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河川局

伊勢湾台風 体験談

恐 怖 の 一 夜

伊藤 広

外の暴風雨は、一層ひどくなるばかりであった。隣組の若者は、消防団の動員をうけてそれぞれ家にはいない。だんだん心細くなってきた頃である。突然、雨戸を強くたたくものがある。消防団員である。「外川の水は、急に水かさが増して、堤防から手が洗える位危険になってきました。緊急避難して下さい」と言い残して立ち去っていった。

ゼロメートル地帯は、堤防によって支えられているだけである。さあ大変なことになった。避難せよと言われたところで、今さらどこに避難することができるのだ。今にも堤防を水が超すぐらい危険にひんしているというのに。電気が消えた。停電である。急に心細くなった。ちょうどそのときである。

「倉をあけて下さい。倉へ避難させて下さい」と言う野口保一さんの声である。雨戸をあけると一家六人ずぶぬれで、家の中へなだれ込んできた。我々一家六人も急に元気づいた。何でも知っている保一さんに倉の鍵を渡した。続いて大工さん家族が五人やってきて、力強くなった。

「昔から木曽川の堤防が切れた時は、この倉へ避難させてもらうことに決まっていました」と言う。水難に備えた水屋は、今はどこの村でもたいてい取り壊されてなくなっているが、私の家は昔から米倉を兼ねて、普通より六尺高くがんじょうに石垣を築いた上に建てられてあった。

春一さん家族がやってきた頃には、もう一面に水がひたひたと浸入していた。既に水は堤防を越したのである。私ども夫婦が最後の戸締まりをして倉へ逃げ込む頃には、既に腰のあたりまで水がきていた。西隣の静枝さん母娘はなぜやって来ないのか心配になって、大声をはり上げたが、風雨の激しい音にかき消されて返事がない。風雨の激しさはつのるばかりだ。

急にゴーゴーと怒とうの押し寄せる音が聞こえたかと思うと、水が倉の中に浸み込んできた。七尺以上も水がきたということであろう。大鼓も半鐘も聞こえてこない。急に皆の顔色が変わった。一同を倉の二階へ追いやった。

耳を澄まして聞いていると「助けて助けてくれ」と引き裂くような女の叫び声が、男の怒声に混じって通り過ぎていく。外はどうなっているか暗い闇に閉ざされたまま、さっぱりわからない。ただものすごく風雨が荒れ狂っているようだった。息を凝らして、時の過ぎゆくのを待つばかりであった。総員二十人恐怖におののいて誰もしやべれない。夜がほの明るくなった頃、強い風や雨の音は次第に静まっていった。夜が明け孤立した水屋の二十一人を助けに来てくれたのは、材木屋の大船だった。その時、もう自衛隊の舟艇は活躍していてたのもしかった。

真夜中、助けを求めて泣き叫んで流れていったのは、飛島や網田の家もろとも流されて行く人々の声だったという。水屋へ来なかった静枝さん母娘は運よく流れてきた舟に乗って流されていって助かったが、三郎さん夫婦は二人の子どもを二人とも失って半狂乱になった。

それからまる二カ月、堤防修理が完成するまで村は水浸しであった。

(以上、原文のまま掲載)

当時 教  員 53歳 十四山村四郎兵衛

現在 無  職 80歳 十四山村四郎兵衛

もどり

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