白磁水注
この12世紀の水差しは1160年から1170年ごろにつくられたもので、5メートルの深さの木製の井戸の底から、ほとんど無傷な状態で発見されました。注ぎ口のところがほんの小さく欠損しているだけであり、非常に希少で価値の高い発見です。これは重要文化財に指定されています。この水差しは、現在の平泉町役場の近くの志羅山地区の住宅建設予定地から出土しました。この地域の文化的・歴史的な重要性から、新たに開発を行う際には発掘作業が義務付けられています。
当時の日本では、磁器をつくるために必要な高温の窯をつくることはできませんでした。そのため、中国から多くの品を輸入していました。この水差しは中国南東部の福建省でつくられたものと考えられています。その後、中国北部の貿易港から日本の南部の博多へと船で運ばれました。藤原家の3代目の当主である藤原秀衡(1122?–1187)は特に日本でとれた砂金と中国の磁器による交易を活発に行いました。平泉をシルクロードの最東端であると考える人もいます。
この水注は、居住者が家を建てようと計画していた平泉の現在の市庁舎近くの白山地区で発掘されました。地域の文化的および歴史的重要性のため、新たな地域開発の前に発掘調査が必要です。水注は重要文化財に指定されています。