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国土の「大掃除」−地方都市は伝統ある美的景観をいかし、東京は規制緩和で再生をめざせ

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アレックス・カー氏の写真アレックス・カー氏 東洋文化研究者、株式会社庵 会長

1952年アメリカ生まれ。日本には1964年に初来日。エール、オックスフォード両大学で日本学と中国学を専攻。1973年に徳島県の祖谷(いや)で購入した民家の茅葺き屋根の葺き替えを完成させるなど田舎の再生活動に取り組む。1977年から京都府亀岡市に在住し、京都を始め日本各地で文化講演、執筆活動などを続けている。1984年から1993年まで、アメリカの不動産開発会社トラメル・クロー社の日本代表。2003年株式会社庵を設立、京町家ステイと日本の伝統文化体験研修事業を開始。

国土交通省大臣・外国人から見た観光まちづくり懇談会委員、国土交通省・美しい日本の歴史的風土100選選定委員会委員、YOKOSO!JAPAN大使、長崎県北松浦郡小値賀町の観光まちづくり大使などを歴任。

著書に『美しき日本の残像』(新潮学芸賞)、『犬と鬼』『日本ブランドでいこう』など。

<要約>

  • 1970年代終わりごろから、世界的には古い建築物を大切に保存するまちづくりが一般的になってきた。しかし、日本では残念なことに古い街の破壊が進んでいる。人々の意識、ゾーニングの未確立、景観保護のためのルールや支援の未整備などが原因。一方で、新しい街にも「新しさ」が足りない。
  • これからの国づくりにあたっては、公共事業を見直して、景観を阻害する看板、鉄塔、電線、あるいは使い古した建物を一掃するなど、国土の「大掃除」が必要。
  • 美的景観が経済的メリットをもたらす時代になった。地域の伝統をいかした観光ビジネスで地方は生まれ変わるはず。
  • 公共事業として首都機能を移転するよりも、思い切った規制緩和を通じて東京の再生に力を入れるべき。大掃除もできていないのに、首都機能移転という「鬼」の開発をすべきではない。

世界の潮流は古い建築物の保存へ

1970年代の半ばまで、日本も含めて世界のほとんどの先進国は、古い建築物に対して破壊的なまちづくりを行ってきました。例えばニューヨークにはペンシルベニア駅(通称ペンステーション)、グランドセントラル駅という二つの大きな駅があります。このうち「アールデコの傑作」とうたわれたペンステーションの駅舎は1960年代に取り壊され、今はもう、入り口がどこにあるのかさえ分からない、本当につまらない建物になってしまいました。そういう例は世界中にあるのです。

確かに、古い建物は、現代的な設備・施設をいろいろ取り入れないと、そのままでは住みづらい面もあります。また、経済が発展途上の間は、人々は車が欲しい、冷蔵庫が欲しいと新しいものを取り入れることを望み、古い生活様式はどちらかというと邪魔に思っていました。しかし、物質的にある程度豊かになった1970年代の終わりごろには、人々はいったん壊してしまうと二度と取り戻せない古い建物の美しさに気が付き、大事に保存しようという動きが始まりました。

ニューヨークでは、グランドセントラル駅を建て替えようというプランがあったのですが、ジャクリーン・ケネディ・オナシスなどが反対運動のリーダーになって、ぎりぎりのところで回避できました。だからグランドセントラルの駅舎は今も立派に残っていますね。ワシントンDCのユニオンステーションもそうでした。また、ニューメキシコ州のサンタ・フェという美しい街の破壊が進んだときも、ぎりぎりのところで人々は「いや、これは違う」と気がつき、それ以降、市内には新しい建物は銀行であれ何であれ、アドビ建築様式(注1)で造ろうということになり、いろいろな法律が整備されたんです。

残念ながら日本は、そのころからほかの先進国とは違って「古い街は一刻も早くつぶした方が美徳」という方向へ行ってしまいました。きれいな石や海岸や川があれば「古くさい」「危ない」といって壊してしまいコンクリートで真っ平らにしてしまう。そういうことが先進的なんだという思いが変わらなかったのです。そういう発展途上国的な考え方は、今でも変わらずにありますね。

アレックス・カー氏の写真京都の街に出てあたりを見回してください。新築の家の中には、イエローやピンクの外観のものもあります。これは「私たちは現代人だ」というプライドの表れなんですね。「古くさい京都にとらわれたくない」というメッセージなんです。しかし、これは発展途上国的な考え方ではないでしょうか。外部の人から見ると、歴史的な街の中にイエローやピンクの家を建ててしまうというのは、逆に古くさい、かわいそうだというふうに見える。決して「新しい」とか、「前進している」とは受け止められないでしょう。

