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お手元に2種類の資料を用意した。一つには多分男の方たちは暮らしの現場がわからないだろうと思いながら、切り口のみを書いてきた。もう一つは「アンテナネット」という少しかわいらしいパンフレットである。これは全国の女性たちが子育てをしながらまちづくり、あるいは自分たちの情報を信頼ある情報だと言いながら、かなり面白いネットワークを築いているものである。その人たちが緩やかに結びついてアンテナショップに変わって、「アンテナネット」というネットワークを組み出した。私が年齢的に一番上なのでまとめ役をしている。この「アンテナネット」はこんな世の中になって欲しいということを思いながら進めているが、一つの仕事の切り口としても、ビジネスチャンスとしても、こんな視点が今、生活者に求められている。時間のあるときに見ていただければ大変うれしく思う。
私自身は、マーケティングをかれこれ30年ぐらいしている。生活者の不満だとか、不便だとか、「負」のところを探り出しながら、それをどう埋めたらいいのかをサポートする役割を担っている。
よく言われているように、今、「家庭の多様化」が進んでいる。私は大変楽天的な人間で、これを「進化」と呼びたいと思っている。特に、子育て後の人たちは、これから、もっともっといろいろな意味で自分を表現しながら社会に参加しようという思いがある。
ただ暮らしの現場では、暮らしそのものは空洞化して、足元が非常に弱くなってきている。と同時に、家庭の機能が外部化して、それをビジネスとして取り上げてきたのが今までの産業社会なのだが、単にビジネスではない形での埋め合わせ方が、注目され始めた。NPOの動きである。これらの動きは大変ローカル的で、地域社会に密着した形で動いている。自分の気持ちのよりどころと自分自身の存在感を、実感していきたいというのが本音ではないか。今後の高齢社会では、「孤独からの脱却」というのが大きな課題になってくる。又現在は、自然界から切り離された私たち生き物としての、「思い」とか「エネルギー」が十分に循環していないという気がする。
時々地方に行くと考えさせられるのである。土、水など、自然環境が豊かで生活が根づいている感じがする。体を動かしながら生産活動をしているのに対し、どうも都会の中の土地では値段の高い点に起因していると思うが、土も光もみんな贅沢なものになってしまうらしい。何かしたくても場所がない。最近の男の人たちに「自分空間はどこか」という質問をすると、去年はお手洗いの中という回答であった。いわゆる「自分時間」は手にしたけれども、「自分空間」を持たない。ここでは本来の自分のエネルギーが出し切れないのではないか。やはり自然界から切り離された問題点が大きいと思う。これからは都会よりも山村を求める人が多くなるような気がしている。定年帰農をした人たちが今6万人とか7万人と言われている。その様なときに女房がついてくるかというと、決して女たちはついて行かないような気がする。「家庭の進化」というのは、これから男女(夫婦)が個人を大切にして暮らし、また必要なときに一緒になるということであって、活動するスペースが大きくなり、多様化していくはずである。多分、男の人たちの方が繊細であり、女の人たちは神経が太く行動的ではないかと思う。高齢期になると女性の方が放って置いてもいかようにも生きていけるような気がする。
提案としては、21世紀は「森林化社会」ということを挙げたい。今、情報化社会と言われているが、循環型社会を築くためには、私たちが動物であったという原点から見直し、躰を動かす場所が必要であり、その中で癒しだとか、次のなるものを生み出す力にはどうしても「植物」が必要だと私は思っている。
また、「森林化社会」といっても、遥か昔に戻ることではなくて、先端技術を活用しながら、森林都市をも目指すことであって都市の文化を享受しながら暮らしを根づかせられないかとイメージしている。そして各々のローカルな動きをベースにグローバルにつながっていく。そこに育まれた歴史あるいは気候風土の特性を活かし、等身大の視点と行動で築いていけば、技術の融合や、新しいものが生み出す力が確認されていけるのではないか。
