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Webニューズレター新時代Vol.69 〜一緒に考えましょう、国会等の移転〜

世界の首都機能移転

二つの都を持つ国〜ドイツとロシア〜

二つの都を持つ国〜ドイツとロシア〜

ドイツ連邦共和国は今年、1990年の東西統一から20周年を迎えます。また、ロシアも1992年のロシア連邦発足以来20年近くが経過しました。両国ともこの約20年間で新たな国家の体制が整い安定した成長を続けていますが、そのほかに「二つの都」を持っていることが共通しています。

ドイツ連邦共和国

ドイツ連邦共和国の地図

(©外務省HP)

ドイツは第2次大戦の敗戦により1949年に東西に分裂しましたが、ボンは西ドイツの暫定的な首都とされ、東ドイツの首都はかつてのドイツ帝国の首都であったベルリンとされました。ボンを西ドイツの暫定首都としたのは、あえて小さい都市を首都とすることにより、ドイツ再統一の際にベルリンに首都を統一しやすいようにするためでした。しかし、1990年の東西ドイツ統一に当たって、戦後のボンの首都としての実績が評価され、統一ドイツの首都をベルリンにするかボンにするか様々な議論が行われました。その結果、連邦首都はベルリンとして連邦議会を置き、連邦政府はベルリンとボンの両市に分散して置かれることになりました。

現在、ボンには6つ、ベルリンには8つの省が置かれ、連邦政府機関で働いている人数は大体同じくらいです。分散配置により政府職員はボンとベルリンの間を年間延べ6万5000回(2008年)往復していますが、テレビ会議などの最新IT技術を駆使して、できる限り出張を少なくしようという努力もされているようです。

ロシア連邦

ロシア連邦の地図

(©外務省HP)

モスクワはもともとロシア帝国の首都でしたが、1682年に皇帝に就任したピョートル1世がバルト海に近いサンクトペテルブルクに新首都を建設し、1712年に自ら移り住んでヨーロッパの進んだ技術や文化の導入を図りました。ただし、その後もモスクワで皇帝の戴冠式が行われるなど、サンクトペテルブルクとモスクワはロシア帝国の「二つの首都」の役割を果たしてきました。1917年のロシア革命でソビエト連邦が成立し首都は再びモスクワに戻りました。その後1992年のロシア連邦成立後も引続きモスクワを首都としていますが、ロシア政府はサンクトペテルブルクをロシアの第2の都市とし、その地位を上げるために、2008年5月に2億2,000万ルーブル(約6億6,000万円)をかけて、憲法裁判所をモスクワからサンクトペテルブルクに移転しました。今日でも、「モスクワはロシアの心臓。サンクトペテルブルクはロシアの頭。」と言われるように、モスクワは政治・行政の中心地、サンクトペテルブルクは科学や文化の中心地として発展しており、両都市はロシアの「二つの都」であると言えましょう。

*この記事は、駐日ドイツ連邦共和国大使館ペーター・ロンドルフ公使駐日ロシア連邦大使館ヤーセネフ・セルゲイ参事官のご協力により取りまとめました。ここに記して感謝の意を表します。
(両大使館への訪問の様子は「大使館訪問記」に詳しく掲載しています。ご覧下さい。)