会議記録


     
5−3.ショートスピーチ (成毛眞委員)
   私は代打でということで、加藤さんは10分ぐらいで考えて、それでもまだ紙を用意していたが、私の場合は紙も用意していなくて、大変申しわけない。
 私はご承知のとおり 100%外資系のコンピュータ産業ということだから、恐らくその立場から少しお話しせよということだろうと思う。今日少し話する内容は、言わずもがなのことが非常に多いわけだが、コンピュータ、情報通信、その2つのくくりで、新聞、雑誌でもう皆さんお読みだと思うが、改めて今から10年後ぐらいを想定したときにどのくらいの規模、影響力になっているかということを先にお話しして、その結果として起こるであろう幾つかの変化があるという、その変化の予測をちょっとしてみたいと思う。
 この変化の予測はこの会のためというわけではない。実は私どもはその変化を予測した上で商品を変えているし、マーケティングの手法を変えているから、そういう意味では実践的な変化の予測ということであって、一般的な意味での社会全体とか経済全体を予測しているというわけではない。あらかじめご承知おきいただきたいと思う。
 コンピュータと通信の変化、つまり情報通信の変化ということだが、とりあえず数字を幾つか挙げて、どの程度変化するかというのを見ていく。パソコンの前のコンピュータの概念がつくられたのは今から約50年ほど前であって、ある意味では非常に若い技術であることは間違いない。それが半導体の発明から始まってCPUになるのは今から20年ちょっと前である。CPUが発明されて、もしかしてパソコンがいわゆるオタクの箱ではなくて、現実にビジネスに使えるかもしれないと思い始めたのが、実は今からたった17年前のことになる。日本ではNECがPC98シリーズというのを出したときだが、このときのパソコンのスピードはどのくらいだったかというと、 0.3MIPSという値だった。これは、ミリオンインストラクション/セカンドだから、1秒間に論理的な演算が 100万を単位として何回できるか、それそのものはどうでもいいとして 0.3という値だった。今日現在、17年経った時点で一般的に秋葉原で買えるパソコン、私の娘もこの間小学校1年生の入学祝いにパソコンのそれこそ一番安いものを買ったのだが、これが今約 500MIPSぐらいである。だから、ざっと言って千何百倍のスピードになるわけである。
 一方で、17〜18年ぐらい前のパソコンの能力を持つものは今どこにあるかということもある。パソコンはどんどん小さくなり安くなってきている。ファミリーレストランでウエイトレスが持っている入力機器、コーヒーを後にするのか先にするのかとかのうるさいことを先に聞いてくるとき使っているものだが、これが今から10年ほど前のパソコンの能力にほぼ匹敵する。あれはディスプレイがついているし、ウエートレスがカチャッと入れると、厨房の方に今カレーライスが注文されたと、つまりネットワークの機能まで持っている。大体今から10年ほど前のフルセット 100万円のものが、今は価格にして 3,000円から 4,000円程度になっているのである。
 今から10年後の予測だが、もしも過去15年ほどのコンピュータのスピードの変化が次の10年間も続いて、2010年ぐらいになったらどうなるかということである。これはインテル、世界最大の半導体メーカーが公言しているわけだが、もう一度今の 1,000倍から 5,000倍程度、どんなに低く見積もっても 1,000倍程度のスピードになると言っている。
 例えば、メモリーというのがあるが、17〜18年ほど前のコンピュータについていたメモリーは16キロバイトである。そこに1万 6,000語入る。今日現在、どんなパソコンでも32メガバイトだから、 3,200万文字入る。これがキロからメガ、つまり 1,000倍にいきなり上がったわけである。これは物理学的な制約はないという前提なのだが、2010年程度のメインメモリーというのは32テラバイトから64テラバイトという大きさになる。これは、2010年にほぼ 100%来る未来なのである。2010年か2015年かの違いはあるかもしれない。またはもう少し早くなって2005年に来るかもしれないが、2050年に来るということは絶対にない。100%来る未来というのはこういうことなのである。
 まとめてコンピュータだけでいうと、約 500ギガインストラクション/セカンドというスピード。これがどのくらいのスピードかというと、恐らく私の娘が就職するころに就職のお祝いに上げるパソコンは、今日現在日本にある都市銀行が使っているすべてのメインフレームのコンピュータ、つまり、この部屋に入るかどうかのコンピュータだが、その全部の量、スピード、計算能力に、1台でほぼ匹敵する。それからメモリーの容量は、現在日本で都市銀行が使っているコンピュータの総量に匹敵する。だから、およそ都市銀行だけで今 5,000億円ほどのコンピュータを持っているはずだが、そのメモリーの量と10年後のパソコンのメモリーの量はほぼ変わることは絶対にない。そのパソコンが今日現在1年間に 8,000万台ほどワールドワイドで売れているから、大体今から20年後というのは、少なくとも日本で動いているどんな速いコンピュータをもってしてもまだ 100倍ほど速いパソコンが30万円ほどで年間1億台ほど売られる未来が必ずやってくることになる。
