明治維新以後、政府は国土保全上から最も重要である河川に対して直轄施行するにあたり、統一した考えに基づいた治水施策を確立するため、当時治水では最高の技術水準にあったオランダから、河川や港湾関係の技術者を招きました。明治5年(1872)に長工師ファン・ドールンと二等工師リンドウを、翌年には一等工師エッセル、三等工師チッセン、四等工師デ・レーケを雇い入れ、このうち、九頭竜川および三国港の改修に関わったオランダ人は、エッセルとデ・レーケです。
エッセルは九頭竜川筋の安沢地先や足羽川筋の福井市内などに、河岸や堤脚の決壊を防ぐために護岸や水制としての沈床工を設計し、工事の指導を行いました。また、九頭竜川の河口に土砂が堆積し、船の航行が困難になったため、三国港に突堤を設ける設計を行いましたが、帰国するまぎわに工事が着手され、直接工事を指導できなくなりました。そこで、デ・レーケが引き継ぎ指導を行うため、たびたび三国を訪れました。
工事は明治11年(1878)5月に着工し、同13年(1880)12月には防波堤の上部を除きほぼ完了し、開港式が挙行された。