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Webニューズレター新時代Vol.73 〜一緒に考えましょう、国会等の移転〜

新しい都市の姿

100億人の地球で、水循環はいかにあるべきか。
〜開いた心で閉じた世界をつくるチャレンジ〜

地方独立行政法人
北海道立総合研究機構
理事長 工学博士
丹保憲仁 氏
理事長 工学博士 丹保憲仁 氏

本記事は、平成24年2月に実施したインタビュー内容を取りまとめたものです。

都市の水代謝の歴史

水をメディアとして使う輸送系から、エネルギーを大量に使用する局所循環系へ

歴史的に都市の水使いは、ローマだけではありませんが、水を媒体(メディア)として必要な質の運搬に使った輸送システムです。水が持っているさまざまな質が欲しいからもってきて、さまざまな要らないものを水に乗せて捨てました。上水道は、土木技術を使って必要な水を取るための仕掛けで、下水道は目の前にあるものを水に混ぜ込んで捨てるための仕掛けです。中世の西欧都市には、城壁という硬い境界があり、その外側に農地があり、農地の向こう側には、赤ずきんちゃんの狼が出てくるような深い森があり、今でいう都市系と生産系と自然保全系は完全に分かれていました。水がたっぷりあって、都市の上下流に自然空間が広がっていました。江戸時代の藩も、流域をベースにして成り立っています。上流に森林があり、中流に農地があり、そして都市があり、海がある。一流域に藩があり、分水嶺が藩の境目だったのです。流域は、上流から下流へ一方向に物質が流れる輸送系で、水はたっぷりあるから、身近に容易に使えます。そのため、水を使ってあらゆることができました。ところが、水をメディアに使った大量輸送システムが成り立つのは、人間の数が少なく、自然の水が相対的に豊富なときなのですね。19世紀になると、人間の数が増えてただ捨てると下流の人が困るようになり、下水を処理するという考え方が出てきました。お互いの干渉を避けるために、下水処理が必要になってきたのです。

一方、近代の局所循環系の極端な例として、シンガポールがあげられます。シンガポールでは、湾岸/河口ダムで島に降ってきた雨を貯めて、非常に高度な浄水処理を行い、それを水道に入れています。これが第1の水源です。第2の水源は下水です。これは「NEWater」といって、彼らの造語ですが、下水の再生水です。また、それだけでは足りないということで、海水の淡水化も始めています。地域(局地)循環系は、ローマ以来の土木技術で水を確保する輸送系とは異なり、化学工学やプラント工学を利用した質変換技術主体の高エネルギー消費型の水の使い方なのです。海水淡水化では10万トンの水をつくるのに、30〜40万kWhの電力が要ります。ところが100メートル揚水しても、その1000分の1ぐらいのエネルギーしか必要としません。自然流下であれば、1万分の1ぐらい。下水の再生にしても、海水淡水化にしても、局地循環系は多くのエネルギーを必要とするのです。

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水のストーリーとエネルギー革命

3回のエネルギー革命を経て、エネルギーも水も輸送が可能になった

輸送型の水利用がローマに始まり、近代になると輸送技術/駆動エネルギーの獲得が容易になり大型の上水道をつくれるようになりました。世界で一番大きいのが東京水道です。1日600万トン以上供給する能力を持っています。ロンドンは300万トン、ニューヨークが400万トンくらい。では、それを支えたエネルギーは、どのように進化してきたのでしょうか。

実は古代や中世のエネルギーは、全くのローカル・エネルギーで、水車と風車が中心でした。水車と風車を回せば粉がひけるけれど、そこでしか使えませんよね。近代化が起こったのは、蒸気機関がつくられたからです。蒸気機関とポンプによって、石炭を持っていけば、どこででも駆動力をつくりだせるようになり、駆動するエネルギーを分散化して、広域化できた。それが、近代の産業革命の一番大きな仕事だったのです。その次の革命は、電気です。電気は、つくったエネルギーを、瞬間的に地球を7回り半するスピードで、どこにでも配れるエネルギー輸送の媒体です。3回のエネルギー革命を経て、我々の現代があるのです。大型の上水道・下水道は、この電気エネルギーと、鉄管やポンプなどの土木技術が可能にしたものです。そうすると今度は、国際河川などで水を遠くから持って来られるようになり、お互いに牽制しなくてはならなくなってきました。国際紛争です。しかし、今は過渡期で、流域の水使いを自立型/分散化させて、極端に長距離輸送を行うような水資源開発などを見直すような機運が出始めているように思います。

