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『共生』の理念を実現する遷都を


賀来 龍三郎氏の写真賀来 龍三郎氏 キヤノン株式会社 名誉会長

1926年生まれ。1954年九州大学経済学部卒業、同年キヤノン(株)入社。経理部長、人事部長(兼任)を経て1972年に取締役に就任。その後常務取締役を経て、1977年代表取締役社長に就任。1989年代表取締役会長。1997年取締役名誉会長。1999年より名誉会長。

1989年より6年間経済同友会副代表幹事を務める。1985年藍綬褒章およびフランス政府よりレジオン・ド・ヌール勲章受章。1998年勲二等瑞宝章受賞。著書に「新しい国造りの構図」「日本の危機」(いずれも東洋経済新報社)。



首都機能移転の実現には理念が不可欠

私はもう20年も前から遷都の必要性を主張している一人なのですけれども、10年前に決めた国会移転決議については、反対とまでは言いませんけれども、あまり意味がないのではないかと考えています。はっきりとした国家理念を掲げることなく、東京が混むから、地震があると大変だから、という理由だけでは首都機能移転を実現することは難しいと思います。私の遷都論はそうではなく、「世界との共生」という新しい理念を持った国家を造るために、遷都を契機に構造改革を進めていきましょう、という提案なのです。

私は1980年ごろから、日本は新しい国家目標を持って、21世紀に向かってやっていかなかったら、もうどうにもならなくなると感じていました。それで、当時私が言い出したのは、徳川時代からの歴史をさかのぼって国家理念を見直してみようということです。

徳川時代はどういう理念であったかといいますと、徳川将軍家を維持し、安定した社会を築こうというのが、あのときの国家理念でした。参勤交代にしても、御三家の制度にしても、徳川時代の政治・社会システムがすべて徳川将軍家を永遠に存続させるための制度だったわけです。その結果、250年間、戦争のない平和な時代が続きましたが、この優れたシステムも結局、制度疲労が来ました。士農工商の階級で一番下にあった商人が、カネを持って実権を握るようになり、一番上の大名や武士達が最も貧乏になったため、社会の秩序を維持することが難しくなったのです。そこに外圧が加わって、明治維新になっていくわけです。

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一国繁栄主義の終焉

その明治維新は何だったのかといいますと、薩長が徳川幕府を倒したという見方もありますけれども、根底には、近代日本をつくろうということがあったのではないかと思います。ですから、明治以降の国家理念もはっきりしていた。250年鎖国をしていた遅れを取り戻し、欧米の先進国に追いつき追い越そうという一国繁栄主義が至上命題になったのです。徳川時代は大名が300人もいて、地方分権であり、中央集権ではなかった。これを中央集権体制にしようというのが、一番大きな変革だったのです。
「追いつけ、追い越せ」のために、産業も盛んにしなければいけない。産業を盛んにするためには、官営八幡製鉄所や官営富岡製糸場をつくり、日本の産業はしだいに充実していきました。
一方、兵制改革、学制改革が行われ、明治22年に憲法をつくり、翌年から国会を開催し、近代日本の「追いつけ、追い越せ」のシステムがどんどん整備されていったわけです。しかし、昭和に入ると、富国強兵の強兵だけが先行してしまった。そして日本は遅ればせながら世界の帝国主義の仲間入りを果たすものの、最後は太平洋戦争を起こし、1945年に終戦を迎えた。これが一つの節目だったのです。戦勝した連合国側は、当初日本を近隣諸国より貧しい農業国という形で再建復興させようとしました。たまたま朝鮮動乱をはじめとする東西冷戦が起きたおかげで、日本は再び産業による富国の道を歩み出すことができたのです。
終戦から20年以上たった1968年に、それまでの「追いつけ、追い越せ」の一国繁栄主義は完成しました。ちょうど100年前が明治元年に当たりますから、明治100年にして一つの時代が終わったといえるでしょう。

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新しい時代の国家理念は「世界との共生」

そこで、私が盛んに言ったのは、新しい方針を出さないといけない時期になった、もう「追いつけ、追い越せ」の時代は終わったのだから、次の方針は何かということを、日本国民は考えないといけない、特に政治家は考えないといけない、ということを主張しはじめたのです。では、どういう方針があるかというと、徳川一家主義、日本一国主義を経て、世界主義、つまり「世界との共生」しかないというのが私の考えでした。

「共生」とは、「人種、宗教、文化の違いを問わず、すべての人類が末永く共に生き、共に働いて幸せにくらしていくこと」です。今の世の中は、人類がこの地球上に存在できるかどうかもわからないぐらい追い詰められていると思います。東西冷戦が終わったとはいえ、民族・宗教が違うことによる争いが世界中にあります。環境問題は深刻で、温暖化がどんどん進んでいます。ごみの問題でも、日本中で捨てるところがなくなってきています。こういう問題を実際にどう解決するかを考えたら、今から全力を挙げて着手しなければ解決できないと思います。日本が国をあげて「世界との共生」を図り、世界の人たちと一緒に問題の解決に取り組むことが求められていると思います。

19世紀、20世紀の帝国主義は、力で外に行くということを主義とする狩猟民族的な思想によって引き起こされました。しかし21世紀は、日本が本来持っている共生の思想が重要になります。これは農耕民族にある思想です。自分の畑は自分で効率よく耕す、しかし、よその畑まで侵略はしない、そして、水利権など話し合いで解決しながら、お互いに生産を上げていく。これが共生の思想なのです。

