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国会等の移転ホームページ

Webニューズレター新時代Vol.79 〜一緒に考えましょう、国会等の移転〜

「地域安全システム学」とは

学部生のころ、都市計画、まちづくりについて勉強し始めましたが、都市計画やまちづくりは他分野と比べ科学性が乏しいことや建築のように自分の感性やセンスをベースにしてものを創り出していくという感じもないので、中途半端な領域だという印象を持ちました。多様な主体がいて、多様な価値観があり、その中でどこかに落としどころを創り出していくというのが都市計画であり、そのときに主要な価値観って一体何なんだろうかとも考えていました。自分が学生時代にはその価値観に3つの軸があるという考えに至りました。一つは経済性、もう一つは景観が美しいなどの主観的な良し悪し、最後の一つが正しい、正しくないという軸があると考え、その最後の一つを自分の一生の仕事を決めていく際の軸にしようと考えました。そのときに自然災害というものは自然現象で、しかも物理現象で、物理的なメカニズムに裏付けられていて、ここに人間の曖昧な主観が入る余地がないので、これはかなり科学的なアプローチができるに違いないと考え、都市計画の中でも防災を主軸にして、その上でいろいろな活動をしていこうと考えたのが最初のきっかけです。

このようなことから、私は都市計画やまちづくりを勉強して、最近、都市防災に関心を持ったわけではなくて、勉強を始めたころから、自然災害リスクを低減させる都市のあり方は何かというところに着目しています。

従来の言葉で表すと「都市防災」という言葉が使われる分野ではあるのですが、所属している生産技術研究所では、一人ひとりが固有の専門分野名を名乗るという習慣があり、この「地域安全システム学」という名前に定めて、研究をしています。

都市問題のひとつとして防災上の問題があって、それを解決していこうというのが従来の「都市防災」であると解釈しています。しかし、今は、問題の解決というよりも、地域の安全を支える仕組みや地域のシステムを創造的につくり出していく時代に入っていると考えています。いつまでも都市問題を解決していく作業だけではなく、もっと創造的な研究分野にしていくべきだという思いが、実は「地域安全システム学」という言葉の中に含まれています。

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市街地の脆弱性の把握と評価

地域安全システム学を構築する一つの研究として、市街地における災害現象を科学的に解明するというものがあり、そのひとつに「地震火災リスクの評価手法に関する研究」があります。これは日本列島全体を起震台に乗せて揺らしたときに、どの地域にどれだけの地震火災リスクがあるかを科学的に計算したものです。各地域の「延焼運命共同体(震災時にある場所の建物群の中で出火したときにその出火のために焼失してしまう範囲)」を特定して求めたものです。

 

延焼クラスター(延焼運命共同体)による地震火災リスク

 

例えば、高円寺は延焼運命共同体が大きく、10年ぐらい前の計算ですと、2万棟が延焼運命共同体になっています。大体1万棟に1軒ぐらい出火しますので、ほぼ焼失してしまう計算になります。これを東京、大阪、京都、名古屋について見ていくと、東京、大阪は非常に大きな延焼運命共同体が今でもたくさん存在しています。

こうした研究は、科学的にリスクが分かるというだけではありません。こういう市街地だとこんな危険性があるのだということが分かるので、これを逆から読むと、今ある危険性をここまで下げようとしたときに、どのような市街地だったら良いかが見えてきます。このように都市計画やまちづくりを研究している私たちが自ら現象を解明し、評価方法を組み立てれば、それを逆算することにより、計画やまちづくりのヒントを得ることが可能になります。

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対策を地域とともに考える

「地震火災リスクの評価手法に関する研究」は、コンピューターに向かって研究するという感じですが、実際に防災まちづくりの現場に出て、行政の人、住民の人、それからNPOの人たちと一緒に実践的なまちづくり活動もしています。

2006年に葛飾区で大規模水害に備えるまちづくりを始めたことが最初の機会で、私が水害想定のシミュレーション結果等を見ながら説明をすることから始まりました。海抜ゼロメートル地帯で、海より低いところに街があって、低層の建物が密集していて、国土交通省の計算によると、浸水時にはこのような状況になり、ある時間断面で見ると、街はこのような状況になってしまいます。

