会議記録


  6.討議
    【嶌委員】
     これからの進め方としては、月1回程度で毎回3人ずつぐらいにスピーチをしてもらい、その度に活発な討論を中心に進めたい。また、議論の成果は今までとは違った形で情報発信をしていきたい。夢のあるものにまとめて行ければよいと考える。
 各委員の専門と資料にある論点をオーバーラップさせて、この100年、あるいは1000年を振り返っていろいろご意見を頂きたい。
 100年というと明治維新以降ということになるが、その間の日本は「富国強兵」「殖産興業」「技術輸出立国」「和魂洋才」といったことを目標に掲げ、国力はGNPが世界第2位まで発展してきた。しかし、経済状況が悪化したため国民が自信を失い、ジャパンパッシングといわれるように国際社会でも軽視されているように感じる。
 このような中で、国力、経済ではない別の価値観も持つ必要があるのではないか。1000年というと平安末期からということになるが、安土桃山時代などは非常に高い生活水準、文化を持っていた時代であった。過去の日本にも世界に誇れる文化、思想、ライフスタイルがあったと思うし、それらについて100年、1000年単位で生活などを振り返ってみて、21世紀に向け、どのような考え方ができるかを議論してはどうかと思う。
嶌委員
     
    【上山委員】
     仕事では、大企業のリストラやM&Aなどを手がけている。企業というのは日本の将来より“我が社”の将来を考えるものだが、その中でも、100、1000年先という話が出てきており、ロングスパンで考えようとすることも大事である。
 建設省として、暮らしを切り口にインフラなどを考えていくのはおもしろいと思う。その中では、等身大のビジョンを出すことが重要である。“生活空間倍増計画”よりも中田選手や野茂選手、スカイマークエアラインといったものが将来を予感させるキーワードとして出ているように感じる。また、キャッチアップ型ではなく、どうしたいのかという視点で議論をしたい。例えばアメリカとの比較などは、国土の大きさが違うのだから生産性等を比較しても仕方がなく、日本は日本としてどうしたいのかを考えた方がよいと思う。さらに、何ができるかを考える際には、日本の持つ資産が何かを見る必要があり、それは、製造業の技術など人材の質、信頼関係に基づく人間関係、さらに海外の良いものをアレンジしてうまく利用するということであると思う。
 これらの中からキーワードを出して、悲観的なムードを押さえ込むということも重要ではないか。日本が本当の日本になるにはどうしたらよいかという切り口が必要である。
上山委員
     
    【林委員】
     現在一番興味を持っていることはコミュニティである。日本人は自分たちのコミュニティの良さや大切さをきちんと認識していないように思う。アメリカとの比較も必要ならすればよいと考えているが、例えばアメリカではコミュニティの状況が悪く逆に問題意識は高くなっている。ヨーロッパでも同様だが、社会や経済の基盤にコミュニティがあるというコンセンサスが形成されているのに対し、日本では当たり前だと思われているため制度もそれを前提にしている部分がある。そのため、モノや基盤づくり、経済的対策に偏っている面がある。そのため、例えば既成市街地の整備などにおいても、生活ではなく基盤整備ということでやってくるので地元の人に受け入れられないということが起こる。
 これからは、コミュニティをつくる、再生するという目的を持って仕事をすることが重要である。暮らしや生き甲斐、品性、居心地の良さということがポイントになってくるのではないかと考える。
林委員
     


    【石井委員】
     手元にある資料は、川勝先生の著書『富国有徳論』の表紙に使われている富嶽三十六景の絵に手を加えたもので、要するに風景は安藤広重でよい、できるだけ国土を痛めず、建物はコンパクトに省エネ型で都市をつくっていくということを表している。むかしは美しかった、いわゆる日本の風景が今は失われてきているという感覚がある。しかし、この著書によると、咸臨丸で欧米に学びに行った人たちの一番の関心は工業都市であり、富国強兵を進めた中で、景色の中から“有徳”の部分が失われてしまったのである。
 今はそのような時代ではないのだから、何かが失われないとできないものではなく、山と海があり南北に長く四季のある豊かで変化に富んだ、日本の美徳というものを改めて考え、再構築する必要があるのではないか。
石井委員
     
