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Webニューズレター新時代Vol.78 〜一緒に考えましょう、国会等の移転〜

寄稿文

本記事は、平成27年1月に実施したインタビュー内容を取りまとめたものです。

文化芸術が社会の復元力を高める

世界的にレジリエンス(Resilience)という言葉が流行っていますね。レジリエンスという言葉は、強靭化という日本語訳ではバイアスがかかって、意味が狭くなってしまっていますが、本来は「復元力」のことです。生物学的な要素や、医学や心理学なども含む非常に包括的な概念です。このレジリエンスという概念が、欧州でもレジリエント・シティ(Resilient City)等という形で使われています。文化芸術が社会の復元力を高めるという、本来とても大事なことが、日本では抜けてしまっているんです。

明日(2015年1月17日)で、阪神・淡路大震災発生から20年です。朝日新聞社と関西学院大学人間福祉学部による「心の復興度」を調査した結果が出ていますが、復興はまさに心の問題、生きがい等の問題です。震災後、神戸の物理的復旧は約10年で概ね結果を出し、神戸市は2005年に都市ビジョンを「創造都市」に切り替えて「創造的復興」をめざしました。心の問題や、生きがい等の問題に対しては、芸術・文化が大事だということです。

東日本大震災後、「創造的復興」が東北でのキーワードになりました。インフラさえ復旧していれば良いかといえば、そういうことではないだろうということです。単純に物理的な復旧にとどまらず、もっと新しいものを創っていくほうが良い。東北の場合、文化庁が文化財レスキュー等を行いましたが、例えばもっとアーティストが被災地を訪れてエンパワーメントするなど、繰り返し地域に入っていくことが大事です。

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「欧州文化首都」と“Creative city” (創造都市)

1985年から「欧州文化首都」というプロジェクトが動き出しました。1990年からの本格統合に先立って、EUという超国家的な社会をつくり出す統合に向けた動きです。

国民国家はフランス革命で誕生しましたが、それ以前の中世では「都市」にはもっと自律性がありました。国境は絶えず変動しています。だから国境をめぐる争いがあり、それが国家というものです。一方、都市のエリアは数千年変わらない場合もあります。例えば「京都」というエリアをみると、行政区域は広がったとしても、京都のコアは変わらない。自然条件や文化的条件があって、区域は不変なのです。

EUになると、加盟国家間の国境が低くなります。例えば今、欧州を移動している人はユーロがありますから、各国通貨に替えなくて良いでしょう。彼らはEU市民ですから、パスポートもチェックが簡単ですよね。同時に、中央銀行が行う金融財政政策だって、EU全体に合わせなければいけない。いずれにしても各国金融財政政策の独自性が減ります。

統合されたEUの中で国境が低くなり、新しい中世とでもいいますか、再び「都市」が自律したエリア単位として浮かび上がってきました。その時に人々のアイデンティティは、EU市民ということと同時に、それぞれの都市の文化に立脚することになります。

ギリシャの文化大臣だったメルナ・メルクーリ、ミッテラン大統領時代のフランスの文化大臣であったジャック・ラング、この2人の発案により始まった「欧州文化首都」は、多様性の中の統合、統合の中の多様性をキーワードに、EU加盟国の中から毎年1カ所文化首都を選び、その都市で文化イベントを集中的に展開するプロジェクトです。2000年には9都市が選定されて以来、現在に至るまで毎年2都市が選ばれて、30年ぐらい続けています。

ギリシャの場合はアテネが最初に選ばれ、継続する中で成功事例がいくつか出てきました。

英国で最初に取り組んだのはロンドンではなく、グラスゴーでした。グラスゴーは産業革命当時の都市で、造船業が盛んな港町でしたが、21世紀を直前にして一度衰退し、産業空洞化が起こりました。そうすると、残っている資源に目を向けざるを得ない。残っている資源とは何かと考えると、それが文化資源であったというわけです。グラスゴーの再生も文化事業を中心として、図書館等もリニューアルし、美術館や博物館などの文化施設を再生したのです。

「欧州文化首都」プロジェクトを通じて、文化資源を中心にして、文化産業の可能性や、例えば失業の克服といった文化による社会問題・都市問題の解決など、一つの政策パッケージが見えてきて、それをCreative city(創造都市)と呼ぶようになりました。

