会議記録


 
  6.ディスカッション
  【嶌委員】
   ライフスタイルを変える、政治を変える、経済を変える、社会を変えるというのがインターネットのスローガンだった。成毛委員の話によれば、10年後はその方向性が強まるという。しかしながらグローバル化・情報化の一方で、個々人はコミュニティの再生やゆとりといやしといったものを求めている。この対極的なものを一体どうやってミックスさせていくか、これからのテーマになっていくだろう。 嶌委員
     
 
  【川勝委員】
   家庭が進化していくと澤登さんが言われた。進化は別名、分化と言われており、家庭の進化は家庭が分化することである。つまり、まず家と庭が分かれて、庭は公園になり、家は箱になる。家の中でも家族1人1人が別々になっていく。女性が自立していく。こういった家庭の分化が良いのだろうか。さらにスピーチの中で分化の進んだ社会を森林化社会と表現された。このように個人が都市において個々の箱に住むようになると、自由に使える自分の空間、集まれる場所が求められるようになるであろう。
 都市生活の問題は、ルールを喪失することによるコミュニティの喪失であると言われた。しかし社会からルールがなくなったのではなく、逆にルールに飢えているのではないか。阪神・淡路大震災の際には略奪や強奪もなく、皆が状況を把握して、暗黙のルールに従って行動した。ルールはあり、コミュニティーは存在していた。日本中からボランティアを希望する人々が集まった。ある意味でルールに飢えているのではないか。
 成毛さんが言われたように、もし人々が箱の中にこもって生活し始めたら、非常に不健康であろう。もちろんインターネットで全世界と交信し、全世界の画像が見える。しかし当人は半畳ぐらいの空間の中にじっと座っている。そのような孤立した生活に対し、花が咲いているとか、チョウが飛んでいるとか、雪が降っているとか、リアルな現実に接することのできる場、また自分の感性を解放できる場、人と人とのつき合いができる場が求められるようになる。
 家は分化していくが、新たな交流の場が生まれる。この場で互いに助け合う家族の温もりが回復できるかもしれない。都市生活とは違う、新たなコミュニティーでの生活が始まるかもしれない。
 またこれからは箱の中にこもると同時に都市から遠いところで生活できるようになる。都市に密集して居住し、かつ孤独な生活を強いられることはなくなる。情報化が進み、都市に集中する必要がなくなる。分散して居住するという時代の予兆を感じる。
川勝委員
 
  【嶌委員】
   情報通信の発達による所得格差の増大は日本や欧米先進国社会の中だけではなく、全地球に及ぶと考えて良いのか。重債務国の拡大はその表われではないか。 嶌委員
     
 
  【成毛委員】
   国内における個人の所得格差も生じるが、国同士の所得格差も拡大してくだろう。
 先程言い忘れたが、私のこもる生活は既に始まっている。朝7時ぐらいに起き、それから犬の散歩をする。散歩の後、家に帰りまたパジャマに着替える。電子メールのやり取りをする。電子メールはビル・ゲイツも含め、夜間に毎日 100通程度届く。この返事を打っていると昼の11時、12時になっている。その後、会社でミーティングがあれば出社する。会社にいるのは1時から5時、6時ぐらいまで。その後は大抵、屋台に行く。屋台がコミュニティーかどうか知らないが、こもる家と屋台等の人の集まるコミュニティーとの間を毎日往復している。
成毛委員
 
  【松田委員】
   加藤さんに聞きたいことがある。私はリサイクルを通してコミュニティーをつくることにかかわっている。瓶と缶の回収箱を道の上に置くと、これは警察の道路交通法に違反していると行政側から注意を受けることがある。対称的に行政側が瓶と缶を売ったお金を市民に返し、それを市民が活動資金にしている町もある。またこのように市民へお金を渡すことは法律違反であると言う自治体もある。何をもって法律違反としているのか。行政は矛盾している。 松田委員
 
  【加藤委員】
   まず何の法律のどこにどう書いてあるか、それが分らないと矛盾しているのか判断できない。 加藤委員
     
 
  【林委員】
   埼玉県の小川町に金子さんという人がいる。近くに住む消費者40軒と契約して生産した農産物を直売等して生計を立てている。堆肥づくりや、飼っている動物のし尿からメタンガスをとり、燃料を賄うこともしている。
 金子さんは本の中で、将来は4世帯相手で成立する事業にしようと思っていると書いている。畑は今の半分ぐらいにして、多くの種類の野菜を栽培する。窒素を放出する野菜の隣に窒素を吸収する窒素を固定する野菜を配するなどすべての仕組みについて十分に考えられている。
 このような4、5軒程度のスケールで完全に物質循環が完成したコミュニティを形成することが可能である。今までの都市と全然違う世界が発生するということは考えられる。
 小川町にはさらに20数軒だか有機無農薬農業をやっている人たちがいる。彼らは非常に明快な将来像を持っている。完全循環型コミュニティを作り、コミュニティで自立した生活を営むことができるというイメージを持っている。変化の激しい時代にこのような手法で自立した生活を営み、明快な将来像を持った人たちが、小川町の中にはたくさんいる。
林委員
 
