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Webニューズレター新時代Vol.70 〜一緒に考えましょう、国会等の移転〜

ブラジリア首都移転の目的と経緯について

Q.1960年のリオデジャネイロからブラジリアへの「首都移転50周年」おめでとうございます。まず、首都移転の目的からお伺いします。目的は、「貴国の内陸部振興による国土の均衡ある発展のため」と言われていますが。

A.ブラジリア首都移転の計画は、実は18世紀から、当時まだポルトガルの植民地だった時代からありました。19世紀末には、最適な地域を求めて地質学者などによる調査団が、移転先となりうる地域に派遣されています。そして、1956年に大統領に就任したジュセリーノ・クビチェック氏によって、首都移転が実行に移されました。

1950年代は、ちょうどブラジルが工業化を始めたときで、首都移転は非常に効果的に実現できました。1955年に着手して1960年にはほぼ完成したので、約5年間で完成したことになります。

首都移転の最大の目的は、「ブラジルのアイデンティティを構築すること」でした。ブラジルは多民族から構成されており、旧首都のリオデジャネイロはポルトガルの影響を非常に強く受けていたのです。そこでブラジルの多民族統一のため、国民国家を象徴するような一つの都市を造る必要があったのです。

2番目の目的は、それまでは沿岸部に人口が集中していて内陸部には人口がまばらでしたので、地理学的な戦略から、内陸部へも人口を分散させる必要性があったということです。

3番目の目的は内陸部の開発です。労働者を移住させ、土木工事を行ったり、あるいはセラード(低木草原地帯)の農業を振興する。セラードというのは「ブラジルのサバンナ」とも言われますけれども、非常に肥沃な土地ですが、農業を行うためには土地改良の必要がありました。この面では日本人移住者が多大な貢献をしています。

以上にあげた首都移転の当初の目的はすべて達成した、と言うことができます。現在は人口が250万人を数えていますし、経済的な意味でブラジルで3番目に豊かな町になりました。一人当たりの所得は2万ドルに達していますし、教育レベルも全国で一番高くなりました。その他、映画、芸術、建築など文化面でも、全国の文化活動が集中する都市になっていますし、国内のみならず南米の中でもあらゆる文化が集まる都市になりました。したがって、ブラジリアとは「国内外の様々な思いを抱く人々がチャンスを求めて表現を行うまち」と言うことができます。

首都移転が行われた頃、ブラジリアで働いている人たちは、週末にはリオデジャネイロなど地元に帰るケースも多くみられたのですが、最近はほとんどなく、ブラジリアに赴任したての人でも地元に帰ることはあまりありません。ブラジリアが、外から来た人でも定住できるような独立した町として成熟していると言えます。

Q.首都移転が5年間の短期間で完了できたのはなぜでしょうか。

A.やはりクビチェック大統領(注1)のリーダーシップによるところが大きい、と言えます。クビチェック大統領は極めてカリスマ性の強い人で、どんな人でも魅了することができたという伝説がある人物です。それが大きな推進力になったと思います。これはブラジリアの伝説の一つですけれども、クビチェック大統領は古代エジプトの君主であるファラオの生まれ変わりだ、ブラジリアは古代エジプトの都市アケナトンの生まれ変わりだ、と語られています。

5年間で完成したもう一つの理由としては、ちょうどブラジルの経済発展の時期に重なったということが挙げられます。当時、ブラジルの実質経済成長率は年率8〜10%の勢いでしたので、経済的なダイナミズムが急速な首都移転を支えたと言えます。

(注1)ジュセリーノ・クビチェック大統領:ブラジル連邦共和国第22代大統領(任期 1956年1月31日から5年間)。チェコ移民の家庭に生まれ、1955年に大統領に選出された。「50年の進歩を5年で」のスローガンのもと、新首都ブラジリアの建設を強力に推し進めた。

Q.首都移転するときに財政的な問題はありませんでしたか。

A.首都移転を進めた1950年代はちょうど高成長の時代でしたので、新首都の建設に充てるキャッシュフローが非常に多く、そのため基本計画は自前の資金で開始することができました。しかし、ある段階からやはり融資が必要になって、何も無いところに町を造るのに、わざわざ借金までする必要があるのかという議論が生じましたが、結果的には、世界銀行や民間金融機関から融資を仰ぐことになりました。

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旧首都リオデジャネイロ、最大の経済都市サンパウロへの影響について

エドゥアルド・テイシェイラ・ソウザ駐日ブラジル連邦共和国大使館経済部長氏

Q.ブラジリア首都移転により、旧首都リオデシャネイロや、国内最大の経済都市サンパウロはどのような影響を受け、両都市の人々はどのように首都移転を評価していますか。

A.リオデジャネイロの場合は首都でなくなったことによって、都市計画が不在になってしまいました。リオデジャネイロは商業的にも工業的にも大きな都市ですけれども、首都としての都市計画が無くなってしまった結果、現在様々な問題を抱えています。

