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Webニューズレター新時代Vol.72 〜一緒に考えましょう、国会等の移転〜

Urban public complex(都市型公共複合施設)

首都機能のバックアップに関する議論の源流と検討の出発点

慶應義塾大学名誉教授
高橋潤二郎 氏
慶應義塾大学名誉教授 高橋潤二郎氏

本記事は、平成23 年7 月25 日に実施したインタビュー内容を取りまとめたものです。

首都改造計画におけるバックアップの議論

緊急時における首都機能のバックアップという考え方は、もともと「首都改造計画」の中にもあったものだ。国土交通省の前身のひとつである国土庁で「首都改造計画策定調査」が開始されたのは1979(昭和54)年で、今から30年ほど前である。委員長に東京工業大学の石原俊介氏、そして長年にわたり行政の立場から国土計画と開発に携わってこられた下河辺淳氏を総括顧問として迎え、早稲田大学の戸沼幸市氏が都市構造環境部会を、慶應義塾大学の私が首都機能部会を取りまとめた。この調査は1973(昭和48)年の石油ショック以降の高度経済成長から低経済成長への転換と、1977(昭和52)年の「第三次全国総合開発計画(三全総)」(※)によって生まれた大都市の停滞ムードや閉塞感を打破しようとする意図を持って、首都移転と移転後の東京大都市圏を多核多圏域型都市地域構造を持つ連合都市圏として再整備することを提唱したものだ。

「首都改造計画策定調査」は、約4年かけて1983(昭和58)年に素案としてまとめられたが、首都改造の基本課題として「過密問題への対応」「大規模災害への対応」「将来の社会の変化への対応」の3つを掲げている。特に、東京大都市圏の災害に対する脆弱性が強調されているのだが、この場合の災害はもっぱら地震と火災のことである。こうした視点から大都市圏を「(1)都心地域」「(2)都心周辺(臨海)地域」「(3)都心周辺(内陸)地域」「(4)市街化振興地域」「(5)その他」の5地域に分け、(2)と(3)を災害危険度の高い地域と位置づけ、防災緑地網や防災基地などからなる対策の必要性を訴えた。

当時はまだまだ政治家、官僚の間に「由(よ)らしむべし、知らしむべからず(方針に従わせることはできるが、なぜ定められたかという理由を知らせることは難しい)」といった姿勢があったこと、また「不幸を言い当てる」と言って、いわゆる凶事を口にすることをはばかる風習が根強く残っていたことを考えると、災害危険度の高い地域を指定するということは、画期的なことであったといえる。さらに「被害総額×発生確率」によって対策の優先順位が定まるというリスクマネジメントの理論が導入され、次第にタブー意識が取り除かれるようになった。

都市計画の部分では、都市防災と国土計画の専門家である伊藤滋氏の研究が河川研究者、あるいは地理学者のハザードマップの作成にずいぶん影響を与えてきたように思われる。これに関連して、素案には「災害時における中枢管理機能の維持、確保」として、「中枢管理機能の低下を軽減するため、これらの機能の積極的な移転分散を推進するとともに、施設の防災性強化、代替手段の確保及び災害時における活動体制を整備する」という一文が挙げられた。

当時、日本ではまだ「バックアップ」という用語はあまり使われていなかった。まずコンピューターの世界で、事故やミスでファイルが破壊されたときのために記憶装置に同一内容をコピーしたファイルを備えることに対して、野球その他の競技で使われるバックアップという用語が導入されたのだろう。そこから、緊急時におけるバックアップ・オフィスなどという表現がされるようになったものと考えられる。1977(昭和52)年にニューヨークの大停電が起きた時、「うちの会社ではニュージャージーにバックアップ・オフィスがあるから大丈夫だ」というような会話をアメリカ人とした記憶があるので、それ以降にオフィスについてもバックアップという用語がよく使われるようになり、日本にも波及してきたのではないか。

特に委員会で議論した記憶はないが、米軍から返還された旧陸軍立川基地の跡地を利用して緊急時の首都機能を果たす代替施設を作るプランがあることはメンバー共有の了解事項であった(現在、災害対策本部予備施設が作られている。)。