 

僕が創造都市に関心を持つようになったのは、1994年の国際文化経済学会で、チャールズ・ランドリーなど欧州の学者達によるCreative cityについての論考に触れてからです。都市論で知られるサー・ピーター・ホールは“Cities in Civilization”という1,000ページ程の大著を出して、創造都市の歴史理論を展開しています。

1990年代後半から2000年代前半にかけて、都市のあり方を議論するときに、当時は一番力がある都市を「グローバル・シティ」と呼びました。金融センター中心で、マネーが集まってきて、世界経済のリーダーになっていくという都市のあり方です。しかし、マネーだけで都市の経済を回していくということには元々無理があって、大きな変動性もあることから、僕はグローバル・シティを批判的に検討していました。もっと本格的に都市のあり方が議論されるだろうと考えましたが、その中で「創造都市」というのが面白いと思ったのです。

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多極分散型都市モデル

第四次全国総合開発計画(四全総)では、多極分散型国土形成を目指しました。

東京一極集中構造が強まる中で、東京再集中のレベルがこれまでとは違ってきていました。今は必ずしもそうではないですが、東京にとって、グローバル化と知識情報経済化が全てプラスに働いた時期があったのです。つまり、国内要因だけでなく、グローバル要因が入ったことで、大阪や名古屋、札幌等は、どんなに頑張っても、東京には追いつけなくなっていったと思います。

ところで、グローバル要因というのは色々な要素があって、巨大都市をつくる、巨大都市の競争状況を生み出すという話と、それだけではなくて、新しいタイプの都市があちこちに生まれてくるという両方があります。まさに多極分散です。多極分散の国土形成については、ドイツ、イタリアをモデルにして考えています。

当時面白かったのは、資本主義の類型論があったことです。社会主義が崩壊して資本主義が広がっていき、資本主義対資本主義という議論が出てくる。同じ資本主義といっても、アングロ・サクソン型と大陸型とでは違うだろうという議論です。

日本人はアングロ・サクソン型がグローバル・スタンダードと刷り込まれている。だからすごく偏っているんですね。金融業界にとって都合のよいスタンダードをつくっているのがアングロ・サクソン型です。米国の場合、例えば公的な医療保険もない。もっとも英国はこの点はしっかりしていますが。

ところが、ドイツ、イタリアというのは国土が分散型で、巨大都市をつくっていないんです。しかも家族経営とか、職人経営とかで、職人を大事にしている。このように同じ資本主義でも異なる形があって、「資本主義対資本主義」(ミシェル・アルベール著)という本が出たぐらいです。

多極分散型モデルを考えた時には、多極分散の都市の実態に関心がありました。それで僕はイタリアのボローニャ大学に留学したのです。ボローニャといえば職人経営で、文化のウェイトも高い都市です。しかも大学はいろいろなものを創造しています。オペラハウスもあれば、職人もオペラ(opera、創造的活動。後述)をしています。こういうモデルを「創造都市」と言ってみたらと思ったのです。

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Creative cityの世紀

西暦2000年にあたり、ミレニアム記念で欧州文化首都事業を一斉に9都市で行いました。ヘルシンキやブリュッセル、私がいたボローニャもその年でした。それで、きっと21世紀はCreative cityの世紀になるだろうと思いました。

英国ではトニー・ブレア首相がCreative for the futureと言い出して、1998年には文化・メディア・スポーツ省がクリエイティブ産業についてのレポート“Creative Industries Mapping Document 1998”を発表し、創造産業の発展計画を推し進めました。

また、ロンドンはCreative Londonという形で、8年間政策を行いました。それが2012年のロンドンオリンピックに結びついています。

オリンピックはまさにCultural Olympiadなのです。そもそもクーベルタンが提唱したのは文化とスポーツと教育が融合した祭典でしたから、そこへ回帰したのです。

このオリンピック文化プログラムに光を当てたのは、実はバルセロナオリンピックです。僕はボローニャとバルセロナをベンチマーク(比較する際の指標)の都市としています。ロンドンはアングロ・サクソン型ですが、ロンドンは政策的にはCreative Londonで、どんどん街はアートになっていきました。

