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桃介橋と福沢桃介の発電所

■電力王の足跡を追う
長野県と岐阜県境の木曽川には、電力王・福沢桃介が手掛けた数々の発電所がある。
木曽川の新たな魅力を探しに、桃介の偉業の跡を辿ってみよう。

■電力王・福沢桃介の偉業達成の地

 長野県木祖村で雪解け水を集め、一筋の流れとなった木曽川は、岐阜県境の手前で東西へと流れを変え、変化に富んだ景観を呈する。この両県境にまたがる一帯は、伝緑黄と呼ばれた福沢桃介が、壮大な夢を描き、日本の電力業のみならず、広く産業界を発展させるまでのサクセスストーリーの舞台となった場所である。

上松町で見られる名勝「寝覚めの床」

 明治元年(1868)、威信の幕開けとともに生まれた福沢桃介は、慶應義塾大学在学中に福沢諭吉の養子となり、卒業後にアメリカへ留学。その後、、三十一歳のときに利根川水力電気株式会社の発起人となり、四十二歳で木曽川での発電事業に着手する。当時は、近代化に向け日本の産業界が一気に加速を遂げた時代で、動力源としての電力への期待も高まりつつあった。そこで、桃介は、水量が豊富で落差の大きな木曽川に目を付け、大正八年(1919)に竣工した賤母(しずも)発電所を皮切りに、わずか七年間で七つもの発電所を完成させることになった。
  桃介はまた、日本の女優第一号の川上貞奴(さだやっこ)とのロマンスでも知られる。二人はしばしば木曽谷にある別荘に長期逗留したという。別荘はもちろんのこと、発電所や橋にも凝った意匠が施され、渓谷に文化の香りを漂わせている。才気あふれる時代の寵児、桃介が見せるもう一つの横顔は、文化人としての先進性である。

■渓谷に溶け込むモダンな産業遺産

 この一帯で最も目を引くのが、電力王の名を冠した桃介橋である。この橋は、2キロメートルほど下流にある読書発電所の工事用に架けられた。三本の主塔と高い木製のトラスを備えたデザインが印象的で、木製の吊り橋としては日本有数の長大橋。中央を支える大階段から中州に下りられるような工夫も見ていて楽しい。一時は老朽化による廃橋の危機もあったが、地域住民から保存の声があがり、平成五年に修復され生活道路として活躍する現役の橋だ。そして、国道19号から桃介橋を渡ると天白公園となっており、モダンな洋館が見えてくる。洋館は桃介と貞奴が過ごした別荘で、現在は記念館として公開されている


モダンかつダイナミックな近代土木遺産を見る。
▲柿其(かきぞれ)水路橋
国の重要文化財。全長142.4メートル、中央部は2連アーチ橋、両端部は桁橋。読書発電所への導水路として造られた。

  桃介橋の下流には、桃介が大正十二年(1923)に完成させた読書発電所が姿を現す。水路式発電所として完成当時は国内最大出力を誇った。半円形の窓やレリーフをしつらえた本館は文化的価値が認められ、平成六年に国の重要文化財に指定。これは発電施設として、また稼働中の施設としては初の指定となった。同時に指定された柿其水路橋は、桃介橋から5キロメートルほど上流の柿其川に架かるコンクリートの迫力あるアーチ橋で、上部に水路を渡している。読書発電所へ水を運ぶために造られ、現存する第二次世界大戦前の水路橋の中では最大級だとか。ここでもまた、桃介の夢の大きさに出会う。
  木曽川の流れとアルプスの山々を間近に臨み、桃介の足跡を辿れば、自然の力を借りて人間が生かされていること、それが現代社会や産業史において大きな意味を持っていることに改めて気付かされる。

今も現役、モダンな発電施設の数々
▲読書発電所 ▲大桑発電所
●桃介橋
国の重要文化財。木製補剛トラスを有する吊橋としては日本有数の長大吊橋。修復された後は現役の橋として使われている。

国土交通省技術調査課