水管理・国土保全

  

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高梁川の歴史

高梁川の舟運

 高梁川は岡山県西部を貫流する中国地方有数の河川です。

 高梁川の流域は古くは備中と呼ばれ、備前・備中(岡山県)、備後(広島県)と合わせ吉備の国として政治・経済・文化の面で重要な地域でした。高梁川の名前は古くは日本書紀のに記されている川島川から川辺川、松山川など、その時代時代に栄えていた町の名前を取って呼ばれていましたが、明治時代になり備中高松が高梁と改称されたことにより松山川から現在の高梁川という名前になりました。

 高梁川中流の松山は16世紀頃から始まった高瀬舟による舟運によってにぎわいをみせました。高瀬舟の航路は江戸時代の最盛期には上流の新見、成羽川上流の東城、小田川上流の井原のあたりまで整備され、交通運輸の重要な動脈となっていました。成羽川上流で江戸時代から明治時代まで盛んに生産されていたベンガラも高瀬舟を利用し全国に運ばれていきました。


高梁川を行き来する高瀬船(出典:水利ロマン90年のあゆみ 2006 高梁川東西用水組合)




下流部の干拓

 高梁川上流の阿哲郡、成羽川上流の広島県比婆郡、神石郡等の中国山地脊梁に近い花崗岩地帯は、古くから砂鉄採集の鉄山産業が行われていました。山を掘り崩し、流水による「鉄穴流し」という比重選法によって砂鉄を採集し、精錬所(タタラ)で鉄材となります。鉄穴流しの過程で、下流に風化土を混する濁水と莫大な土砂を流下させることとなり、下流域の河床上昇の一因となり、天井川を形成するようになりました。

 中世から明治時代中期までの鉄穴流しと、江戸時代以降の干潟の干拓や埋め立てによってゼロメートル地帯が拡大しました。現在の倉敷市をはじめとする下流の平野部の多くはこのように干拓によって形成された低平地であり、洪水や高潮が堤防を越え居住地側へ流れ込むと被害が拡大しやすい特性を持っています。


岡山平野西部の干拓地とゼロメートル地帯


岡山平野カラー標高マップ



第一期改修

 江戸時代の寛政4年(1664)~天保5年(1834)の間には、5年に1回程度の頻度で水害が頻発したと言われています。原因は、堤防が十分な大きさでなかったこと、鉄穴流しの堆砂によって天井川だったことであるとされています。高梁川の流域は各藩の領地が複雑に入り組み、対岸は他領という地域も多く、一貫した治水計画は立てられず、洪水対策は各藩毎に実施される部分的な堤防工事程度であり、大規模な河川工事は実施されませんでした。

 明治時代に入っても高梁川では一貫した改修計画は立てられず、水害が続いていました。明治26年10月に既往最大規模の洪水が発生しました。高梁川の水嵩は平水より10m余り上昇し、本川の他支川の至る所で堤防が決壊しました。明治25,26年の大洪水を契機として明治43年から大正14年まで行われた内務省による第一期改修によって、それまで倉敷市で東西両派川に分かれていた東派川を締切り、川幅の広い西派川に統合する大改修を行いました。また、西派川の一部は締め切られ、柳井原貯水池として整備されました。その後、廃川となった東派川の廃川地の造成、水島の工業用地土地造成などが行われ現在の高梁川の姿となっています。


江戸時代における高梁川下流部の堤防決壊地点


高梁川第一期改修の概要



国による改修事業

 第一期改修竣工後の高梁川は岡山県において管理されていましたが、昭和42年6月に河川法に基づき一級河川の指定を受け、高梁川本川26.5km(河口~宍粟)、支川小田川7.9kmが国管理区間となりました。昭和43年2月に第一期改修の計画高水流量を踏襲した工事実施基本計画が策定され、昭和44年度より、脆弱な堤防、老朽化した護岸の補強を主体とした改修工事に着手しています。

 小田川では、昭和47年7月洪水、昭和51年9月洪水により、大規模な内水氾濫が発生し、昭和49年~平成11年にかけて沿川11箇所において排水機場が整備され、合計約26m3/sの排水ポンプが増強されました。

 その後、高梁川の下流部では水島工業地帯が国内屈指の重化学工業の生産拠点として発展し、氾濫域への資産集中が進みました。そのため、治水計画の安全性を高める必要が生じ、平成元年3月に工事実施基本計画を改訂し、小田川については高梁川と分離して柳井原貯水池を経て、現在の合流点より約4.6km下流で高梁川に合流させる計画としました。



堤防補強の状況(高梁川酒津地区)




河川整備基本方針及び河川整備計画の策定

 平成9年の河川法改正を受け、平成19年8月には、今までの河川整備の基本となる計画であった工事実施基本計画に代わり、治水・利水・環境の総合的な河川の整備を目指し、河川整備基本方針を策定しました。河川整備基本方針における小田川の治水対策は、柳井原貯水池(旧西高梁川)を河道化し、小田川と高梁川の合流点を下流に移動させることにより、小田川水位の低下と高梁川酒津周辺への負担軽減を図るものとなっています。

 平成22年10月には、今後概ね30年間に行う河川の具体的な整備目標や実施内容を示した「高梁川水系河川整備計画【国管理区間】」を策定し、河川整備が進められています。

 その後、進捗点検をを踏まえ、、①高潮堤の整備延長延伸、②施設能力を上回る洪水への対応 (危機管理型ハード対策)、③広域防災対策等を追加し、平成29年6月に高梁川水系河川整備整備計画【国管理区間】を変更しました。

高梁川水系河川整備計画

小田川合流点付替えの概要









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