サンパウロの場合は、むしろブラジリア首都移転によってメリットを受けました。と言いますのは、首都移転に伴い様々な資本が投入されたのですが、ブラジリア開発に参加した資本の多くはサンパウロをルーツとする企業だったからです。

ただし、首都移転によって一番メリットを受けたのはサンパウロではありません。ミナスジェライス州のベロオリゾンテと、ゴイアス州首都のゴイアニアという二つの都市が内陸部開発によって最も発展しました。ベロオリゾンテとゴイアニアはブラジリアに、人、建築資材、鉄、設備機械類、食料などを供給する戦略的拠点として機能しました。特にベロオリゾンテの周辺地域は国内で最大の鉄資源を保有していることで有名です。さらに、ブラジリアへの首都移転は、ブラジルの沿岸部から内陸地域への移住を強力に促進しました。このような結果、ブラジル中央部の台地はブラジルのダイナミックな中心地として発展しました。現在、ベロオリゾンテ(人口250万人)とゴイアニア(人口150万人)はブラジルで最も発展した都市の一つとされています。また、カンポグランテ(人口75万人)、クイアバ(人口60万人)などもまた、ブラジリアへの首都移転に伴い大きく発展した都市です。こうした発展はいわば「ブラジル版西部開発」とも言うべきもので、1950年代から60年代に起こりました。1800年代後半に米国で起こった開発プロセスと似ていると言えます。

Q.国を挙げてリオデジャネイロへの2016年オリンピック招致(注2)を図ったのは、リオデジャネイロの復興を目的としたものですか。

A.実際、リオを再活性化するという大きな計画があります。なぜなら、リオデジャネイロはブラジルの顔で、ブラジルというと多くの方はリオデジャネイロをイメージするからです。

しかし、リオデジャネイロは過去20年間計画が無いため、極めて困難な状況に陥りました。現在は、リオデジャネイロのあらゆる街区を再活性化する計画ができ、オリンピックがそれに結びつけられています。リオデジャネイロの中心街には、ポルトガルやフランスの影響が色濃く残った、200年の歴史のある古い建築物がありますが、現在崩壊の危機に陥っています。そのような建築物を再建する計画がオリンピックとともに進められているのです。

(注2)2016年オリンピック:リオデジャネイロは、2016年第31回夏季オリンピックの開催地に決定された。南アメリカでは初の開催地となる。

Q.ブラジリアと、リオデジャネイロ、サンパウロ間の交通について教えてください。

A.ブラジリアと、リオデジャネイロ、サンパウロ間の人の移動は極めて多いです。距離的には双方ともに1,200q程度ありますので、一般的には空路によって移動します。日帰りでブラジリアへ行くというケースも多くあります。陸路は2ないし3車線の道路で結ばれていて、バス路線も多くの本数があります。夢としては、行く行くは新幹線でブラジリアとリオデジャネイロやサンパウロとの間を移動することです。

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ブラジリア周辺地域の開発について

Q.ブラジリア周辺の衛星都市は現在どのような状態でしょうか。

A.プラーノ・ピロット(パイロット・プランの意味)地区というブラジリアの中心地がありますが、そのまわりに15とも16ともつかない衛星都市がブラジリア周辺にあって、それぞれの特徴が極めて異なっています。例えばタグアチンガという都市がありますが、ここは人口が約50万人で、商業が極めて発達しています。他方、セイランジャという都市があり、人口が30万人ぐらいですが、極めて貧しい人々が住んでいます。政府の援助で上・下水道がようやく完備したばかりです。
現在の最大の課題は、衛星都市からブラジリアまでの輸送手段を建設することです。また、様々な政府の援助にも関らず、社会参加できない人々がまだまだ多いという問題もあります。

1990年代末には住民の所得格差が拡大して、社会不安の危険性もありましたが、その後、カルドーゾ前大統領の時代からの社会政策により、貧困階層から中流の下あるいは中クラスに、過去10年間で約3,000万人が移行しました。そのため、近年格差は緩和されてきています。

Q.今後のブラジリア周辺の開発計画について教えてください。

A. 今後15年間の開発では、ブラジリアと先ほどお話ししたゴイアニアという都市を結ぶ地域の開発が、現在検討されています。

この2都市と周辺を含めると人口が450万人で、しかも極めて収入の高い人たちが住んでいて、バイオテクノロジーの研究とか、民間航空機産業の開発にポテンシャルを持っています。アナポリスという都市に航空宇宙関連の産業があるので、今後15年間の目標として、これらの2都市を結んだ地域の先端技術の開発が検討されています。

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ブラジリアに対する認知度について

Q.ブラジリアに対する国民の国内外の認知度はいかがですか。

A.ブラジル人全体のブラジリアに対するイメージですが、私の個人的な感触では、ブラジリアについてのブラジル国民一般の認知度は非常に低いと思います。ブラジリア関連のニュースに出てくる話題は政治や行政関連のものばかりで、実際には文化活動も非常に盛んでダイナミックな町ですけれどもそういったイメージは国民には十分に伝わっていないのです。