 

GISによる客観的情報(例)−水害対策支援システムからの出力−

 

最初の回から2年半後、地元の町会長がシミュレーションシステムを使って、地域の人に対して、自らのまちがこういうまちだったという説明をすることができるようになりました。

その際、町会長の頭の中には、ここは誰々さんの家だ、高齢者二人暮らしだ等の情報というアナログがたくさん入っています。こうした情報と重ね合わせて、初めて地域の安全に貢献できる技術になるのだということに気がつきました。つまり、大学でこんな素晴らしいシミュレーションシステムができましたと言っているだけでは全く不十分で、これに加えて、こういった新しい技術を地域の中で使いこなすという別の新しい技術が実は必要だということを改めて痛感しました。地域の中にあるアナログな知恵、仕組みを積極的に活用し、社会全体に役立つ方向に持っていくことがこの分野の重要なポイントだと考えています。

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計画者の立場から被災に備える

従来、「防災」というと災害がくる前に安全にしていこうという話ですが、もう少し時間軸を広げて考えると、防災は本来すごく時間がかかるものです。だから安全になりきる前に必ず災害がくる。そうなったときに、防災のフェールセーフ(fail-safe)として、円滑かつ速やかに復興できるようにしておくということも、実は事前の策としてきちんと防災計画の中に埋め込んでおく必要があると考えています。私はこのことを「復興準備」という言葉を使って表しています。従来の防災のフェールセーフとして、「復興準備」という概念が重要だと考えています。

「復興準備」とは、「事前復興」に包含されている概念ではあるとは思いますが、少し違うとも考えています。「事前復興」は、被災後に円滑な復興のためのマニュアルの作成、復興ビジョンの共有といった準備の部分、すなわち「復興準備」と、もう一つは、復興しやすい被害の少ないまちにしておく、つまり、「従来の防災まちづくり、減災まちづくりの上乗せ」という二つの概念で構成されていると理解できます。我々は、自治体を対象として、これまで手薄だった復興準備の部分についてきちんと方法論を確立していこうという研究を2008年頃から行っています。

東京都は、阪神・淡路大震災以降、先駆的に取り組んでおり、復興まちづくり模擬訓練や復興の図上訓練を役所やコミュニティレベルで精力的に実施していますが、ここでいう「復興準備」というものは、それを包含し、さらに拡張させたものです。復興準備の目標は、減災対策のフェールセーフ、安全になりきらないうちに災害が起きても、速やかに立ち直れる状態をつくることです。東京都の場合、阪神・淡路大震災型の被災をした際に、神戸型の復興が円滑にできるようなマニュアルをつくり、そのマニュアルを訓練によって習熟するやり方だと解釈できます。

野球で例えるならばこうなります。東京都の場合は、ストレートがきたらホームランを打ち返せるぐらいまでしっかりと練習しているのですが、カーブがきたら、必ずしも打ち返せるとは限りません。空振りの可能性すらあるかもしれません。マニュアルがなければ何もできませんが、一方で、精緻なマニュアルがあることによって、マニュアルが前提としない全く違う被災状況に対しても、そのマニュアルに沿って復興をしていかなければならないという弊害があるのではないかと危惧しています。

 

復興準備の2つの視点

 

対比的な事例として、四川の大地震の話を取り上げています。大地震の際に、中国の地方政府の優秀な役人が「中国はルールがなくてよかった。」と言っています。中国では地方政府(現場)の役人に相当幅広い裁量権が与えられていて、災害のような、誰も経験したことがない状況において、自分の裁量権を使って、適切に対応することができたと言うのです。その地方の役人の裁量に依存しているため、平常時のシステムとしては極めて脆弱なのですが、非常時にはプラスの側面がでる場合もあります。

一方、東日本大震災は、これまで日本が始めて経験した被害状況でした。シニカルな言い方をすれば、制度が前提とする状況とは異なる状況に対して、前提が異なる制度や政策的なツールを使って、どこまでの復興ができるかというおかしな社会実験をしているという見方もできると思います。