実は米国だってアートになっています。多くの大学に立派な劇場があって美術館がありますね。そこに資本を投資し、アーツマネジメントの人材を実践的に育成しています。

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Creative class(創造階級)

2002年、米国でリチャード・フロリダ教授がCreative class(創造階級)を提唱しましたが、僕はその前からフロリダを知っていました。

経済学教授であるフロリダの議論の始まりは、トヨタ的生産方式が何故優れているかということでした。大量生産・大量消費でつくられてきたフォーディズム(マス・プロダクション)は限界に来ていました。その中で生き残るモデルが3つぐらいあります。

当時言われたのはボルボの方法で、ボルボイズムと呼びました。フォーディズムは、人間を機械の一部のようにして創造性を奪うものですが、それに対して、ボルボはコンベアを外して人間的な労働を復活しようとした、人間を復興するようなラインにしようとしたのです。ボルボは一時期よく売れたんですよ。

トヨタ型というのは、フォーディズムをさらに突き抜けた、ウルトラ・フォーディズムです。フォードの場合、ラインに並んでいるワーカーは、1つの仕事しかしません。日本の場合は労働者の質が均質でレベルが高いからいくらでもできます。マルチ・ジョブ・ホルダーです。それをフレキシブルな生産システムと呼びました。

イタリアではそのフレキシブルがもっと極端で、大量生産ではなくて、中世のクラフト型生産を現代化したようなもので、これをフレキシブル・スペシャライゼーションと呼びます。イタリアはこの議論をベースにしています。ボローニャで車は何をつくっているかというと、フェラーリ、ランボルギーニ、マセラティ。少量で、高付加価値のもので回っていく経済ですから、量をつくらない。クラフト的な仕事です。

一方で日本の方は相変わらず、大量生産でないと儲からないシステムにはまり込んでしまっています。大量生産の罠に陥っているわけですね。成熟社会ですから、そこから抜け出せるかどうかが本当は大事なんです。

大量生産工場であれば海外進出は当然です。カントリー・リスクがある限りは戻ってくることもあるかもしれないけれども、なかなか難しいと思います。そうすると、付加価値の高い物、感性の高い物、デザイン性の高い物をどうやってその都市の経済の中にビルトインしていくかという話になります。どうもそれを最初に知り出したのが、ボローニャなど「第三のイタリア」という議論だと思います。それは産業クラスターという議論になっていきます。この議論を部分的に切り取って、クラスター論としたのがマイケル・ポーターです。僕らはその原型を本で書きました。そういう意味でいくと、僕の書いた本は都市論にも影響を与えたし、クラスター論にももちろん影響を与えたし、文化政策にも影響を与えたと思います。たまたまそういうポジションに創造都市というのがあって、当時は都市論に影響を与えたということですね。

 

リチャード・フロリダの仕事は2つの点で面白かったと思います。一つは、Creative class(創造階級)という新しい社会階層を予言したことです。「意義のある新しい形態をつくり出す」仕事に従事しているCreative classは21世紀には増加するという議論ですね。

もう一つは、ゲイ(gay)・インデックスです。Creative classが集まる都市が発展するということで「3T」、 すなわちTalent(人材)、Technology(技術)、Tolerance(寛容性)というものを示して、それぞれに2〜3のインデックスを組み込み、それらを重ね合わせてCreative indexとしたのですが、この寛容性の中の指標としてゲイ・インデックスを加えたのです。日本ではゲイの統計なんて取れないでしょう。

内政におけるブッシュとオバマの政策の最大の違いは何かというと、ゲイを認めるかどうかです。オバマはゲイ同士のカップルも認めましたが、ブッシュはキリスト教原理主義者ですから、認めませんでした。フロリダは、ブッシュ政権に対抗したのですが、結局はカナダのトロントに移転してしまいました。都市論の大家と言われたジェイン・ジェイコブズもトロントに移住しており、フロリダはその後を追いかけていったような感じです。

欧州でCreative cityが流行り、米国でCreative class論が流行りましたので、これは間違いないだろうということで、僕も創造都市について本を書きました。

