スペシャルインタビュー 私の考える新しい旅のカタチ

フードエッセイスト

平野 紗季子さん

SPECIAL INTERVIEW

SAKIKO HIRANO

その土地を理解するきっかけとなる
ような
食体験ができたら

サステナブルというキーワードが注目されている昨今、フードエッセイスト・フードディレクターの平野紗季子さんがおすすめする旅のスタイルがガストロノミーツーリズム。その土地の季節、風土に育まれた料理を楽しみながら旅することを指しますが、料理を楽しむことがなぜサステナブルにつながるのでしょうか。その理由を伺いました。

取材・文/澄田直子(アトール) 撮影/高原マサキ

海外から足を運ぶゲストもいる人気レストランが富山の山奥にある!?

そもそも、ガストロノミーツーリズムとはどのようなものなのでしょうか?

平野紗季子さん(以下敬称略)

ガストロノミーとは、料理だけでなく、食にまつわる歴史的背景や文化、派生する芸術にいたるまで考察することを指します。
ガストロノミーツーリズムというのは、そこに旅という要素が足されたもので、旅をしながらその土地の料理と風土、歴史や文化などに触れることを指します。
そういった食体験を意欲的にデザインしているレストランは昨今各地に増えており、ローカルガストロノミーレストランとして注目されています。

おいしいものを食べるのは旅の醍醐味ですよね。これまでもおいしいものを食べるというのは旅の目的としてはメジャーだったと思いますが…。

平野

はい。そのおいしいものをもう少し追求してみようということでしょうか。例えば料理に力をいれているオーベルジュに泊まるのは、海外からの旅行客にも非常に注目されていると感じます。
富山と岐阜の県境に利賀村という人口500人ほどの小さな村があります。1,000m級の山々に囲まれていて急峻な渓谷のなかにぽつんとある、陸の孤島といって差し支えないほどの秘境。そこに「L’évo(レヴォ)」という素晴らしいオーベルジュがあります。オーナーシェフの谷口さんは、国内外のレストランで修行した後、富山の食材に魅せられて2010年、富山でレストラン「L’évo」をオープンしました。ミシュランで星を獲得するなど、その実力は早々に評価されていましたが、2020年、地元の人ですら行くのをためらうような山奥に移転されるんです。
そこで供されるのは、ひとことで言ってしまえば、地の素材を使ったガストロノミックなお料理です。しかしその「地」のレベルが違う。敷地内に開墾した農園で育てた野菜や採れたての山菜、清流で釣れる川魚、自社工房で処理し熟成するジビエ…。
そして、料理には村に伝わる伝統的な郷土料理の知恵も取り入れられています。料理だけでなく、器も地元の作家さんのものを使われ、レストランを入り口に、富山の土地の魅力を全方位的に浴びるような体験が待っています。

すごい。最高の食材があるからシェフの腕が光りそうですね。

平野

そうですね。ただ流通の恩恵にあやかることのできない土地で料理をするのは、必ずしも市場で取引されるような最高の食材とはまた違った意味での、その食材の魅力の発見や理解が必要になってきますよね。
こんなエピソードを聞いたことがあります。利賀村に移住した春、山菜がいっぱい芽吹いたのですが、それを村のおばあちゃんたちは多くを保存食にしてしまう。そのときシェフは「柔らかで繊細な香りの山菜は今そのまま食べるのがいちばんおいしいのにな」と思ったそうです。季節は巡り冬が来て、利賀村は豪雪に見舞われます。シェフにとっては初めての冬ですが、地元の人々は慣れたもの。雪に閉ざされた店の中で、シェフは山菜を保存食にする理由を、実体験として理解します。
春の恵みを保存するのは冬の間の命をつなぐため。都会と違い、欲しいときに欲しい食材が手に入る環境ではありません。自然のなかから手に入る素材で、日々の食べ物を用意する。頭ではなく、経験としてそれを知ってからのシェフの料理はそれ以前と少し変化したと言います。

写真提供/平野 紗季子さん
富山の豪雪地帯(イメージ)(写真/Shutterstock)

単に地元の食材を使うという以上の、地産地消の概念を感じる料理ということですね。

平野

そうですね。その土地の食材を使えばその土地の料理になるわけではない、ということも、こうして深く土地に根ざした料理人の方の経験やクリエイションを目の当たりにすると実感します。また、何しろ彼らはその地域に対して非常に謙虚でリスペクトを持っています。
谷口シェフなんてまさに、村のおばあちゃんらが作る昔ながらのお料理に大いに学ぶことがあるのだとおっしゃる。そして村のおばあちゃんたちもそのことをとても嬉しそうにしているんですよ。「そんなに褒めてくれるんならちゃんとこの料理を残していかなきゃね」って。
料理人という存在がその土地に介入することは、その土地を誇る方を増やすきっかけにもなると実感します。それは文化の継承にもつながっていく。そして、レストランを目指して遠方から訪ねた多くの人々は、料理はもちろん、自然の美しさや尊さに触れることにもなる。器に感激し、翌日は地元の工芸作家を訪ねるかもしれない。それは地元の経済の活性化にもつながります。いろいろな意味でサステナブルな旅を実践することになるんです。
スタイルは様々ですが、こういったレストランやオーベルジュが、体験の情報密度が濃く最も刺激的な食の一つではないか、と私自身感じます。もちろん、その土地の食を味わったからといって、その土地を理解しきることはできませんし、知った気になるのもおこがましい話であります。それでもきっかけにはなる。ただ美味しいだけではなく、美味しいのその先の、その土地を理解する契機となるような食体験ができたらいいですよね。

