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河川伝統技術データベース:分類別リスト【砂防工】



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整理
番号
水系 河川名 局名 事務所名 名称 分類 年代 当該河川伝統技術の解説・由来・意味
99 利根川 大谷川 関東地方整備局 日光砂防事務所 空石積み工法 砂防工 20世紀代  原形は明治初期に考案されたもので、野面石を使用していたものが割り石を使うようになった。初期の堤体中身は土砂であった。
 大正7(1918)年に日光砂防工事事務所発足後の最初に手がけた砂防ダム。
 大正8(1919)年5月に完成したが、同年9月の台風による洪水で流失。写真のみを残す。
100 利根川 大谷川 関東地方整備局 日光砂防事務所 練石積み工法、粗石コンクリート工法 砂防工 20世紀代  当該施設は、昭和8(1933)年に完成したもので現場の地形を利用した特殊な形状をしている。堤体の中身は、高価なコンクリートを減じるために粗石(大き目の玉石)を混入している。
 昭和41(1966)年の出水により一部被災し、一部コンクリートで覆われているが、基本的な形状は完成当時のままで現存している。
220 常願寺川 湯川 北陸地方整備局 立山砂防事務所 白岩砂防堰堤 砂防工 20世紀代  赤木正雄は、常願寺川砂防工事で最も重要な問題は基幹砂防堰堤の施工場所にあると考え、この川筋でただ1箇所岩盤が露出している白岩を砂防工事の基点と位置づけた。その後、昭和6(1931)年に工事着手した白岩砂防堰堤は、多くの歳月と費用を投じ昭和14(1939)年に完成した。高さ63mは現在も日本一の砂防堰堤の高さをほこる。
332 庄内川 土岐川 大原川 中部地方整備局 多治見砂防国道事務所 山腹工・等高線壕工法 砂防工 20世紀代  アメリカに於いては、等高線段丘を築造する理論は古くから考えられ実施されていた。この工法は土質の凝集力の乏しい場合には段丘の維持が困難であり、斜面は永く裸地となり、目的である土砂のかん止に効果がない。そこでこの段丘の代わりに壕(溝)を掘って雨水の滞留と崩壊土砂を壕に止める等高線壕工法がユタ州において考案された。昭和27(1952)、30(1955)年に当地で施工された。
 等高線壕工法は、地層、表土の関係で樹木が生育繁茂せず荒廃した山腹傾斜地に雨や雪が降った場合なるべく雨雪水を山腹に滞留・吸収させ地面の湿潤状態を良好にして草木を生育させ、表面流下水に伴う表土の流出を防止する。
 上幅約1.3m、底幅約0.3m、深さ約0.4mの壕を山腹傾斜地に、ある間隔をおいて等高に掘って、上段と下段の間に降った雨水を貯留する。
 昭和27(1952)年以降、当地方おいては団子山外、虎渓山、森下山等で施工され緑の回復が図られている。
333 庄内川 土岐川 市之倉川 中部地方整備局 多治見砂防国道事務所 石砂留め(市之倉郷石砂留普請絵図) 砂防工 19世紀代  安政2(1855)年7月の水害では、山林の荒廃、川筋の災害も少なかった。笠松郡代は洪水の実状を見聞し、御料地6か村の村役人などを呼び出し、石砂留めの自普請を申しつけた。6人の村役人(世話方)は、山々を下検分し、石砂留めの目録見をたてた。
 市之倉郷を東から西に流れ、土岐川へと流れ込む、嶺川(現市之倉川)と、この嶺川に北から流れ込む六つの支流と、南から流れ込む四つの支流の流れる洞の多くの普請箇所について、それぞれ番号を付し、石砂留めの規模など市之倉郷のほか、村境をこえて笠原村地内までも記入したものである。
334 庄内川 土岐川 生田川 中部地方整備局 多治見砂防国道事務所 石砂留め(生田郷石砂留普請絵図) 砂防工 19世紀代  文久2(1862)年の絵図である。
 小谷川(現生田川)は多治見村生田郷を南東から北西へ流れ、土岐川へと流れ込む。その小谷川へ北東の山地より流れ込む細流のつくる二つの洞(東側の字権現洞と西側の字鋼洞)のうち字権現洞については8か所、字鋼洞については5か所の石砂留め普請箇所について、その規模をそれぞれ記入したものである。
336 木曽川 蘭川 支川渓男だる川 中部地方整備局 多治見砂防国道事務所 空石積堰堤 砂防工 19世紀代  この堰堤については、当時、この地を御巡幸中の明治天皇自らが工事現場を視察されている。「信濃御巡幸記録」によれば、内務省山林局で実施していた堰堤砂防工事を、明治天皇御巡幸に際し、当時のお役人達が人夫の数を2、000人あまりにも増やして、わざわざお膳立てをしてお目にかけている。明治13(1880)年に施工された堰堤が昭和57(1982)年に発見された。
 堰堤は、現地で採取した石を人頭大に割りそれを積み上げた空石積堰堤である。天端幅は4.5m、高さは5m以上、長さは20m以上である。また、法勾配は上下流とも、ほぼ1:1程度である。
