ホーム >> 政策・仕事 >> 国土計画 >> 国会等の移転ホームページ >> 国会・行政の動き >> オンライン講演会 >> 国づくりのプラットホームとしての首都機能移転

国会等の移転ホームページ

国づくりのプラットホームとしての首都機能移転

講演の一部を音声でお聞きいただけます

(注) 音声を聞くためには、Windows Media PlayerまたはRealPlayerが必要です。
Windows Media Playerのダウンロードページへ real playerのダウンロードページへ


逢坂 誠二氏の写真逢坂 誠二氏 ニセコ町長

1959年4月24日生まれ。北海道ニセコ町出身。

1983年北海道大学薬学部を卒業後、ニセコ町役場に勤務。企画観光課企画広報係長、総務課財政係長を経て1994年退職。1994年10月にニセコ町長に初当選。(当時35歳での町長就任は、全国最年少)。以後、3期連続当選(現在3期目)。

就任以来、求めてから知らせる「情報の公開」から一歩踏み込み、いかに役所の情報を伝え、町民の声を汲み上げるかを意図する「情報の共有」を施策の柱に置くなど、新しい試みを行っている。また、2000年には「情報共有」と「住民参加」を2大原則とする「まちづくり基本条例」を全国にさきがけて制定している。

主な編著書に『町長室日記 −逢坂誠二の眼』(柏艪舎)、 『自治体再生へ舵をとれ』(学陽書房/共著=福岡政行編)、『わたしたちのまちの憲法−ニセコ町の挑戦−』(日本経済評論社)、『逢坂誠二の決断〜今もなお吹くニセコからの変革の風〜』(共同文化社)など。



「お任せ民主主義」からの脱却

今の時代の転換点は、直近でいうと1985年のプラザ合意にあると思っています。プラザ合意以前の社会とそれ以降の社会では、やはり随分大きく変わったのではないでしょうか。それ以前の社会は、日本の中で民主主義、あるいは自治というものが確かに制度として保障されてはいたのですが、どちらかというと「お任せ民主主義」ではなかったかと思っています。中央集権的な手法、あるいはリーダーやある種の専門家に頼って国をつくってきました。地方もまたそうだったのだろうと思います。

現代の社会から見ると、こうしたことは悪しきことと言われているようです。しかし、日本の戦後改革を見れば、非常に意義のあることでした。中央集権という大きなエンジンが国民全体を引っ張ることで、日本の国はとても速いスピードで戦後復興を成し遂げ、経済規模においても世界第2位の国になり得たのです。国民生活の点においても、早い時期にある種の安定を手に入れる一つの大きな力になったのだろうと思います。

その時代を一つの契機としながら、この国は少子化や経済の停滞によって必ずしも以前と同じではなくなってきました。経済が停滞すれば、財政面においても不安要素が増えてきますし、少子化によって社会の質も変わってきたということです。人々の考え方も、従前と同じように皆が一つの方向を向いていて、十分な議論をしなくても賛成するというようなことはなくなってきました。国際的な立ち位置も、戦後復興というレベルでは「日本は戦争が終わって混乱があったから」というある種甘えのある見方をされていたのですが、今は自立した1つの国家として果たすべき役割を果たすことを強く期待されるようになってきているということで、時代は随分変わったのではないかと思います。

こうした状況を見たとき、1985年以降、日本には本当の意味での民主主義というものが必要になってきているのではないかと思います。本当の意味での民主主義とはいかなるものかというと、他人に依存する民主主義、私がいうところの「お任せ民主主義」ではなく、自立した市民が国家の諸課題について自発的に考え、責任を持って判断をするということです。「お任せ民主主義」のことを「観客民主主義」と言う人もいます。本来プレーすべき国民がスタンドでプレーを見ていて、フィールドに出てこないということです。そうではなく、フィールドに出ることがこれからは大事なのではないでしょうか。

ページの先頭へ

民主主義の源泉としての自治活動

民主主義がしっかりと強くなっていくことは非常に大事なのですが、一足飛びに「民主主義を大事にしよう」「みんなできちんと考えよう」と言っても、簡単に機能するものではありません。民主主義を動かしていくのに重要なのは自治ではないかと思います。これは私だけが言っているわけではなく、19世紀の半ば、フランスのトクヴィルが「民主主義とは自治の問題である」と言い切っています。しかも、トクヴィルはそのときに「学校、地域、会社などの組織の自治をうまくやっていく力が国民にあれば、国家全体の民主主義もうまく動かしていける可能性が高まる」と言っています。それから、トクヴィルの少し後に、イギリスのブライスも同じようなことを言っています。ブライスは「自治は民主主義の学校だ」という言葉で有名ですが、ほかの言葉の中で「民主主義の源泉たる自治は」とも言っています。要するに、民主主義というものは、自治がなければ生まれ得ないと言っているわけです。源流のない川がないのと同じように、ブライスの言葉を借りれば「自治のない民主主義はあり得ない」ということではないかと思います。ですから、時代の転換点、新しい国づくりをしなければならない今こそ、自治の活動というものが非常に重要になってきているのではないかと思うのです。