  【嶌委員】
   一番、安部さんがこもる生活をされているのではないでしょうか。 嶌委員
     
 
  【安部委員】
   成毛さんのお話を伺って、背筋が寒くなってきた。
 コンピューター人間と非コンピューター人間の所得格差が判然とするようになる。それは同時に知的レベルの違いにもなってくるのではないか。皆が1票ずつ持つ民主主義はこれから成立するのだろうか。知的レベルの高い人間と知的レベルの低い人間は、共存できるのだろうか。政治家がこのようなコンピューター時代に対応できるのか。
安部委員
     
 
  【嶌委員】
   今の林さんの話にあるように、4人を相手にするだけで、自立した居心地の良い生活もできる。他方、ビル・ゲイツのように20兆も儲けようとすると、その世界でしんどい思いをしなくてはいけないが。 嶌委員
     
 
  【長谷川委員】
   堺屋さんのレポートに首都を移転する理由のひとつとして、対面型コミュニケーションを避けるためと書かれていた。これは霞ヶ関の本音ではないかと思った。
 私も事務所に用事がない日は家にこもっていたり、出歩いたりしている。何か特別な活動を、仕事以外の活動をしようという気になる。
 建築を設計する者として、我が国では”つくる”論理は優れているが、実際に活動する側から事が始まらないと感じている。まず”つくる”ことが先行して、建築が完成した後、その空間での活動を考える。また建築が完成した後でなければ、設計者はその建物を使用する者とコミュニケーションすることができない。最近はこの傾向に変化が見られる。市民自ら新しい活動行為を起こし、その活動ための場を必要とする。その空間は原っぱでいいのか、本当に建築が必要なのかという話もおこっている。自分たちで公共建築を積極的に運営しなければ、面白くないといったような活動する側からの論理が少しずつ普通の人たちによって見出されている。建築する側にも違うアプローチの方法が求めらている。
長谷川委員
 
  【嶌委員】
   コンピューターのコミュニケーションと相対する人間同士のコミュニティーの質が異なっている。コンピュータによるネットワークが急速に発展しながら、個々人は何か別のものを求めているのではないかと思う。 嶌委員
     
 
  【隈部委員】
   今、女性が恐ろしい勢いでネットワークをつくっている。そのキーワードは、「介護」である。一生のうち全ての女性が介護する。介護でこもらなければならないときのために友達をつくり、ネットワークをつくっている。
 家事、介護をするロボットかあるいは通信、情報の開発にお金をかけるのか、2つの方向性がみえていた時期があった。結果的に情報通信の方を選択したことになる。テクノロジーが幾ら発達しても、結局介護は女性がほとんどやることになる。それで、「今のうちに外に出かけておかないといけない」という女性のパワーがすごい。コンピュータの発達が進めば、ご主人が定年退職しなくても家にこもるという大変な事態が発生する。これからさらに外に出ようという女性の勢いは高まる。
 もう一つは、どんなに情報が発達しても、地方に行きたくない人は増えている。その理由は地方に行くと孤立してしまうからである。わずか1時間でもニューヨークグリルへ行ってランチを食べると、女性には1週間家に引きこもるエネルギーが出る。それが地方だとできない。通信、コンピューターの発達に従って、地方に住む人が増えるとは思えない。
隈部委員
 
  【石井委員】
   新卒で就職した人の3分の1が3年以内に会社を辞めている。世の中全体が潜在的な失業状態になっている。就職しているということと失業しているということの差がはっきりしなくなる。このような社会において、人の自立しようとする気持ちは強くなる。自立することはイコール孤立である。就職したことのない、私のような潜在失業者的な男には、自分に寂しさが来るということがわかる。寂しさがくることがわかったときは、下手に動かない。絶対じたばたしないことが必要だ。そのうち大きな波のようにゴーッと淋しさが押し寄せてくるが、そのうち頭の上を去って行く。女性には子供を育てているという強みがある。これからはとにかく子供は必ず2人産んで、1人は男が1人は女が育てる。要するに分化である。男も子連れ狼で、いつでも連れて歩く。そうなると離婚も怖くないみたいだ。 石井委員
 
  【坂井委員】
   25万円で販売したソニーのアイボという犬のロボットをご存知か。発売の数時間後にすべて売り切れになった。SFっぽいこのような事態が現実化しているのだろうか。
 昨年、足を折って入院していた。ノートパソコンを病院の中に持ち込んで、PHSで出版社まで全部原稿を送っていた。そのとき書いた原稿がかなりある。便利であると実感し退院後の今もあえて病院に入っていたときの時間帯に近い生活を今実験している。何とかなっている。逆に会社に行くのが楽しみになってきている。家にいると、やはりうつ病っぽくなる。会社に行く方がむしろ楽しい日で、家にいることの方が我慢だったりする。
坂井委員
 
