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河川局


メコン河における日本の河川伝統工法の活用

信濃川工事事務所長 森川一郎



 ラオスはメコン河の中流域に位置し、面積24万km2、日本の本州(23万km2)とほぼ同じ国土を有する、人口約520万人(cf.横浜市330万人、大阪市250万人)の最貧国である。フランス植民地から1953年に独立し、内戦を経て1975年に人民民主共和国を設立、社会主義国家でありかつ敬虔な仏教徒の国となった。1986年にはベトナムにおける市場経済化、ドイモイ(刷新)と歩調を合わせ改革開放政策に転じたが、植民地支配、内戦等の後遺症は大きく、社会基盤整備は大きく立ち遅れ、国民一人当たりGDPも300ドル台と日本の100分の1程度に留まっている。

 昨年7月、JICAの調査で初めてラオスを訪れた。「40年前の日本の田舎」と評する人がいたが、確かに道路の舗装は首都ヴィエンチャンの街中だけでしかもでこぼこ、鉄道は無く、一番高い建物といえば日本の援助で完成した空港の管制塔。目立った工業は無く、輸出できそうな工業製品というとビールくらい。新聞記事も各国の援助の情報ばかりという国ではあったが、人々は穏やかで、貧しさよりも、のどかさ懐かしさを感じる国であった。

 メコン河は、ヴィエンチャン付近で川幅約1km、河床勾配1/10000程度。このため雨季の最大流速で約3m/s、平均流速は2m/s以下であるが、雨季と乾季の水位差が約10mあるのが最大の特徴である。河岸は乾季には10数mの崖となる。ヴィエンチャン市街地は自然堤防上にあるため数十年に1回程度メコン河の溢水被害を受けるようであるが、溢れても見てるだけ、河岸が削られれば移転するだけであったようだ。JICA専門家としてラオスに派遣されていた松木氏はflood watchingは有っても、flood Controlは無く、河川事業は無かったと書いておられる。

 改革開放政策に転じて後、西側の援助も再開され、各国の援助によって河岸浸食対策も始められた。既設護岸は、ヴィエンチャン周辺で大きな石材を確保することが難しいため籠マットとフトン籠が採用されているが、この籠が輸入製品のため高価であり、場所によっては施工後数年で崩壊している。このため、日本の技術、それも粗朶沈床等の日本の伝統工法を導入しようということになった。

 平成10年度から、建設省が(社)国際建設技術協会に委託して粗朶沈床の技術移転を実施。河川工事で粗朶沈床を使いつづけてきた北陸から粗朶職人がラオスに派遣され、現地の粗朶材料を調査し、またラオスの技術者が信濃川に来て粗朶の伐採から組み立て埋設まで、一連の作業を体験している。身振り手振りで伝えたそうである。
 そして、平成12年から13年にかけての乾季にはメコン河で粗朶沈床の試験施工が実施された。試験施工の様子が新聞の一面を飾っており、ラオス側の期待が伺える。

 折しも、平成12年(西暦2000年)は、日本とオランダの交流400年を記念し、各地で日本の近代化に貢献したデ・レイケにちなむイベントが実施された年である。粗朶沈床は、木曾三川の分流、淀川放水路と大阪築港、各地の砂防事業等、わが国の近代化に多大な貢献をしたデ・レイケをはじめとするオランダ人技術者によって伝えられ、試験施工をしながら日本の河川に適用されていった。その技術がまた日本からラオスに技術移転されようとしていることに深い感慨を覚える。

 昨年から開始されたJICA調査は、国建協調査を引き継ぎ、粗朶沈床以外の工法についても適用していこうというものである。日本の川と異なり毎年10mもの水位差が生じるメコン河で、日本の伝統工法をどう適用するのが効果的か、調査はこれからであるが、出来るだけ現地材料を使用し、試験施工とモニタリングによる試行錯誤の過程そのものを技術として伝えるため2005年3月までの長い調査となっている。現地材料を使うことで、安価で環境に良く、再生可能で持続可能な工法であり、現地での雇用促進に繋がるとしてラオス側は高い期待を寄せているところである。

 一方わが国はどうであろうか、正直言って、以前各地域で伝統工法の検討をしていこうと呼びかけられたときには、なんでわざわざ故あって廃れた工法を使おうとするのかと思ったものである。また、粗朶を使おうとしたがその地域で入手できず思わぬコストが掛かったこともある。技術基準や歩掛かりをどう考えるかなど躊躇する材料に事欠かない。そして、平成2年に「多自然型川づくり」の推進について通達が出されて10年を越えるが、工法の内訳を見ると籠マットや環境ブロックが大部分を占めているのが現状である。
 江戸時代には幕府直轄領における多様な河川工法の他にも、各藩ごとに様々な河川工法があったそうであるが、伝統工法の多様さに比べ現在の工法はなんと単調であろう。川ごとに伝統工法を駆使した当時の技術者達が持っていた川を見る眼を現在の技術者は失っているのであろうか。もとより技術は数値やモデルによって定量的に把握できることによって共有できるものではあるが、先人の知恵の蓄積である河川ごとの伝統工法を通じて川を見る眼を養成できるのではないかと考える。

 北陸地方ではラオスへの技術協力に使われたように、コンクリートや鉄に変わっていった昭和30年から40年代以降も粗朶を使った工法が伝承され、伝統工法の改良、使われなくなった工法の復活も試みられている。北陸以外でも、各地で環境を目的に伝統工法が採用されつつある。その地域でかつて試行錯誤の末に使われたであろう伝統工法を見直すことで−必ずしもそのまま使うということではなく−多様な川の特性に応じ、川の本来の特性である多様性が活きる工法が見出されていくことを期待したい。




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