例えば高台移転の仕組みは、治水対策として小さな集落を移転させた方がコスト的に有利という理論で組み立てられています。今回のような広い範囲で、防潮堤を造りつつ、高台移転をすることが本当にいいのか、と疑問に思っている人もいますが、このまま進むしかないという状況となっていると思います。

このようなことから、必要な視点としては、直球に対してホームランを打てるようにしておくことと同時に、どんな変化球がきてもポテンヒットでもいいので何とか塁に出られるようにしておく必要があると考えています。このスタンスで、ここ8年くらい研究をしています。未経験の復興状況が生じることを前提として、事前に復興過程を理解して、それを解消できる施策を事前に考えておいて、それを引き出しにしまっておくということをひとまず自治体できちんと確立させていこうというのが復興状況イメージトレーニングです。国レベルでもやるべき取り組みだと思っています。

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復興を進める上での6つのポイント

これまでの災害復興のあり方とその問題点の傾向を通して見えてきた災害復興に共通する事項を「災害復興の6つの法則」として以下のようにまとめています。

災害復興の6つの法則

  • (1)どこにでも通用する処方箋はない
  • (2)災害は社会のトレンドを加速させる
  • (3)復興は従前の問題を深刻化させて噴出させる
  • (4)成功の必要条件:復興の過程でコミュニティの力を引き出せるかどうか
  • (5)復興で用いられた政策は過去に使ったことのあるもの
  • (6)復興に必要な4つ目 +α バランス感覚

一つは「どこにでも通用する処方箋はない」ということです。時代が変われば、地域特性、災害特性が変われば、違う処方箋が必要になってきます。東日本大震災で阪神・淡路大震災でのノウハウが使えなかったというのと全く同じです。

次に「災害は社会のトレンドを加速させる」ですが、災害からの復興に際しては、過疎化している地域では過疎化が加速し、成長する地域では成長が加速します。他にもいろいろなトレンドがあると思いますが、全て加速する方向に力が働くと考えています。中国の中でも一番成長率の高かった地域で起こった四川地震でも、震災復興で10年分の発展を先取りしていました。これは焼け太りではなく、トレンドが加速したためと解釈できます。いずれの細かいトレンドも基本的には加速することを前提に復興を組み立てていく必要があると考えています。

そして、復興では様々な課題が出てきますが、何も新しい課題でなく、今までにあった問題が深刻化して同時に表出してきただけ、ということです。つまり事前に復興課題は分かるということなのです。

さらに、重要なポイントとしては、復興で使われた政策というのは、過去に使ったことがあるもの、または考えることがあるものに限られているということです。被災して、復興しようと思ったときに、突如として新しい政策が出てきた例はありません。それを考える暇もありませんし、時間もないからです。時代のトレンドが一本調子のときには、過去に使ったことがある政策を使えば、それなりに成功します。しかし、今みたいに時代が変わったときでは、過去に使ったことがある政策では失敗します。東日本大震災のときには、そうだったかもしれないです。災害復興は、10年に1回あるかないか、もしかしたら何十年に1回ぐらいしかないものです。

そうすると、過去のものは基本的に陳腐化しており、それだけに頼っていると、絶対うまくいかないわけです。重要なのは、少なくとも考えたことがあるものを使えるという法則です。例えば、関東大震災の時は、その前に土地区画整理事業を検討していて、東京を近代化させていくという議論が積み上がっていたという背景があったので、震災が起こった後、以前考えていたその方法を震災復興に適用できたのだと考えています。次の災害に備えて、復興課題を理解した上で、しっかりと政策を考えておく、カードとしてすぐ出せる政策をそれぞれの自治体で考えとくということが非常に重要と思うわけです。このことについては国レベルでもやらなくてはならないし、自治体も各自治体で地域特性にあった復興施策を考えていかないといけないと思っています。

