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「首都機能移転を日本のアイデンティティ確認の契機に」


佐伯 啓思氏の写真佐伯 啓思氏 京都大学 大学院教授

1949年生まれ。東京大学経済学部卒業。東京大学大学院経済学研究科理論経済学専攻博士課程修了。広島修道大学商学部講師、滋賀大学経済学部助教授を経て現職。

主な著書に「優雅なる衰退の世紀」、「ケインズの予言」、「アダム・スミスの誤算」、「『アメリカニズム』の終焉」、「現代日本のイデオロギー」、「『市民』とは誰か」、「現代民主主義の病理」など多数。



構造改革は本当に必要だったのか

最初に首都機能移転に直接的には関係がない、しかし間接的には関係があるであろうことからお話させていただきたいと思います。それは現代の日本の状況をどのように考えればいいのか、国家像を考えるために今われわれはどういう認識をもっていれば良いのか、といったことです。

ご存じのように 1990年代の10年間は失われた10年と言われ、日本の経済社会全体が非常に低調であったと評価されています。その原因はどこにあったのかということについて、一般的な意見は次のようなものです。日本の経済社会構造はグローバルな情報化時代に立ち後れてしまっている。なぜなら、キャッチアップを目標として行政主導型・官僚主導型の経済、個性より集団の調和を重んじる組織運営、十分に市場競争が展開されないような経済構造がつくられてきた、これらがグローバルな情報化時代に合わなくなったからで、これを変えなければ日本の経済社会の停滞はいつまでも続く、という議論です。失われた10年というのは、したがって同時に日本の社会経済構造を根本から変えるという構造改革論の10年でもあったわけです。

ところで、この間を振り返ってみますと、成長率で見る限り 93年を底にして景気は少しずつ回復し、96年頃には成長率はかなりのところまでもどっていました。ところが経済がよくなってきているまさに94、95年あたりから構造改革論が強く唱えられるようになる。そして橋本政権が誕生して経済改革、行政改革、財政改革をまず断行する。その背後には改革論に対するジャーナリズム、世論の非常に強い後押しがありました。そして実際に規制緩和がそれなりに実行に移され、物価も下がりだします。その後98年に金融の自由化の総仕上げが行われます。そういう流れの中で経済は急速に悪くなっていくのです。表面的に見れば改革論が唱えられて、改革が実行段階に移ってから経済は急速に悪くなっていったのです。

そのことについていろいろな解釈の仕方、議論の仕方がありますけれども、経済構造改革が経済の悪化と何らかの形で関わっていることは間違いないと思います。それは当然のことで、構造改革が実行されれば完全雇用を維持してきた日本型経済システムも崩壊してゆくし、失業も増える。弱小企業はつぶれるだろう、金融機関もつぶれるかも知れない、といった不安が出てくるわけです。企業は先行き不透明で大きな投資はしなくなるし、消費者は将来に備えて物を買わなくなります。つまり内需はおきてこない。

そうすると今、構造改革というのは本当に必要だったのか。あるいは、どのような改革が必要なのか。そのことを今からでも遅くないのでしっかり議論すべきだと思うのです。グローバル化と情報化が進展するのは事実ですけれども、グローバル化と情報化の中で日本の経済構造全体を社会構造まで含めて変えていく必要があるのかということです。そのことについてまともな議論はほとんどありませんでした。出てきた議論はもともと内外価格差で日本の物価がかなり高いということです。ニューヨークと比べると日本は非常に住みにくい、またコスト高になって競争上不利だという議論です。日本の物価が高いのはなぜか。それは規制が行われているからだ、あるいは昔からの取引慣行があって自由競争が行われていないからだ、というような話です。こういうような話から始まって規制緩和、価格破壊、経済構造改革という話につながっていった。グローバル化と情報化という流れの中で日本の社会をどうするのかという将来ビジョンと絡んだ形で構造改革論が議論されたことはまずなかったと思います。そのことこそが大きな失敗だったと思います。

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グローバル化、情報化とナショナル・アイデンティティ

規制緩和、構造改革、グローバル化・情報化への対応は確かに長期的なトレンドではあるし、それに日本経済がある程度適応していかなければいけないということもよくわかります。しかしそのマイナス面もまた大きく、そのマイナスの面を強く受けるのは地方都市であり、またコンビニ文化やアミューズメント文化に容易にとりこまれる少年少女たちなのです。そこにしわ寄せがくるわけです。

