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Webニューズレター新時代Vol.70 〜一緒に考えましょう、国会等の移転〜

歴史

平城京遷都― 巨大な乱費と実行力の時代―
奈良県立図書情報館館長・国際日本文化研究センター名誉教授 千田 稔氏

今の、日本は「ハコモノ」を作るのにむずかしい時代である。無駄な出費とする財政上の観点によるのだが、むしろ、これまでの「ハコモノ」の中味を充実させてこなかったことにこそ問題がある。企画・運営力に欠陥があるのだ。

710年に、奈良盆地の南にあった藤原京がわずか16年で破棄されて平城京に都が遷るというのは、今日の「ハコモノ」作りとは比較にならないほど、スケールの大きい無駄だといえる。「ハコ」ではなく、大きな「マチ」をすてて、また大きな「マチ」を作るというのである。現代ならば、国民はもちろん拒絶して当然だが、政治も国民の批判に耐えられないだろう。

672年の壬申の乱が、大海人皇子(のちの天武天皇)の勝利に終わって、天武天皇の政治が始まる。最初は、飛鳥にあった飛鳥浄御原宮(あすかのきよみはらのみや)に政治の中心をおいたが、天武は高らかに、「都は二つや、三つあってもいいではないか、まずは難波に都を作ろう」と宣言する。その意気軒昂である。真意は、中国の唐に長安と洛陽の大きな都が二つもあることを意識していたのではあるが、そのことから今の日本をふり返って見てはどうか。首都機能の移転でも移転先に関する議論が先行していることに 国民は 嫌気がさしていることがわからないのか、決断ができないのか。リーダーシップ欠如の時代にわれわれは生きているのだ。

天武が上のように宣言した時、すでに難波にはいわゆる「大化の改新」(今日では「乙巳(いつし)の変」という)の後に孝徳天皇の難波長柄豊碕宮(なにわながらとよさきのみや)が残っていたので、そのリニューアルということが念頭にあった。そしてまことに新しい中国式の都として大和三山の風景を取り込んで藤原京を建設するというのが天武の大構想であった。天武にとって無念ではあったが、藤原京の完成をまたずに亡くなり、飛鳥からの遷都は皇后であった持統女帝によって実施された。としても、都は難波と大和の藤原京の二つは存在したのである。主たる都は藤原京であったが、難波の都は難波津という港をもった国家的水運の中枢であった。政治とそれにともなう外交とがバランスをもって都が配置されたのである。

ひるがえって再び今日の日本の首都を思うが、首都機能の移転という、あまりにもスケールの小さなことを言い出すから、地方の活性化の問題にすりかえられてしまって、にっちもさっちもいかなったのではないか。なぜ、このグローバル化の時代に、古代のように首都を堂々と二つおくことの意義という大局観的視野に基づいた議論がなされないのか まことに不思議である。一つの首都は国際対応とし、もう一つの首都は日本的風景の中に構築すればよい。天武の考えた外交と内政のバランスをとった構図を再現する発想力がどうしてないのであろうか。

まことに無駄なことではあったが、藤原京はわずか16年で破棄されてしまうのだ。面積から見ても、大都市である。それを捨てるというのである。それを主導するのは、天皇ではない。娘を天皇の妃として外戚関係をつくり、政治の中枢部ににじり寄ろうとする藤原不比等(ふじわらのふひと)である。不比等の娘、宮子と藤原京の二代目の文武天皇との間に生れた首皇子(おびとのみこ)を天皇の位につけるという野望を実現させるのが、律令を制定した官僚不比等のめざすところであった。そのための、藤原氏の大舞台、つまり首皇子が天皇としてデビューを飾るべき場として、奈良盆地の北の端に新しい都・平城京を作ることが決意されたのである。藤原京三代目の元明女帝は、平城京への遷都に反対であった。その理由はいうまでもなく、藤原京は天武天皇がうちだしたプロジェクトの都である。つまり「天皇の都」である。それに対して、平城京は藤原氏という官僚がおのれの氏族の力を誇示する都である。はっきりといって「藤原氏の都」である。元明女帝は気がのらないまま、和銅3年(710年)に遷都に従わざるをえなかったのである。

藤原京は、わずか16年、都市として成熟することもなく、藤原氏によって捨て去られたのである。このような事態を現代のわれわれが見たらどのように思うであろうか。大きな「マチ」を一から作るのに巨費をつぎこまねばならないのである。想像するに、藤原京を建設するのに関わった都市作りの技術者は、平城京造営のためにも雇用されたであろう。
「また、やり直すのか」と愚痴をこぼしたのではないか。難波京はリニューアルされて新しく改造される。やはり、複都制は継承されたのである。

平城京遷都のために投じられた巨大な無駄は、現代の政治システムとは異なるからその評価は簡単にできないではあろう。しかし、東京一極集中の中でしかものを見ない評論家たち はしょせん国土のシステムの在り方について、 道州制などの地域主権的制度を導入すべきこと をオウム返し的に発言し、東京の外からの発言 を知ろうともしない。政治力と行政力と実行力をもって国土論を語れる人間がこの国にいないことを、平城京の遷都を重ね合わせながら、嘆くよりも、絶望感に襲われることの方が多い。

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