また、微粉炭という石炭の粉による水の汚れを引き起こしました。これによって遠賀川は「黒い川、ぜんざい川」などと呼ばれるようになりました。黒い水は水道にも農業用としても使えず、流域の人々は大変苦労しました。
地盤沈下した土地や建物の復旧を目的とした鉱害復旧事業が行われました。 川に堆積した微粉炭の除去も行われました。このような事業が長く続けられたこともあって、遠賀川は石炭採掘前の美しい流れを取り戻しつつあります。
石炭産業はこのように人々を悩ませたものでしたが、ときに人々を支えてきたものでもありました。遠賀川流域の炭鉱群は明治・大正・昭和と日本の産業をずっと支え続けました。今では流域内で炭鉱を見ることはできませんが、多くのボタ山が残っており、それらは地下深いところで懸命に働いた人々の苦労を偲ばせてくれる風景となっています。