なぜ自治の活動が大事なのかというと、自分で直接見たり、リアリティを感じることのできる共同社会や物事の存在というものがなければ、人間は抽象的で縁遠いものについて本当の意味で心を込めて活動したり、判断したりできないのではないかということがあります。このことは、福沢諭吉や石橋湛山も既に気がついていました。石橋湛山は、「自分たちの生活の身近に利害を感じることのできる自治の存在があって初めて、地域の政治が自分たち自身のための政治たり得るのだ。」と言っています。そして、身近さやリアリティというものがどうしても必要だと言っているわけです。国家全体の民主主義を強くしていくには、それをいかに実践していくかによるのではないかと私は思います。

ページの先頭へ

「よらしむべし、知らしむべからず」から情報共有へ

ニセコ町では、自治を動かす原動力はやはり情報だろうということで、情報公開や情報共有を積極的に行っています。情報公開、情報共有というと何となく高尚に聞こえますが、単に皆が実態を知るとか、事実をきちんと把握できるということです。自治の入口としては、それでいいのだと思います。

情報公開ということを狭義で捉えれば、行政の持っている文書、あるいは情報を求めに応じて出すということになります。「求めてからもらう」というイメージがあるわけです。しかし、行政には、求められる・求められないにかかわらず、常に情報を準備しておく必要があると私は思っています。必要に応じて、それを市民が使えばいいということです。

例えば、ニセコ町の予算書は地方自治法の定めに基づいてつくられているわけですが、市民が見ても何をやるのか全然わかりません。そこで、ニセコ町では予算の説明書を全戸に配布しています。そこには、道路工事でいえば、Aさん宅からBさん宅までの道路工事をしますという絵地図が書かれています。そして、工事費が幾らであって、北海道の負担が幾ら、借金が幾らということまで書いてあるわけです。これは誰も求めているわけではありません。しかし、役所として情報を出すことによって、いろいろな問題意識を持ってもらえる。それが、ニセコ町における情報共有です。

「よらしむべし、知らしむべからず」という言葉がありますが、古い時代はそのとおりで、情報を外部に見せない、シャットアウトしていました。それから一歩進んで、求めに応じて情報を公開するということになりました。ニセコ町は情報共有で、求められる・求められないにかかわらず、行政が常に情報を整備しておかなければならないというようにしています。その先にあるのが、情報の利活用です。共有した情報をもとに市民がどういう問題意識を持って、次に何を考えるか、どういう行動をするかということが大事になるのではないかと思います。

「私はこう思う」という問題意識が心に芽生えることによって、次の行動につながっていき、自治の動きも活発化していく。そして、自治の動きが活発化するということ集合体として、日本の民主主義全体が強くなっていくのだと思います。それは町や村だけでなく、東京都内の町内会や小さなコミュニティ、あるいは各地で行われているお祭りなどについてもあてはまります。それらはその地域だけのことではなく、実は国家全体を見通す大きな要素なのだろうと思っています。

ページの先頭へ

市民が動き出すきっかけ

ニセコの場合、市民が動き出すきっかけというのは、まず地域の実態を知るということでした。今までは、地域のことは誰かに任せておけばいいということで、自分たちは関わらなくてもいいと思っていた。しかし、時代が変わるに従って、同じ市民の中でも違う価値観を持っている人がいるということになってきました。例えば、街路をきれいにするということは、皆が賛成します。しかし、小さな商店街などで昔からかかっているようなピンクや緑の造花を飾ってきれいにするということについては、「景観創出の手法としてよい」と思う人もいれば、「そんなものは陳腐だ」と思う人もいる。いい地域づくりをしたいと思っていても、考えの違う人がいるわけです。