    【長谷川委員】
     100年前に、日本もそうだが世界で都市計画法ができ近代化がスタートした。日本での近代化は工業化であったが、急速に農業から工業へと進む中で、地域の風土に密着というのではなく、中央集権的、画一的な方法で建築をつくるということがあった。
 その中で一番大きな問題は住宅のあり方だと思っている。核家族は、ごく短い歴史の中で、サラリーマン化した人々が大都市周辺にやってきてまた周りが開発される、ということから生まれてきたものである。これまであった大家族ではおもしろい暮らし方があったが、今では住宅についても核家族が標準の形となっている。実際には、単身世帯、高齢単身世帯の方が家族世帯よりも多いような状況であるが、社会のシステムが追いついていない。食べ物も洋服も豊かになっているが、住空間が豊かになっているという感じがしない。
 このような急速な工業化の中で住宅が目指す姿はこの50年変わっていなかった。ドイツではすでにニュータウン開発をしないということを法制化しているようであり、日本でも見直しがされているようだが、まだ開発を進める機運もないとは言えない。国土の美しい再編成や自然環境の再編成が、これから100年の国の大きな目標としていくならば、建設省としても大きな役割があるのではないかと思っている。
長谷川委員
     
    【松田委員】
     環境、廃棄物の処理などの社会システムについてテーマをもって仕事をしている。その中で欧米の暮らし方をみていると、例えば道をレンガに戻すなど、過去の経験を見直してよくないところは改めていっている。環境という視点からみると、建設省として、道路をつくるのもまたそれを自然に戻すのも仕事であると考える。過去に決めたことにこだわらず、昔は昔として新しい視点から見直し修復していくことが必要である。例えば干潟についても、諫早湾の件があったからこそ名古屋も守られたわけで、今度は諫早湾を復元の実験地として使っていくということも考えられる。
 また、ヨーロッパでは政策論の中で方向軸をそろえる作業が進められ、国民にもそれが浸透してきている。それは、“地下資源の保全につながっているか”、“化学物質に対する安全性に考慮しているか”、“緑の破壊につながらないか”、“貧富の公平さを考えているか”、の4つである。資料に提示したスウェーデンのチョコレートのように、それに対する外部評価や消費者から見たステイタスも確立されている。日本もこのような方向軸のある社会であればよいと思う。
松田委員
     


    【澤田委員】
     4年半のヨーロッパ生活から日本に帰ってきた時に、経済大国といわれているが、環境やまちづくりがおくれているということを感じた。ヨーロッパでは環境やまちづくりは、ふるさと、自然と非常にマッチしていて、電柱が地中化されるなどきれいであるが、日本はつぎはぎでつくられたという印象がある。
 環境やまちを急激によくしていくことは不可能であり、これからは、100年後のグランドデザインをきちんとつくることが大切である。その上で、中期的に5年、10年後をどうしていくかを考えて行くべき。これまでは、物を重視してきたように思うので、これからは、心、自然を重視した心豊かなグランドデザインをつくり日本全土に広げていってほしい。経済でもこれまでの物重視から心や自然重視にしていくべきだと感じている。100年、200年後を見据えて、自然とマッチしたまちづくり、文化に合った心が感動するような国土づくりを計画していってほしい。海外から人がやってきたときに、きれいだと感動したり、すてきだと思ったりするような国になってほしいと思う。
澤田委員
     
    【井上委員】
     京都の嵐山嵯峨野で生まれ育ち、ごみを持ち込んだりする観光客にはうんざりしてきたという経験を持っている。観光業を営む人には必要だろうが、一般の地元の人にとって、人がやってきて活力を与えてもらうことが果たしてよいことかは分からない。また、まちがこぎれいになっていくのも好ましくないと感じている。
 京都では、慶応から明治の時代に事実上の遷都をしたのだが、その頃に、失礼な話だが「第二の奈良にしてはいけない」という新聞記事がよく見られた。奈良の人が他府県と比べて不幸せなわけではなく、なぜ奈良になったらいけないのだろうと思う。今の京都は事実上、第二の奈良になっているわけで、それなら前向きにそうなるほうが精神衛生上よいのではという気がする。これは、日本列島全体がそうではないかとも思われる。
 京都では、独居老人の社交クラブが結構あり、もてるおじいちゃんともてへんおじいちゃんがいるというという話を聞いたことがある。もてへんおじいちゃんの典型は昔偉かった人で、若いときどんな仕事をしたとか、どんな役職とかの話しばかりだと。元大学教授はどうですかと聞くと、間髪入れず「あ最低や」と言われた。うんちくたれる、いばる、関心を見せなかったら文句言う、最低やと。将来のもてる、もてへんと考えると、やはり余り建設的であることも善し悪しだなと考えさせられる。そういう文化土壌がまだ少し京都にはあるのかなと思っている。
井上委員
     
