弓ヶ浜を形成する土砂は、崩壊を続ける大山火山体や日野川上流から大量に供給されました。特に、「鉄穴流し」による廃砂が大きく関わっていると考えられています。
皆生海岸の汀線は、歴史時代を通じて前進を続け、特に江戸時代になって日野川上流域で「鉄穴流し」による「たたら製鉄」が盛んになると、大量の砂が流され河口付近での成長は一層大きくなりました。
しかし、大正時代の後期、上流のたたら製鉄は終わりを迎え、これを契機とするように皆生温泉付近から海岸線の後退が始まりました。その後、秋季から冬季の波浪によって海岸侵食は激しくなり、現在の護岸が出来るまでに最大で約300mの砂浜が後退したと言われています。
こうした侵食を防ぐため鳥取県により護岸や突堤が整備され、昭和35年4月には、新川海岸(新潟県)、有明海岸(佐賀県)とともに全国で最初に直轄海岸工事区域として指定をされました。