復興イメージトレーニングに参加した人は、これは絶対に自治体でやるべきだと思って帰るのですが、役所の中では、都市計画としてほかにやることがあるだろう、被災した後のことを考えるのではなくて、事前に防災まちづくりを進めるべきだろうという話にどうしてもなるようです。備蓄物資が必要なのと同じように、都市計画分野における復興準備は当たり前であるということに早く気付くべきだと思っています。

復興を考えると、これまで違う土俵で議論していた防災部局の事務職系の人と、都市計画部局で防災に携わる技術系の人が、庁内の同じ土俵で議論せざるを得なくなるというメリットはあります。中央防災会議で、地域防災計画と都市計画の有機的連携ということが言われていますが、防災部局と都市計画部局では言葉が違うとか、議論がかみ合わないとか多々あると思います。防災部局は、当然のことですが防災だけを考えています。時間軸では、明日、被災したらどうするかということを常に考えています。そのため、今の空間をどう使いこなしていくかという話に重点がおかれます。一方、都市計画部局では、いろんな地域の実態がある中で、防災という課題もほかの地域課題とあわせて考えます。時間軸では、そもそも対策に時間がかかるので、明日に備えてでは、何にもできないので、もっと先のことを考えています。そのように、見ているテーマの広がりと時間軸が全く違うわけです。このようなことから、いつまでたっても、言葉が合わない、文化が違う、民族が違うみたいな話になってしまいます。しかし、復興というテーマでは、防災部局と都市計画部局もうまくつなげられる可能性があり、総合的な議論が行えるのではという感じはしています。

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新しい技術を取り入れた研究

私は、新しい技術に対してあまりアレルギーがないので、シミュレーション技術やインターネット技術、その他の可視化の技術といった新しい技術についても使えるものは使っていこうというスタンスで研究を進めています。

現在、地震火災が起きたときに、人がどう逃げるかのシミュレーションを行っています。シミュレーションは、こういうふうに逃げるに違いないといって、人を動かすシミュレーションをやっていますが、周りを火災で囲まれたときに、実際どう逃げるか分かりません。それを分析するために、映像を頭の動きに連動させて周囲の状況を映し出し、擬似的に体験することのできる、オキュラスリフト(Oculus Rift)という装置を使って、まちで火災が発生した場合を体験するという方法で研究を進めています。

Virtual Realityの技術を使って、いろいろな映像パターンをつくって、その装置内での様々な状況に対してどう反応して、現代人がどのように避難をするのかを把握しようとしています。

また、シミュレーションをみれば明らかなように、市街地火災の延焼速度は速くないので、俯瞰的に状況が理解できれば、火のない方向が分かり、そっちの方へ逃げればよいのですが、実際に街の中から見てみると、火災がどこで起きているのかが分からないので、結果危ない目にあう可能性が出てきます。火災の発生状況がリアルタイムで確実に避難者に伝えられるようなシステムも新しい技術として必要だと考えています。

東京都の場合、各避難場所の安全面積の中に、入りきれるような人口で圏域を区切り避難圏域はつくられています。代々木公園のような大きいところは大きい圏域になっているため、近くに小さい避難場所があっても、遠くまでいかなければいけない人も大勢でてきます。全ての都民の命を守ることができるように計画上、圏域割りしていますが、避難誘導がない中で、もしもみんなが最寄りの避難場所に逃げると避難場所に入りきれない人が、当然出てきます。

このような実験的なシミュレーションをしていると、地震火災への対応として、想定外をなくすという観点から、これまでの対策に加えてさらに、もう1枚2枚のフェールセーフを重ねていく必要があるとも考えます。

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東京の自然災害リスクについて

東京が抱える自然災害リスク

 

ドイツのミュンヘン再保険会社が世界の大都市を対象として自然災害リスクを評価しています。東京については、ハザード(危険性)は当然あります。エクスポージャーは、リスクにさらされている資産量なので、たくさんのストックがあるゆえ、大きいものとなっています。バルナラビリティー(脆弱性)は、世界の他の地域と比べると建物もしっかりと建てているし、地域社会や人間も災害に対しての知識もあり、スキルもあるので強いはずと考えています。

