水管理・国土保全

  

| 河川トップ | 川の歴史 | 主な災害 | 地域と川 | 自然環境 |   


白川の主な災害


白川流域では、戦後、熊本市街部を中心に大災害をもたらした昭和 28 年 6 月洪水をはじめとして、昭和 55 年 8 月及び平成 2 年 7 月洪水など、多数の家屋浸水被害をもたらす洪水が繰り返し発生しています。平成 24 年 7 月の九州北部豪雨でも、基準地点代継橋において観測史上第1位の水位を観測し、沿川各所での洪水はん濫により甚大な被害が発生しました。



発生日 発生原因 被災市町村 被害状況
1953年(昭和28年6月) 梅雨前線 熊本市、阿蘇市、大津町、菊陽町 死者行方不明422名、流失全壊家屋2,585戸、半壊家屋6,517戸、浸水家屋31,145戸、橋梁流失85橋、田畑の流失埋没1,372ha、冠水2,980ha、罹災者数388,848人
1980年(昭和55年8月) 前線 熊本市、阿蘇市、大津町、菊陽町 死者行方不明1名、家屋の全半壊18戸、床上浸水3,540戸、床下浸水3,245戸
1990年(平成2年7月) 梅雨前線 熊本市、阿蘇市、大津町、菊陽町 死者行方不明14名、家屋の全半壊146戸、一部破損250戸、床上浸水1,614戸、床下浸水2,200戸
1999年(平成11年9月) 台風11号 熊本市 台風18号による高潮被害。床上浸水 7 戸、床下浸水 37 戸、浸水面積11.3ha
2012年(平成24年7月) 梅雨前線 熊本市、阿蘇市、大津町、菊陽町 全半壊183戸、床上浸水2,011戸、床下浸水789戸、浸水面積2,353ha



昭和28年6月洪水

昭和 28 年は 6 月上旬頃から阿蘇地方にたびたび強い雨が降っていました。6 月末になって南西海上から高温多湿の気流(湿舌)の流れ込みが激しくなり、梅雨前線を強く刺激したため、6 月 25 日~28 日にかけて熊本県中部一帯に近年稀にみる豪雨が降った。阿蘇地方ではそれまで降り続いた雨によって地盤は高い湿潤状態であったが、この大雨が降ったため、白川は瞬く間に増水して大洪水となって沿岸一体に氾濫しました。

また豪雨により阿蘇地方で山崩れが頻発し、火山基層を厚く覆う「ヨナ」と呼ばれる火山灰混じりの砂が洪水で流され氾濫堆積したため、熊本市内は泥土に埋もれました。

被害状況は、死者行方不明者422名、流失全壊家屋2,585戸、半壊家屋6,517戸、浸水家屋31,145戸、橋梁流失85橋、田畑の流失埋没1,372ha、冠水2,980ha、羅災者数388,848人となっています。


流出寸前の明午橋


洪水後の子飼橋付近の状況(木により河道閉塞が起こり、濁流によりえぐりとられた大江町。
左岸側の橋は保安隊によって架けられた仮橋)



過去の主な渇水
平成6年渇水
平成6年(年降雨量920.5mm)は、明治27年(年降雨量861.7mm)に次いで熊本気象台観測史上第2位となる異常渇水でした。この渇水では、水温上昇と水量低下の影響によるアユの大量死や、瀬切れの被害が生じた。特に、下流域の熊本市側で河川水位が低下し、各堰からの取水が困難となったため、平成6年7月に利水調整会議が開催され、河川水利用者による調整が実施されました。


平成6年渇水時の瀬切れの状況(大甲橋上流)



ページの先頭に戻る