ダムに人が入れるように
竹村:それともう一つ、宮ヶ瀬ダムで取り組んだのは、将来お客さんがダムの中に入れるようにするレイアウトにしたことです。エレベーターシャフトを2機つくって、トラックを運ぶインクラインという線路(右に写真)を、将来の観光用に使えるようにしておいたのです。それは全部、工事用に必要だということになっていて、将来の観光用に使えるぞ、というデザインにしました。
― 当時、ダムに一般の人を入れたら、何か問題が起こるのではないかとか、そういった議論はなかったのでしょうか?
20年後の社会を見据える
竹村:大問題(笑)。ダイナマイトで発破をかけられたらどうするのだとか。しかし、空中で火薬を爆発させて、ボーンッと空気を揺らしてもダムはびくともしません、何も怖くないのです。発破というのは、ボーリングをして、穴の中に火薬を詰め込んで、砂袋で封をして、発破の力を内部に向けてボン! と亀裂を入れるのが目的ですから。そういうことはいくら議論してもしょうがありませんから、私は工事事務所の職員に指示しました。ダム工事やダム管理のためだけではなく、将来、一般の人々にダムを楽しんでもらう工夫をしてくれ。堤体のギャラリーを完成後には観光用にしよう。
ただし、観光用のギャラリーにする構想(腹案)は、建設省本省や本局に一切言うなと。本来の目的である機械運搬、グラウト工事のボーリングのために必要だという理由で説明しました。
社会にはルールがあります。ルールはその時代のルールです。現在のルールを少し超えたところに未来があります。宮ケ瀬ダムの未来を想像して、エレベーターシャフトは2本にしよう、少し大きめの何人乗りにしようとかを議論しました。日本の20年後の社会は今とは価値観が変わっている筈だ、と考えたわけです。
宮ヶ瀬ダムが完成した時、その時代の社会が許すなら、堤体のギャラリーの入口をふさいでいるトビラを開けて、お客さんを入れればいい。もし、それが許されない社会なら、扉は閉めたままにしておけばいいのです。その後、私が河川局長の時に宮ケ瀬ダムが完成したのですが(2000年)、竣工式に行ったらトビラは開いていて、人々が喜んでダムに入っていました。時代が変わっていたのです。
もっとも、これは自分で独自の発想をした訳ではないのです。アメリカのフーバーダムをモデルにしました。私は1984年、フーバーダムを訪れました。衝撃を受けました。フーバーダムでは、人々をダムに入れて徹底的に楽しませる管理をしていたのです。現地を視察した時に、心から感動しました、これはいい! ダム屋が造ったダムを、後世の人々が楽しんでくれる。そんな幸せなダム屋はいません。
日本で初めて、自由に一般の人がダム堤体に入れるようになったのは宮ヶ瀬ダムだと思います。その後、どんどんそういう例が出てくる。今の状況を見ると、やっておいて良かったなと思いますね。
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