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「創造都市」の国際的展開

2001年、国連教育科学文化機構(UNESCO)は「文化多様性に関する世界宣言」を出しました。当時世界貿易機関(WTO)で議論となっていたのが、工業製品の自由化はOKとして、ではその他のものはどうかということでした。いろいろなものが自由化されました。弁護士資格等を増やしたりしましたね。今、その人たちは飯が食えなくて困っていますが。その中で、映画やテレビ番組等のソフトはどうだという議論があったのです。例えば映画産業でハリウッド1人勝ちとなったら、フランス、イタリアの映画産業は潰れてしまいます。シネマはフランス、イタリアが祖国ですから、それで潰れたら面目丸つぶれですよね。WTOは米国がつくったプラットフォームですから、フランス、イタリアはWTOでは反論できず、UNESCOに話を持って行きました。その時、UNESCOが考えたのが、グローバル化には、文化の画一化と多様化の2つの傾向があるということでした。なお、UNESCOでは2005年には「文化的表現の多様性の保護および促進に関する条約」を採択しています。

2004年からUNESCOがCreative cityのアライアンス(連携)を広げることになりました。「文化多様性」を世界に広げるために、「創造都市ネットワーク」により各都市が文化産業の多様性をお互いに競い合うことを考えたのです。それはとても意味深いことです。

今お話している通り、20世紀の経済、21世紀の経済には大きく変化があるわけです。それは知的生産ウェイトが高まるのと、グローバル化の進行により、産業の形が変わる、都市の形も変わる。そこで創造都市というものはたぶん広がっていくと思います。

 

僕は2000年まで金沢大学におりまして、山出保さんが金沢市長になられる前から色々アドバイ スしていました。市長になられて、市民芸術村や21世紀美術館を開設されて創造都市の基盤をつくられ、金沢の経済同友会では創造都市会議の取組を始められました。

すぐそれを追いかけるように僕は横浜で創造都市の取組を開始し、横浜市は行政で初めて「創造都市推進課」を設置しました。課長に僕の友人が就いたので、ランドリーと一緒に行って、当時の中田市長にいろいろアドバイスしたんです。

良かったのは、タイプの違う都市が走り出したことです。中規模の伝統的な文化都市の金沢と、都市としては日本で一番人口が多く、しかもかつての造船業やコンビナートが空洞化している都市である横浜です。このタイプの違う都市が地方と首都圏でそれぞれ走り出したことで、その2都市をリーダーにして、広がっていく気運が高まりました。

しかも2005年には神戸が創造都市宣言を行いました。2003年に、僕は当時在籍していた立命館大学から、大阪市立大学が創造都市研究科を設立するということでそこに移り、社会人の大学院をつくったんです。一番その大学院を活用したのが神戸市でした。計画策定から推進体制までの間、毎年のように職員が来ていました。

神戸市の創造都市ネットワークへの加入には、(株)フェリシモという人気の通販会社が関与しています。フェリシモは阪神淡路大震災後に大阪本社を神戸に移転し、震災復興と自分たちの経営の向上、それからUNESCOの教育事業も行ってきました。UNESCOは神戸市に対して、ネットワークへの申請を推奨し、神戸市はフェリシモの矢崎和彦社長を通じて、経済界で「デザイン都市」というビジョンをまとめたのです。

横浜と神戸はよく似ています。どちらも港湾、海港都市です。お互い造船業やコンビナートなどが衰退しています。特に神戸は震災ですごく衰退しました。それで別の形で、デザインの業界を伸ばしていったのです。その後札幌、名古屋等にも創造都市ネットワーク加入の動きが広がって行きました。

UNESCOが創造都市ネットワークを提唱して、2014年末で69都市まで広がったんです。32か国69都市ですね。まず第1弾で100まで伸ばそうとしています。

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「創造農村」

文化人類学の青木保先生が文化庁長官だったときに、当時文化庁長官官房政策課課長だった小松弥生さんが、僕の本を読んで、創造都市づくりを文化庁として応援できないかと言ってきて、2007年に「文化庁長官表彰(文化芸術創造都市部門)」が創出されました。トロフィーは現在東京藝大の学長の宮田亮平さんが作成しました。

初年度は4都市が選定されました。当時実績が上がりかけていた金沢と横浜の2都市に加えて、地域バランスにも考慮し、異文化コラボレーションの沖縄市と、文化景観の近江八幡が選定されました。それ以降も毎年4都市ないし5都市が選定されています。