一方で、古い町家を守るには、制度面での支援も必要です。アメリカやヨーロッパでは、文化遺産的な家に住み、大事にしてくれる人に対しては税制上優遇される場合があるんです。そうでなければ、一等地の古い町家は守りたくても守れないですよね。このような制度が無いために、貴重な建物が失われてしまったのは、本当に残念です。

(注1) 粘土に藁などを混ぜた日干し煉瓦を積み上げ、漆喰で塗り固めて壁をつくる伝統的な建築方法。古代中近東や北アフリカ、北米などで多く使われた。

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ゾーニング不在の日本の都市

もう一つ、都市計画のゾーニング(注2)の問題も重要です。パリ郊外にはラ・デファンスという地区があります。大都会パリとしては立派なビルもあってほしいじゃないですか。そこで、地区を分けて、ラ・デファンスに高層摩天楼ビル街を造りました。そうすると、パリ旧市街の中にはそういうビルを造らなくて済む。京都については、例えば、京都駅より南の地区には70階建てのビルを建てるとしても、そのかわりに、旧市街にはきちんと古い家屋を残していけばいいんです。

日本の古い街は、火事や地震などで、どうしても家が朽ちていくし、壊したり、造り直したりは避けることができません。京都で築100年以上の家はほとんど無いと言えるでしょう。ヨーロッパの多くの街も、どんどん造り直しているんです。しかし、新しいものを建てるときには、周りの景観と調和した形にしてきている。そういうことをもし旧市街でやっていたら、京都は観光面でも文化面でも、もっと栄えたでしょう。

例えば、今、京都の西陣の町はでは、西陣織の店が15年か20年前のおよそ1割にすぎない。その原因は、京都の人たちが自分たちで着物の似合わない街をつくってしまったことにもあります。人々が着物を着なくなり、西陣織が売れなくなるのも、ある意味では仕方がないことでしょう。

世界の古い街、例えば、パリの旧市街、ニューヨークのグリニッジ・ビレッジ、ニューメキシコ州のサンタ・フェ、サンフランシスコのきれいに保存された街などは、不動産物件として非常に値打ちがあり、高級住宅街になっています。ですから、昔から住んでいる人たちにとっても大きなメリットになる。しかし、きちんとしたゾーニングをしないで、中途半端なまちづくりをしてしまうと、1坪幾らという「駐車場価格」で終わってしまいます。

結局、京都はわずかに古い建物が残っただけで、しかもばらばらな場所にあるため、街を散歩する楽しみさえ無いですね。残念ながら、これが京都の現状なんです。日本では本当の意味のゾーニングの技術が、まだ確立されていないようです。

(注2) 都市を小さな地区に分割し、それぞれの地区に対して、あらかじめ用意された土地・建物の利用形態に対する制限を適用する方法。

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まちづくりに求められるルール

先ごろ、中国雲南省の麗江(リージャン)という街に行ってきました。山の中の街ですが、何千軒という木材建築のかわら屋根の家並みが広がっていて、京都などとは比較にならないぐらい観光客でにぎわっています。実は10年ぐらい前は、麗江の街の真ん中に、日本にもよくあるコンクリートの箱型のビジネス街があったんですが、それを全部壊して、古い形に造り直したのです。そうすると、ほかの街ときちんと調和することになりますね。そういう思い切ったことをできるのは、中国は日本と状況が違うからだと思いますが、一方で、日本は建物や土地の所有権に対して、民主主義を少し誤解しているところがあると思います。

アレックス・カー氏の写真中国はもちろん、ヨーロッパ、アメリカでも、家に住んでいるとか土地を持っているということは、必ずしも絶対的な権利ではない。例えばアメリカは、歴史的な街のみならず普通の郊外の住宅地でも、垣根や壁の外観などについてかなり厳しいルールをたくさん設けています。そういうルールが伴っての所有権なんです。アメリカではそれが当たり前ですが、日本は残念ながら、日常生活あるいは景観などに大きく関係するルールはゼロに等しいですね。

景観法が出来たといっても、京都ではいつでも簡単に古い町家を壊して駐車場に出来る、壁をピンクやイエローにしたかったらどうぞご自由に、ということになっています。京都でさえそうだから、ほかの街は話にならないくらいごみごみと汚くなってきました。その意味では、現在の日本は率直に言ってかなり深刻な状態だと思います。