 今言ったのはコンピュータのことである。これはリニアに真っすぐ上がって来る。ただし、自動車だとか、ほかの工業製品と比べると、そのスピードの上昇率というのは、自動車の場合は最初の発明の4キロからせいぜい80キロ、ポルシェの場合で 200キロぐらいだろうか、これを百何十年で駆け抜けるが、実際にコンピュータの場合にはもっと速いスピードで駆け抜ける。ただしリニアである。
 ところが、情報通信といっているときの通信に関しては、完全に双曲線カーブを描く。ちょっと考えてもらうと理解されるかもしれないが、マルコーニが電信を発明したのは今から百数十年前である。現実にトトトンツートンツーの電信からラジオになり、有線の電話が出てくるのが、しかもそれが一般的に使われるようになったのは、私が社会人になったときである。そのときはまだ私の会社は貧乏会社だったのかもしれないが、4人で、机が並んでいて、真ん中にポールが立って、そのポールの上にトレイが載っていて電話が載っていた。4人に1台電話をとっているわけである。大体新入社員が必ずとって、必ず課長にかかってくるので、最初からとれよと思っているわけだが、(笑)必ずそれをやらされた。1人1台の電話になるのだろうと思っていたら、何のことはない、今は携帯電話が出てきた。携帯電話は今から15年ほど前である。ということで、実際に有線電話が1人1台になるのは、今からせいぜい20年ほど前である。
 その次に、携帯電話が出てきたのは15〜16年前だろうか。考えてみると、一番最初に出てきたのは、車のバッテリーみたいなものを背負ってガシャッと出て、あのころはバブルの絶頂期で、銀座のバーであれをやっているとすごくかっこいいビジネスマンに見えたけれども、どう考えても現場監督以外の何者でもないという(笑)不思議な話であった。それが今はもう80グラムの胸に入るものになった。PHSが出てきたのは今から4〜5年ほど前のことだろう。先ほどコンピュータの値段がどんどん下がると言ったが、PHSに至っては、最初のうちは電話加入で20万円ぐらい取られた。もうさすがになくなったが、去年驚いたのは、「今、吉野家の牛丼を食べるとPHSがついてくる」というのがあって、(笑)ついに電話はただになったかと。このままいくと「PHSを今もらうと牛丼がもらえる」とか、(笑)そう思った節があったけれども、とにかくどんどん値段が下がってきた。
 一方でイリジウムという計画、余りうまくいっていないとは聞いているが、既にアメリカ、ヨーロッパ、もちろん中国も含めて、地球上に衛星を66発ほど打ち上げて、どこからでも電話ができるようになる。これが去年の11月からのサービスである。私どものビル・ゲイツ本人が、マイクロソフトの株をまだ3分の1ほど所有している。この間私もあるランキングに載ってしまって大変恥ずかしい思いをしたのだが、だからといってそれを隠すわけではないが、ビル・ゲイツは何しろ今日現在でも最低20兆円ほど持っているはずだから、その20兆円のうち約10%の2兆円、そういう意味で言うとポケットマネーを使って、テレデシックという計画を今進めている。これは、2004年の時点で衛星を 250発ほど地球の周回軌道上に乗せて、地球上どこにいてもインターネットの技術を利用してテレビ電話をできるようにしようというのが、今粛々として進んでいるというシステムである。
 まとめてみると、こういうことになる。2010年の世の中で何が起こっているかというと、少なくとも今のどんなスーパーコンピュータをもってしてもまだその能力が 100分の1にしか見えない、すなわち遥かに能力のあるコンピュータが年間1億台ほど売られる。今日現在から10年間のコンピュータはどんどん積算されるから、その結果として約8億台ほどのコンピュータが稼働しているはずである。そのコンピュータそのものはすべて 100%ネットワークにつながる。それは非常に高速の光ファイバー網でつながる。今日も電通審の方で、2010年にはデジタル回線、ケーブルテレビも含めてすべてのテレビ回線をデジタルにするんだというのが出ていた。あれは恐らく本気でやると実は非常に簡単にできるわけだから、そんなに難しい問題でもない。あれが必ず実行されるとすると、地球上どこにいても即時のオンラインで、自宅か会社にあるスーパーコンピュータにつながることになる。