    【加藤委員】
     今回、これだけ多彩な人が集まっているのだから、例えば「所得倍増」のような分かりやすいキーワードを含めて、2000年からの10年はこれでいこう、というものを報告書としてまとめていきたいと考える。また、これを読む人が、何らかの共通イメージを持てるような、映像的な提示の仕方も必要ではないかと考える。さらに出されたら終わりではなくそこから始まるような報告書にしたいと思う。キャンペーンでもして定着するように使ってほしい。
 Way of life、国づくりやインフラづくりは、制度や仕組みと切り離しては考えられない。現在の仕組みでは今の公共事業のやり方から抜けられない。インフラづくり、暮らし、制度というのはセットであり、その意味でコミュニティを大事にしてそこから考えるという視点は重要だと思う。ただそうなると、この場で行政や税などの仕組みすべてを議論することは無理なので、身近な具体例を出して範囲を絞って考えていくという方法が考えられる。
 制度を考えるにあたって留意するべきなのは、例えば日本人は流されやすいというような性癖など、“変わらないものは変わらない”ということを前提にするということ。アメリカの制度を持ってきても居心地の悪いものになってしまう。変わらないものを前提にして仕組みやその上のインフラづくりを考えていく方が現実的である。ただし、その変わらないものと変わるものを見極めるのが難しく、いろいろな委員の意見を聞きながら検討していきたい。
加藤委員
     


    【隈部委員】
     ポスト資本主義のライフスタイルとはどういうものかを考えている。この100年を振り返ると資本主義が世界を支配した時代と言え、地球上60億人のうち55億人が、効率を高めて利益を追求し成功した人がよい暮らしをする、という資本主義の社会で生きている。その中で、需要と供給の接点に価値があるという経済学ではなく、大切な人の命がかかったら人は経済原理とはずれた行動をとるという命の経済学というものによって、資本主義にどっぷりはまらなくても幸せになれるという方法があるのではないかと考えてきた。お金ではなく言葉で幸せが買えるのではないかという観点から世界の名言を収集・研究してきた。ニーチェの言葉に、「美しくあるよりも巨大である方がたやすい」という言葉がある。これまでの社会資本は巨大であることを追求してきた。そうでなくて美しくあるものによって人間の幸せが得られるのではないか、お金から外れたところでライフスタイルを追求したいと思っている。 隈部委員
     
    【坂井委員】
     一般的に物から心へと価値観が変化していると言われるが、日本は先進工業国としてモノづくりを放棄してはいけないと思う。物から心へではなく、物にどうやって心を入れていくのかということに積極的に取り組んでいきたいと考える。
 例えば、車で言えば東京は一種のハンディキャップシティで、渋滞や排気ガス、交通事故など、社会悪であるように言われており、その解決のために自動車業界では環境への配慮がテーマとなってきている。その車について、日本では6000万台ほど流通していると言われるが、1台あたりの平均走行距離は3000kmと東京と京都を3往復する程度で、家のプレステージを証明する仏壇のような商品となっている。アメリカでは最低3万km走るといわれ、メルセデスではクラブ組織を作りメンバーで車を共有するという方法を導入し、フランスでは傘のように車を乗り捨てにするという新しいシステムを検討しているなど、大きな違いがある。
 日本が進めてきた工業化の中でのインダストリアルデザインという分野はまだ70年程度で、その結論はまだ出ていないと思う。日本の工業製品は少しでも多くのシェアを獲得するという価値観から、効率性、合理性を追求して“個性がない”といわれる製品をつくってきた。その中で創造/想像力が物づくりの中から失われていった。具体的な解決策は見えないが、これから物に心を与えながらおもしろい商品をつくれば、日本の工場も活性化し、まちも美しくなるのではないかと思う。
坂井委員
     