そうなると当然、大都市、中規模都市だけではなく、もっと小さい都市でも何かできないかと考えることになります。文化庁はモデル事業として、1件500万円ぐらいの事業から始めたんです(「文化芸術創造都市モデル事業」)。

僕の本からヒントを得て、創造農村という言葉を最初に使い出したのは、1人が長野県の木曽町(当時木曽福島町)の田中勝己町長です。そしてすぐ後から、当時兵庫県篠山市副市長の金野幸雄さん(現・一般社団法人ノオト代表理事)も使い始めました。

そうこうしているうちに、農村部で自然景観とか、農村景観とか、地域資源の再生とか、古民家活用とか、職人工芸の色々なモデルが広がっていった中で、徳島県神山町が急にブレイクし始めました。僕は日経新聞の連載記事でスペインのビルバオの戦略を紹介したのですが、大南信也さん(NPO法人グリーンバレー理事長)がそれを神山町に応用するということで、「創造的過疎論」を提唱しました。なかなか良いキャッチですよね。

木曽町の田中町長から「創造都市論は農村にも適用できますよね」と言われた時に、そうですねと答えました。僕は、都市から始まったものは農村まで行かないと議論の体系ができないだろうと予想していたので、著書「創造都市への挑戦」の終章に「たざわこ芸術村」を予め配置していたのですが、創造農村論としては展開していませんでした。ところが、神山町の議論も出てきたこともあり、「創造農村」をテーマに本を創って欲しいと学芸出版社から言ってきました。創造農村ワークショップを4回積み上げてきて、色々な事例が出てきたので、創造農村論として体系化してみようかということで書き始め、2014年3月に「創造農村」を出版しました。

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「創造都市ネットワーク」の設立

日本で「創造都市ネットワーク」を2013年に設立するときも、いろいろな意見が出ました。「創造都市田園ネットワーク」としたらどうだという意見もありました。それも良いけれども、UNESCOに「創造都市ネットワーク」があり、同様にカナダにもありますから、国際的な呼び名はやっぱりCreative Cities Networkにしておかないとちょっと世界に対して通りが悪かろうと思いました。このムーブメントは、たまたま日本でこういうのがあるというだけではありません。21世紀のグローバルな社会の中でUNESCOもCreative Cities Networkを推進し、応援してくれています。さらに、国連において貿易、経済発展分野を所管する国連貿易開発会議UNCTADもCreative economy report(創造経済レポート)を発行しています。Creative cityという政策をUNCTADが取り上げたために、途上国も強い関心を持っているんです。

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大震災からの復元力

東日本大震災後、それまで現代アートの分野で演劇やメディアアートをやってきた方々、特に東北の方々が、伝統芸能、伝統文化の力はすごいと言い出したんです。神楽とか、伝統的なお祭りは、歴史的に震災を何回も経験しています。その都度、自然の猛威を感じ、死者を弔う、つまり神に対する感謝を捧げているのです。伝統芸能は、生き残った人達が生き続ける、自らを鼓舞するエネルギーがあるということです。それがなかったら、やっぱりあれだけのショックからは立ち直れない。伝統芸能とか伝統的なお祭りが持っているレジリエント・パワー、復元力だと思うんです。堤防を高くしたところで、もっと高い津波が来たらどうするのか。社会の復元力とはそんな話ではなくて、もっと根源的な所に力をつけなくてはいけないと思いました。

劇作家の平田オリザ氏が最近出した本「新しい広場−市民芸術概論綱要−」に、宮沢賢治の「農民芸術概論綱要」が引用してあります。宮沢賢治も、今回の大震災ほどではないけれども、震災を経験しているんです。そこからどうやって生き延びるか、再生していくかという話ですが、宮沢賢治は「半農半芸」と言っています。農業しながら芸術、科学を勉強するのだと。今、「半農半X」などと言いますね。あれは賢治から来ているのです。宮沢賢治は羅須地人(らすちじん)協会と言う、現在のNPOのような組織をつくりましたが、この名前は、彼に影響を与えたジョン・ラスキンからとっているんです。

ラスキンの後継者を自認するウィリアム・モリスは、大工場で人間が機械の付属物になって能力がバラバラにされていることを批判し、「労働の人間化」と「生活の芸術化」、生活を芸術的にするという意味ですが、これらをセットで提唱しました。それはラスキンの思想を反映したものです。

