フリージャーナリスト
永井潤子(ベルリン在住)
ドイツ統一から17年、ベルリンは新首都としての装いをほぼ整えたが、まだ発展途上にあり、“新しい未完成の首都”の魅力が、内外の観光客の心をとらえるようだ。ベルリンへの首都移転後、ベルリンを訪れる観光客は年々増え続け、今年6月のホテルの宿泊者だけでも約70万人、サッカーワールドカップが開かれた去年同月に比べ20%以上もふえた。
首都移転のプロセスには、実に長い時間がかかった。ベルリンの壁が崩壊した翌1990年10月3日、東西ドイツが統一されると、ベルリンはとりあえず統一ドイツの名目上の首都となったが、その後、40年以上旧西独の仮の首都として戦後のドイツの民主化に貢献したボン(人口30万)にそのまま連邦議会や政府機関を残すべきか、ナチ時代の過去のあるベルリン(人口300万以上)に移転させるべきか、ドイツを2分しての激しい議論が起こった。1991年6月20日、ボンの連邦議会で行われた採決で、320票対338票で(当日は17票差と発表されたが、後に18票差に訂正された)、連邦議会と政府機関の主だったものをベルリンに移転させることが決定された。しかし、移転はすぐに行われた訳ではない。
ベルリン中央駅とシュプレー川
新装なったベルリンの旧帝国議会の建物で初めての連邦議会が開かれたのは8年後の1999年4月19日のことで、「世紀の首都移転」が行われたのは同年夏になってからだった。7月から8月にかけて連邦議会の他、首相府、外務省、内務省、法務省、大蔵省、経済省など主な連邦官庁が引っ越してきた。ただし、国防省、環境省、教育・研究省、保健省、食料・農業省、経済協力省の6つの省は今でも「連邦都市」ボンに残っている。
首都移転にともなってドイツと外交関係を結ぶ150カ国以上の外国大使館もベルリンに移転しなければならなくなった。日本を含むほとんどの国は戦前の大使館の改修や新築工事を終わり、新しい大使館街がティーアガルテン公園の近くに生まれている。大国の中ではアメリカがブランデンブルク門の近くに目下新しい建物を建設中である。
首都をめぐるインフラ整備としては、中央駅の完成が急がれたが、サッカーワールドカップ開催を前にした2006年5月末、政治の中心地に近い場所に“ガラスの殿堂”の中央駅がオープンした。これによってベルリンの東西南北を結ぶ鉄道網が完成し、ハンブルクやドレスデンなどへの走行時間が短縮したが、ベルリン市内を縦横に走る地下鉄が直接乗り入れていないのは大きな欠点である。ベルリンの空の連絡は現在のテーゲル空港がパンク寸前で日本との直行便もなく不便だが、ベルリン郊外にある旧東ドイツ・シェーネフェルト空港の敷地内に大規模な国際空港が2011年には完成する予定である。
国会議事堂(旧帝国議会)毎日できる見学の市民の長い列
新首都ベルリンの政治的な中心はなんといっても国会議事堂だが、その前には連日、一般市民や観光客の長い行列ができている。
国会議事堂(旧帝国議会)毎日できる見学の市民の長い列
100年以上前、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世の時代に建てられた旧帝国議会の建物は、石造りのどっしりした重苦しい建築だったが、首都移転に伴って4年の歳月と総工費約420億円をかけて改築された際、枠組みはそのままながらガラスをたくさん使って明るくモダンで機能的な議事堂に生まれ変わった。
改築工事を受け持ったイギリスのスター建築家、ノーマン・フォースター卿は、「新しい議会の建物は自由と民主主義、明るいガラス張りの政治を象徴するものでなければならない」という議会当局の要望に応えた上に、さまざまなハイテク技術を生かして環境にやさしい建物を作り上げた。改築にあたって建物の中心部に高さ23メートル、直径40メートルのガラスの丸屋根がつくられたが、この部分は毎日朝8時から夜10時まで誰にでも開かれている。「ガラス張りの丸天井は政治の透明さを象徴するだけではなく、太陽の光と熱を利用する照明や暖房システム、自然の換気システムの上で、重要な役割を果たしている」ということだ。新しくベルリンに建てられる建物には環境に配慮したものが多く、新しい中央駅のホームの最上階のガラスの屋根には無数のソーラーシステムがとりつけられている。
“巨大な洗濯機”のあだ名の半円形の窓を持つ首相府
