雲出川は、比較的優しい川であったことから古来より船運が盛んで、街道沿いには渡しが造られたほか、上流からは筏による木材の運搬、中・下流部においては米・お茶・炭・塩などの運搬に利用されていました。
しかし、ひとたび洪水がおこれば下流部は一面川原と化します。このため、人々は洪水から逃れるため低地から高台へと移り住むようになりました。洪水等によってできた平野は宅地などといった高度な土地利用は困難でしたが、優良な農地としての可能性を秘めていたのです。このため人々は次第に開田を進め、同時に自らの農地を守るための堤を造っていきました。しかし、雲出川の下流には大きな城下町があるわけでもないので、計画的な築堤工事を行ったのでなく、農地を守るための比較的安価でできる連続しない霞堤による築堤が行われ、それが現在も残っています。
また、開田とともに雲出井用水の開削をはじめとし多くの堰が作られ、その用水により田園地帯を潤し有名な一志米を産出してきました。