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ロンドンの惨状 1

田園都市の構想は、19世紀末のあまりにひどい英国大都市の都市環境が発端となっている。まずは文献で当時のロンドン及び都市農村問題の悲惨な状況を見ることにする。

参考資料:「明日の田園都市」鹿島出版会

ローズベリー卿(ロンドン議会議長 1891年)

ロンドンというものを考えると、誇りの気持ちはなく、いつも恐ろしさに悩まされる。数百万のものが投げ出され、お互いは自分自身の殻の中で相互に注意することも心にとめることもなく、他人がどのように生活しているか考えもせず、多くの人の不幸や災難についても顧慮しないという事実に。60年前、偉大なイギリス人コベットはそれを瘤と呼んだ。今は何だろうか。それは地域の生命と血液と骨を胃の中に飲み込んだ腫瘍、象皮病である。

フェラー司祭長(1891年)

都市は法外に増大しつつある。大きな都市がわが民族の墓地になっていくと言われても、ひどく不潔な・汚い・水はけの悪い・怠慢と泥で害された多くの家を見ると不思議には思わない。

サー・ジョン・ゴースト

病癖を治療したいならばその原因を除去しなければならない。潮流を逆行させ、都市への人口流入をとめ、人口を土に帰さなければならない。都市の利益と安全はこの問題を解決しなければ、確保できない。

ローデス博士(1891年)

農業地帯の小屋はあまりにひどいもので、それを住宅と呼ぶことはできなかった。人々の体格は低下し普通の量の仕事をこなすこともできなかった。多数の農業労働者の地位を改善しなければ、脱出は続き、予想もできない悲惨な結果を生ずるだろう。

E.ハワードは、この状況を平和的に解決するために「都市と農村の二者択一」ではなく、第三の選択「精力的で活動的な都市生活の利点と、農村の全ての美しさと楽しさとの完全な融合」があるとして、後に田園都市と名づけた施策を提言した。

注)田園都市というネーミングは一人歩きして各国で誤解を生み、本来のコンセプトとは異なる偽田園都市がたくさん出来上がった。原典をたどることはいつでも最も重要なことである。

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