私自身の活動の中に中小企業の人たちとご一緒する場がある。各地に中小企業事業団の中小企業大学校があるが、企業の人のみの学びの場で、工業の技術を中心としているのみで、農業の人や商店の人と共に考える場にはなっていない。すべてが縦割りの行政の中でなされている様だが、幅広い分野の人々と融合していけば、新しいものが生み出される気がする。また、他の国の人たちにもその技術を渡していける場が必要だと思っている。同時に、男だから、女だから、あるいは山村だ、都市だ、企業だ、家庭だと、各々がどうも分断されて、対立した枠組みの中で物を考えがちだが、これからは二元論的な思考と行動から脱却して、各々のつながりの中で、個と個の関係性の中で、物を見ることが必要だと思っている。
これからは「私」と「公」の間の「共」即ち「コモン」感覚が重要になる。地域の中や家庭の機能が外在化し、それを内と外の中間で受け取っていき、そうして相互扶助の関係が生まれていく。新しいビジネスが生まれていく。今、ボランティアだとか、あるいはNPOだとか、大変美しい言葉で語られてきているが、これから高齢化社会になることを考えると、単なる利益追求ではなくて、人の役に立ちながらビジネスをし、自立した生活者が生まれてくる。高齢社会の中でも、前期高齢者、60代後半や、70代の人が80代の人を看るような時代となる。現在、1人でも家族の中で倒れたら、今までの日常生活そのものが変わって行かざるをえない。それが今後少子化社会で1人、2人の子供たちで、中堅世代の30代、40代、50代の家族に最高8人の先輩がぶら下がる時代となる。するととてもじゃないけれども、在宅介護の介護法ができても、埋め合っていくことはできないような気がする。
そこで、家族のような関係を持ちながら、(つまり家族は「見え隠れする関係」で支え合っている。だからこそ、そこに愛情だとか気持ちがつながってくるわけだが)コミュニティーの中で、支え合う人間関係が作れる地域社会、即ちライフエリアがあっていいのではないかと考える。つまり、「大きな家族」の様な関係で、しかもそれが重たい関係ではなくて、行為を評価し交換財としての「お金」を媒介としながら成立するシステムが必要と感じる。モノや人を所有するのではなくて、一つの行為を評価する客観的なもの差しが欠けている。今、「お金」そのものの意味も問い直されてきている。同時に「働く」という意味も問い直されてきている。個人、家族、地域社会各々の足元から見直し課題を抽出し解決に向けて行動する時期である。
コミュニティーを築くにはコミュニティービジネスによる生命連鎖が重要で、お互い様の関係でビジネスを繋げていくことである。行政や大企業はインフラを作る立場だと思う。
現在、家庭が消費の場になり下がってきた。産業界から見たときに、家庭は消費の場であり、そこの代表が女性で、消費者の代表となっているが、そうではないのではないかという気がしている。やはり家庭というもの、あるいはコミュニティーというものは生命の生産の場、再生産の場であり、そこに「共」に何かをしていくという作業がなければならない。その結果、人間関係の深さが生まれてくるような気がする。21世紀型の働き方、暮し方を考えると、コミュニティーでの在り方が鍵を握っている。「共」に何か行う観点からコミュニティーを考えて、新しいステージを築かねばならないと考える。
これからの時代をリードする人は、自立型のネットワーク志向の人たちではないかと思う。先ほどの「アンテナネット」で今年の3月アンケートを取った結果、自立型ネットワーク志向の人たちがオピニオンリーダーとして人をつなげている。しかも、家族や地域社会の機能を外在化し仕事化しながらつながる。このようにリーダーは女性であり、またリタイアメントした元気のいい男性、あるいは産業社会のちょっと横にいる若者たちが自由な身であるからこそ何か起こすゆとりをもっている。これからはただ小さいビジネスだけがつながるだけではなくて、各々の人や組織とつながってそのうねりを大きいものに発展する可能性があると思う。
