水管理・国土保全

  

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地域と芦田川

地域社会とのつながり
芦田川の利用
 芦田川の利用については、高水敷は公園、運動広場等に利用され、ゲートボールやグランドゴルフ等のスポーツ大会が盛んに開催されるなど、周辺住民の憩いの場として親しまれています。シーズンになると、府中市から河佐峡にかけて、アユを中心に釣り客が時節を賑わせるほか、多くの人々がキャンプや水遊びなど広く川を利用されています。また、河口から約43kmには八田原ダムがあり、年間1万人を越える人が自然散策や多目的広場等の利用のために訪れています。      


河川敷の利用


芦田湖オートキャンプ場



河川空間の利用
湛水域利用
 河口に位置している芦田川河口堰の雄大な湛水域はボート競技、ボートセーリング等の水上スポーツの格好の場となっており、平成5年9月には漕艇A級コースに認定されたこともあって、各種大会や市民の愛好家によって盛んに利用されています。さらに、中下流部では、市民団体等によるバードウオッチング、水辺のウォーキング、水生生物調査等の環境学習の場としての利用等、沿川住民のみならず地域の人々の身近な空間として親しまれています。


芦田川河口湖


芦田川と地域の歴史
国宝明王院
 国宝明王院は、草戸大橋の北西、芦田川の西岸にある真言宗大覚寺派の寺であり、大同2年(807)弘法大師空海の開基と伝えられ、西光山理智院浄福寺と称して真言立宗で奉仕されたと言われています。江戸時代初めの承応4年(1655)、福山藩水野氏3代勝貞によって、北東約1kmにあった明王院と併合され、この時に中道山円光密寺明王院と改称されました。


国宝明王院




芦田川と水資源
八田原ダム
 広島県を含む山陽地方は、瀬戸内特有の交通の便を活かし、早くから近代工業が発展しました。また備後圏域では、昭和39年に「備後地区工業整備特別地域」の指定を受けて以来、従来の軽工業中心の都市形態から鉄鋼業を中心とする重化学工業主体の産業都市へと転換を図りました。そのような背景から水資源開発も進められ、昭和56年には芦田川河口堰や平成10年には八田原ダムなどが完成し、工業用水として福山市をはじめとする臨海工業地帯に供給されています。


八田原ダム





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