駐日パラオ共和国大使館特命全権大使へのインタビュー(平成22年9月14日)
それに、コロールが長い間首都であったために人口が過密状態になり、経済活動や学校など中心機能も集中し過ぎました。また、当時のパラオは交通機関というとボートがほとんどだったので、新たに橋や道路といったインフラ整備を進めるよう計画されました。そのことも国の中心部への首都移転を実現させる契機となりました。
この首都移転によって、コロールの人口過密を解消させたいと考えました。それからコロールに集中していた経済機能も分散させて、他の地方も恩恵を受けられるようにしたいという思いがありました。
パラオのほぼ中心に位置しているマルキョクは高台の町で、東には海が広がり、西にはジャングルが広がっているのを眼下に見ることができます。
昔はマルキョクとコロールはライバルに当たる関係にあったのですが、日本が統治に入ったときにその関係を解消して平和の時代に入りました。ですから、首都移転に当たってある程度政治的な話し合いは行われましたが、平和的なものでした。ちなみに、私たちはみんな同じ言語を使っていて習慣も同じ、パラオ人です。
そこでナカムラ大統領は、大統領命令を発して首都移転諮問委員会を立上げました。更に96年には国会議事堂建設法を通過させ、正式に国会議事堂建設のための委員会を発足させ、97年に国会議事堂のデザインが決まりました。このようにナカムラ大統領は、首都移転計画を精力的に推し進める時期に大統領に就任していたのです。
国会議事堂の建設は98年に始まり、多分3年くらいで完成したと思います。ただ、その後すぐに使用されたわけではなく、実際にはナカムラ大統領の次のトミー・レメンゲサウ大統領の就任後、2006年になってから移転が実現しました。というのも当時はガソリンが高いということもあり、通勤が負担になると考えた人が多く、さらに電気がまだ通っていないなど、すぐに使える状況にはなかったのです。
ちなみに、コロール島とバベルダオブ島を結ぶ橋は、70年代に最初に架けられましたが96年に徹底的な構造上の問題に直面し、その後2002年に日本のODA資金により新しい橋が完成しました。
建築事務所からは違うスタイルの4種類のデザイン案が提示されました。太平洋諸国ではいかにも民族的なデザインを採用している国が多く、委員会でもはじめはパラオの文化的な背景を色濃く反映したデザインを選ぶべきではと考えていたようです。しかし最終的にはローマ時代の建築様式で、ヨーロッパやアメリカで多く見られるデザインが選ばれました。ご覧の通りシンプルかつエレガントで、私たちは大変気に入っています。
しかし、具体的な数字は把握していませんが、400人と比べればずいぶんマルキョクの人口が増加したことは間違いありません。行政、立法、司法機関全てが移転したので、それに伴って住居をマルキョクに移した人もいくらかはいますし、日中はマルキョクに勤務している人がたくさんいますので、レストラン産業など新しいサービス産業も生まれています。現在パラオで人口が一番多いのはコロールで、二番目は空港があるアイライ、そして三番目がマルキョクです。マルキョク州への道路網は整備され、現代的な下水システムが建設され、国会議事堂と併せて使用されています。商業活動を誘因するため、マルキョク地域を含む議事堂周辺2マイル内は非課税地域に指定されています。
ただ、外国の大使館などがマルキョクに移転してくる状況にはなっていません。アメリカ合衆国はアイライに新しい大使館を建てたばかりですし、日本大使館も今コロールにあっておそらく移転の予定はないでしょう。パラオとしてはできればマルキョクに来ていただきたいですし、もし移っていただけるのなら土地の用意などもするのですが。
やはりコロールはレストランやホテルといった都市としての機能において中心的な役割を果たす施設の多い土地ですし、パシフィックリゾートの近くで場所もいいし、便利なのでしょう。また、コロールからマルキョクまで車で20〜30分程度のごく近距離ですし、アイライを中心にコミュニケーションインフラも整っているので、特にマルキョクに移る必要性を感じていないのかもしれませんね。
もっともパラオにはそれほど多くの大使館があるわけではありません。日本、アメリカ合衆国のほか、中華民国(台湾)大使館、フィリピン共和国大使館があります。
今のところ、非常に劇的な変化があったという実感は、それほどないかもしれません。依然コロールでは経済機能が集中している傾向が残っています。ただ、マルキョクのあるバベルダオブ島に経済機能も移し、パラオの北部で経済活動を盛んにすることで住民たちも首都移転の恩恵を受けられるように、大統領が村のチーフを組織して都市開発を行い、投資を受け入れる体制や素地を作っているところです。こうした計画が実現しつつあります。