グローバル化・情報化の流れがすでにわれわれの生活を浸していることも事実で、確かにグローバル化・情報化というのは世界的な文明の趨勢です。それはそれで当然一つの条件として受け入れざるをえません。しかし問題はグローバル化や情報化が迫っているからそれを無条件に取り入れるというように考えるのと、この潮流にいかに対処するか、つまりわれわれにとってどういう形で情報化やグローバル化が必要なのかを議論すること、その二つは全く違うのです。

世界は今や情報化・グローバル化に向かっているから日本もそれに遅れてはならないという議論もわかりますが、それが唯一の考え方でもない。そうではなく、情報化・グローバル化がわれわれにマイナスのものも含めて何をもたらすのか、それが社会構造をどういうふうに変えるのか、文化をどういうふうに変えるのか、その文化の変化は受け入れられるものなのか受け入れられないものなのか。そういう議論こそが本当に必要な議論だと思います。ところがそういう議論はほとんど見られません。

一般的な趨勢でいえば、冷戦以降の 10年間は一方で確かにグローバル化・情報化が進行している。そういう意味で世界は巨大なマーケットに近づいている。そういう動きは確かにありますが、それと同時にもう一方では、国とか地域がそれぞれ独自の特性、アイデンティティあるいは歴史的なものをどういうふうに引き受けるか、自分たちの独自の歴史性をいかに再構築するか、そういう課題に直面している。グローバル化の時代とはあらゆるものが均一化し、情報やモノの自由な移動の中で国境が消えていく時代ではなくて、同時にその国のアイデンティティ、あるいは独自性に対する関心が高まる時代なのです。日本は世界に対してそういう独自のものを発信できるのか。そのことこそが重要になっているのです。

地方分権ということが声高にいわれていますが、改革騒ぎの数年間のなかで地方の個性は崩壊しつつある。今まで静かだった郊外に大規模店舗ができ、その隣にゲームセンターができて、近くに大規模なマンションができる。多くの地方都市でこの種のことが起きました。地方の独自性を持った場所はほとんどなくなってきています。それは当たり前なのです。規制緩和と市場競争原理で日本の国全体を覆ってゆけば、地方の個性などというものは簡単には出てきません。規制緩和を無条件によしとするのではなく、何を規制緩和して何を規制強化すべきかということを議論すべきだったし、どこまでを市場に委ね、何を市場から隔離するかを議論することこそが必要だったのです。地方の安楽、環境、昔ながらの商店街などを含めた文化などは市場競争にさらすべきでないと思います。どういう国土をつくるのか、日本社会をどういうものにしていくのか、その大きな方向についての見通しこそが必要だった。そのことこそが根本的な議論で、構造改革や経済改革の話はあくまでその手段です。

日本は今、ナショナル・アイデンティティがどこにあるのかわからなくなってしまっている。ある人たちは情報化・グローバル化への急速な適応を説きますが、その意見が国民の大多数に支持されるとは思えません。かといってフランスのように誇るべき伝統的な文化があって、これを保守すべきであるという強力な文化的アイデンティティも持っていない。そういう一種の空白状態に置かれている。その空白状態の中にグローバル化・情報化が入ってきて、世界の潮流だと言われると、それに反対する言葉を持たないわけです。しかも日米関係の中でアメリカからの強い要求がある。このような状態におかれていること、しかもそのことについての確かな自覚がないことが今日の最大の問題だと思います。ナショナル・アイデンティティといった場合には、当然国土計画にも関わってきますし、日本というもののビジョンにも関わってきます。日本の伝統的な社会構造はいったい何なのか、日本人にとっての文化的な生活スタイルはいったい何なのか、日本人の持っている美意識とはいったい何なのか、そういうものについてもう一度ある程度は自覚することが必要だと思います。そういう観点から首都機能移転の問題を考えてみたいと思います。