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これからの国づくりの在り方――「掃除の時代」がやってきた

ここ20年近く、日本全国を回っていてつくづく思うのが、公共事業の問題です。良し悪しは別として、日本はある程度それに依存するようになってしまったことは事実でしょう。それならば中身を変えて、本当に国のためになる公共事業にすべきです。

今までの公共事業はダム、道路、護岸、トンネル、埋め立てに関する工事が中心でしたが、今の日本に求められているのは「大掃除」だと思います。看板、鉄塔、電線、使い古しただれも使わない倉庫や工場、あるいは古くなってそろそろ建て直さなければいけないようなビルなど、そういうものは全部撤去することが必要です。アメリカはこの数年は、数百のダムを撤去したんですよ。国としてやらなければならない大掃除、いわば「掃除の時代」が来たと思います。

去年、高校生の男の子が2人いるアメリカのファミリーが京都の私のところに訪ねて来ました。夜に来て泊まって、次の朝、外に出たその高校生が「へえ、面白い。インドみたいだね」と言ったんです。「どこがインドなんだい?」と聴くと、彼の頭の中では、頭上に電線が網を張っているのは発展途上国だという発想があったわけです。確かに、世界の先進国で電線を地中に埋設していないのは日本だけで、アジアでは、シンガポール、クアラルンプール、上海一のビジネス街などでも埋設しているのに、日本でそれがあまり進んでいないというのは恥ずかしいことです。電線の埋設も「大掃除」の一つと言えるのではないでしょうか。

それから看板ですね。看板を規制したところは、日本にはほとんど無いですね。ハワイは50〜60年前から大型ビルボード(広告掲示板)を全部禁止しています。ニューヨークもブロードウェイ以外は、2階より上には絶対に看板を建ててはいけません。看板がなかったら経済効果はどうなるのかとよく聞かれますが、ニューヨークもハワイも、看板がなくてもちゃんと経済が潤っています。その辺もまた、日本の感覚は古いと言えます。その一つの原因として、日本人の美意識は、街に看板があるのが当たり前、電線があるのが当たり前と思い込んでしまっていることが挙げられます。だけど、街がピシッときれいになったときには、みんなのプライドがよみがえるんですよ。

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観光ビジネスの成功が地方を救う――美的景観は経済のもと

東京や京都と違って、地方には高齢化による過疎の問題があります。日本は大体1年に1%ぐらい人口が減っていくと言われていますけれども、全国一律にそうなっているのではなくて、東京、大阪、京都、神戸などの都会では逆に人口が増えていますし、逆に都会から離れたところは、信じられないスピードで人口が減っています。過疎に苦しんでいる地方を救う方法は、やはり健全な観光しかありません。しかし皮肉なことに、「経済効果」や「経済発展」の名の下で、もともとあったすばらしい観光資源を公共工事が平らげてしまった地方は、年々寂れていくばかりで、今となっては救いようがありません。

私は今年から、長崎県の離島・小値賀(おぢか)の「観光まちづくり大使」を務めていますが、小値賀は公共工事による観光資源の破壊が余り行われていなかったために、逆に大きなチャンスが巡ってきました。日本や世界から来たお客さんが、一晩で5万円、10万円を惜しまずに平気で払っていきます。観光のパワーはすごいですよ。これからは世界的に成功する観光地と、とことん駄目になっていく観光地との差が更に付いていくのではないでしょうか。競争が激しくなるから、すばらしいところだけが勝つと思います。

今までは景観や自然保護というものは耽美主義者のぜいたくで、「経済原理にはなじまない」という見方がありましたが、今、美的景観は経済のもとです。それによって稼げる時代に変わったのです。これは大事なポイントだと思います。小値賀も徳島県の祖谷(いや)も京都も、観光ビジネスをどうしても成功させる必要があります。そうでないと、いつまでも国や自治体からの補助に頼ってしまって、独り歩きできません。だから観光ビジネスで成功して初めて、地方が生まれ変われると思います。

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まちに「新しさ」が足りない

日本は古い街の保存ができていませんが、反対に、新しい街をつくることはうまくできているでしょうか。例えば中国は、上海などで立派な新しい街をつくりあげ、この10年で世界の新名所ができたと言っても過言ではない。では、東京駅前の再開発はどうかというと、ブロック型を少し高くした程度で、全くつまらない街になってしまいました。注ぎ込んだ資金は巨額かもしれない。しかし、それだけのお金を使っても、上海のような大胆なまちづくりができなかった。

