水管理・国土保全

  

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子吉川の歴史

"子吉川は、江戸時代から日本海西廻り航路(北前船)が開かれ、舟運により人・文化の交流に大きな役割を果たしてきました。近年では本荘市民ボート大会の開催や、カヌーなどの利用が盛んです。"
子吉川の歴史、先人の知恵の活用
(舟運)
 秋田県南部の本荘平野を貫流する子吉川と沿川地域との関係は、古くから他地域では見られないような密接な深い関係にあります。
 江戸時代に日本海西廻り航路(北前船)が開かれ、現在の由利本荘市である本荘藩の古雪港や対岸の亀田藩の石脇港は、河口港であり重要な拠点として栄えました。また、これと連接した河川航路も整備され、子吉川を流下して古雪港、石脇港に集められた米・木材を積んだ北前船は大阪に航海し、代わりに塩や砂糖、古着、工芸品、陶器、雑貨などを運んできました。つまり、子吉川という1本の川が、物資輸送の大動脈路のみならず人的交流や文化の交流にも大きな役割を果たしていました。


江戸時代の海上航路の一例


明治末期の石脇港と帆掛け舟、帆を下ろした北前船が碇泊している




(ボートの街)
 由利本荘市のボートの歴史は古く、明治35年に本荘高校ボート部(端艇部:たんていぶ)が創部され、これまで幾多16回の全国制覇を果たしています。また、平成7年に第16回全国市町村交流レガッタの開催や昭和55年から本荘市民ボート大会など市民参加の大会も開催されており、ボート活動は子吉川の風物詩となっています。また、カヌーの利用も盛んです。


子吉川河口近くの田尻浦で練習中の本荘中学校(現在の高校)クルー(明治末期)


由利本荘市民ボート大会(子吉川レガッタ)




(藩政時代の治水事業)
 承応3年(1655)入封した六郷氏は、子吉川沿岸八幡下より波浪の激しい港口まで長木を深く水底に打込み、篠枝で波線にからみ、内部に土嚢を詰めて工事を行って、石脇沿岸から河口に到るまでを岩城氏の領地にしたと記録されています。
 また、中流部に位置する旧由利町森子・明法地区の改修工事は寛永時代(1624~1643)に、今でいうショートカットが行われた記録が残っています。


子吉川森子明法地区改修想像図


子吉川森子明法地区の現在の状況




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