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説得力に欠ける移転の理由

どうして今首都機能移転をすべきなのかについて資料をみてみました。正直言いまして私はこの問題に対して特に強い意見は持っていません。ただ客観的な立場から見ますと、移転すべきであるという理由はあまり説得力がないという気がします。一方、移転しない方がいいという立場はあまり説明する必要がないのです。現状でそれほど問題がないではないかといえばそれで済む話で、東京が大きくなりすぎたとか不効率だという話があるかも知れませんが、そんなに著しい不都合がなく動いているのだとすれば、現状維持の側は特に理由を提出する必要はないわけです。ですから移転する側が非常に強いビジョンなり理由を持ち出さないと首都機能移転はうまくいかないのです。

いくつかの理由が挙げられていますが、まず一つ目は新しい日本につくり変えなければならないということです。この議論が念頭に置いているのは改革論をもっと推進するために、その一環として首都機能を移転する。改革の流れの中で移転し、それによって新しい日本につくり変えるのだという意見だと思います。これまで私が話してきたことからおわかりいただけるように、改革の流れの中で首都機能を移転するという考え方に私は反対です。改革の流れを推進するために首都機能を移転するというのは話が違うと思います。経済構造改革がそれなりに理由があるとしても、それと首都機能移転は別に結びつく必要はないことですから、あまり説得力がありません。

2番目に地方分権を推進できるという意見があります。先ほど申し上げましたように現在の改革論の中で行われている地方分権は本当の地方分権にはなっていない。しかも東京に物事が集中しているのにはそれなりの理由があるのです。端的に言えば、地方がみなミニ東京化をめざしているからです。日本の近代化は東京を中心にして、地方の都市化という形でなされた。新幹線や高速道路によって東京への移動性を高め、地方そのものもミニ東京にする。それが戦後日本の近代化の方向ですから真の意味での地方分権はなかった。それならば東京一極集中で構わないのです。

情報化時代になるとインターネットでつながれるので顔を合わせる必要もなくなり地方分散的になっていいではないかという議論もありますが私はそうではないと思います。そういう部分もあるでしょうが、情報には集積効果があります。人と人が実際に顔を合わせなければならないこともありますし、物が実際に移動しなければならないこともある。一般的に市場競争が激しくなればなるほど集積する効果の方が強いのです。東京に集中することにはそれなりの理由があるのであって、そのことからすると地方分権説も説得力に欠けるように思います。

また東京の過密を解消するという問題はあるのかも知れませんが、一方で東京の過密を解消すべきといって、他方では首都機能が移転しても東京はそれほど落ち込まない、今まで通りですというのでは、議論の仕方に説得力がありません。東京の過密を解消するというのであれば、移転して東京の人口が減って、経済活動の水準も多少落ちるという必要があります。

地震防災の話はあまりよく分かりませんが、それは一つの理由だろうと思います。あらゆるものが東京に集中して大地震が起きた場合にあらゆる機能がストップするというのは大変なことですから、それは大きな理由になります。しかしそれならば首都機能は東京の近郊にいくつかに分散させておけばいいということにもなりますし、移転するのは行政機能だけではなく経済機能もだということになるはずで、やはり説得力に欠ける面があります。

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新たな日本のアイデンティティをつくる機会に

そうすると首都機能移転の理由を強く主張できるとすれば、グローバル化、情報化の流れの中でこの 10年間にやってきたことを含め、戦後日本のあり方をもう一度見直し、その中で日本の伝統的な文化なり歴史性に根ざしたナショナル・アイデンティティを再構成してゆくという意識を国民全体に高めていく。こういう運動として首都機能を移転するということではないかと思います。一言でいえば戦後50年から60年に関する反省の上に立って、その中から新しい日本をつくるということです。新しい日本をつくるということは、グローバルな情報化社会を前提としてもう一度ナショナル・アイデンティティを構築してゆく。「現代」という時代の中でよい意味での伝統や歴史性に根ざした文化なり生活様式を構築する突破口にする。そういう意味で首都機能を移転するのであれば、私は納得できます。

首都機能の移転には2つの考え方があります。一つは単なる行政機能の移転という考えです。これはそれほど大がかりなものを考えているわけではない。今の東京にいろいろ集中しすぎているから、行政・政治機能だけをその近接地域に分散移転する。それはあくまで機能だけの移転であって、常に東京と連絡を取り合いながらやっていくというもので、機能主義的というか合理主義的な立場です。もう一つは日本の全く新しい顔、世界に誇れるような新しいビジョンをつくるのだという立場です。そして新しい時代を日本が迎えるための国家事業にするという考え方です。

