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オーストラリアの首都機能移転

(イメージ図)オーストラリア

オーストラリアでは、1901年に連邦制国家が成立し、英国からの独立を果たしました。新たな国家の首都の位置については、シドニーとするかメルボルンとするかで論争がありましたが、1908年に両都市のほぼ中間に位置するキャンベラに新たな首都を建設することが決まりました。キャンベラは今日、オーストラリア最大の内陸都市として成熟段階に入りつつあります。

オーストラリアの概要
政治行政システム: 立憲君主制
人口: 1,990万人(2003年時点)
面積: 768.7万km2

首都機能移転の経緯
1901年 連邦制国家成立
1908年 連邦首都としてキャンベラを選定(首都所在地法)
1913年 連邦首都建設事業開始
1927年 連邦会議がメルボルン(臨時首都)からキャンベラへ移転
1960年〜80年代 各省庁の移転完了
1988年 新たな連邦議会議事堂完成



写真1 緑豊かなキャンベラの住宅街


写真2 バーレー・グリフィン湖


首都機能移転の目的

オーストラリアでは、連邦制国家の成立にあわせて、国家としての一体性を強化するための象徴的な事業として、キャンベラの建設が位置づけられています。

オーストラリアの首都機能移転の特徴

オーストラリアでは、1850年代のゴールドラッシュを契機とした経済的発展を背景に、連邦の形成及び独立の議論が始まりました。しかし、連邦首都の選定については、各州の意見の一致を見るのは困難でした。このような背景により、各州の政治的妥協の結果、連邦の首都は、既存都市に置くのではなく、全く新しい都市としてキャンベラに建設されることとなったのです。

キャンベラの街づくり

キャンベラの街づくりでは、オーストラリアという国家の“顔づくり”が計画の理念とされています。キャンベラの市街地は複数のクラスターによって構成され、その間を緑地や丘陵地で隔てることで市街地相互の近接を避け、緑あふれる都市を実現しています。

このうち、バーレー・グリフィン湖の南側には、主に立法・行政・司法機関が立地しています。また、湖の北側には、文化・交流系施設、商業・金融機能などが立地しています。
(図2参照)

図1 キャンベラの空間利用計画図
出所)The Canberra Spatial Plan(2004年3月)

図2 キャンベラ中心部に立地する首都機能と主な都市施設

キャンベラの現在の状況

キャンベラは、20世紀半ばからの本格的な都市建設の開始以降、近年まで、国内で最も高い人口増加率を誇ってきました。また、厳格な土地利用計画のもと、クラスター開発方式によって進められる都市づくりの結果、他の都市には見られない計画性と美しさをもった都市が形成されてきました。1988年の新たな連邦議会議事堂完成を経て、今日では、立法、行政、司法等の全ての首都機能を備えたオーストラリア最大の内陸都市として成熟段階に入りつつあります。

2004年3月に策定された「キャンベラ空間利用計画」では、成熟時代の到来を踏まえ、よりコンパクトな都市づくりを戦略的に志向するようになっています。

キャンベラの空間利用計画の方向性
  • スプロール化防止と環境保全のために、都市の開発を中心部から15km以内に抑える。
  • 職場や公共サービスヘアクセスしやすい住宅供給量を増やすために、中心部から7.5km以内の範囲での住宅建設を拡大する。
  • タウンの中心部ないしは幹線道路に近い工リアで新しい住宅地を開発する。
  • 住宅地や幹線道路に近い地域において雇用機会を創出する。
  • 旅行時間や移動距離を最小化するために良好な交通インフラを整備する。
  • 保全すべき地域を開発の波から守る。
  • 重要資産を保護・強化する。
  • 地域発展の重要なパートナーとなる。

キャンベラの概要
人口: 32万人(2004年)
面積: 2,359km2


写真3 大使館街(中国大使館<写真奥>と国際ホテル<写真手前>)


写真4 連邦議会議事堂周辺の全景


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