    【澤登委員】
     物から心の豊かさを求めるようになった中、命というものを核に据えた仕組みが必要であると思っている。野生というものが欠けてしまっており、自分自身が自分の存在を確認できなくなっている。成熟時代、個の時代を迎え、自分時間を手に入れたときに自分空間をもっていることが必要となる。等身大の住まいを考え自分を作り上げる、コミュニティを見直す動きの中で、自分や野生を取り戻していけば次のものを生み出す力にもなる。またその個から始まりそれらをつなぎ合わせることによって、新たな付加価値も生まれ経済効果も期待できる。そのためのインフラや仕組みを作っていくことが必要である。循環型社会を創出していくためには自然界と社会、人の生命が還元されていくことが大切。例えば、リタイアした人が培った経験、知恵、技術を活かして新しい働き方でコミュニティの働き手として戻ってきたときに、大きな動きになってくるだろう。さらにそこへ新しい技術などを導入すれば、大きさ、速さだけではなく多様な人々が結ばれていけば、質の高い文化も生まれるだろう。分断、対立からスパイラルに繋がり合える社会を生み出すインフラ整備を。 澤登委員


    【竹中委員】
     重い障害を持っている人が働けるように、納税者になれるようにということで取り組みをしている。“チャレンジド”という米語は、ハンディキャップドやディスエイブルに変わる新しい言葉で、障害というのはマイナスだけではなく、社会のためにポジティブな力になるという発想であり、これらの人々が社会を支える側に回るぐらいの仕組みをつくっていくことが、これからの高齢社会を乗り切るひとつのプランではないかと考えている。
 障害者や高齢者の中では、100%支えられないと生きていけない人はごくわずかなのだが、一括りにされているため、少しでも役に立ちたいと思っている人がうまく社会へ融合できないという図式になっている。マイナスのエネルギーを押さえつけて不満に替えているのは非常にもったいない。今は社会が支えられてもこれからの高齢社会では支えることができなくなる。3時間働いてあとは支えてもらうというような考え方に切り替えていかないと、これからの社会では難しい。
 建設省というのは、社会全体のインフラを考えるところなので、道路でも建物でも、広い視野でつくっていけるのではないか、という期待を持っている。
竹中委員
     
    【嶌委員】
     出ていた意見をおおよそまとめると、1つ目は、コミュニティの視点が重要ということ。アメリカでは受け入れてくれるコミュニティを信じているが、日本ではそれが信じられていないために自分の村から出たくないということがある。2つ目は、日本の価値・魅力の再発見をすること。ヨーロッパでは、自分たちのライフスタイルやコミュニティは壊させないという意志があるように思える。3つ目は、システムや考え方、とくにお金のかからないシステムが重要であるということ。ハードではなくシステムによって日本の構造は変えられるのではないか。4つ目は、ドメスティックではなく国際社会の中での日本を考えるということ。世界のスーパーパワーはアメリカであり、アジアの中心は中国、日本はセカンド・リージョナル・パワーであると見られている。これから日本が世界の中でどのような位置を占め役割を果たしていくのか、ということも頭に置いておく必要があるだろう。
 これから検討を進める中では、できるだけ実体験に基づいた具体的な例を中心に話していただきたい。アイディアを出し、それについての阻害要因を考えていけば、リアリティのある提案ができるのではないか。夢を語るということでは、アイディアから発想していけばおもしろいのではないかと考える。
嶌委員
     
    【川勝委員】
     上山委員からお話があった身近なビジョンを出すようにというところから始まり、各委員が暮らしという観点から日本の未来を語ると、これほど生き生きした話になるのかと感動している。キーワードについて付け加えると、“美しい暮らしの立て方”ということがあげられる。世界の中での共通感覚である“美しい地球”ということに関して、日本が誇れることは技術と同時に美しい自然であろう。美しいものを暮らしの中で作り上げていくことは、地球の自然の意志にもかなっているのではないか、という感想を持った。 川勝委員
     

 

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