その2つの考え方からすると、私は後者の立場に立ちたいと思います。行政府が移転する、あるいは政治の中心が移転するということは本来は大きな国家体制の転換なり政治機構の変換なりを伴ったわけです。ですから民主主義国家で首都機能を移転するということは相当難しいことだと思います。革命が起きたり独裁的な指導者がいる場合は可能かも知れませんが、民主主義的な国家で民主的な手続きを経て首都を移転した例は少ないのではないでしょうか。いろいろな利害が一度に入ってきて、その調整が絡んでくると魅力あるものもできなくなってしまいます。しかしそれを敢えて行うとすれば、戦後やってきたことをもう一度見直して、それとは違った理念に基づく社会へ進むのだという強い意志が必要でしょう。そこには当然ながら強力なリーダーシップが必要なことは言うまでもありません。

憲法改正と並行的に進めるのも一つの方法だと思います。憲法調査会が5年をめどに答申を出し何らかの形で憲法改正の議論が進むと思います。憲法改正というのは国家のあり方を見直すことですから、それに関連して大きな意味での国土計画もそこで立て直すという形にすれば、国民の関心も集まってくると思います。

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新しい研究機能・行政・皇室を中心にした都市

先ほどから私は改革論に対して厳しいことをいっていますが、日本の経済構造の改革が全く必要ないと考えているわけではありません。構造改革は必要だと思います。どういう意味で必要かというと、これから高齢化社会になり人口成長率がマイナスになる。人口成長率がマイナスならば経済成長率はゼロでも構わないわけです。それでも一人あたりの生活水準は多少でもよくなっていきます。そういう社会に日本の社会を置き換えていかなければなりません。そういう低成長で安定した社会にどうやってソフトランディングしていくかがこれからの課題です。それはやみくもに市場競争をする社会ではありません。情報化を進めれば実現する社会でもないのです。高齢化しても老人がゆったりと過ごせる、若者たちがコンビニに集まったり深夜にぶらぶらしていないでもう少し生の意味を感受できる、こうした文化や地域や家族の姿をどう再建するのか。そのことこそがこれからの日本の課題です。

新しい首都をつくるとすればそのモデルになるような都市にすべきだと思います。そのためには行政的な規制や計画によって文化的なものを保持するような都市にしなければなりません。何が日本の伝統文化に根ざしたものなのかは、具体的な場面で出てくるだろうと思います。例えば日本の伝統的な建物は超高層建築ではなく、どちらかといえば低層、中層で、周辺は緑に囲まれている。そういうことが作業をする中で確認されてくるでしょう。

人口に関していえばヨーロッパの中規模都市は一番適正な規模だと思います。それを一つのモデルにして核になる部分に 20万人〜30万人くらい、そしてその周辺部に20万人〜30万人くらいの人口を配置する。そして政府・行政とバイオ、医薬品、遺伝子工学、環境といった先端的な研究機関、さらには文化を中心とした人文系の研究機関や博物館を持ってくる。先端的な研究には相当な資金を投資して海外から研究者を呼んできてクラスターをつくる。そのクラスターと政治行政機能を結びつけるようなことを考える。それからあえていいますと日本の伝統的文化のシンボルとして、皇室も同時に移転するべきだと思います。そして新皇居を作り、皇室と行政機能、新しいタイプの研究機能を中心にした都市づくりを目指すべきだと思います。

首都機能移転とははなれても、これから一番重要なのは大規模都市の近郊にある中規模都市をどうやって蘇生させるかでしょう。情報関係の企業を地方都市が誘致してそこに職をつくりだしていく。そうすれば 20万人位の都市で比較的完結した街ができます。ただそのためには相当強い行政的なリーダーシップが必要です。地方都市の強力なリーダーシップと住民の意識とそれをサポートする経済界の協調が必要です。そういう方向でできれば、自然に日常生活に根ざした愛郷心も生まれ、生活環境や都市そのものを守っていきたいという機運も出てきます。それが結果的にナショナル・アイデンティティのようなものになっていくのではないでしょうか。

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