日本は共生の国家理念を発信していきましょう、そして、日本が率先して共生の実行者になって、日本の共生の思想を紛争地域の調停に活かしたり、環境問題にも大いに取り組む、そうやっていかなければ地球の将来はありません、ということを言い出したわけです。

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共生の理念を実現するための構造改革

「世界との共生」を国家の理念と決めたら、次にそれに基づいてどのような構造改革を日本国内で行わなければならないかという問題が出てきます。これについて、私は4つの指針を提案しています。1つ目が「官主導から民主導へ」、2つ目が「生産第一主義から生活者重視へ」、3つ目が「中央集権体制から地方分権体制へ」、4つ目が「知識偏重教育から創造性・倫理道徳教育へ」です。これまでの官主導、生産第一主義、東京一極集中、知識偏重教育は、いずれも「追いつけ、追い越せ」の時代には非常に有効なシステム、構造でした。しかし、新しい時代に新しい理念を達成するためには、新たな構造が必要なのです。

1つ目の、官主導から民主導へ変えるための具体的な方策は、民間にできるものは徹底的に全部民間にやらせることです。1府22省庁を1府12省庁にしても、それだけでは何の行政改革にもなっていないと思います。本当の行政改革というのは、民間ができるものは全部民間にやらせて、官がすべきことのみを官に残しておく。これをやらないと、行政改革にはなりません。企業改革も必要です。政官財の癒着構造にどっぷり漬かっているのが日本の企業・産業界の現状です。これを自己責任原則に変えなければなりません。国民の意識改革も必要です。実はこれが一番難しいのです。行政改革や企業改革は、例えば、国の総理大臣や企業の社長が、これからやりましょうと号令をかければ、すぐできる問題です。国民は1億2000万人もいて、意識改革に持っていくのは時間がかかると思います。

2番目は、生産第一主義を生活者重視の国に変えようということです。生活者重視の国に変えるうえで大切なことは、内外価格差を解消すること、少子・高齢社会への対応を真剣に考えること、国民が安心して生活できる社会に変えていくことです。

3番目が、中央集権体制から地方分権体制へということです。これは、江戸時代に逆に戻らないといけない。中央集権体制で日本は「追いつけ、追い越せ」の目標を達成し、ものすごく成果を上げたことは認めます。中央集権体制だったからこそ、「追いつけ、追い越せ」ができたのです。しかし、これからは、また地方分権体制に入って、中央省庁をスリムにしないといけないと思います。

4番目はちょっと変わりますが、教育改革をしないといけないということです。今までの教育というのは知識偏重教育で、いわゆる偏差値教育だったわけです。これでは新しい時代には通用しません。「どの本にも書いてないのでわかりません」ということでは、行き詰まってしまいます。知識偏重教育ではなくて、自分で考える教育をしていかなければいけないと思います。もう一つ失われたものが倫理・道徳教育です。「正直であれ」「うそをつくな」など、基本的なことはしっかり教えることが必要です。創造性を豊かにする教育はどうあるべきか、倫理・道徳教育はどうあるべきかという観点から大々的な教育改革を今こそやるべきだと思います。

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遷都を構造改革の契機に

国家の方針が変わるときには、絶対に遷都をすべきです。旧来の日本のやり方で、そのままの延長線上にいるというやり方は取るべきではありません。新しい理念に基づいた新しい時代の都(みやこ)をつくるべきです。お金がかかろうがかかるまいが、それは絶対条件であると思います。その代わり、縦割行政の中で不要不急の公共投資にまで一律に予算をつけているような現状を打破し、不要なものは止めることが必要です。

「世界との共生」という理念に基づいて構造改革を行う際、その契機となるのが遷都だと思います。遷都によって、外交、防衛、通貨管理など最低限の行政機関だけを新首都に設けることにすれば、中央省庁の職員の数は今の5分の1くらいで済みます。あとの5分の4は地方の行政機構に移すのです。その際、ただ移すのでは、行政改革になりません。地方分権を強化するには、道州制の導入が必要です。地方分権を現在の47都道府県のままで行おうとしても、従来の中央の仕事や権限がそのまま委譲されるので、難しいと思います。明治維新の時に300あった諸藩を1使(北海道開拓使)3府72県に統合再編したときのように、全国を10の道州に分けるような大行政改革を行うべきです。

首都機能を300キロ圏内に56万人を移転しようという今の議論は、非常に近視眼的で今だけを見たやり方だと思います。抜本的に日本をどうしようかというやり方でないところに、あまり賛成できないのです。本来やるべき遷都はそのようなものではないと思います。移転場所の選定にも時間をかけ過ぎです。どこに移転すべきか、優秀な官僚を10人各省から出して、箱根の山に1週間程こもって、どこがいいかを検討させて、それで出てきた結論に従うと言うことでいいのではないでしょうか。それで総理大臣がそこにしますと決めれば、一遍に決まってしまいます。ですから、場所については、私は九州でもいいし、中国地方でもいいし、また近畿でもいいし、北海道でもいいと思っています。

大切なのは、新しい理念を持った国家を造るための、構造改革を行うための遷都でなければならない、ということだと思います。

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