 一方で、もう一つのことだが、では今あるコンピュータの10年後というと、やっぱり胸の中に入る大きさになるはずである。しかも、値段は 5,000円程度である。現在あるパソコンで何ができるかというと、自動翻訳ができる。問題なく音声認識ができる。IBMの音声認識を使っている方がいらっしゃるかもしれないが、かなりの方が今、音声認識をさせてワープロに入れているわけである。何を言っているかというと、10年後は少なくとも携帯電話か、またはファックスか、または時計か、何かに向かって喋ると、音声認識をして文章になる。文章になったものは、少なくとも上空 100キロぐらいの衛星に打ち上がって、自分のコンピュータに入る。自分のコンピュータは驚くべきことに、しつこいようだが、今あるどんなコンピュータよりも 100倍のスピードがあるわけだから、これはさすがに翻訳を問題なくするはずである。翻訳してそのままアメリカに送って、アメリカの方でそれを聞くことが可能なはずである。SFの世界ではなくて、10年後に 100%起こることというのは、地球には、文化的なものは別にして、言語的なギャップはまずなくなっているだろうということ、地域的なギャップはほぼゼロに近いということである。
 結論としてどうなるかということだが、コンピュータ産業がそういった形で余りにもスピードが速く変化し続けている第一の理由は、いわゆるアメリカ型資本主義の生み出した鬼っ子のようなものだと思う。本当にこれがいいかどうかは、コンピュータ産業に住んでいる私としては、これは40代前半はできるだろうけれども、あと2〜3年したらやめたいと思う。こんな大変な商売はない。これはコンピュータが大変なのではなくて、自由競争市場主義でやっていると非常に大変だということである。ただし、政府の規制の話とは全然別の話である。規制する主体がどこかは別にして、自由競争の鬼っ子というのはそういうことを生むということである。
 結果としてまず一つは、所得格差の拡大もしくは再生産が起こると読んでいる。コンピュータを使う人、それから使わない人、興味のない人との間の所得格差が非常に大きくなる可能性が大きくなると考えられる。もう一つは、会社が二つに分かれる可能性が非常に高いと思っている。1番目は、真のグローバルカンパニーと言われているものである。恐らく今もうなりつつあると思うが、国内産業であるところの建設関連産業もしくは商業などを除くと、グローバルカンパニーがどんどん増えている。日本の場合でも、ソニーも、本田もそうである。その類が非常に増えてくるということ。もう一つは、一方でその反対にマイクロ・ローカルカンパニーというのがまた非常に多く出てくるだろうと思われる。先ほど澤登さんが言われたSOHO、地域に根差したスモールオフィスというのが出てくるはずである。両方に二分化するわけで、途中には会社が成立しないかもしれないと思っている。我々は、真のグローバルカンパニー向けの製品と、それから真の家庭でやるビジネスと、その二つの製品しかもうつくらなくなった。つまり、中堅企業向け、従業員の数にして 300人から 3,000人程度だろうか、それ専用のソフトはもはやつくらない。どちらかのものを使ってもらおうというふうに製品の方を変えつつある。これは10年後、早ければ5年後だから、今のうちにソフトを変えておかないと対応できないというわけで、そうなった。
 結果として社会的に起こることのイメージであるが、グローバルカンパニーに勤めている人たちは、ある意味では英語も喋るだろうし、グローバルな視点でものを見ることもできるし、ノウハウもあるだろうと思う。一方でローカルカンパニーにいる人たち、つまりいわゆる地域社会で生きている人たちというのは、それはそれで非常に、先ほどの「森林化社会」ではないけれども、住むことに生きがいを感じ、生きることに生きがいを感じてというか、そういった形でやられるだろう。どちらにしても「こもる」のではなかろうか。つまり一つは、グローバルカンパニーの社員というのは、基本的に会社に来る必要がない。もはやすべて自宅で仕事ができる。それで、家に「こもる」ということになりそうだと思っている。一方で、地域のSOHO、小さな会社だが、これもやはり同じようにこもる。「家にこもる」か、または「地域にこもる」。その反動として、恐らく旅行だとか、もしくは集まりの場所というのが必要になってくる可能性はあるだろうという気はする。この反動の部分は勝手な推測で、ある意味では会社の方針とは関係ないが、その前者のこもる方が実のところかなり顕著にあらわれつつある。
 これが最後の話となるが、10年後ではなくて、もはや本当にこもり始めているということの例を4つほど挙げる。
 まず第1番目。これは、私どもの社内にコンサルティング部門というのがあって、会社に行って、情報システムの設計だとか、それから会社の運営方法だとかをコンサルティングしているおこがましい部門がある。アメリカの企業だとデロイトハスキンスなどがそうなわけだが、私どももデロイトも、このコンサルティング部門には、それぞれ 150名ずついるはずだが、もはや机を一切置いていない。すべて自宅から、必要であればクライアントの会社に行ってくれ、必要がない場合には自宅からクライアントの会社に直接Eメールを送るなりでやりとりをすればよろしい。君たちのためにはもはや机は要らないというわけで、彼らはもう本当にこもり始めてしまった。
