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首都機能移転の意義

経済企画庁長官 堺屋 太一

首都機能の移転は必要

まず第一に、世界の中で日本が変わるときに、首都機能を移転することは必要な前提だと思います。
東京という首都は、規格大量生産の近代国家の象徴であり、そのために構造も機能もイメージが作られています。そして、それに基づいた集積がこれまで行われ、それが慣例化しています。首都機能をこの場所から移転しない限り、情報社会で通用する本当の智恵の時代は生まれてきません。
例えば、BS・CS・インターネットの急速な発展の結果、東京の集積が急速に進んでいるという事実を知っていただきたいと思います。時空間を越えることが可能な情報化時代にも関わらず、96年?98年の3年間に劇的に集中が進みました。東京を中心としてつくられた規格大量生産型の発想、慣習、構造は東京にいる限り変えることはできません。これが、日本が情報化に立ち遅れた大きな理由です。

首都機能が動けば日本が変わる

日本の歴史を見ると、あらゆる時代は首都機能所在地の名称で呼ばれてきました。奈良時代、平安時代、鎌倉時代、安土時代、桃山時代、江戸時代、そして東京時代と、首都機能の場所が変わらないと、時代は変わらなかったのです。また、首都機能が移転して、時代が変わらなかったこともありません。
江戸から東京への変化は何故おこったのでしょうか。黒船が来航した嘉永六年から文久二年の間には、大きな変化は何も起こっていません。文久二年に十四代将軍家茂と将軍後見人慶喜が京都に移り、首都機能が京都に移転しました。それからの五年間に、幕末の改革が行われたのです。維新の前に、幕府も各藩もどんどん変わり出します。新撰組や、坂本龍馬、桂小五郎らの京都での活躍はこの時期にありました。
もし、この時、家茂と慶喜が江戸におり、天皇のいる京都との二重政権が続いていたら、維新は進まなかったでしょう。従来の首都の象徴性と、そこにはり付いた人脈を断たないと、日本は変われません。これは1200年の歴史が示しています。

政治の中心と経済の中心の分離は世界的

諸外国をみても、21世紀はことごとく政治中心と経済中心が別れます。アメリカ、中国、インド、さらにEUもブラッセルが政治行政の首都になり、パリやロンドンはローカルガバメント都市になります。社交・経済の中心であっても、政治の中心ではありません。
情報技術の発達した地方分権の時代に、政治都市と経済都市は分離する流れにあります。日本がその流れに遅れないためには、東京と切り離された場所に新たな都市を造る必要があります。首都機能を移転する意義は、子孫への最大の贈り物となるでしょう。情報化時代に、政治も経済も文化も一極集中は、大きな害になるでしょう。

そろそろ英断すべきである

なお、首都機能を移転するためには大変なお金がかかるという誤解が一部にあるようです。ベルリン移転を見てもわかるように、更地での建設は極めて安価であり、東京を安全な国際都市にする最も安上がりで現実的な方法なのです。
ここ20年間、規制緩和や地方分権といった改革が唱えられてきました。しかしながら現実的にはほとんど進んでおらず、実質的にはますます東京集中が進み、関東以外は著しく寂れています。同じことをあと20年繰り返しても、この傾向は変わらないでしょう。
ここは英断をもってこの国の形を変えるときと思います。

首都機能移転の意義
経済企画庁長官 堺屋 太一氏

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