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河川局


川に関わる主な「歌ことば」




歌ことば 解説
川・河
【かは】
 川は、地名歌枕として詠まれることが多く、「川」を単独で歌材とする歌は比較的少ない。その表現を見ると、「春ごとに流るる河を花と見て折られぬ水に袖や濡れなむ」(古今集・43・伊勢)は、川面に映る梅の花を折ろうとする歌で、澄んだ川面が鏡のように物を映し出すものとして詠われている。また、「この河に紅葉葉(もみぢは)流る奥山の雪げの水ぞ今まさるらし」(古今集・320・よみ人しらず)は紅葉などを押し流す強い流れとしての川を捉えている。
 一方、川を詠う歌の中には、水の流れという表現を示しながら、人の気持ちを読み込む歌も多い。例えば、「思へども人目づつみの高ければかはと見ながらえこそ渡らね」(古今集・659・よみ人しらず)は、男女の通い路の間に川が流れていてこれを越えると逢えると詠み、「かわ」は「彼は()」の掛詞として恋の気持ちを詠い込んでいる。さらに、「昔より絶えせぬ河の末なれば淀むばかりをなに歎くらむ」(新古今集・1649・円融院)は、藤原兼家が一時藤原氏も絶えてしまうかと歎いたことへの返歌で、川は脈々と流れているように、家系も続くことを読み込んでいる。
川原
【かはら】
 河原は、川に沿った平地のことであるが、水の水面をさす場合もある。なお、『万葉集』では、水が澄みきった濁りのない川原が多く表現され、「苦しくも暮れ行く日かも吉野川清き川原を見れど飽かなくに」(万葉集・1721・元仁)や「ぬばたまの夜のふけゆけば久木生ふる清き川原に千鳥しば鳴く」(万葉集・925・赤人)がある。
 また、納涼の場所として川原は詠まれ、「五月雨はおふの河原の真菰草刈らでや浪の下にくちなむ」(新古今集・231・兼実)などがある。

【せ】
 瀬は、「天の川去年(こぞ)の渡りで移ろへば川瀬を踏むに夜そ更けにける」(万葉集・2018・人麻呂歌集歌)に表現されているように、七夕の彦星が歩いて渡る所として詠まれ定着し、その後の歌には、瀬を渡って恋人に逢うという歌の形が見されるようになる。なお、瀬に関わる景物には千鳥・玉藻・霧・網代・鵜飼・埋もれ木・五月雨・氷・六月祓(みなづきばらへ)(みそぎ)をする川瀬)などがある。
 また、瀬は、人々の心を表すものとして詠われることが多く、@「世の中は何か常なる飛鳥川昨日の淵ぞ今日は瀬になる」(古今集・933・よみ人しらず)により「淵」との対照で無常を詠む傾向が表れ、瀬は心の浅さを表現するものとして定着する。A「大幣(おほぬさ)と名にこそ立てれ流れてもつひに寄る瀬はありてふものを」(古今集・707・業平)では流れ着く「寄る瀬」を、人が落ち着く先として捉えて表現されている。B「変はる瀬もありけるものを宇治川の絶えぬばかりも嘆きけるかな」(新古今集・1648・兼家)では「変はる瀬」が時運を表している。C「瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末に逢はむとぞ思ふ」(詞花集・229・崇徳院)などは恋の激情を急流に象徴させた例である。

【ふち】
 淵は、瀬と対で用いられることが多く、「底ひなき淵やは騒ぐ山河の浅き瀬にこそあだ波は立て」(古今集・722・素性)では、瀬が波立つことに対して淵の川面は静寂であることをたたえる歌や、「世の中は何か常なる飛鳥川昨日の淵ぞ今日は瀬になる」(古今集・933・よみ人しらず)のように、川筋のめまぐるしい変化に世の無常をうつす歌などがある。特に、後者の歌は、人生の浮沈や人心の変わりやすさを「淵は瀬になる」で表現することを定着させた歌として有名である。なお、「行く水の泡ならばこそ消え返り人の淵瀬を流れても見め」(拾遺集・882・よみ人しらず)に示されるように一語で深浅・転変を表す歌ことば「淵瀬」も生まれている。
 一方、平安末期以後は、常に変化するものとして定着した淵瀬に疑問を示す歌が現れ、「定めなき(ためし)と聞きし飛鳥川淵瀬はいづら五月雨の頃」(林下集・77・実定)と詠い、常識化したものに対しての変化を疑ってみせるという考え方が出てくる。
 なお、「筑波嶺(つくばね)の峰より落つる男女(みな)の河恋ぞつもりて淵となりける」(後撰集・776・陽成院)など、淵に水がたまることを恋や涙などがたまることに置き換えた歌などもある。
流れ洲
【ながれす】
 流れ洲は、室町中期から利用されることが増加し、「二水中分す 白鷺洲」(千載佳句・李白)の影響からか、「白鷺立洲」「鶴立洲」など鳥類と関係するうたが多く、たとえば「流れ洲のあやふき浪も白鷺のねぶりはさませ通ふ河風」(草根集・9074)などがある。