市民が「役所に任せていても、利害や価値観の調整はできっこない。我々自身が意見をぶつけ合わなければ、無責任な結果にしかならない」と気づくということが1つのきっかけになったと思います。それに気がつくことによって、どういう地域をつくりたいのかについて議論する。結論は簡単に出ないから、また議論する。その繰り返しの中で、緩やかな基盤のようなものが醸成されていくわけです。それが、物事を進めていくある種の雰囲気づくりとして大事なのではないかと思います。

そして、雰囲気というものができ上がると、次にトリガー(引き金)を引くことが必要になってきます。ニセコでトリガーとなったのは、町の中に黄色い大きな橋ができたことでした。この橋は皆が望んでいたことではあるのですが、「あの橋だけができて、立派で便利になっても、ほかのところは全然だめじゃないか」という声があがりました。それが街路整備のトリガーになっているわけです。

ですから、我々が地域を考えなければならないという雰囲気の醸成とトリガーというものがあってはじめて、地域が動いていくのではないかと思っています。

このことは、国政全体についても置き換えて考えることができると思います。問題を自分の手元に引き寄せることができるのであれば、リアリティを持って国家全体を見通せるのではないでしょうか。首都機能移転を考えるときも、それを身近なものにすることが重要だと思います。そして、日本が今のような仕組みをとっていることによるプラス効果とマイナス効果について、1人の目線ではなく、幾つかの目線で議論する。G7でもG8でもいいのですが、世界の国々との比較をしてみるのも良いと思います。それによって国土がどのようになっているかを知るということも大事なのではないでしょうか。

ページの先頭へ

リアリティ、身近さの重要性

今の日本には、国家全体でリアリティや身近さという概念、感覚というものがあるかというと、どうも違和感があるような気がします。例えば首都東京を考えたとき、東京には確かに様々なものが集まっているのですが、東京に住まない人間にしてみれば、あそこは一種のマスクされた特殊なエリアになっています。東京という特殊なところがあって、それ以外の地域は「その他」という感覚を持っているわけです。東京以外の人にとってみると、東京で起きていることは全て特殊なことであって、「あれは東京のことである」という感覚を持ってしまうのではないでしょうか。ですから、東京だけに物事を押し込めるのではなく、それを開いていくという試みがどうしても必要なのではないかと思います。それは政治、経済に限らず、司法その他の分野においても同じことが言えるのではないでしょうか。

かつては、田舎を出て東京で一旗上げることが一つのステータスでした。それは、中央集権的に国づくりを進める段階ではよかったのだと思います。しかし、そのことによって一種のブラックボックスや市民感覚では手の届かないものをつくるという結果につながってしまったのではないかと思います。そういう意味で、民主主義を機能させるためには、機能の分散ということがどうしても必要なのだと感じます。

私はたまにドイツに行くのですが、ドイツは仮にボンやミュンヘンがだめになっても、フランクフルトやベルリンなど、他にも機能を担えるところがあるという非常に柔軟な考え方を持っています。これは、日本においても必要な考え方だと思います。ドイツでは、機能を分散することで、それぞれの都市の果たす役割をそれぞれの地域の人々が認識しています。そのことによって、国全体に対するリアリティ、身近さを自分の手元に引き寄せ、国家全体の問題を考える視点を持つことができているのではないかという気がします。

そういうことを考えると、今まで遠いと思われていた政治の世界や司法の世界、経済の世界というものも、東京に一極集中しているよりも、分散することによって手近なところに感じられるのではないかと感じます。このことは、国家全体の問題についても、身近さをもたらす1つのきっかけになるのではないでしょうか。

ページの先頭へ

分権化と併せて考えるべき機能の分散

現在のように行政機能が集中しているということは、東京1カ所に行けばすべて済んでしまうというメリットもあると思います。また、現行の権能、権限の中で首都機能を移転・分散させると、一つのことを処理するのにも、場合によってはいろいろなところに行かなければならないということになってくると思います。ですから、首都機能を分散させるのであれば、国としての機能を少しそぎ落としていく分権化ということが併せて考えられるべきだと思います。権限のレベルが身近なところに来ているということであれば、そうしたことも解消されていくのではないでしょうか。そして、自分の仕事のライフサイクルの中で一生に1回くらいしか起きないようなことについては、いわゆる本丸に乗り込んでいくということがあってもいいのかもしれません。ですから、首都機能を分散させるということは、分権化と併せて考えなければならないのではないかと思います。