 それからもう一つ。私どもがやっているものにカーポイントという事業がある。これはアメリカでやっていて、アメリカの中古車売買のおよそ第2位の会社になりつつある。今、日本ではソフトバンクと一緒にやろうとしている。このカーポイントという会社は中古車の仲介業をしているのだが、中古車の展示場が一切ない。インターネット上の取引で当たり前だが。したがって、ここに勤めている連中はもはやそれこそ家に、または会社にこもったまま、もう不特定の商品を売ることができるようになってきたというわけである。実はその前にamazon.comという、もしかしてこれは世界最大の本屋になったと思うが、インターネット上の本屋である。これは新刊本で、企画されたものだから、本当にこもったまま送れる。そもそも4〜5年前のAmazon.comができたときのビジネスモデルがそうだったわけである。もう既に企画がわかっているもの、お客さんが買うとはっきりしているものに関しては、インターネットで遠隔で買うだろう。だけど、中古車のような自分の目で見て確かめなければわからないものは買わないだろうと思っていたのが、何のことはない、ある一定の基準を満たす車であれば、みんな買うんだということがわかり始めた。そうすると意識変化が起こるだろう。企画商品だけが売れると思っていたインターネットが、実は企画商品でないもの、一品生産ですとか、中古車まで売れるようになると、これはかなり激しく商業が変わるだろう。商業コンプレックスなるものは実はショールームになりつつあるという認識をしている。この例の一つにAMI、American Malls International という会社が日本に進出してきている。彼らは実際に巨大ショッピングセンターをオペレーションしているのだが、この人たちは今、日本に出そうとしているのはショールームだという認識をはっきり持っている。そこで物が売れるのではなくて、もちろん売れはするけれども、そのショールームで物を見た人が今から5年以内に、これで間違いないといってインターネットで注文してくることになるだろうという読みで、もう既に商業コンプレックスの設計方法を変えつつある。私共も変えつつある。これは明らかに、消費者がある意味ではこもってきているということが言えるのかもしれない。
 どちらにしても、私が言いたかったことは、毎日毎日余りにもこの手の情報が多いので、余り実感として持っていないが、コンピュータの発達というのは、その結果としていやが応でも社会をドラスティックに変えていく。2010年の時点で起こっている変化というのは、実は避けようもない想像を絶するような変化であるということである。私は別にコンピュータはバラ色だとは言っていない。逆なのである。アメリカ資本主義の化け物のような産業が生まれてきて、止めどもなくなった。参加している我々ですら、止めようもない。その発達を止める方法がなくなってきて、逆に言うと、「誰か止めろよ」、死んでしまうじゃないかと思っているようなところもあるのである。その結果としていや応なく起こる社会的変化というのは出てくるのだろう。その変化は実はかなり大きい変化で、会社の在り方が変わるがゆえに、住む在り方だとか、売り方だとか、マーケティング全体の手法というのが非常に大きく変わってくるだろうという予測をして、その製品を我々はつくり始めたということなのである。
 先ほど坂井直樹(ウォータースタジオ代表)さんと話していたら、家にこもる話はオタクの大衆化ではなかろうかと言っておられたが、(笑)まさにそういう意味では壮大なオタクの大衆化なのかもしれない。
 最後の最後に、余談にしかならないが、先日、私は北海道出身だから、北海道新聞から「何か北海道をよくする方法はないか」と問われた。そこで、今まで言ったこととは全然違うことを言うのだが、「では一つだけ提案がある。札幌の市内に屋台を認めたらいかがだろうか」と答えた。つまり何を言ったかというと、北海道の出身でいうと、どうも北海道へこもるのである。冬は家にこもってしまって、集まる場所がない。きれいな地下街があるけれども、地下街ではどうもアジア的雑踏さというのがなくて、あそこで何か喋るわけにはいかない。雑踏がどこにあるかというと、せいぜい人が一杯込んでいるところは電車の中だから、じゃそこで化粧でもしてみようかと、何かそうなっているのではなかろうか。(笑)正しい雑踏、正しいアジア的屋台、正しいごちゃごちゃさというのはどうしても本当の意味で必要で、こもった社会になればなるほど、むしろ雑踏もしくはごちゃごちゃとした環境を意図的につくるというのも必要なのではなかろうかと思って、先日は北海道新聞のインタビューを受けた。何の反応もなかった。(笑)このぐらいにして、以上である。
成毛眞委員
   
   
  成毛眞委員
   
     

 

<< previous | next >>