いずれにせよ、中枢管理機能の災害時における脆弱性は、東京だけでなく世界の首都の直面している問題のひとつである。自然災害だけでなくさまざまな人災、テロや有事(戦争行為)、不作為の事故など、災害そのものが著しく多様化している現状では、バックアップ施設の構築を考えることは当然の配慮だと言わなくてはならない。

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まず検討しなくてはならないのはバックアップすべき首都機能の範囲の限定

確かに首都機能代替施設の建設は緊急を要する課題であり速やかに実施すべきだが、そうは言っても施設内設備、周辺環境の設計、建設にあたっては周到かつ集約的な議論が必要である。まず着手しなくてはならないのは、バックアップすべき首都機能の範囲を限定するということだ。

わが国の首都機能は千代田区の霞が関に集積しており、主だったほとんどの施設は千代田区・港区・中央区の都心3区に集中している。また、その多くは洪積台地上にあり、耐震耐火上の危険度は比較的小さいため、それらが壊滅状態になるということは余程のことがない限りありえない。従って首都機能と言っても、立法、行政、司法、つまり国会、政府・官庁、裁判所のすべてを代替する必要はなく、あくまでも緊急時の中枢管理機能を遂行する場が必要だということだ。すなわち、政府の関連省庁の一部が対象になると考えられる。

要するにバックアップ施設での第一義的な任務は、災害対策基本法に盛り込まれた災害時における手順に従い災害緊急事態の布告を経て、緊急災害対策本部の設置、その下での応急対策の立案、実施の調整を基本的にスムーズに行うことだと考えている。

よく外科医の経験談として、手術後の患者の経過を「3時間、3日、3週間、3カ月、3年という段階を経て回復する」と言うが、災害の場合もこれと同じステップを踏んで復旧していくものと考えてよいだろう。この各段階は次の段階と密接に関連しており、前段階の意思決定や処置が次の段階の成果に関係しているという意味で、復旧の「工程表」を示したものとも言える。首都機能を必要最小限に限定するならば、この工程表の範囲に限られた行政機能の代替ということに絞られる。また、絞るべきだと考える。

緊急時に工程表を3年という単位で捉えるのは、あまりに長期に過ぎるという考え方もありそうだ。それならば、最終段階は3年ではなく1〜1.5年に短縮してもよい。要するに、補正予算や次年度の予算編成が必要な期間ということである。首都機能を絞れるだけ絞ればそれも可能なはずだ。限定的なものにしない限りは次から次へと首都機能の解釈が拡大し、結局、バックアップではなくミニ首都を作ることになりかねないという危惧もある。

できるだけ首都機能を限定すれば、それ以外の多様な機能も持たせることができる。つまり、緊急時におけるバックアップだけではなく、平時においても何らかの機能を持つことが望ましい。ただのバックアップ機能であれば、バックアップ先が立地する地域の人々にとっても、それがその地域に役立たない限り、余計なものを抱え込むという意識になってしまいかねないだろう。

バックアップについては、唯一日本だけが手がける新しい公共の機能として、検討を深めていくことが必須である。そのためにはコンセプトを十分に練り、土台のしっかりした企画を完成させることが必要だ。


  • ※第三次全国総合開発計画:福田内閣において閣議決定されたいわゆる「三全総」。オイルショックを経て停滞的な社会経済状況に対応した、大都市抑制、地方振興の開発計画。

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高橋潤二郎氏 プロフィール

1936年生まれ。1963年慶應義塾大学大学院経済研究科修了。1975〜1990年同大学経済学部教授、1990〜1993年同大学環境情報学部教授。1993〜2001年慶應義塾常任理事。2001〜2005年森ビル株式会社特別顧問、六本木アカデミーヒルズ理事長。1977〜2002年財団法人地域開発研究所所長を兼任。1979〜1983年国土庁首都改造計画調査において首都機能部会会長を務める。

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国土交通省 国土政策局 総合計画課

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