これからはソフトとハードの生活環境を生活者の視点や実感を大切にしながら原点に返ってつくり直していかなければならないと思う。その結果、住環境も、あるいは街の姿も変わっていくだろう。生活基盤を作り直すために社会資本にも投資し、又、生活者が、元気だからこそ、人々とつながっているからこそ、ちょっとお洒落もしよう、ちょっとおいしい物を食べに行こうなどと、消費行動を盛んに出来る環境を作ることである。今、セカンドライフに入った男性たちに質問しても、「働きたい」、もう一つの働き方ということを模索している。この様な思いというものを建設省の方たちがどう受け取っていただくかが問われている。
(別資料ー「アンテナネット」パンフレットについてのコメント)
これは、女性たちが個人から始まって家庭のあり方や、社会のシステムがこうあって欲しいと願いながらメッセージを発信している。女性の方が家庭離れをしている。男性の方が家庭への思い入れが強いようだ。いいとか悪いとかというのではなくて、多くの女性たちの考える家族は一心同体ではなくて生活共同者としての位置づけで、自分にとって子供とは、夫とはということを考えているのである。40〜50代の女性たちは、
8,000万円ぐらい老後の生活費がかかるとイメージしている。どうも年間大体 400万円くらい必要だと考えて医療費や介護費用は計算にいれなくても、 400万円をどう稼ぐのかと考えると、もう絶望的になる。そういう中で自分が介護をしたいけれども、してしまったら自分の老後はどうなっていくのかという真剣な思いがある。同時に、夫の両親とも離れて住んでいる人が多いわけであるから、多分このままでいくと、夫の両親は夫の側で、夫たちも生活者として自立を迫られていく。女性たちの方が暮らしをどうにかしていく力がある。
暮らし全体からとらえて、仕事や稼ぐ時間のあり方や位置づけをかんがえながらワークスタイルとライフスタイルを見直す時期である。また、そういう目で見ると、きっとまだまだいろいろなビジネスチャンスがあるような気がする。
(ビジネスのためのネットワークかという質問に対して)
ビジネスが、自分がしたいことや、欲しい情報、たとえば子育てのタウン誌をつくったり、環境問題に取り組んだり、あるいは福祉機器をつくったりとか、営利追求のみでない仕事づくりをしている女性の起業家のネットワークである。女性たちは子育て後就職できないからこそ自分で何か事業をしようということで、初めから社長になりたいから企業を起こすのではない人が多い。
自分の手ごたえ感と同時に、今後の生活を自分で組み立てようとしたときに起業する。大変バラエティーに富んだものであり、しかも、スモールなビジネスである。彼女たちを支えたり、これをサポートする仕組みが余りにも少ない。地方に行けば行くほど、東京の人たちとつながっていたいという気持ちが非常に強くなっている。新しい情報が欲しい。しかし、新聞だとかテレビで流される情報ではなくて、身近な料理の仕方、あるいは教育の仕方、など情報を手渡して欲しいという声が大きい。今、口コミの力は大きいが、口コミでいろいろな情報が手渡しされていく。「ねえねえ、これよ。あれよ」という、行間的な情報を伝え合っていく。例えばお医者さんでも、あの病院のあの先生でなければいけないとか、お店でも、あのお店はなぜいいのかというような情報、いわば中身のある情報を伝えていくというところに非常におもしろいパワーが出てきている。
今、10万人ぐらいがこの「アンテナネット」でつながっている。そうしたら、みんな 大変元気がよくて100万人にしたいなんていうことを言っているのだが、そういう意味で女性というのは形を求めるよりは、やりたいからという思いで行動が起きる。お金が無いからどうしようというのではなくて、そこまで必然性が非常に高まってきているのかもしれない。それと同時に、40代で子育てが終わった後ではなくて、それがだんだん若くなってきている。子供がまだ1〜2歳であっても、外へ出たいと思っている。束縛から解き放たれたい思いが非常に強い。ある意味で大変わがまま、気ままな点がある。そういう意味で、このままでいったら女の人たちが世の中を悪くしてしまうのではないかという気もある面では非常にしている。挫折がないから、やりたいようにやる。心配な面もあるが、一方で時代はいろいろな形の違いの中から生み出されていってもいいような気がしている。 |
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