ラスキンは生命こそが一番根源的な価値があり、その生命に力を与えるのは自然であると言っています。ナショナル・トラスト運動は彼の思想から出てきたものです。また、ヴェネツィアの建築群を保存したり、都市景観の考え方などは全部ラスキンから来ています。ラスキン、モリスの思想を日本で最初にきちんと農村で取り入れたのが宮沢賢治なんです。

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職人たちに拠る創造的活動“opera”

一方、ラスキン、モリスの思想を日本で最初に都市で取り入れたのは、賀川豊彦です。ラスキンの名著“The stones of Venice”(「ヴェネツィアの石」)の翻訳をした彼は、湯川秀樹さんより前にノーベル文学賞の候補にあがった人です。彼がつくり出したものはすごいんですよ。

例えば生活協同組合、コープ(COOP)ですが、あれは賀川豊彦がつくりました。セツルメント(Settlement)もそうです。これらは根源は一緒です。ラスキンの思想の中には、人間の自由な創造的活動である「仕事work」=ラテン語で「オペラopera」と、他人から強制された「労働 labor」=ラテン語で「ラボールlabor」を区別するという概念がありました。音楽作品もオペラoperaですが、職人達の自由な仕事もオペラoperaといいます。これを皆とやるとコ・オペラcooperaとなるんです。COOPというと分からないけど、コ・オペラティーバ(Cooperativa)はイコール、協同組合なんですよ。イタリア、フランス、スペインはコ・オペラティーバがたくさんあります。コ・オペラティーバの保育園もあるし、老人ホームもあります。コ・オペラティーバ、社会協同組合の拠点はイタリア、ボローニャなんです。

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社会包摂型創造都市

僕は創造都市というものは社会包摂型創造都市になっていかなければいけないと思っていて、ボローニャから非常に深く学びました。社会包摂(ソーシャル・インクルージョンsocial exclusion)という概念、つまり宗教が違うとかで差別せずにいこうという話です。

アジアで今、ボローニャに非常に関心を持っているのはソウル市長の朴元淳さんです。ボローニャと提携して国際シンポジウムをやっていますね。彼の前任者の創造都市論は、オペラハウスを2つも3つもつくってしまうというものでしたが、そんなことは止めよう、ソウル市民にはまだまだ住宅が行き渡っていないので社会住宅のほうが大事だと選挙で訴えたのが、今のソウル市長です。

創造都市には2つ潮流があります。フロリダのようにCreative classを中心にして創造都市を考える概念と、広く格差問題にも目を向けて、社会から排除しないという包摂型創造都市という概念があり、欧州は後者だと考えています。アジアも、貧困問題が大きいということでは包摂型創造都市ですね。僕が5年前に発刊した“City, Culture and Society”という国際ジャーナルでは、社会問題も芸術・文化がアップデートしていくという論調でいきました。まさにレジリエント・シティです。外国で「レジリエント」と発表すれば当然そういう話になるのに、日本だと急にコンクリートの話になってしまうのは、ちょっとおかしい気がしますね。

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都心の再生

金融、ゼネコン、大企業本社を中心に東京を動かしていくと、結局は東京は創造性を失うと思います。都心は創造力があるように見えて、最も創造的な仕事をするような人達にとってみたら、実は住みにくい。物価も高いし。創造的な仕事をするような人達は周辺に追いやられているでしょう。

これはニューヨークでもあることで、例えばSOHOという言葉が流行ったときのことです。SOHOは、かつては工場街でしたが、その工場が空洞化したときに、そこにアーティストが勝手に住み着きました。本来は工場地域に住んではいけないので、最初は非合法でしたが、反対運動もあって、彼らをなかなか追い出せませんでした。当時のニューヨーク市はなかなか粋で、アーティストもモノをつくっている、クリエイターであると消防法を読み替えて、住んで良いということにしたため、ニューヨークの工場でアーティスト・イン・レジデンスが始まったのです。SOHOやロフトにアーティストが住み、そこをスタジオやギャラリーにしたら、それがブームとなりました。しかしそうなると今度は不動産業者が入ってきて、地価が上昇し、するとお金のないアーティストはどんどん周辺に追いやられてしまいました。これをジェントリフィケーション(Gentrification)と言います。この研究はニューヨークでたくさん行われています。一旦衰退した地域が、アーティストが住み、綺麗になって新しいライフスタイルが出てきた。すると今度は地価が上昇して彼ら自身が住めなくなってしまう。でもそれは都市の再生のプロセスなのです。ジェントリフィケーションというのは、優しく言えば中産階級のことだと考えています。

