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中世の道 織豊政権の道路政策
Ⅱ.中世の道
織豊政権の道路政策
全国規模の交通政策を実施
交通網の整備によって流通が円滑化し、経済発展のインフラが整備され始める
織田信長の交通政策
全国規模の交通政策を実施
他国を平定すると関所を撤廃し、道路・橋梁を整備
施策
尾張・美濃・近江・甲斐・信濃などで幅3間~3間2尺(≒5.4~6m)の道路を開設、並木を植える
尾張・瀬田・宇治などで架橋したのをはじめ、天龍川にはじめて架橋。
豊臣秀吉の交通政策
信長の交通政策を継承して関所を全廃、道路・橋梁を整備
山賊・海賊を鎮圧
施策
1586年、島津征伐にあたり毛利氏に命じて、山陽道から九州にかけて道路を建設
1590年、北条氏を滅ぼした後、小田原-会津間に幅員3間(≒5.4m)道程100里(≒393km)の道を沿道の庶民に新設させる
1590年、増田氏に命じて京都に石柱を用いた三条橋を造成
里程を統一して36町1里制を採用し、一里塚を築かせる