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メガロポリスの終焉

水とエネルギーの自給をあきらめて成立したメガロポリス

東海道メガロポリスは、世界最大のメガロポリスです。海を使って、資源を海の向こうからもってきて、海の向こうに売るという、近代の高速大量輸送の極限を実現しました。私は、近代グローバリゼーションの最後のウィナーは日本だったと思います。本来4?5000万人しか住めない国土に、1億2700万人もの人間を住ませ、日本は世界で2番目のGDPを上げたわけです。東海道メガロポリスの次に大きいのが、ボストン・ニューヨーク・フィラデルフィア・ボルティモア・ワシントンD.C.の連なるアメリカ東海岸メガロポリスですが、生産量は東海道メガロポリスの40パーセント程度です。それ以外は世界に目立ったメガロポリスはなく、もしかするとメガロポリスというものは日本だけが大活用できた組織ではないのかと思います。

東海道メガロポリスの場合、沿岸平野が続いていて、整備された港湾とそれをバックアップするヒンターランド、沿岸平野が1,000キロ以上つながっている。さらに情報輸送の極である人間だけの高速輸送系(新幹線)を世界で最初に創りだし、メガロポリスを一体の物として繋ぎ出しました。しかしその反面、メガロポリスは、食糧とエネルギーと水の自給をあきらめて、はじめて成立するのです。

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新中世の時代へ

グロースではなくディベロップメント、質的変化を伴った進化へ。

今、近代の次の時代が始まろうといています。それは、どのような時代かというと、私は、「新中世」だと思っています。都市は自給自足ができる範囲の大きさで、水はもちろん流域ベースのものになるでしょう。それから、エネルギーをどうするかという話があります。最後は、太陽エネルギーになりますが、そこへいく時間が問題で、今、自然エネルギーは1パーセントしかないですから。

歴史というものは、絶対に後戻りしないのです。スパイラルで上がっていきます。中世はどのように時代だったかというと、閉じた物質代謝(メタボリズム)、閉じた心の世界だった。それが、ルネサンスやフランス革命によって心が開かれた。同時に、マテリアル・バランスも開いたのです。世界中で貿易を行い、植民地をつくった。「閉じた世界、閉じた心」から、「開いた世界、開いた心」に移行したのです。地球閉塞、人口大過剰の時代に突入して、近代に「開いた心」を価値とした上で、地球の物理容量限界に対処するため物質代謝について「閉じた世界」をつくれるかどうか、それが最大のチャレンジだと思います。心とマテリアルを別の次元のシステムとして扱えるかどうか判りません。マテリアル系のメタボリズムは閉じているけれど、心は開いている世界、それは可能でしょうか。そうすれば、人類は次に行けるだろうと思う。近代文明の飽和した先進国の知性に期待したいものです。

そうしたときに都市はどうなるでしょう。100万という人口の固まりはまだあるでしょうが、1000万、3000万という固まりはどうなるでしょうか。近代の人間はひたすら集積の度合いを上げて成長を追いました。その結果、極端な都市化/大都市形成とそれを支える大規模な農産業化が世界を分け取って進みました。高速大量輸送がそれらを繋ぎ、高エネルギー消費社会を作りました。成長がキーワードであり、それが地球環境の限界で望み難くなりつつあります。都市を、周辺の農業地と、生態系の多様性保全と、どうやって健全に繋ぎ、限られたエネルギーと土地で人類の将来を運用するかを考えなくてはなりません。人間の方が、閉じた世界の中に入る技術と論理を持つことが必要となりますが、そんなことをすると成長が止まると危惧する人もいます。成長とは何でしょう。私は、ディベロップメント(発展)とは、質が変わることだと思います。グロース(成長)は子どもが大人になっていくように、形態をどんどん大きくしていくことです。もう地球上で、グロースはないですね。サステナブル・ディベロップメントという言葉がありますが、ディベロップメントとは、私は質的変化をともなった進化だと思っています。

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丹保憲仁(たんぼ のりひと)氏 プロフィール

1933年3月10日 北海道生まれ。1957年北海道大学大学院工学研究科土木工学専攻(衛生工学専修)修士課程修了、1965年工学博士。1957年北海道大学工学部講師、以後、同大学助教授、教授などを経て、北海道大学総長(1995〜2001年)を務める。北海道大学名誉教授(2001年)。2001年より放送大学長を務め2007年退任、放送大学名誉教授(2007年)。2007年から2010年まで北海道開拓記念館館長、2010年4月から北海道立総合研究機構理事長に就任。

国土交通省 国土政策局 総合計画課

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