ハザードとエクスポージャーが大きくても、バルナラビリティーが低ければ安全な街であるはずなのですが、東京や横浜はとても危険度が高いという表現になっています。評価している会社には研究所があり、ハザードに関しては高い精度で地球規模の評価をしているので正しいと思いますが、このバルナラビリティーについては、同じ水準でのデータが手に入らない限り、国際比較をすることはできないのではないかと考えています。

ハザードやエクスポージャーだと基本コントロールできないものですが、バルナラビリティーはコントロールできるものなので、東京を中心にした日本の都市の今後の方向性としては、しっかりとハザードの存在も理解し、エクスポージャーに関しては、敢えてある一定以上集積させることで都市に活力をもたらすようにし、その上で、しっかりとバルナラビリティーをコントロールすることだと考えています。危ないところに安全に住むという一見矛盾したものを両立させるという姿勢で都市づくりをしていくことが重要だと思います。世界を見渡して、これだけハザードがあるところに、これだけの集積があり、新しい文化を創り出した都市というのは、日本の都市以外にはないかもしれない。こういう自負を持って、未来に自慢できるような都市を目指すのがいいのではないかと思います。

私の基本的なスタンスとしては、ハザードの存在は仕方がないし、それを避けるよりはハザードの存在を前提とした上で、知恵を集めて、そこにいかに安全に生活できるような工夫ができるかということを真剣に考えるべきだと思っています。安全に住むための技術開発や工夫が、その地域の文化になっていくわけですから、ハザードの存在を、文化を創り出す資源として、ポジティブに捉えることが、東日本大震災を経験した後、最も考えるべき基本的な方向性だという気がしています。実は、東京の防災も含めて、従来の都市防災は、そのような方向性の議論だったと思います。それが東日本大震災を経験したことで後ろ向きな、危ないところには住まないというベクトルが強くなっていることに対して、強い違和感があります。

世界でも希に見るハザードをたくさん抱えている東京で本当に考えるべきことは、全市民が自然災害についてゼロリスクはないことを理解した上で、自然災害リスクをどれくらいまでならば許容できるかということを考え、そこに焦点を当てて、計画技術も含め、技術蓄積を図っていくことではないかと思います。

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リスク情報に内在する課題を含めた対応

被害想定等のリスク情報は、極めて精度が高いような見せ方となっていますが、その情報を使う側の住民やプランナーがそのリスクに含まれる不確実性や誤差を確実に理解することが必要だと思っています。

客観的なリスク情報を与えるときに、その情報に含まれる不確実性や誤差を、いかに上手に社会に伝えていくかということが、一つ大きな研究課題であると考えています。

南海トラフ大地震の想定については11パターンで計算されていますが、マスコミから社会に伝わる情報としては、想定パターンの最大値のものとなっています。シミュレーションの最大値である津波が必ずくることを想定した場合と、最大値の津波かもしれないし、最小値の津波がくるかもしれないという不確実性を考えた場合の都市づくりの方向性は変わってくるはずだと思います。この最大値と最小値の幅は、情報を受けた自分たちで咀嚼し、理解して、最終的な計画づくりにつなげていくべきだという気がしています。

市民もプランナーも、災害リスクの想定は、与えられたものを鵜呑みにしてはいけないと考えています。むしろ、「災害リスクの想定は、与えられるだけのものではなく、自分たちで主観的に創り出していくものだ」という感覚が重要だと考えています。

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東京の防災都市づくりの現状

東京の防災都市づくりは、地震火災に対しては計画論としては完成度が高いと思っています。地震火災に関していうと、多重防御が相当できています。おおむね昭和40年代ぐらいから避難場所を確保して、50年代に延焼遮断帯をつくり、60年代に燃えにくい街をつくりましょうという展開をしてきています。これに関して、時代を逆から読むと次のようになります。今ここで火が出ても条件がよければ消せるかもしれない、条件が悪くて燃え広がっても延焼遮断がしっかりしています。さらに運が悪く強風が吹いた場合でも最後は避難場所が確保されていて、そこに逃げれば全員が助かることになっています。地震火災については3重のフェールセーフができあがっているのです。ただし、先程のシミュレーション研究での話のように、さらにフェールセーフをあと1枚、2枚重ねていく必要はあると思っています。

