旧光亭
急勾配の坂が多い東雲町地区にはかつて、小樽の豪商たちの倉庫が立ち並んでいました。光亭は、常連客のみが芸者遊びができる遊興の場として1937年にこの地区で創業しました。こうした料亭は通常、大事な私用や政治的な会合に利用されていました。二階建ての建物が何棟か連なって中で行き来できるようになっており、食事ができる個室や舞台も備わっていました。
光亭は、東京の新宿区にある料亭の支店で、「数寄屋造り」(茶室風建築様式)という様式で建てられ、茶室の簡素な美意識に基づいた内装が施されていました。
中央の棟の1階には茶室、2階には大人数が入れる畳敷きの大広間があります。また、大広間の隣には踊りや音楽を披露するための檜床の舞台を備えた部屋があります。1950年代までこの地区には同じような料亭が少なくとも5軒あり、三味線(日本の伝統的な弦楽器)や琴(日本の伝統的な弦楽器で、韓国の伽倻琴に似ている。)の音が響いていたと言います。
戦後になると貿易港としての小樽の重要度は低下しました。日本の主要なエネルギー源は石炭から石油に代わり、多くの商人や海運商に富をもたらしていたニシン漁は乱獲のため衰退しました。光亭は1957年に個人の別荘として生まれ変わりましたが、建築物としての特徴は今も保たれています。現在、一般には公開されていません。
