広幅員の理由(説) ■権力の象徴 国内外に朝廷の力を誇示する目的 ■トラフィックの拡大に対応 ●政治的側面 一刻も早い伝令の必要 ・・・壬申の乱(672年・内乱)や白村江の戦い(663年)等の情勢不安 ●軍事的側面 軍旅や集団移民が、千~数万人の規模で行われるなど大量移動の必要 ・・・7~8世紀の軍隊は騎兵・歩兵千人を1軍団とし、時には数十万が動員されることもあった 強制移民としては、東国から奥羽に1,600戸(1戸≒35人)という記録がある(714~719年) |
(8世紀以降) 幅員が縮小した理由(説) ①政権の安定 蝦夷進攻の終結 ・・・797年の胆沢城設置により、大規模征夷はほぼ終了 ②維持管理の観点から、適切な規模に再編成された ・広幅員道は泥沼化することが多く、中央を掘割にして利用した形跡 ・使い勝手のよい伝路(地域連絡道)を利用したルート変更も見られる。 |