ブラジル国民のブラジリア訪問者数は年間約250万人で、その大多数が業務上の出張等によるもので、観光目的で訪れる人は極めて少ないです。外国人もアマゾンやブラジルの海岸に行く方がほとんどで、ブラジリアを訪れる人は年間25万人程度と非常に少ないのです。

一方、ブラジリアを訪れる外国人の多くは、建築に興味がある方々です。と言いますのは、ブラジリアはアテネ憲章(注3)の理念に基づいて造られており、ル・コルビュジェやバウハウス(20世紀初頭ドイツの建築を中心とした芸術学校)の影響が極めて強い建築物になっています。

(注3)アテネ憲章:建築家たちの国際会議である近代建築国際会議(CIAM)の1933年に行われた会議で採択された、都市計画及び建築に関する理念。「機能的都市」を議題とした会議で採択され、建築家ル・コルビュジェ(鉄骨造や鉄筋コンクリート造という新技術により、機能的・合理的で普遍的なデザインの建築を手がけた)の提唱する機能的な都市を内容としている。

Q.ブラジリアの問題点を挙げるとしたら、どのようなことでしょうか。

A.現在ブラジリアが抱えている問題は、当初計画よりも極めて大きく発展してしまったことです。当初の計画では「2000年に人口が60万人」という予測だったのですが、衛星都市を含めたブラジリア連邦区全体の人口は現在260万人に至っています。

現在、ブラジリアの中心であるプラーノ・ピロット地区はユネスコの文化遺産にもなっていますが、その30〜40q周辺に、インフラ、教育、あるいは治安面で深刻な問題を抱える衛星都市があります。ブラジリアの中心地区は非常に豊かなのですが、衛星都市とは著しい所得格差が生じてしまっているのです。

Q.ブラジリアの魅力について具体的に教えてください。また、ブラジリアは今後どのように変化していくべきなのでしょうか。

A.一番好きなところは、「個人に圧倒的な自由を与える」という側面です。というのは、ブラジルのあらゆる地域、あるいは地球上のあらゆる地域の人々がブラジリアに来るわけですが、「どんなアイデンティティを持つこともできる」という究極の自由さがあります。様々な宗教の活動もありますし、あらゆる面で自由な生き方ができることが魅力です。

また、ブラジリアの人々にはぜひ東京の地下鉄を見習ってほしいと思います。ブラジリアでは公共輸送手段の整備は遅れており、東京のような地下鉄網があれば極めて便利ではないかと思います。

私の最大の夢はブラジルで日本の新幹線が走っているところを見ることです。現時点で、入札がもう少しで開始というところまで来ています。現在、財務的な問題から会計監査院でいろいろ審査をしているところですけれども、たまたま今年は選挙の年ということもあり、タイミングをはかっているところだと思います。ブラジルとしては新幹線の導入、高速鉄道の導入に極めて期待が高まっていて、最初はリオデジャネイロ・サンパウロ間ですけれども、両都市だけにとどまるものではないわけで、行く行くはブラジルの主要都市をすべて新幹線で結ぶというのが大きな目標です。

Q.200年かけて首都移転の計画を立てて、1960年に移転して50年たちました。リオデジャネイロからブラジリアに首都を移したことは、結果的には良かったと思われますか。

A.ブラジリア首都移転は不可欠なことだった、と言えると思います。国の単なる経済的な要因とかインフラの問題を超えて、「国家のアイデンティティを構築する」という意味で不可欠な事業だったと考えています。

ポルトガル、フランス、米国、そういった国々の影響を乗り越えて国家のアイデンティティを作るという意味があったわけです。ブラジリアという都市はフランスなどの建築に影響を受けていますけれどもブラジル独自のものですし、ブラジルという若い国が自分のアイデンティティを確立する上でブラジリア建設が重要だったと思います。現在では、ブラジリア建設に疑問を挟む人間は一人もいないと信じています。

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日本及び日本の首都機能移転について

Q:日本に対する印象や日本の首都機能移転について何か感じるところがあればお聞かせ下さい。

A.私は日本に着任して1年半になりますが、日本のことは非常に好きです。すばらしい国だと思います。日本で首都機能移転を行おうとしたら、国民に十分に情報発信することが重要ではないでしょうか。ブラジリア建設でも、国民から見てどの建設案が好きか嫌いかということを問うたり、都市計画のコンペをやって国民の関心を高めたわけですが、そのように国民を議論に参加させることが重要ではないでしょうか。

私が日本を旅行して知った限りでは、例えば日本人はエコ観光に極めて関心が高いとお見受けしますので、そのような要素も興味を喚起する上で取り入れても良いと思います。

日本にすばらしい最先端のテクノロジーを備えた新しい都市が造られることを夢見ております。

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