フロリダが言うCreative classにもCreative richとCreative poor の2種類があります。ブルジョア・ボヘミアンのことはBOBOと言いますが、クリエイティブな仕事をする人って、決して金儲けはうまくないんですよ。たまたま光が当たったら大金儲けするけれど、ほとんどが不安定就業です。製造業に勤めている方がまだ安定的就業です。クリエイティブの裏には、不安定就業があります。例えば俳優でも病気にでもなったら一気に駄目になってしまいます。

今、起こっている現象は、日本だけではありません。フランスでは俳優、アーティストは年金、保険に入れるので社会で支えられるけれども、米国にはそういうのが全くありません。フリーランスの人はクリエイティブなように見えて不安定です。東京の都心にも、たぶん一気にそういう問題が出てくると思います。それと高齢化の問題があります。

 

創造産業は東京だけではなく、世界的に大都市集中する傾向があります。なぜかというと、アーティストにしろ、劇団にしろ、まず文化資本がないと仕事できないんですね。メディアアートでも一緒です。やはり既存の出版とか、印刷、放送といった大きなメディアがあって、その周辺で仕事している方が仕事はしやすいんです。ロンドンでもパリでも同じです。ただし、住む場所については、名前が出るまでは地価の安いところに住むという傾向があります。

産業空洞化は最初、地方の工場都市で生じました。大規模な製造業から外へ出ていき、小規模なものは残されるからです。東京都心はどうなったかというと、既に最初から大型の工場は工場等制限法で外に追い出していました。それに代わるものが中に入って来て、それらが創造産業になるから、クリエイティブ・クラスターは都市に存在するようになります。一回その網を経験しているわけです。

日本の工場等制限法は2002年に廃止になりましたが、ロンドンでも同じことが起こっています。大都市から工場等を追い出すといった制度も、ロンドンを真似してきましたから。

製造業の産業空洞化は、地方都市から先に来たんです。東京はグローバル化対応で、国際機能、金融、そして創造産業が穴を埋めています。だけど、ブルーカラーの仕事が減った分、すべてを埋められたかというと、それは都市によって異なります。米国では1965年からその傾向が生じましたが、日本では1985年のプラザ合意後です。僕は、その前後にデータを集めて本を書きました。その時代の東京の分析をトータルにやったのは僕だけだと思います。東京にいたら、東京全体は見えません。たまたま僕はニューヨークに行ったりしていて、海外のデータと見比べたために、比較的客観的に東京を捉える事ができ、議論がうまくできたと思っています。ニューヨーク、パリ、ロンドンの問題と比較研究をすることで見えてくることがありました。

 

工場等制限法で、制限区域内においては、大学も大規模事業所扱いで新増設が制限されてしまいました。京都でも、立命館大学を市外に出しました。しかし、社会人大学院は都心に置く必要があるので、サテライトキャンパスを都心に置くようになりました。

僕は、大阪市立大学が社会人大学院、創造都市研究科を大阪の都心、梅田駅前に開設したので11年間教鞭をとりました。そこでやってみて思ったのは、梅田であれば京都、神戸、和歌山、奈良、場合によっては岡山でも仕事が終わってから通うことができます。それだけ鉄道網が集中しているんです。これが京都市内だとちょっと無理です、大阪梅田だから成立するのです。東京もよく似ていますが、東京はもうちょっと時間がかかるでしょうね。大阪の方がコンパクトです。

しかし、近年の大阪の衰退の一つの原因は、都心の文化というものを軽視した点にあります。国や大阪府は千里に文化施設を集中しようとしました。千里丘にライフサイエンスセンターをつくり、国立民族学博物館や国立国際美術館を置き、大阪大学も移転させました。その結果、都心が空洞化してしまった。都心で空いた跡地に、きちんとした施設を置けば良かったのに、当時はそのアイディアが乏しかったんです。うめきた地区のナレッジキャピタルの開設はタイミングが遅れましたね。