分権化が必要な理由は、単に身近な問題を身近なところで処理したほうがいいという補完性の原理、近接性の原理だけではありません。日本では、経済の密度を見ても北海道と東京や大阪という3大都市圏でまったく違います。寒さ、暑さという気候条件、あるいは平地、山岳地帯、農村漁村があってというような地理的条件でも、地域によってかなり違いがあります。また、生活の面でも違いがあります。例えば、家屋の風通し度合いを見ても、暖かくて寒さをあまり気にしなくてもいいところは、窓や縁側が開いている。しかし、北海道はいかに密閉度を高めるかという家屋なわけです。そうすると、同じ近隣関係であっても、生活が見えたり、見えなかったりします。これが結構大きいのです。そういう地域の違いを考えてみても、やはり権限を分散しなければ、地域に合った行政だけでなく、各種の国民的活動もできないのではないかという気がします。そして、単に同じ価値観の中での分権化ではなく、地域によって価値を変えてもいいという考えが入り込むと、例えば道州制的な発想にもなっていくのではないでしょうか。

ページの先頭へ

多様性のある国を目指して

これからの国づくりを考える上でも、首都機能を移転することで国民が日本のよさを享受できるようになるのではないでしょうか。今は、東京以外の地域のよさを享受できない国づくりがどんどん進んでいるような気がします。例えば、九州には九州のよさがあり、北海道には北海道のよさがあるという多様性を誇れる国づくりではなく、経済合理性と集中によって東京的な価値だけがいいということになってしまっているような気がするのです。本当はそうではないのだけれど、そういったニュアンスが強くなっているように思います。

学校などはまさにそうです。昔は、都会にいても田舎にいても、みんな努力して有名大学に入って頑張るという時代でしたが、今は地方の高校からは有名大学にかつてほど入れないという時代になってきました。国民の価値は多様化していると言いながらも、学問の世界においては価値が均質化してきているわけです。同じ価値を持ち、同じ背景を持った人だけが社会に輩出される仕組みになってきている。そうすると、外敵からの攻撃や社会の変化という点においては弱くなってしまいます。犬と一緒にしてはいけないのですが、血統書つきの犬が病気に弱いのと同じです。多様性のある国家のほうが強いですし、発展性もあるのです。ですから、多様な価値を植えつけていくという意味でも、首都機能を分散させるということは大事だと思います。

世界情勢の中でこれから日本が果たしていかなければならない役割を議論するためにも、東京に一極集中していたのでは、上手い議論の手法すら見つからないように思います。首都機能の移転や分散が目的なのではなく、将来に向けた国づくりのための手段として考えるべきときが来ているのではないでしょうか。

ページの先頭へ

これからの国づくりのために

首都機能移転、国会等の移転というものは、直接的に効果のあがることをしようとしているのではないと思います。これから国をつくっていくためのプラットホームづくりだと感じます。それを、直接的な収支、収益を考えるような短期的視点で見るのであれば、マイナスでしかないと思わざるを得ないと思います。
プラットホームを作るためには、確かに最初はコストがかかります。プラットホームという言葉を「基盤」ととらえないで、「電車を乗り降りするプラットホーム」として考えてみても、同じことが言えると思います。最初につくるにはお金がかかりますが、プラットホームがなければ、電車に乗るために毎回苦労して入り口まで登らなければならないわけです。そのように考えてもらえば、プラットホームの重要性が理解できるのではないでしょうか。

ニセコ町で進めている情報共有、情報公開でも、投資したお金は結構なものですし、維持管理にもお金がかかっています。ニセコ町では、書類は簿冊方式ではなく全てフォルダ方式になっていて、フォルダの全ての項目がインターネットで公開されています。職員の研修でも、職員1人当たりに直すと結構な金額がかかっています。金がないと言っている自治体の割には、ちょっとやり過ぎだろうという声もないわけではありません。

しかし、そういうところに投資をしたおかげで、ニセコ町は物事を考えたり、推し進めていくための基本的な装備、プラットホームができたのだと思っています。

首都機能移転、国会等の移転も、直接的な部分だけを見れば、不合理だと思います。やはり、移転をした暁にはどのようなベースができて、国の方向がどのように変わっていくかということまで明示する必要があるように思います。単に投資額が多い・少ないということだけを言っていたのでは、「経済や財政が大変なときに」ということになってしまいます。そうではなく、首都機能を移転するということは、これから国をつくっていくための標準装備、プラットホームであり、それがなければ新しい時代の波に日本の国が対応し得ないのだと説得をすることが大事だと思います。投資額を5年、10年で考えるのではなく、30年、50年、100年を考えたときの基盤を今つくっておかなければ、日本は世界に伍していけないというくらいの迫力が必要なのではないでしょうか。

ページの先頭へ