 昭和62(1987)年、建設省が地元・南木曾町と共同して、ここに砂防公園を造り「目で見る砂防技術の歴史」として一般に公開した。『大崖砂防公園』
338 木曽川 飛騨川 支川白川 支渓嫌谷 中部地方整備局 多治見砂防国道事務所 巨石積堰堤 砂防工 19世紀代  明治13(1880)年8月と明治14(1881)年8月の2回にわたり加子母村を訪れたオランダ人技師デ・レイケの指導によると思われる石積堰堤群が点在している。
 存在する施設は、渓間工が13基、帯工1基、流路の総延長は300mに及ぶ各堰堤の詳細は、高さ1.0〜4.5m、長さ5.0〜24m、天端幅1.0〜1.8mの規模で、水通し断面は台形でその高さは、1.0〜1.8mである。
 上流域の流路は三面空石積水路となっている。
 いずれも、ほぼ完全な形で残っており、流路も安定し土石流の流出もなく砂防施設の役割を充分に果たしている。
340 木曽川 揖斐川(ナンノ谷) 中部地方整備局 越美山系砂防事務所 石積堰堤群及び流路工 砂防工 19世紀代  明治28(1895)年のナンノ谷大崩壊が発生し、明治30(1897)年7月に金原明善翁が明治天皇に建議し翌明治31(1898)年3月より大正9(1920)年11月までの23年間に亘り崩壊した山腹に巨石積みによる堰堤群や流路工の砂防工事が実施され、現在に至るまでその機能を発揮している。
342 木曽川 根尾川 中部地方整備局 越美山系砂防事務所 石積堰堤 砂防工 20世紀代  昭和2(1927)年6月より内務省により直轄砂防工事が開始され、昭和20(1945)年3月までに堰堤工事53箇所、護岸工事6箇所、山腹工事23箇所が施工(昭和26(1951)年岐阜県に移管)され現在でも多数現存する。このうち薄墨桜公園整備の拠点の一つとして鷲巣谷第1砂防堰堤が整備され、これに至る散策路に神所堰堤や鷲巣堰堤等の石積堰堤が現存し、現在もその機能を発揮している。
392 淀川 大戸川 近畿地方整備局 琵琶湖河川事務所 田上山山腹工 砂防工 19世紀代  明治初期に外国人技術者を招聘して始められた砂防工事のひとつで、新旧とりまぜた多数の工種が施工されたが、施工実績などによって淘汰され、積苗工、ワラ積苗工、ブロック板積工、斜面被覆工、植栽工などがある。
 山腹工として施工されているのは上記の各工種。施工区域は、大津市田上山全域で約830haである。
 平成15年度現在、小規模な禿しゃ地を残してほぼ概成。あとは保育工を施工。
393 淀川 大戸川・天神川 近畿地方整備局 琵琶湖河川事務所 鎧堰堤 砂防工 19世紀代  明治初期に外国人技術者を招聘して始められた砂防工事のひとつで、床固工、護岸工とともに行われた渓流工事のひとつ。堰堤下流面を階段状に積み上げ施工した。
 高さ6.8m、長さ42m、明治22(1889)年に完成。
 砂防堰堤として当時の技術を今に伝える構造物で、現在もその機能を十分発揮している。
477 芦田川 堂々川 中国地方整備局 福山河川国道事務所 堂々川砂留 砂防工 18世紀代  江戸時代の記録に、寛永18(1641)年の台風災害に備えて福山藩主から家老に当てた文書が伝えられているが、この頃から土砂災害が顕著に現れはじめている。福山藩は藩の重要施策の一つとして砂留と呼ばれる砂防ダムを多数築造している。
 江戸時代の砂防工事については不明な点が多いが、「三谷家文書」から天保年間の砂留普請記録が見つかり江戸時代の砂防工事の一端を知る貴重な資料となっている。
 堂々川砂留は1番から6番まであるが、中でも最上流に位置する6番砂留は、天保6(1835)年に施工の記録がある古い砂留であり規模も大きい。
 城壁を思わせる石垣は現在も健在で、往時の築造の技術の確かさを示している。
 また、堂々川6番砂留上流部に堆砂敷を利用して砂防環境整備事業で整備された堂々公園は、延長344mの野面石の石組み水路などで整備され、日本庭園風の公園となっており、人々の憩いの場となっている。
514 吉野川 吉野川 四国地方整備局 徳島河川国道事務所 デ・レイケ堰堤 砂防工 19世紀代  デ・レイケは、明治6(1873)年に御雇工師として招かれたオランダ人技師です。
 日本では、木曽川下流改修工事などで有名ですが、明治17(1884)年には、筑後川(九州)視察の前に約3週間をかけて、吉野川流域も巡検しています。その間には、吉野川の洪水にも実際に遭遇しています。そして、彼はその年の9月に「吉野川検査復命書」を著しました。
 現在、脇町の大谷川には、吉野川の治水計画を最初に立案したデ・レイケの足跡が偲ばれる砂防堰堤(デ・レイケ堰堤)が残されています。




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