また、金沢大学にいたころ、僕は大学の施設があった金沢城の中で7年、城外で8年暮らしたのですが、地方都市にとっても、都心に大学とか美術館とか文化施設があるかないかで、都市のパワーは決定的に異なるんだと思います。21世紀美術館を都心に開設して、金沢の雰囲気が明るく創造的になりました。都市論を考えると、中心広場というか、中心的な施設として何を置くかということは、すごく大事です。若い人たちが都心で勉強できなくなったら、よろしくないです。その点、京都はまた大学を都心に戻してきているし、良いのではないでしょうか。

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創造の場から創造都市の連携に向けて

ある時代、日本の都市づくりは完全なハード先行でした。30年前、国土庁の会議において、「内発的な発展」が大切だという意見を述べると、そんな夢物語どこで通用するのかと、ほとんどの方に批判されました。とにかく社会資本配備計画から入って、高速道路や空港にいくら投資して、という時代でした。今はそこからは脱却して、内発的発展をベースにしないと地域発展は駄目だというところまでやっと来ました。

実はほとんどの地方都市が既に空洞化してしまっています。人為的に大きな施設をつくるのではなくて、例えば工場の跡とか、火力発電所の跡とか、そういった近代産業遺産を文化的な場に変えることで、「創造の場」をつくるところから始めたらどうでしょうか。

 

僕の地域政策論は、「創造の場」をつくり、そこを豊かにして連携していくことです。すると計画論者の方からは、都市計画論として説明しているようでしていないねと言われました。都市計画論の中で、ここは工場地域、ここは何地域と言わなければ説明にならないのだと。

改めてジェイン・ジェイコブズが何を言ったかを考えてみます。ジェイコブズは都市にとって大切なのは多様性だと言いました。大区画よりは路地が良い。単機能の地区よりは多機能の集積した場所が良いと。リチャード・フロリダは、実はジェイコブズの言う「都市の多様性」を「創造性」に読み替えているんです。それはソフトと一体になった新しい計画論です。だから僕からすると、創造都市論の流れで言ったら、ラスキン、モリス、ジェイコブズですね。

そして、ルイス・マンフォードという米国の学者もいます。マンフォードは主著「都市の文化」で、都市こそまさに、「文化的な個性化の単位」であると言い切り、4000年、5000年の都市の歴史を全部それで説明しています。これから創造都市を目指す都市は、何からやるかと言ったら、多様で個性的な「創造の場」をつくることから始めるべきなのです。

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佐々木雅幸(ささきまさゆき)氏 プロフィール

1949年生まれ。京都大学経済学部卒、京都大学大学院経済学研究科博士課程修了、京都大学博士(経済学)。現在、同志社大学経済学部特別客員教授、大阪市立大学都市研究プラザ特任教授、文化庁文化芸術創造都市振興室長。

職歴

1980年 大阪経済法科大学経済学部専任講師

1985年 金沢大学経済学部助教授

1992年 金沢大学経済学部教授

1999年〜2000年 ボローニャ大学客員研究員

2000年 立命館大学政策科学部教授

2003年 大阪市立大学大学院創造都市研究科教授

2007年 大阪市立大学都市研究プラザ所長

2014年 同志社大学経済学部特別客員教授

      大阪市立大学都市研究プラザ特任教授

      文化庁文化芸術創造都市振興室長

受賞

1999年度 金沢市文化活動賞

2003年度 日本都市学会賞 自著『創造都市への挑戦』に対して

著書

『創造都市への挑戦』(岩波現代文庫版、岩波書店 2012年)、『創造都市と日本社会の再生』(公人の友社 2004年)、『創造都市への挑戦』(岩波書店 2001年)、『創造都市の経済学』(勁草書房 1997年)、『都市と農村の内発的発展』(自治体研究社 1994年)等多数。

共編著

『創造農村: 過疎をクリエイティブに生きる戦略』(学芸出版社 2014年)、『創造都市と社会包摂』(水曜社 2009年)、『価値を創る都市へ』(NTT出版 2008年)、『創造都市への展望』(学芸出版社 2007年)等多数。

 

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