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Webニューズレター新時代Vol.72 〜一緒に考えましょう、国会等の移転〜

大使館訪問記

駐日チリ共和国大使館へのインタビュー(平成23年7月11日)

ユネスコの世界遺産都市バルパライソに所在するチリの国会

駐日チリ共和国大使館
文化・科学・技術協力担当
モニカ・ブラボ三等書記官
駐日チリ共和国大使館 文化・科学・技術協力担当 モニカ・ブラボ三等書記官

チリ共和国の概要

Q.昨年10月に貴国で起きたトンネル落盤事故とその後の救出劇では、世界中がチリに注目していました。まず、貴国の概要をお聞かせください。

A.チリは南米大陸の南西に位置しており、東はアンデス山脈、西は太平洋に挟まれた南北に細長い国です。人口は約1700万人。首都サンティアゴを擁する首都圏州を含め15の州に分かれていますが、各州に強い自治権はなく、中央集権的な国家です。州知事も大統領が任命しています。

 チリ北部は温暖で、銅の生産が主要産業です。昨年(2010年)のトンネル落盤事故も北部の鉱山で起きました。首都サンティアゴのあるチリ中部では農業が盛んに行われており、チリワインの主要産地となっています。南部は湖や川、氷河が点在する緑豊かな地域です。チリ最南端は南極に近いため冷涼な気候となっています。

 チリ本土から約3750km西の太平洋上に浮かぶイースター島は、モアイ像を造った先住民ラパヌイの文化で有名です。ラパヌイ国立公園はユネスコの世界文化遺産に登録されています。

 チリには、おいしいシーフードや、エンパナーダ(チリ風ミートパイ)、パステル・デ・チョクロ(とうもろこしのグラタン風)などの伝統料理があり、ワインも自慢です。日本の皆さんも機会がありましたら、ぜひチリにおいでください。

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国会移転に至る歴史的な経緯について

Q.国会移転は当時のピノチェト大統領によって推進されたということですが、そこに至る歴史的な経緯を教えてください。

A.チリは1810年9月18日にスペインからの独立を果たしました。当時はラテンアメリカ各地で独立の気運が高まっており、多くの国が次々と独立を成し遂げています。独立当時の国会はサンティアゴにあり、1811年に最初の議会が開かれました。今年(2011年)の7月4日には、チリ議会200周年を祝ったところです。

 バルパライソへの国会移転は1988年に決定されました。国会議事堂の建設にあたっては、同年に一般競争入札が行われ、実に600件近い応募がありました。そこからまず39件に絞り、最終的に1件が選ばれて、その年のうちに建設工事が始まりました。建物が完成して議会が開催されたのは2年後の1990年です。

Q.国会を移転しようと考えたのはなぜですか。

A.チリは中央集権国家ですので、行政・司法・立法権の最高機関はすべて首都サンティアゴにありました。そこで、そのような機能のせめて一つでも別の場所に移して分散を図ろうと考えたのです。

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移転先にバルパライソが選ばれた理由について

Q.移転先としてバルパライソが選ばれたのはなぜでしょうか。

A.バルパライソは、サンティアゴに次ぐチリ第二の都市であり、チリの主要港でもあります。同地はチリ国内のみならず、ラテンアメリカ諸国にとって重要な都市です。また、バルパライソは急斜面に沿ってたくさんの家々が建ち並ぶ歴史のある美しい港湾都市でもあります。パナマ運河が開通するまでは、船は南米最南端のホーン岬を通過していたため、寄港地として栄えました。街は繁栄の時代を享受し、数多くの外国人が居住していました。しかしパナマ運河が開通したことにより、バルパライソに立ち寄る船は減っていき、寄港都市としての重要性を失ってしまいました。ですから、国会を移転することにより、街を再び活性化しようという意図もあったと思います。

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移転に対する評価について

Q.国会が移転して20年ほどが経ちましたが、この20年で移転はどのような評価を受けていますか。

A.移転当初からずっと、相反する2つの評価がありました。まず、移転に価値を認める意見として、バルパライソの文化的なアイデンティティーが強化されたという声があります。文化活動が盛んになり、2003年に歴史ある港湾都市の街並がユネスコの世界文化遺産に登録されました。観光都市としての魅力も増しており、広さ6万平方メートルという堂々たる建物の国会議事堂は、たくさんの観光客を集めています。

 この一方で、移転する価値はなかったという意見もあり、議員としての仕事はサンティアゴで事足りるのに、バルパライソに出向くのは、時間と費用の無駄だと言われています。サンティアゴにあった旧国会議事堂は、2006年まで外務省が使用していましたが、再び国会の帰属になり、議員がオフィスとして使うようになりました。ですから、議員たちにはサンティアゴで仕事をする場所が確保されています。しかし、議決権を行使する場所はバルパライソです。

Q.バルパライソへの議員の移動費用について教えてください。

A.移動の費用は国から支給されています。サンティアゴからバルパライソまで、車で1時間ちょっとくらいの距離です。通常国会は5月21日から独立記念日の9月18日までで、大統領の召集により9月19日から5月20日までの期間に特別国会を開催することがあります。国会議員は、ひと月のうち最初の3週間はバルパライソに行き、残りの週は各々の選挙区の州や都市に戻って、地方のニーズや問題の把握に努めなけれななりません。このほか、国会会期の冒頭で大統領が所信表明演説を行うのもバルパライソで、両院総会が開かれます。

Q.国会会期中は議員だけでなく、省庁職員もバルパライソに移動するのでしょうか。

A.チリは大統領制のため、日本とは事情が違います。議会が専属の行政スタッフを抱えているのです。議会が特定の案件について大臣を呼んで説明を求めることがあり、その場合は閣僚自らがバルパライソに出向かなくてはなりません。

Q.移動経費がかかるため、サンティアゴに国会を戻そうという動きにはならないのでしょうか。

A.議員と同様に国民の中にも、移転当初から意見の相違がありましたが、今のところバルパライソに国会があることに対して大きな反対運動は起きていません。省庁の職員は行政事務を行うために常にバルパライソにいるのですから、議員がサンティアゴにいる時にバルパライソが機能していないわけではありません。

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2010年チリ地震の国会への影響と今後の展望について

Q.日本は今年3月11日、東日本大震災で大きな被害を受けました。貴国も地震が多く、2010年2月には大地震に見舞われましたが、港町に位置する国会への影響や地震への対応をお聞かせください。

A.チリでは2010年2月27日に大地震がありました。しかし、国会にはそれほど影響がなかったと思います。地震直後の3月11日に新政権が発足し、新大統領の就任式が国会であったのですが、外国からの来賓も迎え予定通りに行われました。実は、大統領が宣誓をしているとき数回大きな余震があったのですが、就任式は滞りなく続けられました。

 地震への対応についてですが、チリは大統領制を敷いていますので、国会ではなく大統領が自ら指揮を執り対応しました。日本と同様にチリもまた津波による深刻な被害を受けたのです。そして、国会を含め社会の各方面の人々が、地震や津波の被害が最も大きかった地域を支援するため、全員で力を合わせてきました。

Q.今後、行政や司法機関もバルパライソ、あるいはほかの場所に移転するような計画はありますか。

A.いいえ、今のところその予定はありません。


((c)外務省)







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