首都移転にあたって新しく建てられた連邦政府の建物は首相府だけで、後は既存の建物を修復、改築して各省庁が利用している。国会議事堂から歩いて数分、シュプレー川のほとりに明るいベージュ色の壁とガラスの窓が印象的な首相府(首相官邸も兼ねる)が完成したのは、2001年5月のことで、当時のシュレーダー首相がベルリンでの執務を開始してから1年半もたった後だった。3年8ヶ月の歳月と総工費約232億5,000万円をかけたこの首相府にベルリン子は“巨大な洗濯機”というニックネームをつけた。主要部の高さ36メートルの四角ばった建物には大きな半円形のブルーの窓がついており、横から見ると大きな洗濯機に見えないこともないからである。統一後は船によるシュプレー川のベルリン観光が人気を集めているが、“巨大な洗濯機”のすぐそばを白い観光船が行き来する風景は、人々のおなじみのものとなっている。
8月末の週末、この連邦首相府の前にも人々の長い行列ができた。首都移転後、首相府をはじめ連邦各省庁が一般に公開される「市民の国家訪問」という行事が毎年夏に行われるようになった。中でももっとも人気があるのはやはり首相府で、今年ものべ数万人が訪れた。会議室や記者会見室、歴代の首相の肖像画が飾られているギャラリーなどが見られる他、ヘリコプター基地を見学したり、川沿いの庭園に設けられたテントでビールを飲んだりソーセージを食べたりすることもできる。ドイツ国民ばかりでなく、外国人観光客にも門戸は広く開かれている。メルケル首相も土曜の午後には姿を現し、人々の質問に答えたり、連邦軍の海外派遣について議論したりした。ここでも“国民に開かれた政治”がモットーになっている。
「市民の国家訪問」日の首相府正面
国会議事堂のすぐそばにドイツ統一のシンボルとなったブランデンブルク門があるが、今では大晦日の野外パーティーやサッカーワールドカップの時のファンマイルなど、大規模なイベントやお祭りがこの門を中心に催されるようになった。
一方、ベルリンへの首都移転に伴ってベルリンの負の過去も浮き彫りになったが、そうした過去を克服し、未来を目指そうとする努力の現れの1つが「ホロコースト記念碑」の建設だ。ナチ時代に殺害されたヨーロッパのユダヤ人を追悼するこの記念碑もブランデンブルク門のすぐ横にあり、ベルリンの中心部はこの町の光と影を象徴する場所となっている。
国土交通省の国会等の移転ホームページでは、これまで、学会、経済界等各界の有識者を講師にお招きして講演会を開催しています。平成19年3月以降、新たに次の講演を追加しましたので是非ご覧ください。
http://www.mlit.go.jp/kokudokeikaku/iten/onlinelecture/index.html
テーマ:「江戸時代の地方都市にあった活気を取り戻す首都機能移転」
要約
テーマ:「東京に依存しない国土構造のあり方」
要約
テーマ:「最先端の技術と基本のコミュニケーションを大切にした新都市づくり」
要約
平成18年度に国会等の移転オンライン講演会でご講演いただいた12名の有識者の方々の講演を、「国会等の移転オンライン講演集」(第4集)としてとりまとめました。ご希望の方は、別途送料が必要となりますので下記の連絡先までお問い合わせください。
7月17日(火)、東京都渋谷区の富士見丘中学2・3年生4名の生徒さん達が、職場体験学習のため国土交通省首都機能移転企画課を訪れました。生徒さん達は、真剣な態度で職員による首都機能移転に関する説明を聞き、熱心に学習に取り組んでいました。
国土交通省では、8月22日(水)、23日(木)の両日、小中学生を対象とした「子ども霞が関見学デー」を開催しました。そのプログラムの一つとして「首都機能の新都市像を体験してみよう!」という企画を実施しました。子ども達にも国会等の移転についての理解と関心を深めてもらうため、パソコンを使ったゲームによる首都機能の新都市像の体験や、首都機能移転関係広報用DVDの上映、国会等の移転に関するクイズを行うとともに、ポスターの掲示、パンフレット等の配布を行いました。両日とも残暑厳しいなか、昨年を大きく上回る多くの子ども達が訪れ、真剣にゲームやクイズに取り組んでいました。
岐阜・愛知地域では、9月6日(木)、東美濃・西三河北部新首都構想推進協議会が、セラミックパークMINO(岐阜県多治見市)において、建築家 黒川紀章氏を講師に招き、「首都機能移転と日本の未来」と題した首都機能移転の意義、必要性を訴える講演会を開催。地元商工団体や住民など約250人が参加しました。