CHANTO
What's Accountability
Plan
Action
くらしのアカウンタビリティ
キッズコーナー
知恵の学び舎
Accountability
A la carte
Pick up
TOP / 土木遺産を観に行こう / 宇津ノ谷隧道

静岡県静岡市宇津ノ谷峠 宇津ノ谷トンネル

いにしえより東西交通の要所であり、難所であった宇津ノ谷峠には、明治、大正、昭和、平成、それぞれの時代の土木技術を駆使してトンネルが掘られた。
日本のトンネル史が集約されたこの峠で、先人たちの苦労をしのぶ。

■文明開化の時代にいざなう明治のトンネル

トンネル内 カンテラ
カンテラ風照明がレトロな雰囲気(明治のトンネル)

  静岡県静岡市と岡部町には、平安の昔から旅人を悩ませた宇津ノ谷峠がある。かつての峠越えは、通称「蔦の細道」と呼ばれる昼なお暗い山道を行かねばならなかった。江戸時代に入ると、東海道の道筋が造られるが難所であることには変わりなく、トンネルの開削は人々の悲願であった。
  この峠に初めてトンネルが出来たのは明治9年のこと。地元有力者が結社をつくり、工事費用の三分の二以上を賄った。工事は手掘りで進められ、作業人員は延べ15万人にのぼった。これが初代の宇津ノ谷隧道であり、「道銭」の徴収を許された我が国初の有料トンネルとしても知られている。ところが坑道内を照らしていたカンテラの失火によって崩落、閉鎖されてしまう。現存する宇津ノ谷隧道(通称・明治のトンネル)はこれを改築した二代目だ。明治37年(1904)に開通し、百年以上たった今も赤レンガで覆われた壁とカンテラ風の照明が文明開化の雰囲気を伝えている。

■車社会の到来とともに始まったトンネルの変遷

 
明治時代は馬車や人力の大八車などが主な輸送手段であったが、大正・昭和になると自動車時代へ移行する。このため新たなトンネルが必要となり、大正15年(1926)、谷を西にずらし、標高を下げた場所で掘削が始まる。工事は難航を極めたが、昭和5年(1930)に三代目の宇津ノ谷トンネル(通称・大正のトンネル)が開通した。
  さらに戦後日本が高度成長期に入ると、モータリゼーションの波は一層加速し、トンネルの修築計画が持ち上がる。しかし、交通量の増大と高速化が予想を上回ったため、将来を見越した新たなルートと新トンネルの建築が決定、二年の工期を経て昭和34年、竣工を迎えた。四代目のトンネル(通称・昭和のトンネル)は全長844メートル、幅9メートルで、15分かかっていた逆川から岡部町川原間をわづか数分に短縮した。
  そして昭和44年に東名高速道路が全線開通する。これにより国道1号線の交通量は一時的に緩和されるが、やがてトンネル付近は渋滞を繰り返すようになる。その解消のために建設されたのが、五代目となる新宇津ノ谷トンネル(通称・平成のトンネル)である。着工は平成2年。四代目のトンネルの南側に建設され、平成7年の開通と同時に前後の道路も四車線化した。
  宇津ノ谷に初代トンネルができてからおよそ130年、その歴史を糧に生まれた新たなトンネルは、これからも人と人、文化と文化を結びつけていくだろう。

先人の偉大さを学ぶ
●宇津ノ谷隧道(通称・明治のトンネル)
明治9年(1876)開通し、明治29年(1896)の火災後改修し、明治37年(1904)年開通。内部は側面部分とアーチ部分でレンガの種類、積み方が異なる。国登録有形文化財。

国土交通省技術調査課