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気候変動に対応する東京の防災都市づくり

東京の防災都市づくりについては、今後は地震火災だけではなく、気候変動にも対応してく必要があると考えています。ここ10年ぐらいで取り組んでいるところです。

東京(葛飾区)でも気候変動の影響で、来年再来年は大丈夫だけど、30年後、40年後には、大規模水害の危険性は確実に高まっていきます。そのため、30年から40年先を見越して、今のうちに、布石を打つ必要があると考えています。地震火災に対しては、昭和40年代から取り組み始めたものが、今振り返ると、素晴らしい三重の多重防御になっています。

例えば、葛飾区がこのような状況になっている原因は、二つあります。一つは地盤沈下、もう一つは地盤沈下を考慮しなかった市街化があります。葛飾区は戦後の経済成長の中で一気に市街化が展開して、現在の姿になりました。すでに地盤沈下は戦前の近代化の時代においてすでに記録されており、その後の高度経済成長に伴って、地盤沈下することも容易に推測がついた時代だったと思います。地盤沈下をしてくだろうという予想があったとしたら、多摩ニュータウンをつくるのではなく、葛飾ニュータウンをつくっていたとするならば、ここは中高層の住宅団地になっており、浸水しても高層階に逃げれば済むような街になったはずです。歴史に「たられば」はありませんが、地盤沈下を考慮しなかった都市計画の失敗が、このような気候変動による被害に晒されるかもしれないもう一つの原因になっています。現在、ソリューションも見つからない状況になってしまったのは、戦後の高度経済成長の15年、20年ぐらいの期間の失敗だったわけです。でも、この先30〜40年で、今ある建物は建て替わるに違いないと考えると、その建て替わる機会を利用しながら、水害を無理なく迎えられるような市街地がつくれるのではないかと思っています。

具体的に何をしているかというと、まず地域社会が自らのリスクを理解して、自分たちでやるべきことを考えていけるような状況をつくっています。そして、大規模水害が数十年先に起きたときに備えて、安心できる市街地(浸水対応型市街地)を今から30〜40年、50年かけてつくっていくことが必要ではないでしょうか。地震火災に対する防災都市づくりの経験に習って、時間軸を長くとり、第1段階、第2段階、第3段階という15年スパンぐらいの対策を進めていって、浸水しても大丈夫な街(浸水対応市街地)にしていくというのが良い方法と考えています。

ここまで、浸水対応市街地は、防災上、浸水リスクを下げることも考えつつ、一方で、気付かれていなかった地域の魅力を発掘して、都市づくりの新しい原動力の一つにできるのではないかと考えています。気候変動が深刻化する将来、遅れてきた「二十世紀の負の遺産」と呼ばれないように、今から布石を打つ必要があります。

この住民の人たちとの活動の中で、「浸水」と「親水」というキーワードが出てきました。川の近くに住んでいて、浸水リスクだけ受け止めるのはばかばかしい。水に親しんで暮らして、楽しく暮らして、プラス・マイナス・ゼロだと冗談まじりに言っていました。実は、親水性の高い暮らしをしている人は、浸水リスクもきちんと認識しているという傾向があります。水辺という都市づくりの資源を活かしつつ、浸水リスクにも対応していくという一見、相矛盾するものを両立させていくことが重要です。

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防災上の観点から東京に必要なこと

木造の密集市街地についても、地震火災リスクさえ低減できれば、素晴らしい街になるかもしれないと思っています。これまで延々と密集市街地対策を進めてきたわけですが、もうそろそろ価値観を大転換して新しい方向性を向いてもいいかもしれないと感じています。密集して基盤が整備されていないという状況を逆にポジティブに意味付けをする、未来的な価値観で意味付けすることが重要だと思っています。

