水管理・国土保全

  

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本明川の主な災害

洪水被害の発生状況

本明川は、流路延長が短く上流の急流部から一気に干拓によって延びた平地に移行し、その変化点に諫早市街地が広がっているという立地条件から、ひとたび大雨が降ると、たちどころに洪水となって流出するため、古来より繰り返し洪水被害が発生しています。

洪水は6月~7月の梅雨前線によるものが多く、大きな洪水のほとんどが梅雨末期の集中豪雨によってもたらされたものです。「諫早日新記」によると、寛永末年(年代不詳:1624~1643年)からの洪水が記録されており、記録に残っているだけでも、本明川では過去約300年間に約60回余の洪水被害が発生しています。



発生日 発生原因 被災市町村 被害状況
1699年~1643年(寛永末年(年代不詳)) 不明 死者・行方不明者 不明 浸水家屋 不明
1699年(元禄12年) 不明 死者・行方不明者 487名 浸水家屋 不明
1711年(正徳元年) 不明 死者・行方不明者 不明 浸水家屋 不明
1810年(文化7年) 不明 死者・行方不明者 不明 浸水家屋 不明
1812年(文化9年) 不明 死者・行方不明者 不明 浸水家屋 不明
1911年(明治44年) 不明 諫早、大村 死者・行方不明者 13名 家屋全・半壊、流失 68戸 浸水家屋 623戸
1914年(大正3年) 不明 死者・行方不明者 不明 浸水家屋 不明
1922年(大正11年) 前線 死者・行方不明者 不明 浸水家屋 不明
1927年(昭和2年) 台風 北高来郡 死者・行方不明者 17名 家屋全・半壊、流失 340戸 浸水家屋 2,346戸
1930年(昭和5年) 台風 長崎県下 死者・行方不明者 80名 浸水家屋 不明
1948年(昭和23年) 低気圧 長崎県下 死者・行方不明者 118名 家屋全・半壊、流失 163戸 浸水家屋 5,973戸
1949年(昭和24年) ジュディス台風 諫早市 死者・行方不明者 0名 浸水家屋 700戸
1952年(昭和27年) 不明 諫早市 死者・行方不明者 0名 浸水家屋 118戸
1952年(昭和27年) 不明 諫早市 死者・行方不明者 0名 家屋全・半壊 3戸 浸水家屋 88戸
1953年(昭和28年) 不明 諫早市 死者・行方不明者 2名 浸水家屋 92戸
1953年(昭和28年) 不明 諫早市 死者・行方不明者 2名 家屋全壊 2戸 浸水家屋 92戸
1954年(昭和29年) 不明 諫早市 死者・行方不明者 2名 浸水家屋 304戸
1955年(昭和30年) 前線 諫早市 死者・行方不明者 0名 浸水家屋 401戸
1956年(昭和31年) 台風 諫早市 死者・行方不明者 4名 家屋全・半壊 231戸 浸水家屋 不明
1957年(昭和32年) 梅雨 諫早市 死者・行方不明者 539名 家屋全・半壊、流失 1,302戸 浸水家屋 3,409戸
1962年(昭和37年) 梅雨 本明川流域 死者・行方不明者 0名 家屋全・半壊、流失 87戸 浸水家屋 10,320戸
1982年(昭和57年) 梅雨 本明川流域 死者・行方不明者 3名 家屋全・半壊 2戸 浸水家屋 2,408戸
1999年(平成11年) 梅雨 本明川流域 死者・行方不明者 1名 家屋全・半壊 2戸 浸水家屋 711戸
2011年(平成23年) 前線 本明川流域 死者・行方不明者 0名 浸水家屋 29戸
出典:国土交通省



昭和32年7月洪水(諫早大水害)

昭和32年7月25日には諫早市*で死者494名、行方不明者45名、家屋の流失727戸、半壊575戸、浸水家屋3,409戸と諫早市街地に壊滅的な被害を出した大洪水が発生しました。


被災した諫早市街地の状況


小野島地区の浸水状況



昭和57年7月洪水(長崎大水害)

昭和57年7月には死者3名、負傷者1名、家屋の全壊2戸、半壊11戸、水家屋2,408戸と諫早大水害につぐ被害を記録した大洪水が発生しました。


高城橋付近の洪水の状況


仲沖地区(本川3k100付近)の川裏法面崩壊の状況



平成11年7月洪水

平成11年7月に家屋の全壊1戸、半壊1戸、浸水家屋711戸と本明川からの氾濫はなかったものの、内水氾濫や支川の溢水による大規模な被害が発生しました。


半造川周辺の浸水状況


諫早排水機場付近の浸水状況



過去の主な渇水

本明川では、渇水による被害がたびたび起こっており、農作物の被害の他、魚類等の生息環境に影響を与えています。

近年の平成6年渇水時には、公園堰から取水する農業用水が不足し、農作物被害を最小限に食い止めるための干害対策がなされましたが、それでも1億5千万円もの農作物被害が生じました。また、公園堰の下流は水がほとんど流れない瀬切れの状態となり、水温の上昇や酸素不足が発生し、大量の魚が酸欠死しました。


公園堰下流の状況



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