【つつみ】
 堤を詠った歌は古く、『万葉集』に「小山田の池の堤に挿す(やなぎ)成りも成らずも汝と二人はも」(万葉集・3492)などが見られる。しかし、平安時代以降には堤そのものを詠む例は少なく、「わぎもこが身をすてしより猿沢の池のつつみやきみは恋しき」(拾遺集・441・藤原輔相)、「池もふりつつみくづれて水もなしむべ勝間田に鳥のゐざらん」(千載集・1172・二条太皇大后宮肥後)などがある程度である。
 また、堤を掛詞として詠んだ例もあり、「思へども人めづつみの高ければ河と見ながらえこそ渡らね」(古今集・659・よみ人しらず)は人目をはばかる意の「人目包み」に「堤」を掛けて用いられている。なお、「つれなさに言ひ絶えにしを池水のつつみあへぬは涙なりけり」(新続古今集・1528・藤原定頼)のような掛詞(「包む」を掛ける)もある。
 中世頃からは、「しづの女がを田の堤にさす柳しげくもことしはえにけるかな」(久安百首・711・藤原実清)や「五月雨はみづのみまきに水こえて堤の上によどの河舟」(拾玉集・2142・慈円)など、その風景に注目する作例もみられるようになる。

【ゐせき】
 堰は、京都の大堰川(おおいがわ)(桂川)の代表的な景物として詠まれ、「大堰川ゐせきの水のわくらばに今日は頼めし暮れにやはあらぬ」(新古今集・1194・元輔)は堰に恋人と会う機会が遮られている状況を暗示させているように、平安中期までの「堰」は恋歌で詠うものが多い。
 また「名のみしてなれるも見えず梅津川ゐせきの水も漏ればなりけり」(拾遺集・548・よみ人しらず)は、梅津川(桂川の部分名)の堰を詠んだ歌で「漏る」の掛詞表現に工夫を凝らした例である。
 なお、中世には「卯の花の咲ける盛りは白浪のたつたの川のゐせきとぞ見る」(後拾遺集・176・伊勢大輔)の歌の影響が強く、その後竜田川の堰と詠まれると卯の花が示されるようになる。
堰く
【せく】
 『万葉集』では、「明日香川しがらみ渡し()かませば流るる水ものどにかあらまし」(万葉集・197・人麻呂)とか「明日香川堰くと知りせばあまた夜も率寝(ゐね)て来ましを堰くと知りせば」(万葉集・3545)などと詠まれ、川の流れをせき止める意に用いられる。なお、後者は恋路を妨げることをたとえたものである。
 八代集でも、「瀬を堰けば淵となりても淀みけり別れを止むるしがらみぞなき」(古今集・836・忠岑)とか、「涙川落つる水上速ければ堰きぞかねつる袖のしがらみ」(拾遺集・876・貫之)のような歌があり、万葉集以来流れをせき止める装置である「しがらみ」の語とともに詠まれることが多い。また、「あしひきの山下水の木隠れてたぎつ心を堰きぞかねつる」(古今集・491・よみ人しらず)のように激情を遮り止める意にも詠まれた。また、『百人一首』で有名な「瀬を速み岩に堰かるる滝川のわれても末に逢はむとぞ思ふ」(詞花集・229・崇徳院)は、水流をせき止める岩を男女の仲を妨げるものにたとえて詠んだ歌である。
 一方、川をせき止めて田や苗代に給水するという考えから、「天の川苗代水に堰き下せ天下ります神ならば神」(金葉集・625・能因)のような雨乞いの歌の歌も詠われ、その他にも「堰き入るる苗代水や余るらむゑぐの若菜の見えずなりけり」(楢葉集・788・盛弁)や「争はぬ民の心も堰き入るる苗代水の末に見えつつ」(後水尾院御集・159)のような、堰と水との関係を詠む歌などがある。

【しがらみ】
 柵は、川に杭を打ち並べ、そこに竹や柴などを渡して水の流れを()き止めるもので、「明日香川瀬々に玉藻は生ひたれどしがらみあればなびきあへなくに」(万葉集・1380・よみ人しらづ)のように、恋の障害物に例えられたり、別離をとどめるものを暗示させる歌として詠われている。
このように、水の流れを塞き止める柵は、人の心を移ろいや感情を引き留めるものとして比喩的に利用されていることが多い。
※この表は、『歌ことば歌枕大辞典 編者 久保田淳 馬場あき子 1999年 角川書店』に書かれた解説文を要約して整理しました。



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