例えば、消防自動車が入れないから防災的に危ない街であるというのが、二十世紀の価値観です。もしも消火設備等も街の中に埋め込んだとすれば、逆に車を使わなくていい街になる。車が通らないから密集市街地の方が歩行者空間が広いのです。だから、歩いて暮らせる健康な街、知っている人しか入ってこないから防犯性が高い、木造が密集している街に集積されているから炭素を固定化している、というような新しい意味付けをすることで、今まで負の遺産と思っていた地域が、先進的な素晴らしい街になり得る可能性があるわけです。こういう街は、東京、日本にしかない街だと思います。実際に外国人の研究者を密集市街地に連れていくと喜びます。そういう空間で、しかも豊かに生活文化が育まれていれば、それは世界に誇れる可能性があると思います。

一方で、これまで危険のないと思われていた市街地についても、今後は密集度が高まり、危ないと言っていた市街地と同じものが生産されてしまう可能性があります。また、現在、危なくないと言われている街が、災害時に自立している地域になるか、あるいは救援が必要な地域になるかにより、東京の災害状況が変わると思っています。なので、この普通の街に対してここが災害時に自立できるようにするための計画手法というようなのを考えて、対策をとっていく必要があると思います。例えば、学校の跡地等が地域の自立性を高めるような機能が付加されるように開発されたとすると、この周辺地域は、災害時の自立性が高まっていきます。このようなことから、大規模な敷地、特に小中学校含めた公共施設の建て替えの際に、災害時の地域の自立性という観点から災害時に備えた機能を上手に埋め込んでいくことが重要になるかもしれません。

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東京の復興準備のあり方について

東京の復興準備のあり方は、神戸型の被災を前提としているので、大きく被災したところは、区画整理か再開発を行うやり方になっています。例えば、駅前が焼けてしまった場合に、現在の枠組みだと焼けた市街地は、再開発されることになると思います。同時に被害を受けた建物所有者は増床して再建することを考えるでしょう。その結果、被害状況に依存した全く意図しない都市構造の再構築がなされてしまう可能性も出てきます。本当は広域の計画調整や広域でのビジョンの共有が必要です。災害を契機として積極的な意図をもって都市構造の再構築ができるような仕組みを事前の計画の中に盛り込んでおく必要があると思います。

災害からの復興にあたっては、街が変わってもいいと思います。人々の暮らしが変わっても良いと思っています。むしろ変われる力を持っている方が地域としてレジリエンスは高いのではないかとすら考えています。東京は、歴史ある地方都市とは違って、常に変わってきたという歴史を有しています。阪神・淡路大震災以降、東日本大震災でもそうですけれども、もともと住んでいたところに戻るというのが重要視されがちですが、東京ではそうではないと思います。戦前は浅草あたりに住んでいた人が、戦後焼け出されて、葛飾に住んでいます。昔からダイナミックに人間が動いているのです。

現在の都市構造を崩さないというのも一つの選択肢だし、災害を機に意図を持って再構築してくというのも一つの選択肢、意図しない結果となることが最悪なことだと思います。現在の計画システムだとそうなる可能性が高いと危惧しています。そのような事態にならないようなシステムをつくっておく必要があります。

また、今後に起こりうる大規模災害への対応を考えていくときには、自治体を超えた連携が不可欠だと思っていますが、あまり機能しているとは思えません。特に復旧、復興を考えていくと、空間的に完全に破綻しています。例えば、仮設住宅用地どうするか、がれきの置き場所をどうするかといったときに、東京都では、東京には空間がないから解決の方法がありません。苦肉の策として、時限的市街地と称する被災地域内に仮設市街地をつくるという概念は出しているものの、その実現までには未だいくつものハードルがあります。そのことから、埼玉県や千葉県等の近隣自治体のオープンスペースを使うなど、自治体を超えたスケールで対応しなければならない。それを支えるための計画システムが心から必要だと思っています。

