長良川河口堰建設差止請求控訴事件判決(H10.12.17)



         理    由 第一 本件各請求の法的根拠の有無  一 はじめに    控訴人らは、当審において、本件各請求の根拠として、環境権及び安全権な   る権利を主張する。そこで、これらの権利をもって、民事訴訟における建設差   止請求、建造物の収去請求、その運用差止請求の法的根拠とし得るか否か等、   本件における各差止請求権ないし収去請求権についての法律上の根拠の有無に   つき検討する。  二 集団的権利としての環境権、安全権   1 自然環境を良好に保つ利益は、社会生活上保護されるべき重要な利益であ    るところ、控訴人らは、上記利益に開する権利を、地域住民らによって共有    される集団的な(さらには世代的な)権利としての環境権であると構成して    主張する。     しかし、このような集団的権利は、権利者の範囲が明確ではなく、権利の    客体である環境の内容が多様で、その侵害が権利主体たる各個人に及ぼす不    利益の内容や程度も極めて多様であるので、通常民事訴訟において、そのよ    うな集団的権利を主張する場合、当事者が、自己に帰属する共有持分を越え    て当事者以外の者に帰属する権利利益までも主張する点については、当該当    事者の当事者適格を肯定するのに困難を生じるなど、通常民事訴訟を主観訴    訟とみる伝統的な考え方やこれを前提とする実体私法の法解釈と必ずしも適    合しないといった問題が生じる。そして、現状において、そのような問題点    が未だ十分に解決されているとはいえず、このような集団的権利をもって、    直ちに民事上の請求の具体的な根拠となる権利であると解することはできな    い。   2 また、控訴人らは、住民共有の集団的な(さらには世代的な)権利である    安全権なる権利を主張するが、上記1と同様、このような集団的権利を民事    上の請求の具体的な根拠となる権利であると解することはできない。  三 民事差止等の請求と良好な自然環境の享受を目的とする環境権   1 民事上の請求として、直接の契約関係にない他人に対し、その故意過失を    問わずに、建造物の建設差止、収去ないしその運用の差止等を求めるといっ    た、物権的請求権類似の妨害排除ないし妨害予防請求権を行使するには、自    己の不可侵性のある権利(絶対権)が受忍限度を越えて侵害され又は侵害さ    れるおそれがあることを根拠とすべきであると解される。   2 ところで、控訴人らの環境権に関する主張は、長良川の自然環境の保護を    訴え、控訴人らを含む地域住民らの、良好な自然環境を享受する利益が本件    堰の建設により侵害されることを問題とするものであるから、その主張する    環境権の権利内容(目的)は、良好な自然環境の享受にあるとみられる。     しかし、自然環境については、一般的にはこれを保護することに価値があ    るといい得るにしても、具体的な場面において、個人個人の自然環境に関す    る考え方や利害の内容、程度は多種多様であり、自然環境の保全の必要性、    保護の程度、保護の態様等を決するには、関係する多数の者の利害や意見の    調節を要するものであり、ある個人が最も望ましいと考える自然環境を他の    者は必ずしも最適とは考えず、また、ある自然環境の保護行為が、利害関係    人の財産権、活動の自由、開発利益の享受等を制約する、といった事態が生    じ得るものであって、自然環境に対する侵害の問題は、人格権侵害と比較す    る場合はもちろん、個人の居住環境に対する侵害の場合に比しても、一段と、    利害や意見の調整が広範で複雑なものとなるといえる。それゆえ、ある個人    の自然環境を享受する利益が他の者の利害や意見と合致しない場合に、一般    的に自然環境を享受する利益を主張する者が優先し、他の者に対しその利益    を侵害しないことを求めるべき法的地位を有するということはできない。   3 そうすると、個人個人の自然環境を享受する利益を含めて環境権という権    利を構成し得たとしても、そのような権利につき、立法的手当もなしに無限    定に不可侵性、絶対性を付与することはできないこととなる。したがって、    良好な自然環境の享受を目的とする環境権は、絶対的な権利に基づく民事差    止等の請求の法的根拠としては十分とはいえない、と解さざるを得ない。  四 本件各請求の法的根拠   1 以上のように控訴人らの主張する環境権、安全権は、それ自体としては民    事差止等の請求の法的根拠とはならないと解される。もっとも、本件堰の事    故時における危険や本件堰周辺の自然環境の劣悪化等が、ひいては、物権、    人格権(個人の生命、身体、健康、自由、生業、生活利益等に関する権利)    など、他の絶対権の侵害に結びつく場合には、その絶対権に対する法的保護    を通じて、個人個人の安全な生活を営む利益や良好な自然環境を享受する利    益も事実上保護され得ると解される。   2 ところで、本件における控訴人らの環境権、安全権に関する主張事実の内    容は、控訴人らの個々の生命、身体、健康等が侵害され、又は、侵害される    危険があることを包含するとみられ、その意味で人格権侵害に関する主張が    なされていると解される。そうすると、控訴人らの本件各請求は、環境権な    いし安全権に基づく請求としてではなく、本件堰による人格権の侵害を予防    ないし排除する趣旨の請求(人格権に基づく差止請求、妨害排除請求ないし    現状回復請求等)として、その法的根拠を肯定し得ることとなる。     そこで、上記の点を踏まえて、以下において、本件各請求の当否につき検    討する。