  【嶌委員】
   ここにいる人は正常でない人が多いみたいだなあ。みんなこもっている人ばかりで、会社で1週間働いている人はいないようだ。
 ビジネスの世界でコンピューターというコミュニケーション手段がどんどん発達していく。しかし一方で人間性を失っていくようで寂しい。一方で女性達は、男性や行政は信用できないため自分たちでネットワークをつくり、自らが生き生きとできるコミュニティを作り始めている。このような社会環境が変化を遂げる中で行政やインフラは一体どんな役割を果たすのか、新しい時代のインフラとは何か、という課題も出てくる。
嶌委員
 
  【川勝委員】
   国家は夜警国家となり、行政側は警察や外交、軍事のみを司る。インフラについては、例えばイギリス人は民間が公共的なインフラ整備までやるという構造を持つ。しかし民間人だけではできぬ部分もある。そのために税金を払う。
 こもるといっても、都会で家の中にこもる人と、百姓のまねごとをしてみたいという人と、人に会わなくて済む森の中にこもりたい人と、いろいろあると思う。そういう選択肢を可能にするために万人に必要な公共財の整備を行政がやらざるを得ない。
 かつてサラリーマンであったのは武士だけである。あとは職住近接であった。明治以降みんな企業のサラリーマンになり、職場から住宅は離れていった。これから家の中にいられる時間が多くなる。昔のように朝から晩まで働くのではなくかなり自由時間がある。家の中にいられるから、その家についてのコンセプトをもう一回考えるべき時期に来ている。その家と家とを結びつける、家々の村あるいは町といったものを結びつけるためのインフラはもう一回必要であろう。情報通信の発展により、自分の目で確かめたいという情報は多く目にとまるようになる。今の移動人口は世界人口の10分の1で、60億人のうちの6億人は動いている。行政の役割は移動しやすいように、安全で快適な移動ができるように整備することである。
 澤登さんが示された女と男の役割の模型図によれば、家事を厭わない男性が普通になって、やがて女性を前提としてつくられた家事用設備機器商品のサービスが見直され、男性家事市場が誕生してくる。ついに家庭崩壊になるのか、あるいは新しい女性優位の社会が誕生するのか。
川勝委員
 
  【澤登委員】
   5、6年前に全国調査をしたときに、 100年後の社会はどうなっているか、家庭はどうなっているか、企業はどうなっているかを30代の人に聞いたことがある。企業といったにもかかわらず農業という回答が多かった。食べることはもっと大切になるだろうと考えられている。家庭はどうなるかという質問に対して母系社会、女性社会、通い婚という回答だった。ますます社会をリードしていくのは女性たちではないかと思う。 澤登委員
     
 
  【松田委員】
   行政は、いつもこうしなさい、ああしなさいと命令するばかりで、市民の提案に対して、規制をかける。市民と行政が対立する形になっているのではないか。行政は市民の思いを上手に吸い上げていくコーディネーターの役割を担って欲しい。 松田委員
     
 
  【加藤委員】
   インフラと言っても川勝先生がおっしゃったのと違って、情報化がさらに進めば現在の社会インフラというのか、制度的なインフラの前提がまるっきり違ってくるのではないか。例えば海外との取引において、インターネットで注文すればすぐに海外から物が届く。貿易取引を一つとっても今までとこれからでは全く形が違ってくるだろう。知的所有権の問題は既に出てきている。これらの変化に早く対応しなければならない。
 また、別の話だが林委員のお話のように、衣食住に密接にかかわる日常的な物は、どんどんローカルに取引されるようになる。あるいはローカルにせざるを得なくなると思う。どんどん囲い込みが起こるのではないか。金融を筆頭にしてパソコンや車などはグローバルに取引され、世界単一市場になる。この両者のどこで線を引くのか。このような分化した社会に対応した社会インフラをまたつくっていかなくてはならない。
 またジョージ・ソロスですらグローバル・キャピタルズムというのは危なくてしようがないと言っている。グローバルマーケットには何かの枠をはめなくてはならないだろう。
加藤委員
 
  【嶌委員】
   日本の規制緩和はアメリカにおけるディレギュレーションに当たる。しかしディレギュレーションを正確に訳せば、規制の撤廃・廃止となる。日本でディレギュレーションを規制緩和という表現を用いているのは官庁の権限が残るからであろう。規制緩和白書を見ると、規制という項目で20以上言葉がある。読み上げると、許可、認可、免許、承認、指定、承諾、認定、確認、証明、認証、試験、検査、検定、登録、審査、届け出、提出、報告、交付、申告となる。この他に内規と行政指導がある。
 女性が中心につくっている行政とは全く無縁なコミュニティーや林さんの話に出てきた4、5人のコミュニティー等、さらに一方で拡大するインターネットの世界、このような様々の質の違うコミュニティが世の中に広くみられるようになると思われる10年後をどのように想定するのか。コミュニティーの作法、コミュニティで活動する側の論理、また生きていく論理をどのよう行政に取り入れていくのか課題になるだろう。
嶌委員
 

 

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