」と、実感してもらえる伝え方をしなければいけません。

あとは、教育です。どういうところで、何をしながらに住むのかという住まい方から教育していかないと、分散は進まないと思います。もっとも、これは一人一人がどのように生きていくかを教えることでもあり、なかなか大変なことでもあるのですが。

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地方は中央とのパイプを重視する発想を変え、独自の魅力を磨くことが大事

大阪も含めてなぜ地方の会社は、何故東京本社をつくってしまうのでしょうか。地方も独自の文化を持っているわけですから、もっと誇りや自信を持って頑張っていくべきです。食べ物、人、人情もそれぞれ違うからこそいいのだと思います。今でも都道府県単位で一応分散しているわけですし、相も変わらず「東京集中で、地方はお金が無い」と訴えるばかりではなく、経済的尺度に頼らず「自分のところはこれだけ魅力的だ」と訴えていくべきではないでしょうか。現状では、地方はお金だけでなく知恵も東京に追随し、自分たち独自の魅力を磨いていこうという発想が足りないと思います。地方はできる範囲内で、「大阪のほうが文化的にはおもしろそう」「宮崎のほうが住みやすいそう」と、国民に思わせるような(他の地域が嫉妬するような)魅力を、毅然と、そして着実に発信していって欲しいと思います。

地方分権が先か財源の移譲が先か分かりませんが、国が東京一極集中是正とか首都機能移転を前面に出す前に、東京一極集中の問題、あるいは地方分散の魅力について一人一人がきちんと考えることが大事だと思います。その結果、あらまほしき住まい方の実行方法の一つとして、首都機能移転も浮かび上がってくるかもしれません。ただ、その頃にはもう分散が進んでいるかもしれません。いずれにしろ、時間がかかると思います。オーストラリアの首都キャンベラは、1925年に決定した都市計画に基づいて都市づくりに取り組み、1988年の新国会議事堂の完成を持って現在の姿になっています。その根気よさ、息の長さはすごいと思います。全員で決めたことであれば息の長く続けることも必要ですが、合意のないまま首都機能移転をずっと頑張るというのもどうでしょうか。かつて必要と思ったことでも、今はその必要性が無くなっているのかもしれません。

これからは中央とのパイプを重視する発想を変えていく必要があります。今のように、地域振興を図るために中央からお金を持ってくることに注力している限りはだめだと思います。依然として、中央とのパイプの太さが議員さんの評価につながり、それを中央も地方も離そうとしない。道州制もいいかもしれませんが、形ありきではなく、「へその緒」的な双方の依存体質、仕組みを変えていくことが必要ではないでしょうか。そのためにも地方の人たちがもっと自信を持つことが必要で、その一つのテコとなるのが、その地域を素晴らしいと思って訪れてくる観光客だと思います。その賞賛が地域住民を勇気づけ、更なるふるさと磨きに力が入り、更に人を惹きつけ、一部は移住に結びつくという好循環を築くことだと思います。「観光はお国自慢」だと思っています。

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