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これからの東京のあり方

業務地区における防災対策として、都市再生安全確保制度がありますが、ハザードのある地域で、「かっこよく暮らす良さ」というのを世界にアピールしていくことが必要です。コストではなく、付加価値として防災を位置付けて、開発が進めば進むほど、地域全体が安全になるというようなメカニズムを埋め込んで、ハザードを超える水準の備えを確実に進めていこうということです。

具体的に建物が設計されたときに、このビル自身が一定以上のクオリティー持っているということを評価するとともに、周辺地域に対して、防災上どういう貢献ができているかというのも評価する。その両方満たした時は地域に貢献できる防災拠点のビルということで認定していく、認定されることにより、テナントの空室率が減少して、経済的にプラスに跳ね返るという仕組みをつくっています。開発の力を上手に利用しながら、みんなが幸せな状態になっていくというものを作り出します。この方法論が確立すると、世界に輸出できるかもしれません。危ないところには住まないという消極的な姿勢ではなく、危ないことを分かった上で、どのようにそれを超えるだけの備えを蓄積できるかということです。

幸せに生きる方法は二つあるとよく言っています。「知っている幸せ」と「知らない幸せ」。災害のリスクを知った上で、そのハザードを超えるような備えがあれば、その地域では安全に暮らせるという考え方です。ハザードの大きさに対応した十分な備えの大きさがあって、どれだけ備えを自律的に膨らませられるかが、東京含めて日本の都市に求められていることかと思います。

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おわりに

これまでの右肩上がりの時代では、東京がトップリーダーで、東京モデルというのを全ての地域が目指していました。これからは、そうではなくなっていると思います。江戸時代は、行政の役割なんて非常に小さく、自然なかたちで地域が今でいう行政の役割を担っていました。

最近、徳島県の美波町のある伊座利という集落で勉強させてもらっています。そこは人口100人程度しかいない集落ですが、地域としてうまく成り立っていて、私はこれからの時代の地域づくりの先進モデルではないかとすら思っています。現在、その地域が活動始めて30年ほど経っていますが、うまくいっている理由としては、行政に頼らないという姿勢、つまり自立するという姿勢が一貫していることだと思います。利用できるものは利用するが、行政には頼らないというポリシーなのです。共同体としての地域のいろいろな活動にしろ、生活基盤にしろ、基本は自分たちの創意工夫でやるということになっています。個性豊かな人たちがそれぞれ誇りを持った生き方をしているところに惹かれます。

現在の行政の手が届かない縦割りの隙間がたくさんある時代で考えていくと、今まで東京がトップリーダーでしたが、それはこの過去40年から50年の話で、むしろ今はいろいろなヒントが過疎地域の中にあるような気がしています。東京も少しそのことも頭に入れながら都市づくりを考えていかないと、日本でビリになってしまうかもしれないですね。

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加藤孝明(かとうたかあき)氏 プロフィール

1967年 愛知県生まれ

1990年 東京大学工学部都市工学科卒業

1992年 同大学院工学系研究科修士課程修了

現在 東京大学生産技術研究所 都市基盤安全工学国際研究センター 准教授(地域安全システム学)

著書・論文等

・加藤孝明:「持続性のある市民主体の地域防災の進め方モデルの試案―総合性、内発性、自律発展性の創出と維持―」、『地区防災計画学会論文集No.2』、地区防災計画学会、2015年1月

・加藤孝明・渡邊仁・小島知典:「防災拠点機能ビルの評価手法に関する研究-業務地区における総合的な災害対応力の強化を目指して」、『日本建築学会計画系論文集 79(696), 451-459』、2014年2月

・加藤孝明・中村仁:「首都直下地震における復興課題と復興状況イメージトレーニングの必要性」、『日本災害復興学会論文集 No.1』、2010年3月

・日本建築学会奨励賞(2001年)、地域安全学会論文賞(2007年)、日本都市計画家協会楠本洋二賞優秀賞(2009年)、地区防災計画学会論文賞(2015年)、都市住宅学会論説賞(2015年)

 

問い合わせ先

国土交通省 国土政策局 総合計画課
Tel:03-5253-8365 Fax:03-5253-1570 E-mail:itenka@mlit.go.jp