かわいそうなことに、東京はアジアの中でもかなりつまらない街になってしまいました。六本木のミッドタウンなども頑張ったと思いますが、訪れる人が「すごい、自分たちは21世紀に、世界の大都会に住んでいるんだ」と心が弾むような街ではありません。世界には、上海のような、あるいはニューヨークや、アブダビのような、すばらしい街がたくさんできているんですよ。その中で、日本は取り残されてしまっています。つまり、古い街の保存だけが問題なのではない、新しい街に「新しさ」が足りないんです。今の日本の「新しい街」は、世界的な感覚で本当に新しい文化と言えるのでしょうか。建物のデザインなども、1970年代ごろから凍り付いてしまったような気がします。

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東京の再生は規制緩和から始まる

東京が再生するためには、まず、容積率、建ぺい率を思い切って考え直すことが必要でしょう。特に、公開空地を取るというシステムは大失敗なんですね。かつてニューヨークでは、建物をセットバックしてビルの前に広い面積を取るということは、非常にいいこととされていたわけです。でも、思い切ってセットバックしたニューヨーク6番街は、人通りが少なくがらがらです。一方、5番街は建物が歩道ぎりぎりまで建っていて、いつでも人でにぎわっています。広いところに高層の建物がぽつん、ぽつんとあるというのは、やはり間違いだということをニューヨークは学び、今はそういう建物を建てさせないことにしています。いったん作ったルールが失敗だった、効果が思うように出なかったという場合は、思い切って考え直す必要があるんです。

アレックス・カー氏の写真また、日本の街には日照権によってビルの形に制限があることが問題です。これからはもっと融通のきくルールにしないと、古い街の保存が難しくなるのと同時に、新しい建物も面白い設計ができなくなるでしょう。

東京では、日照権、公開空地、容積率などを抜本的に考え直さないと、再生は到底できません。容積率、建ぺい率が何%と計算して、全部一律に決めるのは簡単ですが、東京ではそういうルールを緩和してもいいのではないか。日本の公共事業にはオンボタンはあるけれども、オフボタンがありません。だから、場合によっては大正時代から変わっていない、いろいろな決まりを一度見直すことが必要ではないでしょうか。

東京の場合は、古い街うんぬんというよりも、新しい街としてどうするかを考えなければいけません。特に、1960年代から70年代ごろに造られてきた建物の建替えの時期が、これから10年、20年ぐらいの間に来ます。そのために、前もっていろいろなシステム作りなどを考えておくべきでしょう。

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首都移転機能よりも東京の再生を

首都機能がどこに移されたにしても、東京の問題点は変わらないでしょうし、移転先では広い面積のきれいな山などをつぶしてしまうことになりかねません。首都機能移転には公共事業のメリットがあるだけで、それ以上の効果はほとんどないと思います。したがって首都機能移転よりも、東京の再生に力を入れるべきです。国が大変な赤字を抱えているのに莫大な金額の公共事業をやるよりも、東京をもっときちんとした形で、もっと快適に住めるように美しく、そして開けた都会として再開発する方がよい。人口密度はパリ、ロンドンでさえ東京を上回っているのにもかかわらず、いろいろな再開発は、まだ本当に思い切ったことが出来ていない。やり方によっては東京をすばらしく変えることができると思います。

今の日本はすっかり汚くなって見苦しく、先進国としては恥ずかしい状況になっています。ところが、「大掃除」ができていないのに、またどこかへ新しい首都を造りましょうと言っている。『犬と鬼』(注3)で言えばまさしく「鬼」の開発そのものです。なぜそんなことをしなければいけないのでしょうか。

ミャンマーが首都を移したのは御存じだと思いますが、ミャンマーは軍事政権で、国の経済が毎年どんどん悪化していく中で、ほとんどだれも聞いたことがないような、ピンマナ(現名称ネーピードー)というところに首都を移しました。つまり、ミャンマーは国政に行き詰まったために、国民の関心を首都移転に向けさせ、国政への批判を緩和しようとしたのです。ですから私は、日本の首都機能移転について「ピンマナをつくるな」と是非言いたいのです。

(注3) 中国の古典『韓非子』の故事。皇帝が絵師に「描きやすいもの、描きにくいものは何か」と尋ねたところ「鬼のような奇怪な想像物は描きやすい、犬や馬のようにありふれた動物はかえって描きにくい」と答えたという。ここからカー氏は著書『犬と鬼』で、長期的・基本的な問題の解決(犬)を避けて、巨大なモニュメント建設(鬼)に安易に金をつぎ込む風潮を批判している。

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