写真提供/平野 紗季子さん

おいしい!は万国共通。料理に言葉は不要です

とても魅力的ですね。海外からのゲストもオーベルジュを楽しめるのでしょうか。

平野

多くのインバウンドのお客さんが楽しんでいらっしゃいますよ。料理にイラストや地図のカードをつけるなど、言葉がわからなくても理解できるように各レストランが様々な工夫しています。でも料理の魅力って、なんといっても言葉がいらないこと! おいしいというのはそれだけで共通語なんですよね。
先日、韓国のガストロノミーレストランをいくつか訪ねたのですが、やはりその土地の食文化をいかに外の人へ翻訳するか、というところに非常に重きを置いている。異文化を背景に持つ方にも楽しんでもらえるようなストーリーテリングに注力していますね。

平野さんご自身が、ガストロノミーツーリズムに興味を持ったきっかけはなにかあるんですか?

平野

きっかけは、コペンハーゲンのレストラン「ノーマ(NOMA)」です。当時大学生だったのですが、雑誌で読んでこれは行かなきゃ!と、バイト代を貯めて予約しました。気候が厳しく土地が痩せた北欧は食材が少なく、美食といえばほぼ輸入食材に頼るフランス料理でした。そんな常識を覆したのが「ノーマ」。北欧の食材のみで作った繊細で美しい料理は衝撃的で、世界のベストレストランに5回も選ばれています。
料理に感銘をうけたのはもちろんのこと、最初にベストレストランに選ばれたときの「カタバミがキャビアに勝った」というシェフのスピーチがとても印象的でした。これは「ノーマ」に限ったことではない。最高の美食は世界中どこでだって発生しうるし、世界中から人を集めるパワーを持つのだと実感しました。

協調と循環のあるエリアにおいしい料理が集まる

現在、日本で注目しているガストロノミーツーリズムが盛んな地域はありますか?

平野

各地で様々な形で発展していますが、北海道の余市はとても感激しましたね。ニッカウィスキーの余市蒸留所があることで有名ですが、最近は小規模ワイナリーが増えています。そのきっかけを作ったのは、ワイナリー「ドメーヌ・タカヒコ」の曽我貴彦さんではないでしょうか。今や国産ワインを代表する造り手の1人ですが、そんな曽我さんのワインに惹かれて余市でレストランを開くシェフも。ドメーヌ・タカヒコをはじめ、地元のワインに合う料理を、地元の食材を使って提供しています。
オーベルジュも増えていますね。もちろん、余市にはドメーヌ・タカヒコ以外にも素晴らしいワイナリーがいっぱいあり、ワインと食を楽しみに出かけるには最高の環境です。

写真提供/平野 紗季子さん
北海道・余市(写真/ShutterStock)

地域全体で食のレベルが上がっているんですね。

平野

多くのシェフや農家、醸造家の方々が口を合わせて言うのは、自分1人の力ではなにもできないということです。シェフは生産者の方々がいなければ料理は作れない、農家は大地、太陽、雨、虫、細菌などの自然がなければ作物は作れない、ワインの醸造家は、醸造ができるのは1年にたった一度。10年かけてやっと10回しか経験が積めません。
だから、知識や技術は共有し合い、次代にまでつなげていくのが大切だと言います。皆がそれぞれの立場で、人を頼り合い、つながっていく。貸し借りがあり、知識や経験が共有されていくのです。それもまたサステナブルな環境ですよね。
最近、実践している人たちって、実はあまりサステナブルということを意識していないのではないかと思うんです。より良くなる方法を考え行動していった結果たどり着いた方法がサステナブルという言葉に当てはまった、私はそういう風に感じています。

ガストロノミーツーリズムの魅力はとてもよくわかりましたが、やはり少しハードルが高いような気がします。

平野

いえいえ、最初に戻りますが旅先でおいしいレストランに行く、それだけでいいんですよ。”ガストロノミーツーリズム”なんて、堅苦しい横文字があるのがいけないのかもしれない(笑)。レストランはその土地の扉です。食材、調理法、器、飾られている花や、窓から見える景色…。おいしいと思ったら、その食材について尋ねてみてください。そこから食材を作る生産者のこと、農業のこと、調理法が生まれた背景や味付けの要となる調味料のことなど、様々な興味が湧いてくるでしょう。それがガストロノミーツーリズムの始まりなのです。

平野 紗季子 SAKIKO HIRANO
小学生の頃から食日記をつけ続け、慶應義塾大学在学中に日々の食生活を綴ったブログが話題となり文筆活動をスタート。雑誌・文芸誌等で多数連載を持つほか、ラジオ/podcast番組「味な副音声」(J-WAVE)のパーソナリティや、地域の食を巡るテレビエッセイ・NHK「きみと食べたい」のレギュラー出演、菓子ブランド「(NO)RAISIN SANDWICH」の代表を務めるなど、食を中心とした活動は多岐にわたる。著書に『生まれた時からアルデンテ』(平凡社)、『味な店 完全版』(マガジンハウス)など。instagram: @sakikohirano